香宗我部 親泰(こうそかべ ちかやす)の墓と宝鏡寺
寺伝によりますと香宗我部親泰(1543年~1593年、長宗我部元親(1539~1599年)の弟で(香宗我部親秀の養子)が曹洞宗(禅宗の一派)瑞応寺(土佐郡江ノ口村・現高知市)の末寺として開山。現在は寺域の西南に観音堂があります。
『長宗我部地検帳』には「寺中二段五代二歩、堂床三十代(約600m2)」とあります。寺跡は南北2段になっており、南には後世並べたと考えられる五輪塔14基とその部分の石塔(卵塔含む)が並んでいます。
北の一段高い所に親泰の五輪塔、同秀政、同政氏らの石塔や板碑が並んでいます。
なお、東隣にあった境内社の祇園社は、今香宗川右岸堤防道路西側に八坂神社として祭られています。





寺伝によりますと香宗我部親泰(1543年~1593年、長宗我部元親(1539~1599年)の弟で(香宗我部親秀の養子)が曹洞宗(禅宗の一派)瑞応寺(土佐郡江ノ口村・現高知市)の末寺として開山。現在は寺域の西南に観音堂があります。
『長宗我部地検帳』には「寺中二段五代二歩、堂床三十代(約600m2)」とあります。寺跡は南北2段になっており、南には後世並べたと考えられる五輪塔14基とその部分の石塔(卵塔含む)が並んでいます。
北の一段高い所に親泰の五輪塔、同秀政、同政氏らの石塔や板碑が並んでいます。
なお、東隣にあった境内社の祇園社は、今香宗川右岸堤防道路西側に八坂神社として祭られています。




