新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

ケルンの街歩き③ 1万人もの大虐殺の悲劇の女王、聖ウルスラの教会は骨で埋め尽くされていた。

2019-07-16 | ドイツ・ケルン

駅近くまで戻り、次のロマネスク教会を目指した。聖ウルスラ教会。

 路地に入ると、石畳の道がしっとりと雨に濡れていい感じ。

ところで、聖ウルスラってどんな人?ウルスラ伝説を調べてみた。

 ウルスラはブルターニュの王女。イングランド王から「息子の嫁に」と要請され、彼女は3つの条件を出した。①結婚まで、3年間の猶予②王子はキリスト教に改宗すること③ウルスラと10人の乙女、そして各々100人の侍女を従えてローマに巡礼が行われること。

 これらの条件が認められ、ウルスラはローマ巡礼への旅に出た。しかし帰途フン族の襲撃に遭いウルスラと王子、そして1万人もの御供たちが皆殺しになってしまった。

 その惨事の現場が実はケルンだったということらしい。古代ローマの墓地遺跡の上に立てられた4世紀ころの墓石に8歳の少女の名前としてウルスラの名が記されており、以来この地が巡礼の場として信仰を集めるようになったという。

 堂内で最初に目に入ったのが、いかにも現代的なステンドグラス。

 このデフォルメ感がなかなかだ。

 別のステンドグラスも面白い。

 対して、器に刻まれた人物像は相当に中世的。

 高い空間のてっぺん付近にキリスト像が吊り下がっている。

 このマリア像はなんとも美しい。

 こんな群像もあった。

 堂内を一通り見た後、入口右にある金の小部屋と名付けられた特別室に入った。ここだけは有料になっている。2ユーロを払って中に入ると、とんでもない光景が目前に現れた。

 四面の壁という壁がすべて人骨によって埋め尽くされている。

  この骨だらけ壁面には圧倒される。殉教者の人びとの骨を用いて造られたのだという。14世紀から17世紀にかけての聖遺物胸像が120体あった。

 その中で中心に置かれているのが聖ウルスラ像だと、係員が教えてくれた。

 いわゆる「骸骨寺」というものがヨーロッパにはいくつかあるが、とてもその感覚にはついて行けそうにもない。

 

 

 


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2 コメント

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見たことあります !! (マンマ♪)
2019-07-23 18:52:54
私はオーストリアのハルシュタットで初めて見ましたが、ギョッとしました
それも相当な数のシャレコウベ。

宗教の違いとはいっても。。。


いつも有難うございます。 (gloriosa)
2019-07-23 21:39:34
マンマ様

 骸骨寺はローマにもありますが、とても付いていけませんね。
 ハルシュタットは美しい町ですよね。ただ、私は通り過ぎただけでしたので、改めて行きたい町の1つです。

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