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新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

寺社巡り・東京⑩ 2つの鬼子母神堂。角のとれた「鬼子母神」。中止となった朝顔市の復活を祈る。

2020-09-22 | 寺社巡り・東京

雑司ヶ谷と入谷。東京にある2つの鬼子母神を訪ねた。

 まずは鬼子母神とはどんな存在なのか。実はインドの夜叉の娘だ。500人もの子持ちだったが、人間の子供を食べて生活していた。

 それを知った釈迦如来は1つの策を施した。彼女の末っ子を隠してしまうという策だ。これによって半狂乱となった鬼子母神に、釈迦は「子を失った悲しみがどんなものか、わかったろう」と諭した。

 子を失うことの衝撃を痛切に味わった鬼子母神はそれまでの行いを悔い改め、以後彼女は出産、育児の守り神に変身したーーというエピソードだ。

 雑司ヶ谷の鬼子母神堂の看板を見ると、「鬼」の一角目の角がない。鬼から神になったことを象徴してこう記しているということだ。

 境内にある鬼子母神像も、姿かたちはいかめしいが、表情は心持ち柔らかい。

 対して、同じ境内にはこんないかめしい顔の像もあった。

 ここは豊島区とあって、区の象徴のフクロウも鎮座していた。

 ここでは樹齢700年という大イチョウが有名だ。高さは33mにもなる。

 一角にある武芳稲荷の赤鳥居が印象的だ。

 一方入谷の鬼子母神。

 「恐れ入谷の鬼子母神」と、太田蜀山人が詠んだように、地域になじみの神様だ。

 同時に、ここは下谷七福神の1つ福禄寿が祀られたいて、七福神めぐりのコースにもなっている。

 ここの最も有名な行事が、朝顔市。毎年7月に開かれている江戸末期からの伝統行事で、一旦廃止となったが戦後1947年から復活していた。

 出店数は120以上、12万鉢もの朝顔が威勢のいい掛け声とともに売り出される。

 例年は大賑わいの行事なのだが、今年はコロナ禍によって中止。寂しい結果となった。(写真は4年前の風景)

 

 

 

 


寺社巡り・東京⑨ 柴又・帝釈天。寅さんとさくらの出迎えを受けて、精密な彫刻ギャラリーに驚く!

2020-09-18 | 寺社巡り・東京

柴又・帝釈天といえば、寅さん。

 日本人なら誰でもすぐに思い浮かぶ組み合わせが、帝釈天とフーテンの寅次郎だ。その想定通り、柴又の駅を降りるとすぐに寅さんが出迎えてくれた。

 さらに、数年前からさくらの像も追加された。この向きを見ると、また旅に出ようと駅に向かう寅さんをさくらが見送るシーンのようだ。

 駅から数分、門前町から歩くと。帝釈天の入口・二天門が見えて来る。

 門をくぐると、帝釈堂の建物。正式な名前は日蓮宗経栄山題経寺というらしい。

 この建物の中に、すごい芸術が控えている。彫刻ギャラリーと題された一角だ。

 10枚の胴羽目。縦1.27m、横2.27mの板10枚に、法華経の説話から選び出されたシーン10題が、精密な細工で掘り出されている。

 これは風神雷神図のようだ。

 一人一人の仏たちの姿が、鮮明に浮かび上がってくる。

 龍が飛び出してきた。

 大正末期、最初に彫刻師加藤寅之助(あら、この人も寅さんだ!)が1枚を完成。その後東京の9人の彫刻師に依頼してトータル10数年をかけて完成したという。あまり知られていないのかもしれないが、一見の価値は十分にある。参拝の折にはぜひここまで足を延ばしてほしい。

 その奥には、遼渓園という日本庭園があり、ここでゆったりと憩うことも出来る。

 

 


寺社巡り・東京⑧ 豪徳寺は招き猫発祥の寺。背後で井伊直弼の墓が猫たちの大群を見守る。

2020-09-15 | 寺社巡り・東京

 二両編成のローカル線・東急世田谷線に乗って宮の坂駅で降りると、目的地の豪徳寺に到着する。

 初めてここに来た時、本当にびっくりしたのがこの招き猫の大群だ。

 運を授かった人たちが、お礼の意味を込めて奉納した招き猫たちが、寺の一角に溢れんばかりに「住みついて」いる。

  そのきっかけとなったエピソードは17世紀にさかのぼる。彦根藩二代目当主井伊直孝が、鷹狩りの帰りに寺を通りかかると、門前にいたネコが手招きをしている。

 興味を抱いた直孝が寺に入り、僧侶の話を聞いていると、直後に激しい雷雨が一帯を襲った。雨が上がり、一行はこの猫のおかげで雨の直撃を避けることが出来たとし、以来豪徳寺を自らの藩の菩提寺とすることにした。

 これによって豪徳寺自体も大名の守護を受けることになり、お互いがウインウインの関係になったというわけだ。

 発祥とされるここの招き猫は、よくみかける大判を掲げた姿ではなくて、素朴に右手を上げた格好だ。

 井伊家の中でも最も有名なのが井伊直弼。幕府の大老を務めたが、1860年桜田門外の変で暗殺されてしまった。その彼の墓もここに立てられている。

 墓のすぐ近くには三重塔。現在の塔は2006年に建てられたという新しいものだ。

 赤頭巾をかぶった六地蔵は、ちょっとかわいい感じ。

 対して大きな香炉の上に鎮座した獅子像は、何とも恐ろしい表情をしている。

 小さな招き猫を購入し、帰りも世田谷線の車両に乗って家路についた。

 


寺社巡り・東京⑦ 湯島聖堂の屋根では、怪獣がにらみを利かせている

2020-09-12 | 寺社巡り・東京

 聖橋を渡って湯島聖堂に到着した。

儒教の始祖・孔子を祀る廟。林羅山が上野に建てた孔子廟を、五代将軍綱吉が現在地に移転、後にここが幕府直轄の昌平坂学問所となった場所だ。

 学問所は明治になって廃止されたが、聖堂はそのまま残ることになった。杏壇門は漆塗りで仕上げられた美しい門だ。

 ここから大成殿に参拝する。元の建物は関東大震災で焼失したが、1935年に伊藤忠太の設計で再建された。

 中央には孔子像。両脇に2人ずつの聖賢が控えている。

 この建物では屋根に注目しよう。日本の城ではしゃちほこに相当する場所にある「鬼口頭」と呼ばれる神魚が、潮を噴き上げている。

 その近くでにらみを利かせているのは「鬼龍子」という想像上の霊獣だ。

 この辺は、妖怪好きで有名な設計者伊藤忠太の好みが存分に発揮されている。こんな企みは、同じく伊藤忠太設計の築地本願寺でも発揮されている。

 大成殿を後にして横道を行くと、巨大な孔子像がある。高さ4.5mと世界最大の孔子像だという。1975年台北ライオンズクラブから寄贈された。(この像は午後に行くと完全に逆光となったしまうため、いつも暗い顔になってしまう)。

 像の先が一般見学者用入口「仰高門」になる。とにかくここは私にとって、怪獣ウオッチングの場所になっている。

 

 

 


寺社巡り・東京⑥ ニコライ堂。都心に異彩を放つジョサイア・コンドルの名建築。

2020-09-08 | 寺社巡り・東京

 寺社巡りを再開しましょう。まずは東京復活大聖堂。正式名称は「日本ハリストス正教会」が前に付く。でも一般的には通称の「ニコライ堂」で通っている。

 日本で唯一の本格的ビザンチン様式の建築で、国の重要文化財に指定されている。日本近代建築の父・ジョサイア・コンドルの代表作だ。

 ニコライ堂という呼び名は、この聖堂を始め国内各地に聖堂を建ててハリストス正教会の教えを広めた功績者ニコライ・カサートキン大主教の名前からきている。

 設計者ジョサイア・コンドルは,今は無き鹿鳴館や旧岩崎邸、旧古河邸など明治期の日本に近代建築を普及させた功労者。1891年完成のこの建物は壁が厚く、小さな窓を持ち中央にドームが据えられた形。このドームはイスタンブールのアヤソフィアがモデルとされる。

 アーケードのある正門から敷地に入る。

 初めは気が付かなかったが、よく見ると十字架の形が変わっている。先端が4か所ではなく8か所ある「ロシアンクロス」。この形は「八端十字」といわれ、ロシア正教会特有のものとか。

 扉口にも、その形がよくわかる八端十字があった。中央にはキリストが描かれている。

 正教会も、元々はキリスト教。入口の壁にはマリア像が。

 祭壇中央には、イコンを備えた衝立イコノスタスが置かれる。

 この周辺は寺社の多い地区だが、その中でも全く違った様式でそびえるこの大聖堂は一際注目度が高く、しばしばスマホなどでその姿を納める人に出会った。

 ここから神田川に出ると、鉄筋のアーチ橋がある。これは聖橋。

 大聖堂を出てこの橋を渡ると、湯島聖堂に行きつく。二つの異文化の「聖」を結ぶため、公募で”聖なる橋”の名称が付けられた。新しく見えるが、この橋の完成は1927年と100年近くの歴史を持っている。

 聖橋を渡って湯島聖堂へ・・・。