忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「若さ」

2010年12月07日 | 過去記事
「若さ」

介護はまだまだ「女性の職場」というイメージがある。だから訓練校にも女性が多いわけで、それは私の所為ではないというのに、なぜだか妻が怒っている、先日の飲み会の写真なんぞも頂いたのだが、知らぬ間にぱしゃりとやったのもあれば、その昔、ローマ軍と戦ったイギリス軍が田舎に戻ったとき「自分はローマ兵に捕まっていない」ということを示すために、人差し指と中指を立てて見せたというが、それはイギリス軍の弓兵に難儀していたローマ兵がイギリス兵を捕らえると、二度と弦を引けぬ手にしてやろうということで切り落としたからだが、我々はイギリス人ではないけれども、何人かでそういうサインを作って写真に収まっているのもあった。いわゆる、まあ「ピースサイン」だ。

そしてなんと、その写真をくれたお嬢さんが、頼みもせぬのに手紙などを同封していたらしく、それにはもう、それはそれは可愛らしい文字が綴ってあって、しかもその文章の中に「どこかに遊びに連れて行って下さい」とか「いつも素敵で笑わせてくれる千代太郎さん(仮名)」などという社交辞令が混じっておったものだから、この私が妻よりも15ほど年下の女にデレデレしておるのではないかとのあらぬ嫌疑がかけられ、私は遇えなく逮捕、起訴されることになった。いま、留置所に持ち込んだノートパソコンでこれを書いている次第だ。冬の監獄は寒いのである。

また、これは私が逮捕される前だが、現在世話になっている施設にいる「30代半ばの茶髪」が懐いてきて非常に不愉快な思いをしている。昼食時、私は新聞を読みたいからひとりで座るのだが、それを見つけた「30代半ば茶髪」は、自分のメシを抱えて移動して来るのである。まるで刑務所の映画に出てくるお調子者のようで、この男の軽さと薄さといったら、そこらの生理用品顔負けである。そのときも私の前に座ると、なんの前触れもなく溜息交じりで話し出したのだった。

「困ってるんですよね~~」

とのことだ。私は彼が困ろうが踊ろうが、今日の晩飯が焼き肉になったりもしないので興味がない。だから、ふ~ん、で終わらせるのだが、やはり、それで終わらない。そして、彼の一方的な話によると、なんでも「若い娘に惚れられて困っている」とのことだった。次の休みも「どこかに連れて行ってくれ」と言われているという。

「なんでオレって、若い女にモテるんですかね?」

これが彼の悩みだった。私は弁当に入っていた「エビシュウマイ」を喰いながら、この目の前にいる弱き雄に対し、ガラスの灰皿に溢れんばかりに注いだ火の酒、テキーラに炭酸を注ぎ足し、首に巻いたバスタオルで栓をしてからテーブルに叩きつけ、ショットガンならぬハンドキャノン、もしくは対戦車ランチャーでも発案して作って差し上げ、それを掲げながら「オレの酒が飲めないのか?」と言いながら殴りつけ、顔面の骨を砕いてやろうかと思ったが、私の持論である「若さ=馬鹿さ」を立証してくれる可能性もあると判断、10分だけ付き合うことにした。さすがである。

なんと、愛を告白された、とのことだった。私は瞬間的に「からかわれている」と判断したが、いやはや、実はこれがそうでもないことも知っている。以前の会社にも同じようなのがいた。私と1つか2つほどしか変わらぬ年のオッサンでありながら、ちょくちょく20代前半の娘を手籠にしていると聞いた。そういえば、その彼も言っていた。

「なんでかボクって若い女にモテるんしゅよね~~♪」

ちなみに彼のルックスは「牙を抜歯したイノシシ」だ。それでも隙があれば茶髪にしたがるし、オートバイにも乗っていた。明らかに客観性を失っていた。

訓練校の彼に話を戻すと、なんと、二人同時、だという。共に18歳とのことだ。二人合わせても36歳、私よりも3つも下になる。これはとんでもない若さ、であろう。


彼は私に妻子のことを尋ねたあと、こんなことも言った。

「オレには2歳くらいの・・・がいますね」

私は思わず、ほう、可愛い盛りじゃないか、家に帰ると幸せを感じるだろう?と問うた。すると、彼は「顔も見たことないですけどねww」と笑うのであった。続けて、

「もっといると思いますよwあちこちにw1歳とか4歳くらいまで・・?もっとかw」

なんとも花粉のような男であるが、彼はこれが「かっくいい」と信じている。だから、ほとんど初対面の私に「舐められぬよう」こんな話をしているのだ。そして、また、私に訊ねるのである。「オレって、なんで、若い女にしかモテないんですかね~~」――――

答えは簡単だ。馬鹿だからである。甲斐性がないから、である。だから、私は彼の「18歳の女の子とだったら、どこに遊びに行きます?」というくだらぬ質問には「公園の砂場」と答えておいた。彼は笑っていたが、私は続けて「次の質問」にも答えておいた。先ほどの会社にいた「牙なしイノシシ」にも同じことを言ったから、ずいぶん、久しぶりにこの話をしたと思い出した。


――――――あのね、もしね、私がだよ。日曜日の昼間、近所の公園で集まって遊ぶ子供らにね、アンパンマンの気ぐるみを着て、バスケットにいっぱいのお菓子を持ってね、良い子のみんなー!アンパンマンがおやつを持ってきたぞー!あーん!ぱーんつ!とやったらね、私は子供らに囲まれることになるよね?

「・・・は、はあ、まあ・・・」

キミはそれを、モテている、と自慢するかい?

「・・・・・・・。」

・・・・んじゃ、そゆことで♪



さて――――

我が妻も毎朝、棒の先に石のついたローラーを持って、顔面をコロコロしている。この話を訓練校ですると、近くにいた中年女性が集まってきた。みんな口々に「効く?利く?」と問うてくるのだが、先ほどから言っているように、買って与えたのは私だが、使っているのは妻だからよくわからない。しかし、そこはサービストークであろう。

はい、なんだか妻が若返ったような気がして・・・近くで見ると肌の肌理がわかるんですよね、これはやるのとやらないのではぜんぜん違うというか、男の私でもわかるくらいだから、これは相当効果があるんじゃないでしょうか?最近では妻と出かける回数も増えたような気がします、とテレビショッピングの視聴者の御意見「最近、奥様が美顔ローラーを使用し始めたという宇治市在住39歳男性・無職(※感想はあくまでも個人的なモノです)」のようにペラペラやった。結果、その場にいた半数の女性は帰り道にコンビニ、もしくはドラッグストアに足を伸ばしているはずだ。今から15分以内にお電話下さい。


ンで、問いたい。

若い、ってそんなにいいものか?


また、こんな夢想をしたことはないだろうか。

3流映画のネタみたいだが、頭と心がこのまま(実年齢のまま)で小学生に戻る―――とかだ(笑)。よく「人生やり直したい」という冗談を言う際、学生時代に戻れたら勉強するのになーのような無駄な後悔をして遊ぶことがあろう。東野圭吾はこれを「秘密」という小説に書いた。母親と娘の「中身だけ」が入れ替わる話だった。娘の中に入った母親は、果たせなかった夢を追い始めるわけだ。勉強にスポーツに恋愛にとずんずん暴走し始める。ま、そこは東野圭吾であるから、こんな素材でも泣かせて考えさせる話になっている。

つまり、だ。

ドラえもんでも民主党でも何でもいいが、ある日突然「若さをあげます!どうですか!みなさん!」と言われても、無条件でそれを受け入れることは現在の否定、自分の人生の消失、ある意味での「自殺」に近い感覚ともなる。「やり直す」ということは「現在までの全てを捨てる」ということであり、如何に辛い人生であれ、その中には「捨てがたいモノ」が溢れているはずだ。こんな魔法のような条件を提示されても、今の日本であれば年間に3万人と少ししか決意しないと思われる。とりあえず13年連続だ。

妻もよくそんな冗談を言うが、結局のところ「若さ」との引き換えに、奇跡的に出会った「家庭」というものを失うことになる、とわかれば「・・・・んじゃ、肌の若さだけでいい」などという勝手な豪華特典を盛り込む始末だ。夢のような我儘を訴えておいて「んじゃ」もヘチマもない(笑)。それにちょっと考えるなw

「若さ」とは可能性のことでもあるが、それは「新しいに近い」からだ。当然、そこから積み重ねることがなければ、若さなど未熟に過ぎん無用なモノだ。ウソかホントかどうかしらんが、この「30代半ば茶髪」のように、そこらの未成年女を孕ませて捨てるのが自慢、というのは、あまりにも未熟な「若さ」ではあるまいか。あの有名な軍人、シャア・アズナブル大佐も「認めたくないモノだな、若さゆえの過ちとは」と言っているではないか。また「若さ」とは「幼さ」というリスクも包含する。これにもシャア大佐は「ボウヤだからさ」と斬って捨てている。若者とは馬鹿者であると謙虚にならなくてはならん。

「若さ」とは、つまり、あとから来た客が喰うケーキを観て「いいなぁ」と言っているようなもので、それはもう「あんたはもう食べたでしょ?」というだけのことだ。それでも無理矢理に食べたら病気になるか太ることになる。いずれにしてもよろしくない結果だ。

彼の悪口ばかりで申し訳ないが(笑)、この「30代半ば茶髪」も頭頂部が禿げてきている。髪の毛の染料というのは頭皮によろしくないとも聞くが、後ろから見れば明らかに残念なことになりつつある。これが現実だ。また、食生活が疎かなんだろう、目はくぼんでいるし、肌の色は土気色だし、何となく元気がなくて、声は小さくて何言ってるか聞きとりにくいし、いつも疲れているし、施設にいる認知症の高齢者のほうが活発だったりする。

それに、だ。ちゃんと年齢を重ねることは素晴らしい。

だから人は若いころの失敗を「若気の至り」や「若輩者」という言葉で許されることになっている。単純に考えてみてもわかる。この「30代半ば茶髪」の話も逆で考えてみればいい。「30代半ば茶髪」の女性が「18歳の男の子2名から言い寄られて自慢している図」を想像すればわかりやすい。それは菩薩なだけだ(笑)。

「オレもよく校舎の窓ガラス壊して回ったなぁ・・・」

いつ?

「ん?昨日」

ならば器物損壊罪だ。その人は社会的不適合者である可能性が高い。

盗んだバイクで走りだしても許してもらえる「若さ」など、さっさとドブ川にでも捨て去ってしまうのがよろしい。それよりも自分のことは自分できちんと責任が取れる「大人」を目指すのが、正しい人生のベクトルである。男性諸君も筋力の衰えを嘆くでない。海老蔵じゃないんだから、侍ならばもっと他に磨くところがあろう。頭と心とか。

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