蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

後心不可得(前)

2006年01月25日 04時30分47秒 | 不知道正法眼蔵
『正法眼蔵』という本は難しい。なぜ難しいのかということについてはわたしなりの見方を「回憶正法眼蔵」の回でちょっと披瀝してみた。確かに難しいのだが、すべての章が理解不能な宇宙語で書かれているのかというとそうでもない。なかにはかなり判りやすいものもある。宗教的な深さということを抜きにすれば言語レベルでの了解は可能という章だってなかにはある。
例えば「前心不可得」「後心不可得」などはこの部類に入れてよいのではないだろうか。ところで岩波の日本思想大系版では「第八心不可得」が「前心不可得」に相当し、「後心不可得」は「第七十三他心通」に相当する。今回は「後心不可得」を取り上げるのだけれども、今まで日本思想大系版を参照してきた都合上、今回もまた日本思想大系の「第七十三他心通」をテキストとして使用することにする。
それにしてもこの『正法眼蔵』という本はやったらめったら色々なバージョンが存在していて、これの研究についての論文も半端な数ではない。だから素人がこの問題に手を出すととんでもないことになってしまう。もちろんわたしは正真正銘の素人だから正法眼蔵フィロロギーについては何もいえない。岩波版を使うのもこれが偶々手元にあるということ。もっと遡っては、むかしむかし古田紹欽先生に『正法眼蔵』を読んでいただいた折に使用したテキストが岩波の日本思想大系版だったからなのだ。さらにいえばこの岩波版が理想的なテキストというわけではけっしてない。古田先生がこれをテキストに指定したのは、当時最も簡単に手に入れることができたのが岩波版だったからだと拝察している。研究室での講読で先生はこのテキストに対して時々言葉を置き換えながら読んでいらっしゃったからだ。誤解しないでいただきたいのだが、なにもわたしは岩波版が使い物にならないといっているわけではない、これだってしっかりとしたテキストだし、このおかげでわたしたちは『正法眼蔵』を手軽に読むことができるようになったのだから。
同版は今では岩波文庫にも収められていてハードカバーよりさらに手軽に読めるようになっている(が、値段的に手軽になっているとはいいかねる)。しかし岩波文庫ではこの版より以前に衛藤即応校訂による上中下三巻の『正法眼蔵』を刊行している。それがなぜ水野弥穂子校訂の四巻本になってしまったのか理解できない。さらに本来なら衛藤即応版は岩波書店でリクエスト復刻版として出すべきところをなぜ紀伊國屋書店出版部(一穂社)からバカ高い価格(オンデマンドとはいえ上巻五千八百八十円、中巻五千八百八十円下巻六千百九十五円だと)で出ているのかまったく判らない。これが岩波のリクエスト復刻版だったらどれほど高くても一冊あたり精々千円前後見当だろう。ついでにいえばこの衛藤即応三巻本は古書価格で全巻揃九千円といったところだ。わたしは怒りをもってこれを書いている。いまわたしたちは水野版であるならばかなり手軽に参照することができるが、しかしもし衛藤版を読もうとしたならば一万八千円近く支払わなくてはならないということで、これはどう考えてもまともな状況とはいえない。かりにそれが著作権にからむ問題が背後にあるのだとすればなんとも遣り切れない話だ。
なかなか本題に入らないのはいつもの事とて、それでは「後心不可得」または「第七十三他心通」を見ていこうと思ったのだが、これから始めると紙数を大幅に超過するので本編は次回ということにいたします。あしからず。


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1 コメント

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突然ですが失礼いたします (tenjin95)
2006-01-25 06:29:14
> 管理人様



『正法眼蔵』を編集しようとする各先生方の闘争の問題はさておいて、何故衛藤本が復刻されず、水野本になったかといえば、衛藤本がかつて曹洞宗大本山永平寺様に江戸時代に刊行された95巻本(通称:本山版)を元にしているのに対し、これは道元禅師やその直弟子の方々が意図した本来の編集形式ではないということが、衛藤先生の後で、本格的な書誌学的研究の最中で定義され、正しく75巻本12巻本を中心に編集する形式に改められました。それが現在の水野本であります。しかし、水野本は、大久保道舟博士が編集された筑摩書房版『道元禅師全集』の方式で編集され、問題があり、現在では春秋社『道元禅師全集』に収録された河村孝道博士の編集方式が、一番学問的信頼性が高いとされております。そういった最中で95巻本の衛藤本は不要になりました。



突然の書き込み、失礼いたしました。合掌。
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