タイの生活と日本の生活

タイの蝶の写真と、タイの風俗習慣生活等を紹介できれば、と思っています。日本ではタイの雑貨等を輸入販売しています

オオミスミソウが咲いていました

2017-03-31 09:10:09 | パタヤの生活は?
高知市の西部の牧野公園の山中に咲いているということで見に行きました、

今まではシロバナしか見たことがなかったですが、今日初めて紫の花びら、

を見ることができて、感激です、

大三角草(オオスミソウ)はキンポウゲ科ミスミソウ属の多年草である。
大きなくくりでは雪割草(ユキワリソウ)の名でも流通している。
本州の山形県以南の日本海側に分布し、山地の日陰に自生する。
花が大きく、色や形も極めて変異に富むのが特徴である。
草丈は10から15センチくらいである。
根際から生える葉は、浅く3つに裂ける。
葉の裂片の先は尖り、縁にぎざぎざ(鋸歯)はない。
開花時期は2月から5月くらいである。
花径は2センチくらいあり、三角草(ミスミソウ)よりも大きい。
花色は白が基本だが、ピンク、ブルー、薄紫など多彩である。












春爛漫 ツクシ、モクレン、菜の花他

2017-03-30 18:03:47 | パタヤの生活は?
いつもの散歩コースも、すっかり春の訪れが感じるようになりました、

あちこちに、春の花が咲き乱れて、散歩の足もついつい早足になったり、

又立ち止まって、かをりを確かめたりしています、いつの間にか川にいた、

渡り鳥達はほぼ帰って行ったのかいるのは、オオバンというカモの仲間達です、



























ちびっ子島木彫館 は日本のキャラでいっぱい

2017-03-28 19:00:03 | パタヤの生活は?
高知の横波三里の、明徳高校近くの浦ノ内湾に面した所に降りていくと、突然

千体以上のキャラクターでお出迎えということになり、びっくりです、

300坪以上ある店内にはいると、昭和初期から始め、多くの映画のポスターげ

100点以上ありそうです、その上有名人の、色紙等も数え切れないぐらい展示されていました、


















和霊神社 坂本龍馬の神社

2017-03-26 18:45:49 | パタヤの生活は?
1762年,才谷屋先祖が建立した神社。1862年3月24日,28歳で脱藩を決意した坂本龍馬は,坂本家の守護神である和霊神社へ詣で,ここで水杯をして,沢村惣之丞とともに梼原から伊予長浜を目指しました。毎年3月下旬には脱藩祭が行われています。

3/26はこの神社のお祭りがあるということで、友人と一緒にお参りに行きました、

小さな道がつずいていて、近くには駐車できず、10分ぐらい降りたところから

歩いて出席しました、思ったより、多くの出店や、全国から来た人もいて、

小さな登り口は、人で溢れていました、龍馬さんの家族も同じ道を歩いたとおもながら、

やっとの思いで、お参りすることができました、





















萩市の笠山のツバキを見に行きました、

2017-03-26 17:06:20 | パタヤの生活は?
萩市笠山のツバキを見に行きましたが、既に終わりに近く、残念でした

笠山の道路を行くこと30分、行けども行けども、ツバキは見当たりません、

半島の突先の部分に、やっとつばきにありつけました、しかしながら途中の海から遠くの島なみの景色が

綺麗でついつい写真に撮りました、来年は3月初旬に来ることにします、
























バイモユリの花が咲きました

2017-03-24 16:59:27 | トカゲほか
茎高50cm程度、葉は三〜五輪生し線状披針形で無柄。上部では互生し、先端が反巻する。花期は早春で、茎頂に2つほどの花を下向きに咲かせる。花被片は淡緑色で6個ある。花径約3cmで鐘状花であり、内側に黒紫色の網目状斑紋を持つ。そのため編笠百合の名がある。地下に鱗茎を持ち、梅雨頃から休眠する。鱗茎は二枚の厚い貝状の鱗片が相対しており、貝母の名のもととなっている。










高知市 瀬戸町のテラスカフェはおしゃれ

2017-03-18 18:29:36 | パタヤの生活は?
カフェテラスに立ち寄ったわけは、ヤフーモバイルに用事があったのが理由ですが、、

何と複合店で3店舗がうまく調和したお店で、ソフトバンクのモバイル店と、ヤフーモバイル

の店舗があり、中心に子供の遊び場があるといったように、いわゆるハイブリット化されています、

ついついコーヒーのテラスカフェカフェでランチのふわふわオムレツとコーヒーを注文しました。






奥の手てビデオ子供の遊びを監視できる、




また行きたくなるお店で、テラスカフェのカードを作りました、

もうじき帰る、マガモ達

2017-03-17 18:23:36 | パタヤの生活は?
非繁殖期は、湖沼、河川、海岸に生息する。群れを形成して生活する。越冬中の10月末-12月につがいを形成し、春には雄雌が連れ立って繁殖地へ渡る。繁殖期は湖沼、池、湿地の周辺の草地などに生
食性は植物食が主の雑食。水草の葉や茎、植物の種子、貝などを食べる。水面を泳ぐのは上手だがもぐれず、水中に首を突っ込んだり逆立ちしたりしてえさをとる様子がよく見られる。

繁殖形態は卵生。繁殖期は4-8月で、水辺に近い草地の地上に座って首で引き寄せられる範囲の草をあつめて浅い皿状の巣を作り、1~13個(平均11個)産卵する。卵は白色で平均サイズは57×41mm。他のカモ類と同様、抱卵・育雛はメスのみで行う。卵は抱卵開始から28~29日で孵化し、雛は42~60日で飛べるようになる。
















田中光顕と牧野富太郎の墓参り

2017-03-16 08:49:54 | パタヤの生活は?
天保14年(1843年)閏9月25日、土佐藩の家老深尾家々臣である浜田金治と金沢正敏の娘である献の長男として、土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)に生まれた。

土佐藩士武市半平太の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加した。叔父の那須信吾は吉田東洋暗殺の実行犯だが、光顕も関与した疑いもある。しかし文久3年(1863年)、同党が八月十八日の政変を契機として弾圧されるや謹慎処分となり、翌元治元年(1864年)には同志を集めて脱藩。のち高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。第一次長州征伐後に大坂城占領を企図したが、新撰組に摘発されたぜんざい屋事件を起こして大和十津川へ逃れる。薩長同盟の成立に貢献して、薩摩藩の黒田清隆が長州を訪ねた際に同行した。第二次長州征伐時では長州藩の軍艦丙寅丸に乗船して幕府軍と戦った。後に帰藩し中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加。

慶応3年(1867年)、中岡が坂本龍馬と共に暗殺(近江屋事件)されると、その現場に駆けつけて重傷の中岡から経緯を聞く。中岡の死後は副隊長として同隊を率い、鳥羽・伏見の戦い時では高野山を占領して紀州藩を威嚇、戊辰戦争で活躍した。



お墓の周りにはシコクバイカオウレンの花が群生しています、






牧野富太郎の墓もすぐ近くに有りました、



草を褥に木の根を枕花に恋して九十年、、、と書いています、