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経済学者。上武大学ビジネス情報学部助教授。1961年生まれ。日本経済に関する論評や思想史を専門にしている。エコノミストや経済本への率直な発言が評判。著作に、『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)、『エコノミスト・ミシュラン』(共著、太田出版)、『日本型サラリーマンは復活する』(NHKブックス)、『平成大停滞と昭和恐慌』(共著、NHKブックス)、『沈黙と抵抗』(藤原書店)などがある。
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田中秀臣の「ノーガード経済論戦」
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 現在(2005年8月上旬)、日本は総選挙態勢に突入した。例によって小泉首相の「二元論的ポピュリズム」作戦が当面は功を奏しているようであり、彼と彼の取り巻く政治家や官僚たちへの支持は高い。この二元論とはもちろん「改革勢力」vs「抵抗勢力」、あるいは今回は「郵政民営化」vs「郵政国有化」の対立として政権・与党の大半そしてメディアで喧伝されている構図のことを意味している。もちろん小泉政権の実態が本当に改革的であったり、または民営化志向かどうかはよくよく検討しなくてはいけないことだろう。現政権の郵政民営化についての批判はすでに書いたのでここでは繰り返さない。今回は、この「二元論的ポピュリズム」によって見失われた「第3の道」について、その代表的な文献であり、一時期日本でも熱烈に支持されたジョセフ・E・スティグリッツのふたつの著作『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)と『人間が幸福になる経済とは何か』(徳間書店)の内容についてふれたい。


 『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』は2002年5月に日本で刊行された。本来、この本の趣旨はいわゆる「ワシントンコンセンサス」という経済的イデオロギーとそれに影響されたIMF(国際通貨基金)とアメリカ財務省の経済政策に対する批判にあった。「ワシントンコンセンサス」とは、緊縮財政(小さな政府)、民営化、市場の自由化という三本柱からなり、このイデオロギーは開発途上国や経済危機的状況にある国々に80年代以降積極的に適用された。スティグリッツはこの「ワシントンコンセンサス」が適用された国々の状況を悪化させたと批判している。例えば97年、98年のアジア経済危機においてIMFは経済的低迷を続けるアジア諸国に緊縮財政を融資の条件として課しそれが成長の低下をまねき回復を遅らせたとしている。また市場経済化を急進的なやり方によって主導したため、ロシアをはじめ東欧諸国の経済停滞を深刻なものにしたとも指摘している。むしろスティグリッツは市場経済化は、IMFなどが推奨する急進的改革よりも、中国の採用した漸進的改革のほうが、既得権との折り合いをスムーズにすることで政策目的を実現できたかと評価している。

 もちろんスティグリッツ自身は緊縮財政や民営化そして市場の自由化などそれ自体を否定しているのではない。財政赤字の維持可能性はみたされなければならないし、民間ができる事業を政府がやるよりも民間に開放したほうがその国は豊かになりやすい、貿易の自由化は経済の効率性を増すなどと評価している。問題は政策当事者がえてして陥りやすいのだが、民営化や緊縮財政などは公平で持続的な成長(つまり公平と効率のトレードオフを適切にみたすこと)を実現する「手段」であるのに、これらの「手段」がいつの間にか「目的」になってしまっていることである。現在の郵政民営化もいつの間にかその内実とそれがみたすべき「目的」がかえりみられることなく、民営化か否かの二元論に陥っている日本の状況はこのスティグリッツの懸念に適合するかのようである。このような政策目的が忘却され、政策手段が目的化することはしばしばある。特にその政策手段の実現性が困難であればあるだけその傾向が強い。

 戦前の日本でも第一次世界大戦後の金本位制の復帰はその典型的な事例であった。金本位制への復帰は政治的に障害が多く歴代政権の多くがその課題としたが果たせなかった。当初は、金本位制の復帰は為替レートの安定であったが、しだいにそれに混入ないし上回る形で、金本位制復帰によるデフレ圧力によって非効率部門を清算するという、本来の金本位制の目的とは異なるイデオロギーが結びついた。今日の郵政民営化も郵政事業の効率化よりもむしろ財政赤字の削減(国債発行量の縮減?)というイデオロギーとともに語られている場合がほとんどである(当ブログのをhttp://blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/006df85ad2757cc98dad2f17fdc3ec71を参照)。

 さてスティグリッツの「ワシントンコンセンサス」批判は、日本の多くの読者に小泉的構造改革への批判として読み解かれた。特に次のスティグリッツの本からの引用は、その日本的読解があながち間違えていないことを物語る。ちなみに小泉政権が当初頻繁に引用した「痛みを伴う構造改革」をいま一度想起されたい。
「短期的にどんな逆風が生じたとしても、それは改革にともなう必要な「痛み」なのだとされた。金利が高騰すれば、いまは飢餓を呼ぶかもしれないが、市場効率には自由市場が必要なのだから、最終的には効率が成長を呼び、成長が全員を幸せにする。苦しみや痛みは、いわば償却課程の一環であり、むしろ国が正しい方向に進んでいることの証拠だというのである。私に言わせれば、たしかに場合によっては痛みも必要だが、痛み自体は善ではない。よく考えられた政策によるならば、往々にして多くの痛みを避けることができる」(邦訳62-3頁)。
 この「ワシントンコンセンサス」への批判は、開発途上国だけを念頭においたものではない。『人間が幸福になる経済とは何か』では積極的に、現ブッシュ政権の「ワシントンコンセンサス」=新古典派経済学の発想に基づく経済政策への容赦ない批判に発展している。スティグリッツは80年代以降のアメリカ経済の市場中心主義的な発想が、エンロン事件などに典型的な「貪欲な経済」をもたらし、国民の厚生がリスクにさらされていると批判している。そして市場中心でも政府中心でもなく、市場と政府が適切な役割で補完しあう「第3の道」の重要性を彼は説いている。ここでも彼の強調点は政策の「目的」と「手段」の区別とそれぞれ適切な割り当てである。
「市場は一定の目的を達成するための手段(手段に強調点あり)である。最も顕著な目的は、より高い生活水準を実現することだ。市場そのものが目的ではない。もしそうだとしても、この数十年間に保守派が強く主張してきた政策ー民営化と自由化などーの多くは、それ自体を目的とみなすべきではなく、あくまで手段とみなすべきだ」(355頁)。
 その上で最重要な課題が失業を防ぎ完全雇用を目指す政策であり、不況であれば政府が適切なマクロ経済政策で対応するということである。スティグリッツは同じ観点から各国の中央銀行の政策マインドも批判し、中央銀行の政策当事者は物価の安定を第一目的にし、失業にはほとんど配慮していないと批判する。スティグリッツは失業こそ人間価値の毀損を伴う最悪の事態のひとつであり、これを解消することが人間の幸福を促進することになると明言している。このような人間的価値から失業をとらえる見方は、日本では石橋湛山が採用した見方であり、いわゆるリフレ派の一部の日本的ケインジアンの地下水脈をなす思想といえよう。

 政府vs市場という二元論的ポピュリズムを放棄して、人間的価値の回復のために、市場と政府の適切な役割を見つけ出そうというスティグリッツの「第三の道」の方向性は私には日本の今日の状況を考えると実に示唆に富むように思われる。
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