福島原発事故メディア・ウォッチ

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御用学者を司法の前に引きづりだそう!:チェルノブイリ後のフランスでおこった情報操作

2011-05-01 18:37:38 | 海外情報
1986年4月26日にチェルノブイリ原発が爆発事故を起こした。放射性物質を含む「核の雲」が西ヨーロッパにも広がり、ポーランド・デンマーク・フィンランド・スウェーデン・イギリス・オーストリア・オランダ・ドイツ・イタリア・ギリシア各国が放射能を測定し、食品の消費に規制をかけ始めた時、なぜかフランスだけは堂々たる「安全宣言」。この時、当局のでたらめ委員長だった御用学者、その名もピエール・ペルラン(Pierre Pellerin)はその後、甲状腺障害の患者団体と反原子力団体クリラッド(福島事故についてもわざわざ日本語訳の警告を発し続けている団体)の支援を受けた人々によって、刑事告発(2002年までに400件にのぼった!)された。

この男がチェルノブイリ後にやったことは、あまりにも、今回、福島のことでこの男の日本人のお友達がやっていることに似ている。脱原発団体「原子力脱出」("Sortir du nucléaire")が作った年表を抄訳しながら見てみよう。

ペルラン氏(以下、ペ氏)は、1956 年からチェルノブイリの事故の年まで30年にわたって、日本で言えば原子力保安院のような国家機関の長を務めていた、この筋のドンであった。1986年4月29日にチェルノブイリの放射能雲がフランスにも到達した。4月30日、ペ氏は「顕著な放射線の増加は観測されていない」と宣言する。しかし、実際は5月1日までに、フランス全土の観測点でかなりな放射能が検出されており、その事実はペ氏の保安院にも伝えられていた。

5月2日:ペ氏は様々な機関(放射線治療基幹病院を含む)に向けて、ファックスを送信(このファックスは2002年2月27日に暴露される)。いわく「ヨウ素剤の予防的摂取は適切ではない。公衆衛生上の問題が生ずるのは、現状の1万、あるいは10万倍の線量になってからであろう」。同日、ヨーロッパ各国は食品の流通規制を始める。イタリアはフランス国境でフランス産の食品の検査も始めるが、フランスはこれに対してEU委員会で抗議する。(「風評被害」なんて言ったんだろうか。私はこの言葉のフランス語訳、知りません。)

5月5日。EU委員会が放射線に対する公衆衛生上の措置を取ろうとした時、フランスは「全会一致」を主張して、自国に規制が及ぶのを阻んだ。こうしたことは無論フランス国民には知らされなかった。翌6日。フランス農業大臣の歴史的発言

『わがフランスの国土は、チェルノブイリの原発から遠く離れており、したがって、同原発事故に由来する放射性物質の降下の影響は、まったく考慮に値しない。』


5月8日。首相あて外務省機密文書:「EU当局から寛容措置。食品の検査は、輸入側ではなく。輸出国側で行う」。この日、ペ氏は4月30日に高い放射線量を観測していたことを、テレビでぽろっと言ってしまう。

5月15日。民間団体「クリラッド(独立放射線情報・研究センター)」が政府から独立した線量測定が存在しないことを指摘・抗議。(フランス人の友人によれば、今の日本では多くの人が線量計を持っていることが、当時のフランスとの決定的な違いだという)。

5月16日。内務省の危機管理会議。コルシカ島で1リットル当たり1万ベクレル超の羊乳に規制なし(ヨーロッパ基準は500ベクレル/リットル)。この文書は「非公開」。2001年になって裁判の過程で、押収される。

5月16日。厚生省声明。

『チェルノブイリ原発事故によって、フランス国民の健康への悪影響は一切存在しない。とりわけ食品および屋外活動に関して、平常の生活・活動を継続することに際して特別な対策をとる必要はない。』

5月18日。環境大臣の抜け駆け的言い訳。ちょっと微妙な表現に注意。

『危険がないからと言って、国民にしっかりと情報提供する必要がないと判断したのは、政府として間違っていた。』(つまり、「もっと上手にごまかし情報提供をしとけばよかったのに、へまなことをするから環境大臣のおれが文句を言われるじゃねーかよ」ということですね。)

こんなふうに、1986年の4-5月が過ぎたが、翌87年になっても、フランスは一歩も引かない。 87年2月16日。フランスはEU外相会議で、チェルノブイリ原発事故後の臨時措置であった食品等の放射能限界値規制の延長を拒否した。

さて、これから甲状腺障害の患者さんたちによるフランス当局とペ氏に対する告発が始まるのだが、それには、チェルノブイリ事故から15年の歳月が必要だった。患者さん団体のサイトによれば、多くの患者さんが病気は自分の生活習慣が原因だと自分を責めていたという。チェルノブイリ事故による放射線要因への考慮が自分たちを変えた。「逆説的だが、病気が私たちを成長させた」と。

これからの話は次回にさせください。



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