タイの生活と日本の生活

タイの蝶の写真と、タイの風俗習慣生活等を紹介できれば、と思っています。日本ではタイの雑貨等を輸入販売しています

春野町の巨大灯篭

2016-02-25 20:05:02 | カメラ
巨大灯籠
 土地では「トーロー」とよび、秋には地区の氏神である若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)の神輿(みこし)とおなばれがここまで来ることになっています。

 石燈籠は1基で、正方形の6段(西・南は7段あり、のちに付け足したものかもしれません)の台石の上にのり、総高4.6m、燈籠の高さは2.2m、火袋は32cmの四角、竿は70cmでその東西両面に「奉獻」、北面には「永代月燈」、南面には「文久三癸亥秋九月良旦(ママ)」、台石上段には「下両組」とそれぞれあります。燈籠・台石ともに砂岩で、竿部に補修のあとはありますが、保存状態も良好です。製作年代は新しいですが、春野地域内では一番壮麗な姿をしたものです。










高知の春野町 吉良神社 7人みさき

2016-02-20 17:22:07 | パタヤビーチ
七人みさき
 
 今ではもう「七人〔しちにん〕みさきのたたり」などと言う人はいないでしょうが、今のお年寄りが子どもだった頃には、きのうまで元気であった人が急に寝ついたりすると、「七人みさきにおうたからだ」などとよく言ったものです。
 七人の怨霊〔おんりょう〕‐実際は八人になりますが‐悲惨〔ひさん〕な最期を遂げた吉良親実〔きらちかざね〕以下の人びとの怨霊がいつも空をさまよっており、それに行きおうた人は大病になるというわけで、人びとはこの目に見えない魔ものを大変恐れたものです。
 親実が長宗我部元親〔ちょうそかべもとちか〕の怒りを受けて、小高坂〔こだかさ〕で切腹したのは天正十六年十月四日のことです。腹真一文字にかき切り腸をつかみ出すところを、検使〔けんし〕の宿毛甚左衛門〔すくもじんざえもん〕が大刀を振りおろしたわけです。
 この夜は、親実は小高坂の下村某の家で碁〔ご〕を打っていたのですが、元親の使いという二人の者が現われ、「元親の命である。」と言って切腹を申しわたしました。親実は打ちかけの一局を収め、沐浴〔もくよく〕して体を清め、静かに半膳の食事をしたためました。そうして左右の者に言いました。
「自分は秦〔はた〕家