蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

我愛欧羅巴影片(三)

2005年07月10日 04時57分01秒 | 昔の映画
世界はともかくとして、日本にナチスのステレオタイプを定着させたのは、1960年スウェーデン製作の記録映画「わが闘争」だった。アラン・レネの「夜と霧」(映倫カット版)はたしかその後の公開だったか、どうも記憶が曖昧なのだがいずれにしろ昭和三十年代というのはこの手の記録映画が多く上映された時期だった。
「わが闘争」が当たったものだから配給会社が似たような作品を次々に買い付けたものだと思う。しかしわたし個人としてはレネの「夜と霧」が強烈だった。映画館に張り出されていたスチル写真のなかに目を虚ろにして横たわる死体の大写しがあって、これを見たくて映画館の前を何度も往復したものだ。子供がそんな写真を見ていると必ずどこかのおじさんに叱られる、まだそんな時代だった。死人の真似と本物の死体の印象の違いは、正座して足が痺れたときと感電して痺れたときほどの違いだといえばわかってもらえるだろうか。もちろん当時のわたしは「わが闘争」も「夜と霧」も観ることができなかった。「わが闘争」を実際に鑑賞したのはずっと後になってから、そして「夜と霧」にいたってはさらに後のことで、ある映画研究サークルの上映会でノーカット版を観たものだ。いまではDVDでノーカット版を手軽に観ることができる。
"IL Portiere di notte"英語版題名を"The Night Porter"という映画がある。日本公開時の題名を「愛の嵐」という。シノプシスについはあまりにも有名なのでもう説明しない。知りたいかたはWebサイトで検索してください。そもそも今回話題とするところからしてストーリそのものとはあまり関係がない。さてこの映画にはいくつか有名なシーンがあってそのなかでもダントツが、シャーロット・ランプリングが強制収容所の将校クラブみたいなところで親衛隊の制帽をかぶりあとはズボンにサスペンダーだけというアンニュイなトップレス(懐かしいねえ)スタイルでデートリッヒの歌をまねるシーン、それからラストの道行か。親衛隊の制服で決めたダーク・ボガードと少女用のドレスをまとったランプリングが二人して鉄橋を歩いていくシーンね。
しかしわたしを最も不思議な気分にさせるのは、映画が始まってから二十分ほどのところからの、男性ダンサーがほとんどヌード状態(身に着けているのは水泳パンツ用サポータみたいなものだけ)で親衛隊員たちの前でダンスを披露するシーンです。髑髏マークの制帽に黒い制服の親衛隊員たち、もちろんそのなかにはボガードもいる。これだけでも充分に奇妙なのだけれども、彼らがいる場所というのがこれに輪をかけて随分と奇妙なところなのだ。廃墟のように荒れている屋内。高い天井と白いタイル張りの壁からそこが劇場でも住宅でもオフィスでもないことが想像できる。病院跡とも思えるがそれにしては天井が高すぎる。工場跡か浴場跡、もしかしたら共同食堂の炊事場跡、屠場跡かもしれない。あるいは強制収容所の一画なのだろうか。おそらく監督であるカバーニの意図は、今わたしが想像したようなことすべてを観客にも想像させたかったのであろうと思うのだが、正直なところよく判らない。ただ妙な気分だけがズッシリと後に残るシーンだ。
わたしは思うのだけれども世界中でもっとも映画になっている軍隊はアメリカ軍とナチス親衛隊ではなかろうか。

最新の画像もっと見る