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世界の乳製品の歴史 カルピス 『医心方』 徳川8代将軍吉宗 正垣角太郎 三島海雲

2020-10-31 14:09:11 | 連絡
〇紀元前500年頃 インド
お釈迦様が一週間一食という厳しい修行で衰弱していたところに難陀婆羅(なんだばら)という娘が通りかかり、ヨーグルトに似た乳粥を差し出した。
釈迦はその美味さに元気を取り戻し菩提樹の下で瞑想し悟りを開くことができた、と伝えられている。
〇927年 日本
日本最古の医術書『医心方』に「乳は全身の衰弱を補い、通じをよくし、皮膚をなめらかに美しくする」と古代乳製品の効用と解説が記されている。
・1727年
江戸時代、徳川8代将軍吉宗が、白牛3頭を輸入し、安房の郷(現在の千葉県)嶺岡の牧場で飼育を始めた。ここで搾った「白牛酪」という牛乳に砂糖を加えて煮詰め、乾燥させたものを作り、薬や栄養食品として珍重した。
・明治時代初頭
『明治文化全集 第二十四巻 文明開化篇』によると、福澤諭吉は熱病で昏睡状態)に陥り、牛馬会社の牛乳を飲んだら、重病が治り体も回復した、と記されている。
・1914年 日本
京都の医師・正垣角太郎は、メチニコフの研究
<20世紀初頭 ロシア 学者のメチニコフは、長寿で有名だったブルガリア人がヨーグルトを常食していることから「ヨーグルト不老長寿説」を唱えた。その頃からヨーグルトはヨーロッパを中心に世界中に広まっていった。 >
に感銘を受け、自らの胃腸病克服のため日本で初めてヨーグルト「エリー」を製造。自らも飲用しやがて病を克服する。
1919年 スペイン:アイザック・カラソーという人物が、スペインのバルセロナでヨーグルト工場を建設しヨーグルトの工業生産化に成功した。当時、ヨーロッパでは「お腹の調子を整える薬」として、薬局で販売されていた

https://koei-science.com/gutstory/world-history-of-dairy-product/
・1919年(大正8年)に、僧侶出身の三島海雲 がカルピスを開発・発売
1908年(明治41年)、当時30歳の三島は内モンゴル(現在の中華人民共和国・内モンゴル自治区)を訪れ[5]、そこで口にした酸乳を参考にして、1919年(大正8年)にカルピスを開発・発売し、この飲料と同名の企業の創業者となったと伝えられている。脱脂乳を乳酸菌で発酵(酸乳)しこれに加糖、さらに酵母(馬乳酒中の酵母と近似[6])による発酵がカルピス独特の風味に不可欠であることは、長く企業秘密とされていたが、1990年代半ばに公開された。
社名は、「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」(सर्पिस्, sarpis, 漢訳:熟酥=じゅくそ)を合わせたものである。社名を決める際、サンスクリット「サルピルマンダ」(sarpir-maṇḍa, 漢訳:醍醐)を使用し、「サルピス」・「カルピル」とする案も存在したが、同社では重要なことを決める際には、その道の第一人者を訪ねる「日本一主義」があった。 これにより、当時音楽の第一人者であった山田耕筰に社名について相談したところ、「カルピス」が最も響きが良いということで現行社名・商品名になったという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%94%E3%82%B9



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