いま『去年マリエンバードで』"L'Année dernière a Marienbad"を見終わったところだ。もちろんビデオでだがもう二十回以上は観ているはずだ。フランス映画に興味のあるかたならば、贅言を必要としないほど「有名」な作品である。なぜ有名に括弧を付けたのかというとこの映画がその毀誉褒貶において有名となったからである。まず「誉・褒」についてはこれが映画芸術的に優れた作品だという意見。なんせ1961年ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞したのだから。「毀・貶」については要すればなんだか判らないということ、嘘かホントか知らぬがニューヨークだったかどこだったかの映画館で、映写技師が上映するフィルムの巻の順番を間違えて何日間も上映していたって話があるくらいだから。
さて主な出演者はデルフィーヌ・セイリグ、サッシャ・ピトエフ、ジョルジョ・アルベルタッツイの三名(今では皆鬼籍に入ってしまった)、舞台は有閑階級の宿泊する巨大なバロック風ホテル。宿泊客たちは「1929年の夏は一週間も氷が張った」といったような当たり障りのない会話を続けている。ストーリー、強引にストーリを語ろうとするならばこれもいたって簡単で、男(ジョルジョ・アルベルタッツイ)が女(デルフィーヌ・セイリグ)をホテルから連れ出そうと説得し続けるというもの。女には夫あるいは婚約者あるいは愛人(サッシャ・ピトエフ)がいるらしい。「らしい」というのは映画の中ではサッシャ・ピトエフとセイリグの関係について明示的になにも説明されてはいないからだ。そしてアルベルタッツイとセイリグの関係もじつはよくわからない。時間的前後関係もロケーションも曖昧なら各シーンが昼なのか夜なのかも不明である。これではフィルムをかける順番をまちがっても観客はもとより違和感など感じようがない。そもそも題名にあるマリエンバード(おそらく現在のマリエンスケ・ラズニェ)はこの物語の舞台ではない。アルベルタッツイがセイリグにむかって「去年お会いしたのはフレデリックスバードかカルルシュタット、バーデンサルサ、それともマリエンバード」という一瞬の台詞に出てくるだけである。アラン・ログ=ブリエの原作(脚本)を読んで何らかの手がかりが得られるかというと、これもまったく期待できない。映画はむしろ原作の縮刷版といった感すらする。監督はアラン・レネだがドイツ国内のロケではあの『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフが助監督としてニンフェンブルン城の風景などを撮った。
レネのファンならばあの非現実的フランス風庭園の有名なシーンを思い出しただけで興奮をおぼえるだろう。擬古典的男女の石像、サッシャ・ピトエフがジョルジョ・アルベルタッツイにむかってそれがカール三世とその后であると説明する場面があったが、その石像があちらこちらの庭園に出没するのも考えてみれば滑稽だった。はじめてこの映画を観たとき、たしか場所は日本青年館だったと記憶しているが、わたしはよくも同じ石像があちらこちらにあるものだと感心したものだが、はたして全て同じものなのか、あるいはそれぞれ異なっているのか、繰り返し観れば観るほどかえってわたしのほうが曖昧になってきた。
さて主な出演者はデルフィーヌ・セイリグ、サッシャ・ピトエフ、ジョルジョ・アルベルタッツイの三名(今では皆鬼籍に入ってしまった)、舞台は有閑階級の宿泊する巨大なバロック風ホテル。宿泊客たちは「1929年の夏は一週間も氷が張った」といったような当たり障りのない会話を続けている。ストーリー、強引にストーリを語ろうとするならばこれもいたって簡単で、男(ジョルジョ・アルベルタッツイ)が女(デルフィーヌ・セイリグ)をホテルから連れ出そうと説得し続けるというもの。女には夫あるいは婚約者あるいは愛人(サッシャ・ピトエフ)がいるらしい。「らしい」というのは映画の中ではサッシャ・ピトエフとセイリグの関係について明示的になにも説明されてはいないからだ。そしてアルベルタッツイとセイリグの関係もじつはよくわからない。時間的前後関係もロケーションも曖昧なら各シーンが昼なのか夜なのかも不明である。これではフィルムをかける順番をまちがっても観客はもとより違和感など感じようがない。そもそも題名にあるマリエンバード(おそらく現在のマリエンスケ・ラズニェ)はこの物語の舞台ではない。アルベルタッツイがセイリグにむかって「去年お会いしたのはフレデリックスバードかカルルシュタット、バーデンサルサ、それともマリエンバード」という一瞬の台詞に出てくるだけである。アラン・ログ=ブリエの原作(脚本)を読んで何らかの手がかりが得られるかというと、これもまったく期待できない。映画はむしろ原作の縮刷版といった感すらする。監督はアラン・レネだがドイツ国内のロケではあの『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフが助監督としてニンフェンブルン城の風景などを撮った。
レネのファンならばあの非現実的フランス風庭園の有名なシーンを思い出しただけで興奮をおぼえるだろう。擬古典的男女の石像、サッシャ・ピトエフがジョルジョ・アルベルタッツイにむかってそれがカール三世とその后であると説明する場面があったが、その石像があちらこちらの庭園に出没するのも考えてみれば滑稽だった。はじめてこの映画を観たとき、たしか場所は日本青年館だったと記憶しているが、わたしはよくも同じ石像があちらこちらにあるものだと感心したものだが、はたして全て同じものなのか、あるいはそれぞれ異なっているのか、繰り返し観れば観るほどかえってわたしのほうが曖昧になってきた。