本日、仮入園だった幹太くん。
人一倍こだわりが強く、
人一倍、人と、知らない場所見知りの幹太。
…。
無事、教室に入れました…。ホッ。
幹太にとってどんな園がいいか、
かなーり悩んだけど、
いろんな人間がいて、いろんな価値観の人がいて、
いいも悪いも、それがこの世界。
そして、自分は、その中で、生きて行き、死んでいくしか道はない、と感じてほしいと思い、
家から一番近い、公立の保育園に入ることにしました。
親としては、いろいろ葛藤もあるけど(いや、かなり…)、
世間の荒波にもまれ、強くなってほしいと思います。
幹太が生まれてから3歳まで育った環境は、
幹太にとっては当たり前だけど、
世間から見たら特殊…だと思います。
よだれ垂らすじーさんは当たり前だし、自分のおやつはいつの間にかばーさんに取られる。
車椅子の人もいるし、精神障害のおっさんや、知的障害のばーさんも当たり前にいる。
それが全て「~という障害を持った~さん」という概念はない、と思う。
私もイチイチ「あのばーさんはボケとるけん」とか「病気で手が動かない」とも言わないし、
池さん自体が、「ボケとる」ことも、「麻痺」も、その他な~んとも思ってない。
ただその人個人として、付き合っている。
幹太は
車椅子のじーさんに対して、「何で車いすに乗っとるん?」とは聞いたことがない。それが当たり前だから。
ばーさんがブツブツうわ言を言ってても、「何でああやって言うん?」とも言ったことがない。それが当たり前だから。
ただ、自分が座ってご飯が食べれる人が、寝たまま食べさせてもらってたら「何で座って食べんのん?」と聞く。
そして、ボケとるじーさんばーさんは、「人を見抜く」力を持っています。
感覚で物事を感じるから、全て見抜かれる。
研ぎ澄まされた感覚で、色メガネ無しで人を見てくれます。
幹太とじーさんばーさん達は、透き通った心で繋がってるんだと思います。
見栄や偽りの通じない世界、
そして地位も名誉もお金も価値観も関係のない世界、
ただ食べて、うんこ出して、寝る。それが全ての世界で育った幹太。
そしてなにより、死や老いが、ものすごーく近い空間で育った幹太。
その幹太の感性が、
この先も、ずっとずっと失われませんように。
がんばれ!幹太!
とうともかあかも、幹太の道を応援するよ。
まー、それにしても、親の私がやっていけるかなーという空間でしたわ…。
子ども抱いて高いヒール履いて、先生にタメ口…。
蹴ったろかな…と思いながら、
園を後にした母ちゃんでしたー。
私もがんばろ。