蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

クロノロジカル・テーブル

2005年11月23日 15時15分23秒 | 古書
戦前、といっても昭和十四年(1939年)に岩波書店から速水敬二編『哲學年表』が刊行された。四六版で本文三百十一頁ほどの本だが、わたしの所有しているのは戦後昭和二十三年の第四刷で、装丁も紙質も恐ろしく貧弱なものだ。この五年後になると出版事情もかなり改善されてくるのだけれども、わたしとしてはそんなことより何より、敗戦後まもなくの時代にあってこのような本が出版されていたということ自体に驚きもし、また少し感動もしてしまう。どのような本かというと文字通り年表であって、古代ギリシアから一九三六年、昭和十一年までの西洋の主要な哲学者、思想家の誕生没年、著作出版年を表にまとめたもの。上にも書いたように初版は昭和十四年、まだ物資に余裕があったころに出ているので、わたしの持っている第四刷よりはおそらくよほど綺麗なはずなのだ。古書値で三千円前後だと思う。それに比べてわたしの第四刷は東京古書会館の即売展でまんが市文化堂から六百円で出ていたものだ。しかし中身は変わらないから第四刷でも充分に重宝している。
調べものに使うのはもちろんだけれども、漫然と眺めているだけでも結構面白い。表形式というのは確かに載せられる情報量としては少ないのだが、たとえばカント、デカルト的大陸合理論とイギリス経験論のいいとこ取りをしてあの有名な『純粋理性批判』を書き上げたドイツの哲学者がバルト海に面した街ケーニッヒスベルク(現在のカリーニングラード)でオギャーと生まれた一七二四年に、遥か離れた極東は浪速の地で浄瑠璃本作家近松門左衛門が七十二歳で亡くなっているといったことや、あるいは賀茂真淵が亡くなった明和六年、西暦の一七六九年にフンボルトペンギンでその名が知られているドイツの地理学者フリードリッヒ・ハインリッヒ・アレキサンダー・フォン・フンボルトが生まれている、といったようなことが直感的に判るのがうれしい。じつはわたしはフンボルトペンギンというのはてっきりフンボルトが発見したからそのように命名されたのだと、つい最近まで思っていた。しかしこれはとんだ誤りでフンボルト海流(これはフンボルトに因んで名づけられたが、いまではペルー海流というようだ)に沿って生息しているのでこのように呼ばれている。そうだよね、フンボルトってのは博物学者ではないもの。
ところで、この年表に載っている最も若い人物というのがドイツの美学者Hermut Kuhnという人で、一八九九年生まれだから『哲學年表』が刊行された年に健在であったとすれば四十九歳になっていたはずだ。ところで四十九歳という年齢を若いというべきかどうかは少々問題がある。というのも一八九九年におけるドイツ人の平均余命がわからないことには判断できないからだ。ここでわたしのドクダンとヘンケンで敢えて言うならば、四十九、五十、五十一という年代は特に節目に当たっているように思えてならない。夏目漱石が亡くなったのが四十九歳のときだったと聞くとちょっと意外な気分になる。残された写真で見る限りではかなり老けた印象を受けるからなのだが、しかし男子の平均寿命が四十三歳の当時としてはけっして若死ということではなかったのだ。
『哲學年表』の最後は一九三六年、昭和十一年の欄で、出版された哲学関係の書籍としてはガストン・バシュラールの『持続の弁証法』、エチエンヌ・ジルソンの『キリスト教と哲学』、ニコライ・ハルトマンの『哲学思想とその歴史』が上げられている。また物故した学者としてはリッケルト、シュペングラー、テンニース、ウナムーノなどが記載されている。
この年、ナチスドイツはロカルノ条約を破棄し、また日本では昭和天皇を激怒させたあの二・二六事件が発生した。

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