蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

我愛欧羅巴影片(四)

2005年08月07日 14時03分15秒 | 昔の映画
最近古い映画のDVDが安く販売されるようになった。もっとも品揃えという面かから見るとまだまだ貧弱であるのは否めない。例えば今コスミック・インターナショナルから発売されている500円DVDシリーズはほとんどがアメリカ映画でヨーロッパものはクレマンの「禁じられた遊び」とデ・シーカの「自転車泥棒」、そうそうリーンの「第三の男」はイギリス映画だったか。もちろんアメリカ映画にもいいものはある。たとえばロバート・マリガンの「アラバマ物語」とかオーソン・ウェルズの「市民ケーン」とかフレッド・ジンネマンの「真昼の決闘」とかは何度見ても飽きない。しかしそうはいうもののアメリカ映画が圧倒的というのもちょっとさびしい気がする。著作権とかいろいろと問題があってなかなかレパートリーを広げるのが難しいのかもしれないが、わたしにはその辺の事情はわからない。
昨日神保町の書泉グランデを覗いたらこの500円シリーズに「フランケンシュタイン」があったので買ってきた。むかしむかし観たことがあるのだが今回改めて観て、これがなんとも不思議な映画だとういうことを実感した。
このDVDのパッケージには「怪奇映画史に燦然と輝く傑作!!」というキャッチコピーがついているのだけれども、これからしてどうもしっくりとこない。確かにボリス・カーロフ演じるモンスターは不気味でこのメークは間違いなく映画史に残るものだとは思う。でもシノプシスそのもはけっして怪奇ではない。幽霊や妖怪が出てくるわけでもない、そもそもマッド科学者が人工生命を創るということ自体はSF的ではあってもけっして怪奇なことではないから。そういう意味ではこの映画は昨今のホラー物の範疇には入らないと思う。ではどこに分類されるか、「恐怖映画」なら納得できる。怖いことには違いないから。ではモンスターは「悪者」なのか。これも問題。というのもこの映画をちょっと引いて観るかぎり彼が積極的に悪事を行っている場面はないからだ。少女を湖に投げ込んで溺死させてしまう有名なシーンにしてからが彼が積極的に少女を殺す意思があったようにはみえない。少女を殺す直前モンスターは彼女と花を湖に投げ込む遊びに興じている。モンスターにとって少女を湖へ投げ込むことは花を投げ込むことの延長でしかなかった。このシーンでモンスターが笑顔を見せているところからわたしはそのように想像する。そして少女を投げ込んだ直後に見せる動揺した姿から、モンスターが少女が死ぬことなど思ってもいなかったということを確信した。ラストシーン。山上の風車小屋に追い詰められたモンスターが焼き討ちされて死んでゆくところなど哀れを誘う。こうなってくるともうこれは「怪奇映画」などではない。
ところでこの映画での悪役は誰なのだろう。一番の悪役はもちろんモンスターを創った科学者フランケンシュタイン。なにしろ彼こそ三人の犠牲者が出たこの騒動を引き起こした張本人なのだから。ところが一切お咎めなし。しかも最後はめでたしめでたしで幕が下りるといった、どうにも釈然としない結末。この映画が作製された一九三〇年代はこのようなものが「怪奇映画」だったということなのか。まあ娯楽ものなのだから揚足を取るような野暮ったいケチはつけたくないのだけれども、以上のような感慨を持ったのはおそらくわたし一人ではないはずだ。

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