日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

核戦争の現実、これはもはや「杞憂」ではない!

2024年06月21日 07時21分45秒 | 政治
 「スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は17日、1月時点で中国が保有する核弾頭数が昨年同月から90発増え、推計500発になったと発表した。『中国はどの国よりも核戦力を速く拡大させている』と指摘。将来的には核大国の米国ロシアに匹敵するほど、運搬手段の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を配備する可能性もあるとした。北朝鮮は20発増えて約50発。核弾頭最大90発分の核分裂性物質を保有しているとみられ、核弾頭数は今後も増加すると予想される。SIPRIは『北朝鮮は他国と同様、戦術核兵器の開発に重点を置きつつある』と分析。北朝鮮が紛争の初期段階で核を使用する危険性もあり得ると警鐘を鳴らした」(2024/06/17東京新聞)
気がついて見たら日本を取り巻く周辺は「核銀座」の様相を呈してきたようでる。上記に加えてロシアの核保有数は5580発というから、我ら日本人の頭上には天空を埋め尽くさんばかりの「ダモクレスの剣」がぶら下がっているということであるらしい。
「杞憂」という言葉がある。これは、昔「杞」の国の青年が天が崩れてきたらどうしようと現実離れした恐怖におののいたという故事から、「どうでもよいことに恐怖を抱く無益さ」という意味で使われる。しかし、この天空に充満するICBMの放列を見れば、これに「杞憂」しない人はどうかしているということにならないか? まさに「杞憂」は「杞憂」ではなくて今や「本憂」となっているのである。
日本政府は、この状況に対して、アメリカが保有する「5044発」の核弾頭をもってバランスしているとして専らこれに信を置く。安倍政権は、米軍が保有する5044本の中から相当数についてこれを「核共有」という「作戦」をもって沖縄本島周辺の先島諸島に配備してくれるよう期待していた。それがダメなら、遅ればせながら日本全国数ある原発に積み上がっている使用済み核燃料棒の中から大量のプルトニウムを取り出して独自の核保有もありという態度であった。
だがしかし、これももはや遅きに失した。日本列島の四海を取りまく沿岸敵性国家群は我らの先祖があの「八紘一宇」と叫びつつ攻めていった歴史をよく覚えている。だから我らが核弾頭を並べる前に彼らが先に打ってくることは間違いない。その時、アメリカ合衆国政府は他人のケンカに手を貸すほど暇でもなければ親切でもない。高見の見物を決め込むことだろう。ここに至って「日米安保」の道は通行不能となる。
SIPRIの調査データは、「1960年日米安保」以来の日本外交の根本的間違いを示唆してくれている。いまや、「発想」を根本的に変えなければならない。だが、これを変える能力が今の日本政治にあるだろうか? これはもはや「杞憂」ではない!
 


「国際卓越研究大学」~「ジャ」と出るか?、「ヘビ」と出るか?

2024年06月20日 07時43分32秒 | 政治
「文部科学省は1日、世界トップレベルの研究力をめざす『国際卓越研究大学』の初めての認定候補に東北大を選んだと発表した。大学変革に向けた計画と戦略が明確で、その理念が全学に浸透していることが高く評価された。東京大や京都大など他の9大学の選定は見送られた。東北大は来年度中に正式認定された後、政府がつくった10兆円規模の大学ファンドから支援を受ける見通しだ。この制度は、政府が巨額の資金を投じて国際競争力のある大学づくりを後押しし、低迷が続く日本の研究力を底上げしようというもの。今年3月までに国立と私立の計10大学が応募。国内外の大学や企業の関係者10人でつくる文科省の有識者会議が4月から審査してきた」(2024/06/15 朝日新聞)。
大学に期待する成果は、世界中で過去に誰も気がつかなかった「未知の世界で起こっていた事象」の「発見と認識」である。そんな「大事件」との遭遇はそもそも何か企んでできるといったものではない。困ったことに、お金(研究費)が沢山あればその発見・発明の機会が増える訳でもない。ただただ、幸運との遭遇を期待しながら歩きかつ探して必死に生き続けるしかない、というものである。それゆえに研究者は夢の世界に居て、孤独に何かを探し続けるしかない、盆も正月も無くただただ孤独に探す、というもので。
上記記事から分かるように、文部科学省が企図した「国際卓越大学」というのは、そういう学術の原点に立ち返って企図したものということでは無いらしい。世界の一流大学が持っているような設備や施設を持つ潤沢な予算をもつ大学を何校かつくろうということに過ぎない。それを「卓越」とは言わないはずだが、そう呼ぶことにしたということでもあるらしい。
言いたくないがこの企画は必ず失敗するだろう。筆者は、「掛金」はゼロとしておくが、それでいて本気で「成果ゼロ」に賭けておこうと思う。こうして「卓越大学」を何校かノミネートした結果として歴史的に間違いであったと気が付いた時には、日本中の他のすべての大学や研究機関や研究者たちは必須の予算が減額されて見るも無残なレベルに陥っていることであろう。「一将功成りて万骨枯る」というわけである。
この東北大学ノミネートの行政判断について心から残念であると地団駄踏んで遺憾に思っている。東北大学の栄光の歴史は、あえて「国際卓越研究大学」と言われなくても世界に卓越した歴史を発揮してきた。偉大な発見や発明は金によって買えるものでは無かったからである。しかし、この「指定」によって、ウソでもヒットを打たなくてはならなくなった時、「学へのあこがれ」は委縮し、思いたくないが盗作や成果捏造等々瀕死の状況を呈することがあるかもしれない。
 


「Trump Too Small」から分かる日米民主主義の相違

2024年06月19日 07時12分35秒 | 政治

 「米連邦最高裁判所は13日、トランプ前大統領をやゆするフレーズ「Trump Too Small(トランプは小さすぎる)」の商標登録が認められないのは言論の自由の侵害に当たると主張したカリフォルニア州の弁護士の訴えを退けた。弁護士のスティーブ・エルスター氏は2018年、Tシャツのプリントに使用するため商標登録申請したが、米特許商標庁に却下されたことから提訴。高裁は主張を認めたが、最高裁が判断を覆した」(2024/07/13 Reuter)。
ここで「Trump」とはPlaying cards(トランプ遊びをする)という意味の「Trump」とは思うまい。つまり「Donald Trump is too Small」と言っているのと同様で、誰が見てもこのTシャツを着ている人を見たら「彼は反トランプ党の人間だな!」と思うだろうし、また裁判は初審であっけなく終わるであろうな、と日本人なら皆んなそう思うに違いない。
ところがそこがアメリカだ。このキャッチコピーを認めなかった「特許商標庁」の決定を不服としてこの弁護士は裁判に訴え、あろうことか高等裁判所はこれを認め、連邦最高裁まで争われて棄却されるというびっくりするような長い経過を経た末に棄却されたというのが上の記事である。
日本で「文雄は小さい(Humio is too Small)」という商標を登録しようという人が出てくるとははなから思えないが、かりに居たとしても裁判に発展するとか、まして最高裁まで争われるなど想像すらできないではないか。これをもってして、日米=彼我の政治・文化の違いの大きさに改めて驚愕するのは筆者だけではあるまい。この違いは、畢竟、政治と民衆の日常の生活習慣や価値観の間の隔絶した距離の大きさではないか?
もちろん日本人といえども夕涼みの縁台では晩酌の酔いに勢いづいて大言壮語する熊さんや八っちゃんが居るとしても、この不満を「登録商標」(Trade Mark)に仕立てようなどと考える者もいなければ、いたとしてもそれが最高裁判所まで争われるなど有り得ないだろう。
どうやら米軍に戦後教えられた民主主義や言論の自由は日本語に直すときに元の精神を抜き取って教えられたものらしいということなのであろうか???
上記引用記事には、「政府側は言論の自由を違法に抑圧するものではないと主張。エルスター氏は、著名人が自身の肯定的なメッセージを商標登録することを認める一方で、批判する内容の登録を禁じることは見解差別だと訴えていた」(同上)、ともあった。裁判には破れたとはいえ、「言論」はこうなくてはいけない! ちかごろのアメリカは腐っているように見えるが、どっこい「腐っても鯛」だ!

死んだ後に「くさされる」人と「褒められる」人

2024年06月18日 08時12分20秒 | 政治
「韓国の文在寅前大統領は5月に出版した回顧録で、2017年に北朝鮮が弾道ミサイルを繰り返し発射して以降、日米韓首脳会談で当時の安倍晋三首相が韓国に住む日本人や米国人を退避させる訓練が必要だと主張したとして強い不快感を示した。韓国に対して『爪のあかほどの配慮もない』と記した。文氏は『韓国は今にも戦争が起きそうな国だと危機感を高めるやり方だ』と批判。対話を通じて朝鮮半島情勢を安定させようとした自身の努力を『安倍氏は全く支持する考えがなかった』とした」(「韓国の文在寅氏、安倍氏に不快感 <爪あかほども配慮ない>と回顧」)(2024/06/12共同)
上記文在寅氏の回想の時期には、安倍晋三氏の夫人安倍昭恵さんが韓流文化に大変な熱を入れ込んでいると女性週刊誌などで報道されていたものだった。しかし一方、その夫の安倍晋三氏はお爺さま直伝の朝鮮と朝鮮人蔑視、南北両朝鮮国家に対しては冷たい視線を向けていたように見えた。折しも朝鮮人民共和国=北朝鮮に対しては拉致問題があり、政権に対して世論の期待は最高潮であったが、いま当時を回顧してみれば当時の政権はその問題に最大級の情熱をもって解決しようというのではなかったようである(和田春樹編「北朝鮮 拉致問題の帰結 膠着を破る鍵とは何か」(岩波書店)参照)。
どうも安倍晋三元首相は、死んで後に「くさされる人物」に属する大物政治家の例に分類されるようで、同氏には同情を禁じ得ない。何と言っても安倍晋三氏は日本政治史の中で首相在任期間最長の内閣総理大臣を歴任した大物であったのだから、そこには何か政治的に合理的な必然性が有ったはずである。そして、それが何であったのか、いまだに説明されない。証明されないままに冒頭のような評価が各方面からにじみ出てくる。
そう言えば、安倍氏に次ぐ長期政権は桂太郎で彼もまた日本近代史上であまり芳しい評価は無い。桂に次いで3番目は安倍氏の大叔父佐藤栄作氏。ノーベル平和賞受賞者でありながらその「賞」の根拠となった「核抜き本土並み」と謳われた沖縄返還の内実に関して、その評価に数多の疑義が寄せられている。
ここに通底しているのは「山高くして尊からず」、日本政治史で最短内閣総理大臣石橋湛山が歴史上最も尊敬されていることを見れば政治家たる者いかに行動すべきかかが見えてくる。
 さてはて、現首相岸田文雄さんは「早晩」どう評価されることやら。一部新聞調査は史上最低評価を報道しているそうだが・・・・?
 


小人に巨石は動かせない

2024年06月17日 07時46分10秒 | 政治
 「自民党が今国会での憲法改正原案の提出を断念する見通しとなり、岸田文雄首相が9月末までの党総裁任期中に憲法改正を実現するのは事実上、不可能になった。支持率低迷に苦しむ政権にとって「改憲カード」は打開策になる可能性があっただけに、今後の政権運営の見直しを迫られるのは必至だ。(「裏金直撃、遠のく『岸田改憲』 自民原案、今国会見送り 支持率低迷、政権運営の打開策失う」2024/06/12毎日新聞))
数ある自民党派閥の中にあって岸田氏が「領袖」をつとめている(た)「宏池会」は、少なくとも岸田氏以前の先人御同役はすべからく「護憲派」とまで言うかどうかは知らないが少なくとも「改憲派」には属さなかった。前尾繁三郎・大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一・加藤紘一・堀内光雄・古賀誠と続く領袖たちの誰一人として改憲派と言われることは無かった。中で首相の座に就いた者たち大平・鈴木・宮沢らは組閣発表の記者会見で判で押したように「私の総理在任中の『改憲』は棚上げします」という宣言を発して任期中の論点からこのきわめて政治的で観念的な論議を避けたものであった。己の政治信条や政策に情熱を持つのであれば、改憲などという哲学論争に時間を取られたくなかったのであろう。
しかるに、歴代先輩諸氏の政治スタンスを知ってか知らずか、岸田文雄氏だけは総理就任と同時に「改憲」を彼の政権テーマに上げたのである。この人の墓穴はここに有った。これは彼の政治信条(こういうモノが有るとすればだが・・)には無かったはずにも拘らず、さよう述べたのはひとえに独裁者安倍晋三氏がまだ生きて活火山であることを隠さなかったからであったろう。つまり怒れる安倍氏を鎮める護符として「改憲」をコト挙げしたのであろう。
人の心は理解し難いとは言い条、伝統やしきたりから脱却できないタイプの岸田氏が彼から見て巨大な政治家に見えた同派諸先輩の足跡を踏み荒らす勇気など有り得ないにもかかわらず「清和政策研究会」派閥の巨大さに恐れを抱いて迎合・追従した結論が「改憲」だったのではなかったか? それゆえ「クチパク改憲」のまま今日を迎えていたのだと、筆者は猜疑心を持っている。
ことほど左様、実に御年取って77年の日本国憲法は、こんなやわな心がけでこれに手を入れることなどできるわけが無い。そこでは帝国主義をめざした明治憲法のために、死に追いやられた日本と世界何千万の死者の魂が許さない。今、斜陽を迎え哀れをとどめる岸田文雄政権、改憲をとなえるにはもっともっと苦しい勉強をしてこないと無理だ。いま、世界は20世紀前半の大恐慌時代に匹敵する騒乱の時代に入ろうとしている。ちゃんと勉強した指導者でないと1億の民を導くには力不足で、残念ながら今の日本政界には一人として人物がいない。小人に巨石はゼッタイ動かせない!