日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

「Trump Too Small」から分かる日米民主主義の相違

2024年06月19日 07時12分35秒 | 政治

 「米連邦最高裁判所は13日、トランプ前大統領をやゆするフレーズ「Trump Too Small(トランプは小さすぎる)」の商標登録が認められないのは言論の自由の侵害に当たると主張したカリフォルニア州の弁護士の訴えを退けた。弁護士のスティーブ・エルスター氏は2018年、Tシャツのプリントに使用するため商標登録申請したが、米特許商標庁に却下されたことから提訴。高裁は主張を認めたが、最高裁が判断を覆した」(2024/07/13 Reuter)。
ここで「Trump」とはPlaying cards(トランプ遊びをする)という意味の「Trump」とは思うまい。つまり「Donald Trump is too Small」と言っているのと同様で、誰が見てもこのTシャツを着ている人を見たら「彼は反トランプ党の人間だな!」と思うだろうし、また裁判は初審であっけなく終わるであろうな、と日本人なら皆んなそう思うに違いない。
ところがそこがアメリカだ。このキャッチコピーを認めなかった「特許商標庁」の決定を不服としてこの弁護士は裁判に訴え、あろうことか高等裁判所はこれを認め、連邦最高裁まで争われて棄却されるというびっくりするような長い経過を経た末に棄却されたというのが上の記事である。
日本で「文雄は小さい(Humio is too Small)」という商標を登録しようという人が出てくるとははなから思えないが、かりに居たとしても裁判に発展するとか、まして最高裁まで争われるなど想像すらできないではないか。これをもってして、日米=彼我の政治・文化の違いの大きさに改めて驚愕するのは筆者だけではあるまい。この違いは、畢竟、政治と民衆の日常の生活習慣や価値観の間の隔絶した距離の大きさではないか?
もちろん日本人といえども夕涼みの縁台では晩酌の酔いに勢いづいて大言壮語する熊さんや八っちゃんが居るとしても、この不満を「登録商標」(Trade Mark)に仕立てようなどと考える者もいなければ、いたとしてもそれが最高裁判所まで争われるなど有り得ないだろう。
どうやら米軍に戦後教えられた民主主義や言論の自由は日本語に直すときに元の精神を抜き取って教えられたものらしいということなのであろうか???
上記引用記事には、「政府側は言論の自由を違法に抑圧するものではないと主張。エルスター氏は、著名人が自身の肯定的なメッセージを商標登録することを認める一方で、批判する内容の登録を禁じることは見解差別だと訴えていた」(同上)、ともあった。裁判には破れたとはいえ、「言論」はこうなくてはいけない! ちかごろのアメリカは腐っているように見えるが、どっこい「腐っても鯛」だ!