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アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』

2017-06-05 23:52:38 | 読書
「かわいい女の子でもいたかった」
従軍した女性の記憶
涙の宝石を繋ぐ作業の中から零れる物




写真は著作から引用したものではありません



序.
『戦争は女の顔をしていない』
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

WAR'S UNWOMANLY FACE
by Svetlana Alexievich 1984

2015年度ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの初期の著作。戦争の記憶をたどるドキュメンタリー作品で、1978年に取材を開始した。1978年当時では既に多くの戦争ドキュメンタリーが存在していたが、この著作が異色だったのは、取材するのが女性作家であり、取材対象も女性であったということ。更に、作家は取材対象者の年代と比べればいわば娘のような年齢であったことだ。
「いまさらわざわざ女に語らせなくても男が充分語り尽くしてきただろう」
そんな冷ややかな眼ざしのもとで、500人を超える女性の証言を預かり、思いを背に荷い、それらを大切に編む。重く、閉じ込められ、ようやくその口から零れた言葉、息づかい、沈黙‥
悲しみ苦しみの中でどこか美しいかたちは黒真珠
を想わせる。
アレクシエーヴィチの確かな手で繋がれた思いの粒。その微かな輝きに、同じ女性として深く共感。心の内側につたう滴。
著作のなかから、語られた記憶のなかから、私の内に取り込まれた映像のスクリーンショット。
悲しく美しい断片をここに呈示してみたい。



1. 戦争の記憶は青春の記憶

「あの人たちは地面の下で何をしているの?
戦争のあとじゃ、地上より地下のほうがたくさん人がいるんじゃないの」

アレクシエーヴィチが子供の頃、同じアパートの男の子にそう聞かれたらしい。
第二次世界大戦のソ連では100万人を超える女性が従軍した。最前線で激戦に投入されている女性の姿に敵方のドイツ兵は驚く。そればかりでなくパルチザンなどの抵抗運動に参加して戦った女性も多く、いずれも男性に劣らず勇敢だった。

「戦争は女の顔をしていない。しかし、この戦争で我々の母親たちの顔ほど厳しく、すさまじく、また美しい顔として記憶された物はなかった」(アレーシ・アダモーヴィチ)

アレクシエーヴィチの戦争の記憶は、子供としての体験だった。いわば後方で護られていた存在だ。当時、従軍した15歳から30歳の女性兵士の戦争体験は遠くに聞こえる話でしかなかっただろう。「戦時の人々しか知らなかった」、「女しかいない村」、それがアレクシエーヴィチの子供の頃の記憶であり、世界だった。
アレクシエーヴィチはあるときアダモーヴィチの『わたしは炎の村から来た』という著作を読んで、こうした調査をすることを決めたという。
女しかいない村で、女の声が戦争のことを呟く声を聴いて育ってきた彼女は、戦争について書かれている物、すなわち「男の言葉」で語られた「男の」戦争観ばかりが世に存在し、女たちはひたすら黙っているばかりの状況に違和感をおぼえる。

「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭いがあり、光があり、気持ちが入っていた。そこには英雄もなく信じがたいような手柄もない、人間を超えてしまうようなスケールの事に関わっている人がいるだけ。そこでは人間たちだけがくるしんでいるのではなく、土も、小鳥たちも、木々も苦しんでいる。地上に生きているもののすべてが、言葉もなく苦しんでいる、だからなお恐ろしい‥

光学にはレンズの「強度」という概念がある。とらえた画像をより確実に見せるレンズの能力のことだ。そして、女性の戦争についての記憶というのは、その気持ちの強さ、痛みの強さにおいてもっとも「強度」が高い。「女が語る戦争」は「男の」それよりずっと恐ろしいと言える。男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す。
女たちは男には見えないものを見出す力がある


語られなかった女たちの戦争の物語を書きたい。
アレクシエーヴィチはそう思い立ったのだった。



取材を通してアレクシエーヴィチは世界の深さを覗く。

「一人の人間の中で人間の部分はどれだけあるのか?その部分をどうやって守るのか?」
彼女はドストエフスキーの問いに向き合う。
戦争という獰猛な世界から平和な日常に戻ってきた人たちが感じる孤立感。それは別の惑星からやってきたようなものだと。死が身近だった人たちの言葉にならない感覚。当人はどう語ればよいものか知らず、聞くほうにも聞きとれない。

その人たちは話し相手であるわたしとは別の世界にいるのが常だ。こういう会話では少なくとも三人の人がそれに加わっている。今語っている人、その出来事があったときそのただ中にあった本人、そしてわたし。

今語られる内容には、今までの人生すべてが含まれてしまう。いまの感情も含んで過去の事実をとらえ直して語られてしまう。見たこと、読んだこと、どんな人と会ってきたか‥
インタヴューにどんな人が同席したかによっても物語は左右される。

時と空間を隔てることで書き直されたり書き加えられたり、という部分も承知で物語に耳を傾ける必要があり、語られる今の舞台装置による脚色も承知しておく必要もあり‥


あらためて確信したのはわたしたちの記憶というものが理想的な道具にはほど遠いということ。それはわがまま勝手なだけでなく、自分の時代に犬のようにつながれている。この人たちは自分が経験したそのことに惚れ込んでいる。というのも、これは単に戦争というだけでなく、彼らの青春でもあったのだから。

英雄、伝説の人、偉大な巨人‥
そういう大きな存在の人間が、彼女の前では現実の命を持つちっぽけな人間の姿になる。

どんなに私が空や海を眺めるのが好きであっても、やはり私は顕微鏡で覗くちっちゃな砂粒のほうにより惹かれる、一滴の世界に。そこに私が発見する大きな世界に。

時に恍惚に包まれて語られる青春であり、時に嗚咽と沈黙だけしかない修羅場である、女たちの記憶の粒、涙の粒。それらをアレクシエーヴィチは結晶にする、真珠を編む。


2. 女性兵士の実態
他国においては、従軍する女性は電話交換手や看護婦、炊事係など、後方で勤務する役割だけだった。しかしソ連では、女性兵士は男性と変わりなく前線に在り、実際に人を殺す兵員だった。
アレクシエーヴィチのインタヴューに答えた女性兵員たちの任務は実に多様だ。

狙撃兵、機関銃兵、衛生係、従軍記者、運転手、料理係、看護婦、洗濯係、航空整備士、理容師、書記(カメラマン)、電話交換手、土木大隊長、一等飛行士、パン焼き係(前線)、医師、運送係、装甲車修理工、歩兵、爆撃手、通信係、艦隊大尉、給食係、地雷除去工兵、斥候、人民芸術家、暗号解読係、機関士、高射砲兵、投光器操作係、政治指導員、輜重

狙撃兵はもちろん最前線で殺傷を行うし、爆撃手は一晩に12回も出撃する過酷任務を負う。機体はペラペラの木造で、火がつけばマッチのように燃えるだけだ。衛生係は、前線で重傷を負った兵士を背に負い、匍匐で塹壕まで引き摺ってくる。自分よりはるかに重い負傷兵二人を交互に負えば、わずかな距離でも時間はかかる。しかし負傷兵の命を思えば急を要するのである。地雷除去の「失敗」は一生に一度まで。つまり失敗は死。どれも死にとりまかれた環境のなかで、最大限の活動をする気概が必要とされる。


リュードミラ・パヴリチェンコは300人以上を倒した辣腕の狙撃兵







女性兵士の行軍において重大なネックとなるのは生理の問題だ。排泄も男性のようにどこでも済ませられるわけではない。配給される下着は男物、しかも男性兵士の半分しか支給されない。仕方なくシャツの袖を破いて当てがうが到底足りず、行軍中は脚をつたって地面に血が点々と垂れる。後から行軍する男性兵らは気づかぬふりをする。ズボンは血で汚れ、ガビガビになる。こんなことも慣れてしまえばと思うかもしれないが、まだ年端も行かない若い女性ゆえに恥ずかしさから大きなストレスだった。なかには従軍後に知らないまま初潮になり何が起きたかわからず、病気なのだと思って相談したら、年配の男性上官が親身に説明してくれたという話もあった。

もう一つ。15歳から20歳代の女性ならば恋愛と無縁ではいられない歳頃だ。恋愛があったからこそ生き続けることができたという人もいるが、逆に戦場で恋愛なんてふしだらだとばっさり斬り捨てる女性もいた。
中高生が「〇〇先輩、好き!」などと騒ぐのと同じように、「(上官の)〇〇中尉、すてき!」みたいに女子どうしで盛り上がっていて、中年の上官から「コラッ」とやんわり叱られるところなど、国家が違っても時代が違っても変わらないなと微笑ましく思える。
具体的な恋愛対象の男性がまわりにいなかったとしても、恋を夢見て可愛らしくしていたい。綺麗でいたい。髪を梳かしたい。けれども、後ろ髪は男のように刈り上げねばならず(後年は髪を伸ばせるようになった)、ささやかに前髪を撫で付ける程度にしか構うことができなかった。
自分のもっとも美しい時を戦場で過ごし、戦後はいっきに老けてしまう。そんな娘達が多かった。

従軍する他に、パルチザン活動や市民の抵抗運動もあった。幼子を連れたただの母親の散歩を装った索敵行動、赤子を無理矢理泣かせて検問をかい潜り、物品や情報を運ぶ。いつも成功するとは限らない。拷問の果てに見せしめの首を括られることは承知の上。わが子を危険にさらす苦しみとの板挟みに、人気ない森へ行き、子を抱きしめて泣いたという。

「朝に笄ありて夕に白骨と化す」
戦場の女性たちに笄(こうがい:かんざし)はもちろんないけれど、躍る心の美しさは哀しい哉、朝陽の中に輝くばかりであっただろう。




3. 音、色、空気、匂い、恋
緊迫した銃撃戦の最中であっても、死屍累々の凄惨な荒廃地にあっても、ふと美しいものを見つけて自分の置かれている状況を忘れることがあるのは女性ならではの感覚なのかもしれない。
アレクシエーヴィチはインタヴューを通してこういう印象を持った。
「戦争に女性らしい日常などありえないと思い込んでいた。…でも、私は間違っていた…まもなく、何人かの会見で気づいたことだが、女性たちが何の話をしていても必ず「美しさ」のことを思い出す、それは女性としての存在の根絶できない部分。」


「戦争の映画を見ても嘘だし、本を読んでも本当のことじゃない。違う…違うものになってしまう。自分で話し始めても、やはり、事実ほど恐ろしくないし、あれほど美しくもない。戦時中どんなに美しい朝があったかご存知?戦闘が始まる前…これが見納めかもしれないと思った朝。大地がそれは美しいの、空気も…太陽も…」(軍医外科)


「10年経っても、目を閉じれば、浮かんでくるんです。春、戦闘が終わったばかりの畑で負傷兵を捜している。畑の麦が踏み荒らされていて。ふと味方の若い兵士とドイツ人の兵士の死体に行き当たります。あおあおした麦畑でそらを見ているんです。死の影さえ見えません。空を見ている…あの目は忘れられません。」(衛生指導員)


「病室は恐ろしい静けさに包まれていた。あんな静寂はほかのどこにもなかった。人間は死ぬ時に必ず上を向くの。横を向いたり、そばに誰かがいてもそっちを見るということは決してないの。上だけ見てる。天井を。まるで空を見ているように。」(看護婦)


「憶えています…あの感覚を。雪の中では血の匂いがことさら強かったのを、はっきりと憶えています。
何を憶えているか…強烈な印象?記憶に刻み込まれていること?静寂ね。重傷の患者の病室の異常な静けさ。一番重傷の人たち…そういう人たちは互いに話をしないの。誰も呼びつけないし。多くは意識がない。たいていは横になったまま、黙っている。どこかあらぬ方を眺めて考えている。呼びかけても、聞こえていません。
何を考えていたんだろう?」(野戦病院メンバーの一人)



ラトヴィアの中立地帯に残されていた住人。妻がお産が始まったので助けて欲しいとその夫が軍医のところへ駆け込んだ。砲弾の雨にさらされながら、女医と警護の兵数名が小屋に向かい、無事出産。数日後、進軍のお別れに来たとき。
「(女の人は)まだ起き上がることができないのに、少し身を起こして美しい螺鈿のおしろい入れを私に差し出しました。一番大事にしていた物のようです。私はおしろい入れの蓋を開けました。夜の闇、あたりは銃声が鳴り響き、砲弾が炸裂している中で、おしろいの匂い…今でも思い出すと泣きたくなります。おしろいの匂い、螺鈿の蓋、ちいちゃな女の赤ちゃん、何かとても家庭的な、本当の女らしい生活…」(準医師)



「男たちは何事であれ私たちより苦労しないで順応できた。ああいう禁欲的な不便な生活に…ああいう関係に…でも、私たちは寂しかった。とても家が恋しかった。おかあさんが恋しかったし、暖かい家庭が恋しかった。モスクワから来ていたナターシャ・ジーリナという子がいて、勇敢な行為に対して「剛毅記章」をもらい、数日、家に帰らせてもらったの。その子が戻って来たとき私たちはその匂いをくんくん嗅ぎました。文字通り、行列を作って順番に匂いを嗅がせてもらった。おうちの匂いがすると言って。そんなに家が恋しかったの…」(衛生指導員)



「ある訓練の時。なぜかこれを思い出すとつい涙が出てしまうんです。春のことで射撃訓練が終わって、戻る時。スミレの花をたくさん摘んで小さな花束にして、銃剣につけて帰った。そうして歩いてたんです。キャンプに戻ると、指揮官は全員を整列させて、私に列から出るように言います。列から出るのに、花束をライフルに結びつけたのを忘れたままでした。指揮官は小言を言い始めました。「兵隊は兵隊らしく。花摘み娘ではないんだ!」こんな状況の中で花のことなんて考えられることが指揮官には理解できなかったんです。
でもスミレは捨てませんでした。そっとそれをはずしてポケットに入れました。スミレのせいで3日間の罰当番を課せられました。」(運転手



「空襲の中で山羊が一頭やって来て、そばに横たわるんです。伏せている私たちのそばに、そして大きな鳴き声をあげています。空襲が終わったら、私たちに付いてくるんです。人に身体を押し付けてきます。動物だって怖いんです。村に入った時、女の人に頼みました。「可哀想なの、飼ってちょうだい」救ってやりたかった…
村を奪還した。ある家の庭に入ると、…庭に射殺されたその家の主が倒れていた。そばに飼い犬が座っている。私たちを見つけて歯をむき出した。私たちに襲いかかるのではなく、私たちを呼んでいるふうだった。犬について小屋の中に入ると戸口に奥さんと三人の子供たちが倒れていた。犬はそのそばに座って泣いている。本当に泣いているの。人間が泣いているみたいに。」(野戦病院メンバーの一人)



「初めは死ぬのが怖かった。自分の中に、驚きと好奇心が同居していて、そのうち、疲れ果てたらどちらもなくなった。いつも力一杯働いていたから。そんなことを感じる余裕もなくなったのね。ただひとつだけ恐れていたのは死んだあと醜い姿をさらすこと。女としての恐怖だわ。砲弾で肉の断片にされたくなかったんです。そういうのを自分の目で見ていたし、その肉片を集めもしたから。」(衛生指導員)


「その子は棺の中に横たわって、本当にきれいだったわ、花嫁のようだった…」(歩兵)


「私はメダルを授与されることになったのだけど、古い詰め襟のシャツ一枚だったの。それで、ガーゼで襟を縫い付けたの。やっぱり白だから。そのとき自分がとてもきれいになったような気がしたわ。鏡はなかったから、見ることはできなかったけど。何もかも爆撃で壊されてしまったから」(通信兵)


「私がきれいだった頃が戦争で残念だわ、戦争中が娘盛り。それは焼けてしまった。その後は急に老けてしまったの…」(自動銃兵)



「ドイツのある村でお城に一泊したときのこと。部屋がたくさんあって、すばらしいものばかり!洋服ダンスの中は美しい服で一杯。一人一人がドレスを選びました。言葉では伝えきれないほど、きれい、長くふわっとして。…もう寝る時間で、みな疲れ果てていた。それぞれ気に入ったドレスを着たままたちまち寝入ったわ。」(狙撃兵)



「あたしたちはプチーツィン連隊長が大好きだったの。「おやじさん」って呼んでたわ。他の人と全然違う。女心を分かってくれたのよ。モスクワ近くまで退却したとき、一番辛い時期だったのに「モスクワももう近い、美容師を連れてくるから眉を描いたり、マスカラをつけたり、髪を巻いたりしなさい。そういうことはいけないんだが、みんなにきれいにしていてほしいから。戦争はそうすぐには終わらないからな」そう言って美容師を連れてきたの。髪をセットして、化粧もした。嬉しかった…」(電信係)


「曹長は「戦争で心が歪められないように、五月のバラのようにうっとりさせるような娘たちのままであるように」という意味の詩を捧げてくれました。私達は恋愛はしない、すべては戦争が終わってから、と誓って出征したんです…
私たちは恋を胸のうちで大切にしていました。恋愛はしないなんて子供じみた誓いは守りませんでした…恋していたんです…
もし、戦争で恋に落ちなかったら、私は生き延びられなかったでしょう。恋の気持ちが救ってくれていました、私を救ってくれたのは恋です…」(狙撃兵)


「私の初めてのキス…
ベラフヴォスチク少尉…私が少尉に恋をしているって誰にも打ち明けたことはなかった。中隊の誰にも気づかれていないと思っていたの。他の誰も好きにならなかった。
その少尉を埋葬したの…防水布に横たわっている、殺されたままの格好で。ドイツ軍が襲ってくるから急がないとならない…今すぐ…
お別れが始まって言われたの、「まず、お前から」。心臓が飛び出しそうだった。それでみんなが知っていたことがわかった。彼も知っていたのかもしれない。いま地中に埋められる。砂で覆われる…でも、彼も分かっていたのだと思ったらとてつもなく嬉しかった。彼も私を好いてくれていたかもしれない。彼がいま答えてくれるような気がした…
爆弾があちこち落ちている中で…彼は…防水布に横たわっている…あの瞬間…私は、喜んでいた…立って、一人微笑んでいる。アタマがおかしいみたい。私が嬉しかったのは、私の恋心を彼が知っていたかもしれないってこと
私は彼に近寄って、キスをしました。それまで一度も男の人にキスしたことがなかった…あれが初めてのキス…」(衛生指導員)


アレクシエーヴィチはこう記す。
「彼女たちは生き生きと話してくれた。戦時の「男向きの」日常で、「男がやること」である戦争のただ中でも自分らしさを残しておきたかったことを。女性の本性にそむきたくない、という思い。彼女たちは驚くほどたくさんの細々した戦時の日常を記憶していた。実にさまざまなディテール、ニュアンス、色合い、そして音を。その日常と女性であるという存在が切れ目なくぴったり身を寄せ合っていて、女性であった時間の流れが意味を持っていた。戦争を思い出す時も、何かそこに出来事があったというよりは、人生の流れのなかのひとつの時期のように思い出す。いくどとなく気づいたのだが、彼女たちと話していると、小さなことが大きなことに勝っていて、時にそれは歴史全体より勝ることもあった。」









4. 女性として戦争を生きる意志
「戦争が始まる直前、結婚の準備をしていたんです…音楽の先生と。でも母は許してくれなかった、「まだ若すぎる」って。まもなく、戦争が始まりました。私は前線に送ってくれと頼みました。家族の者はみな泣いて、旅の支度をしてくれました。…最初の死体を見たのは着任最初の日…私は思いました、おかあさんは私のことを結婚するには若すぎるけど、戦争には若すぎないって思ったのね、と。私の大好きなおかあさん。」(看護婦)


「負傷者が運ばれて来た。全身をぐるぐる巻きにして担架に横たわっている。頭の負傷で、ほんの僅かしか身体が見えない。でもその人は私を見て誰かを思い出したみたいだった。「ラリーサ、ラリーサ」と話しかけてくる。たぶん、恋人なんでしょう。…「来てくれたんだね、来てくれたんだ」私は手を取ってあげました。身をかがめると、「来てくれるって分かってたんだ」そして何かをささやいているんです。「戦争に行くときに君にキスするまがなかった、キスしてくれ」体をかがめてキスしてあげる。片方の目から涙がポロッとこぼれて包帯の中にゆっくり流れて消えた。それで終わり、その人は死んだの…」(看護婦)


「前線で女性を見れば男たちの顔は直ちに変わったわ。女性の声を聴いても、変身した。あるとき私は土豪のそばに腰を下ろして小さな声で歌い始めたの。みんな眠っていて誰も聴いていないと思ったんだけど、朝、指揮官が言いました。「俺たちみな眠っていなかった。女の声が恋しくてたまらなかったから」と」(衛生指導員)


「最初の尋問は覚えていません。…思っていたのはひとつだけ!奴らの前では決して死ぬまい!絶対に!すべてが終わって独房に戻されて初めて痛みを感じました。全身が傷ついていました。でも頑張る、がんばるの。私がだれも裏切らないで人間として死んだのだとおかあさんに知ってもらえるように。おかあさん!
あなたに話してあげたい…どんな人たちがあそこにいたか。ゲシュタポの地下室で死んでいった人たちのこと。あの人たちの勇気を知っているのはあの部屋の壁だけです。」(地下活動家)

この監房のなかで出会ったパラシュート兵のアーニャ、全身殴られて血だらけのアーニャが、房の高い穴から外を一目見たいから、持ち上げてくれるように頼む。弱っている皆で持ち上げてあげると、アーニャが、屋根の上に咲いているタンポポを見つけて皆が湧き立つ。
「アーニャの苗字は憶えていません。アーニャがどんなに死にたくなかったか忘れられません。白いふっくらした手を頭の後ろに置いて格子ごしに窓の外に叫ぶんです。「生きていたい!」」(同上)

尋問、拷問は全裸にされ、板に張り付けられ、骨が鳴るのが聞こえるほど引っ張られる。写真も撮られる。いかがわしい触られ方をされることもある。大変な侮辱だ。「死ぬことのほうが簡単だ」というのがよくわかる。それでも生きたいと思い、死ぬ間際まで不義理はしないという意志は自身の尊厳のためであり、それを認めて欲しいのはスターリンではなく母親だ。国家の威信のために戦っていたのではない。20歳にも満たないかという女性たちが守ろうとしたのは、スミレやタンポポのような小さな花、死んでしまう少女、母親の姿…そうした身近なもの。掌で包んでいたいものや腕に抱いていたいものに尽きるのではないか。小さき彼女たちが守ろうとした、より小さなものたちのために、彼女たちはどれほど身体を張らねばならなかったか。その健気さと強さに驚いている。









5. 戦後の失望
命をさんざん危険にさらして勝利を祖国にもたらした兵たちは、戦後の平和と幸せを手に入れられるつもりだった。しかし、スターリンは彼らを歓迎しなかった。

「わたしたちはほとんどみな、戦争が終わったらすべてが変わるんだと信じていました。スターリンは人民を信じるだろうって。ところが戦争がまだ終わらないうちから、列車がすでに次々にマガダン(オホーツクの流刑地)へ送られていました。捕虜になっていた人たち、ドイツの収容所を耐え抜いた人たちが逮捕されたんです。その人たちはヨーロッパを見てきてしまった人たちで、ヨーロッパの人たちがどんなふうに暮らしているかしゃべってしまうかもしれませんでした。ヨーロッパでは共産主義者なしで暮らしていて、どんな家に住み、どんな立派な道路があるかを。そしてコルホーズなどどこにもないことを。」


「ミンスクに着いても夫は家にいないの。夫は内務人民委員部に逮捕されて、監獄にいたの。そこに行くと…なんてことを言われたことか!「あなたの夫は裏切り者だ」私と夫は地下活動に参加していたのよ、二人とも。…「そんなはずはありません。彼の人こそ本物の共産主義者です」彼の捜査官は突然わめきだす。「だまれ、フランスの売女め!」占領地域に住んでいたこと、捕虜話になったこと、ドイツに連行されたこと、ファシストの強制収容所にいたこと、その全てに疑いがかけられたの。(この人はフランス人たちと収容所を脱出したあとフランスの抵抗運動家に一時保護されていた)ただ一つの質問は、「なぜ生き残ることができた?どうして死ななかったのか?」既に死んだ人たちでさえ疑われた…私たちが戦っていたこと、勝利のためにすべてを犠牲にしたことなどまったく考慮されなかった。勝利した、民衆は勝利したのよ!スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は我ら私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情とながした血に対して…」(地下活動家)


同じように捕虜とみなされた夫が逮捕され、自身は戦前学歴も高く教員をしていたにもかかわらず、戦後は夫の逮捕を理由に建築現場の肉体労働にしか従事できなかった妻の感慨。
「いまは何でも話せる世の中になったわ。私は訊きたいの、誰のせいなのかって。戦争が始まったばかりの何ヶ月かで何百万もの兵士や将校たちが捕虜になってしまったのは誰の責任なのか?知りたいの…戦争が始まる前に軍隊の幹部を抹殺してしまったのは誰なの?赤軍の指揮官たちを(ドイツのスパイだ」「日本のスパイだ」と中傷して銃殺してしまったのは、戦争が始まる前に赤軍の指導部をつぶしてしまったのは誰なの?ヒットラーの飛行機や戦車が相手なのに、ブジョンヌイの騎兵隊をあてにしてたのは誰なの?「我が国の国境はしっかり守られている」と国民に請け合ったのは誰?戦争が始まってすぐから弾が足りなかったのよ…
訊きたい…もう訊けるわ…私の人生はどこへ行っちゃったの?でも私は黙っている。今だって怖いの…恐怖のうちにこのまま死んでいくんだわ。悔しいし恥ずかしいことだけど…」(パルチザン連絡係)



スターリン、国民。
一体、裏切り者と指さされるのはどちらなのだろう。こうした国家への怒りは男女問わず多くの帰還兵が直面したものだった。
しかし元女性兵士に過酷だったのは国家だけではなかった。

「男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿になった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。私たちの勝利は取り上げられてしまったの。〈普通の女性の幸せ〉とかいうものにこっそりすり替えられてしまった。…前線では男たちの態度はみごとだった。いつでもかばって大事にしてくれた。…やさしさ、暖かい心遣い以外眼にしたことがなかったのに。それが戦後はどう?やめとくわ…黙っておく…なぜ思い出すまいとするか?耐え難い思い出だからよ。」(高射砲指揮官)


「私は共同住宅に住んでいたんですが、同じ住宅の女たちはみなご主人と一緒に住んでいて、私を侮辱しました。いじわるを言うんです。「で、戦地ではたくさんの男と寝たんでしょ?へええ!」共同の台所で、私はジャガイモを煮ている鍋に酢を入れられました。塩を入れられたり…そうやって笑っているんです。
私の司令官が復員してきました。私のところに来て、私たちは結婚しました。一年後、彼は他の女のところへ行ってしまいました。わたしが働いていた工場の食堂の支配人のところへ。「彼女は香水の匂いがするんだ、君は軍靴と巻き布の匂いだからな」と。それっきり、一人で暮らしています」(射撃兵)


「男たちは黙っていたけど、女たちは?女たちはこう言ったんです。「あんたたちが戦地で何をしていたか知ってるわ。若さで誘惑して、あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ、戦争の雌犬め…」」(狙撃兵)

彼女は戦後に結婚し、二人の子を産んだが、二人目の子には障害があった。
「私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」」(同上)


もちろん、実際に戦地妻をしていた人もいる。そうすることで自分の命を守ったという人もいるし、純粋に恋に落ちた人もいる。このことは全く非難するにはあたらないことだと私は思う。これを女性の側だけ避難し、男性に落ち度がないように考えるのは腑に落ちない。そして同性が非難すべきではない。
こんなこともあるので、元女性兵士たちは従軍手帳を隠し、年金を受給する権利も捨てて、目立たないように生きていくことになってしまった。
もう永久に、若い生き生きとした娘には戻れなくなってしまった。










6. 小さきものの集積から
アレクシエーヴィチがこの手法でインタビューを重ねていくなかで、人間の大きさについて再考する。
「私は大きな物語を一人の人間の大きさで考えようとしている。何かを理解するために。言葉を見つけ出すために。けれども、このそれほど大きくはない、そして見直すのに便利だと思われた一人の人間の心のなかでさえ、歴史を理解するよりはるかに分かりにくく、はるかに予測がつかないものなのだ。というのも私が相手にしているのは生の涙、生の気持ちだから。人間の生きた顔にも、話をしている時に心の痛みや恐怖の影が差す。時には人間の苦悩がかすかに分かる程度に美しく見えたりまでする。そういう時私は自分自身におびえてしまう。
道はただ一つ。人間を愛すること。愛をもって理解しようとすること。」


今回この記事においては従軍あるいは活動家となった若い女性を主体にしてきたが、若い人を見送り、葬らねばならなかった母親世代の女性たちの苦悩も「女の顔」をしていられない辛辣なものだったといえる。ケーテ・コルヴィッツの描く母の、隆々とした腕や肩が浮かぶ。
彼女たちは生と死の極限にさらされ、生の苦しみと死の安寧を見る。その狭間に、ぽとりとしずくのように落ちてくる死の運命。運命があっけなく戦地の人を分ける。そこに生きながら、水晶のような時間の宝石を手にすることがある。死がその宝石を零していくこともある。悲しい色、美しい色。
その色の褪せないうちに、私たちは見せてもらう。アレクシエーヴィチの手から受けて。

(所感)
語られたエピソードのなかで読んで涙が出てしまったのは、出産した女性から渡されたおしろい箱の話と好きだった将校の死顔に初めてキスをした話だった。なぜこの話なのか理由はわからないが自分の中のわずかな隙間から女性として共感できるものが強くあったためだろう。銃にスミレを付けた話も愛おしい。
私がちょうど彼女たちの歳頃は、自分が女であることを認めたくない思いがあった。女が嫌いなのではなく、自分が女らしく生きることは受け容れられなかった。女性兵士たちも潔く志願して戦地に行ったものの、心底の女性的感傷に触れるものに接して、唐突に突き刺される思いを体験した彼女らの話に、不意打ちの涙が出た。嫌だと言いつつもやはり自分もこれまで女として生きていたんだとあらためて思う。
失うものも得るものもあっただろうが、命を失えば全てが失われる。生き残れなかった人の話は聞くことすらできない。若く綺麗な娘たちの大切な青春を、葬ったり踏みにじったりしない世界でありたい。彼女たちに国家を守らせるのではなく、彼女たちを守る国家でなければならない。
















〈死の痛みについて〉
死に伴う痛みについて考えたことがなかった。こういう記事を書いて来たが、死んでいくことへの不安を想起し、同情することはできても、観念的な理解でしかない。肉体の死の多くは痛みを伴う。
前回の記事からの間に、肉親を喪くした。痛み苦しむ脇で、どんな言葉をかけても空に消えるだけ。すでに違う世界にいってしまった感じがしていた。
思えば、自分の初めての出産の時、ありきたりの出産が予想よりはるかに痛いものなのだとわかって驚いた。母を始め、古今東西全ての女性、雌の動物を尊いと思ったくらいだ。痛みを越えて出産が済んだ後の虚脱感は軽く死を経験した、ような気がした。

ある境界を乗り越えれば、この苦しい痛みに戻ってこなくてもいい。その先が死なのだとして…
きっといつか自分もその時思うのだろう。
ああこれがその痛みで、その先に待つものが何なのかと、身を以て知るだろう。
そしてようやく、先に逝った人々のことを身近に感じ、仰向いて手を離す、覚悟をするための痛みであるなら…






『ジョーカー・ゲーム』③としてドイツのアプヴェーアのことや、イギリスのスパイ組織のことを書くつもりだったのですが今回は挫折しました。
ソ連のスメールシも含め、いずれまとめたいなと思っております
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4 コメント

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一番きれいだったとき (ここしゃん)
2017-06-08 22:50:22
こんばんは。

語られなかった女たちの戦争の聞き取り。読み応えありました。

辛い記憶の中でも、女性ならではの繊細な感覚で物事を見ていたことがよくわかりました。
スミレの花を摘んだり、襟にガーゼを縫いつけてお洒落をした気分になったり。
特に、螺鈿のおしろい入れのやりとりの場面はとても印象的です。

それにしてもおしろいの匂い、おうちに帰った子の匂いをくんくん嗅いだり、雪の中で血の匂いがたつとことなど、女性は嗅覚が特に優れているのでしょうか?

戦後も非情な扱いを受けたことなど、どうして辛い経験をした人たちが、いつもひどい扱いをされるのか・・・胸が痛みます。

「私が一番きれいだったころ」
茨木のり子さんの詩をいくつも思い出しました。

geradeausさんのお身内を亡くされたとのこと。お悔やみ申し上げます。
Re:一番きれいだったとき (geradeaus170718)
2017-06-09 00:59:31
こんばんは
今回も読んでくださりありがとうございます

ここしゃんは優しい詩をたくさん知っていますね
ネットで読んでみました
生き残れても悲しい気持ちが残ってしまいますね、取り返せない悲しみ…

書ききれなかったのですが、突撃のときや砲撃を受けるときに、死んでも顔が損傷するのが嫌だと、顔を手で覆って走って、男性兵士にあきれられたなんてことも。死ぬことより死顔にこだわる女心。手や脚も守りたかったとか。私も思う。せめてきれいに死なせてやりたいと。
嗅覚といえば。赤ちゃんがいると、「嗅がせて!」ってなりませんか?それこそかわるがわるクンクンしてみんなでうっとり…
赤ちゃんの匂いにはやられますね


母を喪くしました。母の手と別れるのがつらかったです。あと、足。声…
自分の手足を見ていると、母の手足を見ているような気がしてきます

お言葉をかけていただきありがとうございました
感謝いたします
Unknown (ちい)
2017-06-10 20:41:30
お母様、お悔やみ申し上げます。
とても辛いと思います、無理されないようにして下さいね。

この本はタイトルは知っていたのですが、内容は初めて知りました。
戦闘はもちろん悲惨なんですけど、戦後に蔑まれたり差別されたのがどうして‥と辛い気持ちになりました。
あんなに大変な思いをしてやっと生き残った仕打ちがそれって酷いですよね。
今度読んでみたいと思います。
Re:Unknown (geradeaus170718)
2017-06-10 21:26:45
ちいさんへ

優しいおことばありがとうございます
受け止めきれないままなのですが、そろそろじわじわきています
誰もが通る道だからしっかりと受け容れていこうと思います

記事のお話。
かわいそうなのは、国家に使い捨てにされたことよりも、身辺の隣人に白眼視されたこと、女にも男にも酷い言葉を浴びせられたことですね。
ソ連だけの話ではないみたいですが…
平和じゃなかったから心が荒れてしまったのかも

おすすめ順
「ボタン穴…」→「女の顔…」→その他
でもご興味はいろいろですから、順はともかく機会がありましたらぜひ(^-^)

コメントありがとうございました