玄文講

日記

清水美和「中国農民の反乱」

2006-02-24 17:53:18 | 
中国が抱える問題の中に「三農問題」と「貧富の格差」がある。
この2つは似たような問題であり、その問題点とは農民の収入がまるで上がらず、沿岸部の工業地域が豊かになる一方で農民は日々ひたすら貧しくなっているということである。

この事情を知りたくて、以前読んだ本が2002年に刊行された「中国農民の反乱」である。

この本において、まず著者は、農民が集団で共産党政府に「上訪」する例が急増していることを報告する。

「上訪」とは腐敗幹部の糾弾、賃金の未払い、土地紛争、補償問題などの解決を求めて、農民たちがより上級の政府機関に直接陳情する行為を指している。
その行動は過激化することもしばしばで、双方から死傷者が出ることもあるほどである。
そしてこの「上訪」は中国の報道機関においても、たびたび取り上げられる大きな問題となっている。
暴動などの報道を検閲している中国において事態がこれだけ表面化するということは、実際には更に多くの暴動が起きているものと思われる。

その上訪する農民たちは「農民領袖」と呼ばれるリーダーを持つ場合が多い。そのリーダー達の多くは村郷幹部の横暴に怒り、農民達に同情して行動を起こした者たちである。
その団結力は強く、警察が「上訪」の首謀者を逮捕に来ても、村人は誰も捜査に協力せず、むしろ匿(かくま)い、支援し、いざ「農民領袖」が捕まった時は激しい抗議活動を起こすのである。

そして彼らをそこまで過激な行為に走らせた原因は「腐敗幹部」と「土皇帝」にある。

まず問題なのは、多くの村や郷において党幹部が国務院の「農民の負担は前年度の収入の五%以下」という規定を勝手に破り、何かと名目をたてては農民から税を取りあげ無償労働を要求していることである。
例えば93年5月11日の「中国消費者報」は四川・仁寿における幹部の腐敗を以下のように報告している。

「多くの郷や鎮で幹部は負担を拒否する農民の家に押し入り、テレビなどの家財道具や豚や食糧などを奪い、歯向かう農民には暴力を振るった」

抵抗した農民の妻や子供をうちのめした。農民を手錠にかけて何時間も木に吊るした。

過重な農民負担を禁止する党中央の指示を村人に知られないようにするためにテレビニュースの時間には全村を停電させている。

中央の通達を村に張り出した農民を逮捕連行した。


ほとんど現代の話とは思えないような農奴のごとき待遇である。
それでいながら幹部たちは豪邸を建て、ハイヤーを雇い、その運転手の給料やガソリン代までも税金でまかなっている。
農民たちにしてみれば、その日の暮らしにも困っているのに、自分達の金で贅沢をされてはたまらないであろう。


そして「土皇帝」とは村郷において鉱山や工場などを経営し、多大な富を築き、まるで皇帝のように村郷に君臨する党幹部のことを指す。
もちろん資本家が企業を起こし公正な手段で裕福になっているだけならば、その反発は単なる嫉妬である。
しかし問題は、「土皇帝」が村人を不当に安い給料で酷使し、安全性を無視した環境で働かせ、事故が起きても補償せず、時には給料の未払いさえ起こしていることである。つまり幹部が権力を乱用して農民の権利を完全に侵害しているのである。
その一方で土皇帝は役人や監察官に賄賂を渡し自分達に不利な事実を揉み消し、親族たちだけで団結して利益を独占し「縁故資本主義」を始めるのだ。

このような「腐敗官僚」や「土皇帝」に反発し、農民たちの利益を代表して「農民領袖」が立ち上がり、頼りにならない地方官僚を無視して直接上級機関に陳情をするケースが増えている。
その過程で組織化し、過激化する集団が続出しているというわけである。これが現在起きている「上訪」問題の原因なのである。

もちろん治安と政権の安定を重視する共産党政権にとってもこの問題は重大であり、「上訪」した農民を罰するだけでは問題が解決しないことを理解している。
彼らは自分達の統治の及ばないところで村郷の幹部が勝手をしている状況を深刻に受け止めている。
中国の過去の多くの王朝が、地方の幹部が農民に重い徴税や刑罰を課すのを許した為に農民反乱を招き滅びていったのだから。

党の機関誌では「農民領袖」を英雄とみるかならず者とみるかで議論が交わされるなど、共産党内部にも「農民領袖」に同情する意見が存在しており、党中央組織の報告書は「最近発生した悪性の事件の大多数は幹部の粗暴な態度が引き起こした」と腐敗幹部を断罪している。

ちなみに例の仁寿では党政府の強い指導により事態は改善されつつあるという。
しかしその他の地域でも同様の問題は起きており、対処療法ではない根本的な制度の改革が求められている。

そこで共産党が音頭をとって実行した政策が安徽(あんき)省で実験的に行われた農民負担軽減政策である。
その中身は、農民の公共事業への無償労働力提供に対する制限日数の設定と段階的全廃。郷・鎮の留保金、義務教育の経費徴収の禁止などであった。更には国からの200万元の援助も与えられた。

しかしこの政策は予定をはるかに上回る税収不足を各村郷にもたらした。
特に各農村では学校教師に払う賃金が不足し、農村の義務教育制度が成り立たなくなってしまったのである。
農民の為に始めた政策が農民の教育水準を下げる結果になってしまったのだ。こうして実験は失敗した。

この義務教育の経費不足は全国的な現象であるらしく、税負担を減少させると多くの学校がとたんに破綻してしまうようだ。
中には学校内で子供に内職をさせて学校の運営費を稼ぐところもあるという。特に2001年には学校で爆竹造りの内職をしていた児童42名が爆死するという無惨な事故が起きている。

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農村内がこのような有り様なので都会に活路を求める者は当然増加する。
では外に出た農民たちにはどのような運命が待っているのであろうか。
それは「二等公民」としての差別的な待遇である。

(明日に続く)