忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

忘憂之物 3

2013年06月29日 | 過去記事




「会社の慰安旅行」というモノに初めて行ったのは17歳の頃だった。アルバイトをしていた店はテナントだったからそこの商人会の旅行になる。本来は経営者である店長が参加すべきなのだが、その店長さんは社交性がアレだったので私に行くよう命じたのだった。

行った先は北海道だった。生まれて初めての飛行機にも喜んだ。書くのはちょっと憚られるが、宴会ではしこたま飲まされ、そのまま夜の街にまで繰り出し、結果的には「すすきの」に連れて行かれた。費用はすべて、肉屋の大将やら魚屋のおっさんが面倒みてくれた。ちゃんと「餓鬼を連れている」を自覚した立派な大人のオッサンだった。

デロンデロンに酔った私はどうやって旅館まで戻ったのか、どこでなにをしていたのか記憶もブラックアウトしていた(ホントはちょっぴり覚えている)。それでも朝飯をたらふく食べると、オッサンらは大層喜んでいたのを記憶している。

慰安旅行は良いモノだ、という認識が私に出来上がっていた。それから2年ほど過ぎた冬、私は別の会社に正社員として就職していた。そこでまた、慰安旅行に行くことになる。場所は同じく北海道だった。私は結婚したばかりで小遣いはなかったが、2度目の北海道が楽しみで仕方がなかった。

そのときは勤め先の店長も一緒だ。口髭がトレードマークの煩いオッサンだったが、仕事はできるという評価の職人気質だった。私はコレの直下の部下になる。

宴会が終わると「2次会」もあった。ホテル内のカラオケルームだ。そこには他社の偉い人もいる。少しだけ大人になった私は気を使いながらも、周囲の出来る大人に囲まれて楽しくやっていた。そこが御開きになり、さて、どうするのかとなった際、いちばん偉い人が「ラーメン」を言った。場所も場所だし、時間も時間だったからついて行った。髭の店長も一緒だった。

そこでラーメンを喰い解散となった。前回の北海道とは違い夜の街には行かなかったが、それでも私は喜んでいたのだった。自分の喰ったラーメンの支払いをしようと財布を出すと、髭の店長が「いいよ」と言った。たぶん、1000円くらいだった。

店で缶コーヒーも奢ってくれない髭だった。私は皮肉めいた「いいんですか?」を言ってから、大きな声で「御馳走になります」を加えた。見れば他社の人らの支払いも偉い人が払っていた。私は同じ年くらいの他社の人らと雑談しながら部屋に戻った。

部屋は髭と同じだった。私が部屋に戻ると、髭はテレビの前で座りながら煙草を吸っていた。私は髭に「もう一度、風呂に行ってきます」と告げてタオルやらを持った。すると、髭が「返せよ」と言ってくる。なんのことかと問うと「ラーメン代」。

「奢ってくれたんじゃ?」と言うと「なんで?」と真顔だ。いや、だって私も髭がラーメンを作ったわけでもないのに「御馳走さま」を言った。それにあの「いいよ」はなんだったのか、と反論する。そして、まさか偉い人が見てたからとか?と言うも、髭は答えずに「いいから返せよ」と言った。私は笑って金を払った。

露天風呂で他社の若い人らに言った。岩風呂には偉い人もいて話に加わり「それホント?信じられんなぁ」と笑っていた。髭をよく知る他社の人も「あの人はそういうことしますよね」と切り出し、自分の体験談も語り始めた。みんな酒も入っている。酷いモンだった。

浅薄な男だった。その軽率がどういう結果になるか想像もしない。すべてが「その場」だけで済むと本気で考えている。この髭は当時、30代半ばで子供も二人いたが、自分の店舗でアルバイトする16歳(当時)の高校生に手を出して離婚した。奥さんから私によく電話があった。「昨日も帰ってこなかった」などだ。私は都度、昨日は仕事で朝まで応援でした、とか嘘も吐いたが、いつも奥さんは泣いていた。「下の子供がまだ1歳なの」と泣いた。

その頃、そうえいばよく、酒を飲めない髭が「飲み会」を開催した。正直、仕事がきつかったから嬉しくはなかったが、それなりに考えれば「なるほど」だった。狙いはバイトだった。ただ、いきなり二人でどこかに、も不自然だったわけだ。馬鹿なりに頭を使ったつもりだった。

もちろん、そこでも私だけは金を取られる。アルバイトの女の子は髭が出したが、私には当然のように催促もしてきた。だから私は2度目に断った。本当に小遣いが厳しかった。すると、髭は上から目線の「出してやるから」だった。私は出してもらうのもイヤだったし、とくに行きたいわけでもなかったから、それでも断ったことがある。3人で行けばいいじゃないか、無理に私が行く必要もないし、と言った。

たぶん、髭は困った。そのとき初めて「頼むから」を言った。私が折れて参加すると、アルバイトの女の子は喜んでいた。私は妻子があったが彼女らと年齢も近い。職場も同じ。それにまだバンドもやっていた頃だ。2コ年下の女子高生からすれば、ヘンな意味じゃなくてもいろいろと興味もあったはずだ。だからどうしても私と話すことが多くなる。もしくは私が話しているのを、髭が待っている状態が続く。髭は飲めない酒が進んでいた。

ある日の夜、居酒屋からカラオケに行く。私はコレでもボーカリストだったから、彼女らからアレ歌ってコレ歌ってになる。テキトーに歌って遊んでいると、いきなり曲がブチ切られた。髭の生えた音痴だった。癇癪が爆発したのだ。そして真っ赤な顔で「おまえ、もう帰れ」を言った。さすがに驚いて「なんで?」となる。すると、髭は「(おまえがいると)(オレが)面白くないから」ということだった。頼んで連れてきて、身勝手に帰れを言う。なんとも阿呆なオッサンだと腹も立ったが、席を立ったのは「狙っている彼女」だった。

「あんたが面白くないんでしょ」の捨て台詞で、一緒にいたバイト女と部屋を出ていった。私は瞬間、嗚呼、もう手遅れだったか、と悟った。たぶん、既に手をつけていた。

なにかと困った髭だったが、あるとき、私がいつものように「面白トーク」で職場に爆笑の渦を巻き起こしていた。詳細は失念したが、その流れで「自宅が海中」みたいな冗談を言っていた。そこに髭が参加、ニヤニヤしながら私の近くに来ると「どこの海?」。

話の腰を折られた私は仕方なく、大阪湾から南に数キロ、とか面白くもない返答をした。すると髭は「それホンマ?」と止めない。「おまえ、泳いで家に帰るの?」「住民票は?」とか。それから「嘘は止めた方がいいぞ」となり、おまえは嘘つきだ、嘘を吐いているだけだ、とかやりだした。私は本気で、こいつ頭がおかしいのか、と思ったモノだ。

髭はムキになっていた。「どこで着替えているのか」など、それはもう、うっとうしいこと蝿の如しだった。私は素に戻って「冗談ですが、わかりませんか?」と言った。髭は餓鬼のように「ウソつき」を連呼するだけで、こちらの質問にはまったく答えないという戦法をとる。耳元まで寄って来て「ウソつき」を繰り返すから、さすがにその場を立ち去った。殴る直前だった。

しばらくすると、先ほどの「爆笑の渦」にいたレジのオバサンがやってきた。そして私にこっそり「よくやってるわ」と感心していた。要するに、あんな阿呆とよく仕事ができるよね、という意味だった。私もちょっと、そう思った。

それからまた、2年ほど過ぎると私は髭と同じ職位になっていた。もう会議か仕入れ先でしか会わない。髭は離婚していた。そしてそのアルバイトと付き合っている、というのは社内周知のことになっていた。そのくらいから会社の髭に対する評価が変わり始める。

髭の店舗の業績は最悪になっていた。ともかく人も続かない。聞くところによると、髭と一緒に数年もやったのは私だけだったらしく、その後何人かの新入社員は全滅していた。無理もない話だった。そしていつかの年末会議、社長が私に話を振った。髭の店舗は仮に「A店」とする。

「A店が大変だけど、どうしたモノだと思う?」

私はなんら躊躇いもなく、A店にはまだまだポテンシャルが残るということ、問題は人の扱いであるということ、自分の経験上、A店の人材管理は最悪のレベルにあり、とてもマトモに仕事ができる状態ではないと察する、店長一人で店がやれるわけもなく、その他大勢のスタッフの尽力が店とサービスを支えている、そのスタッフらの店への感情移入、社への帰属意識は先ず、店長の人柄や人格に影響される、いくら職人気質で仕事ができても、人を扱えない、具体的には離職率が高い、あるいは人的トラブルが多い、というのは店長の資質に問題があると見るべきで、これを放置すると店は死にます、みたいなことを述べた。自他共に認める「経験者」の生声だ。会議の場は凍りついたが、髭だけは沸騰して凍っていなかった。

髭はみっともなく、真っ赤な顔で支離滅裂をやったが社長が一喝した。

髭は店舗を外された。つまり、実質的な降格処分だった。それからなんと、私が店長を務める店舗に週何度かの頻度で配属、立場が逆転した。髭は私の店舗に来るのが「楽」だと言った。好き勝手やれるからだ。実際に「勝手に仕入れをする」などの越権もやった。

それだけではなく、昼間にいなくなることもあった。察した私が仕入れの途中、国道沿いのパチンコ屋を覗くといた。それから私と同じ年のパート女性を誘っていた。また、それからしばらくして入社した現在の私の妻にも、花や果物、アイスやお菓子を手渡して「ごはん行こう」とかやっていた。相談に来たのは私の同じ年のパート女性だった。「しつこく誘われるから仕事に来るのがイヤになる」と。私はもう、怒りよりも情けなかった。

髭本人に言った。本社に報告します、と告げた。髭はなんの余裕か知らないが、へらへらと人を小馬鹿にした態度で「マテや」みたいに笑っていた。私は改めて頭を下げ、一から仕事を教えてもらい有難うございました、とだけ言って本社に報告した。

髭は10代の半ばから会社にいるらしく、いまの社長にも高校生の頃から可愛がってもらっていた。つまり、クビにはならなかったが、本社近くの「目の届く」店舗で手伝いみたいな仕事をしていた。それからあとは知らない。

私がパチンコ屋で店長になった頃、前職の会社は潰れていた。本社ビルも無残なモノだった。ビルが建ったときは嬉しかったが、いまはもう廃墟みたいになっていた。風の噂だが、髭はA店近くの別の店で別の業種で働いているそうだ。元気にしていればいいが。






「小物」―――

いわゆる「小物」と言われる人物は「非常識」がわからない。そして目先の損得で大きく左右されて、その遠心力は中心にある細くて弱い「オノレの中の常識」を叩き折る。また客観性が乏しく、眼前にて指摘されないとオノレの愚にも気付かない。

そして往々にして「眼前で指摘」はされない。とくに赤の他人。どこのだれもトラブルになってまで矯正してくれない。そうして何年も周囲から放擲されて自己肥大を繰り返し、中年になる頃には手がつけられない阿呆になる。

髭はよくファミレスやラーメン屋で怒っていた、と思い出す。注文を聞きに来ない、料理提供が遅い、掃除ができていない、店員の態度が悪い、とキリがないみたいだった。「グラスが汚れていた」で若い店員に「店長呼べ」もやった。大して気にならない程度だ。

その若い店員が「私が店長です」と言うと、私や誰かが止めるまでねちねちやった。そして本気だか冗談だか、決め台詞に「今日、これタダにしてや」を言うから、一緒にいる人間が慌てて止めた。困惑する店長に「これ以上なら警察呼んだらいい」と笑顔で言って立ち去らせたこともある。一緒にメシを喰いに行くのがイヤだった。

比して、髭の店長時代、スーパーにクレームに来たお客さんには高圧的だった。もちろん、相手はお婆さんとかになる。真摯に謝罪して代金を返すか、商品を取り替えるかだけのことを、だから返せばいいんでしょ、とやるからお婆さんが激高したこともあった。髭は数分、相手の一方的な文句を聞き入れるだけの器量もなかった。

髭の捨て台詞は「訴えるなら訴えてもいいですけどね」だった。急いで部下だった私が走って謝罪したが、この相手が強面、浪速のオッサンなら話は別で、髭は「そこまでするか」というほど卑屈になった。ある意味、わかりやすい男だった。

「小物」は無理矢理に虚勢を張る。弱いから強く見せる擬態をとる。相手が弱い、あるいはこちらが強いと勝手に判断して、信じられないほどの浅薄、短絡を露呈する。そして矜持や信念から程遠い人格を形成しているから、その実、儚く脆いのも特徴だ。ストレスに耐久がなく、強く大きい(と勝手に判断した)モノから威圧されるとひとたまりもない。

善悪や道徳、常識や良識が基準ではなく、自分が優位かどうか、あるいは自分の賛同者が多いか少ないかで(勝手に)いろいろと判断している。だから裏返るととても弱い。

例えば、病院に「番号で呼ぶな」とクレームして医療費を支払わずに自慢するとか、そういう人物が社長や政治家になると顕著ではある。御冥福をお祈りする。





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