忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

忘憂之物 14

2013年08月17日 | 過去記事




中型スーパーで働いているとき、いつもヒマそうにしている商人さんの中に「寿司屋」があった。スーパー内のテナントだから「持ち帰り専門」。朝に握って棚に並べ、それを売りきる感じで一日が終わる。注文や配達がなければ、夕方には奥さんに店を任せてちょっと一杯、みたいなライフスタイルを羨ましく思ったモノだ。

しかし朝の4時頃、いつものように大阪まで仕入れに行く私が、トラックがある店の駐車場から寿司屋を見ると電気がついている日があった。節分だ。この日だけはオッサン、酒も飲まずに早朝から死ぬ思いで巻き寿司を巻きまくる。昼過ぎには注文していた客が殺到、パンク寸前の忙殺をみかねて誰かが手伝ったりもした。

もうひとり、いつもは夕方から銭湯に行き、風呂上がりに近くの大衆酒場でひっかけ、赤い顔して店に戻ってくるオッサンも忙しい。魚屋だ。こちらは寿司屋よりはマシだが、それでもイワシが阿呆ほど売れていた。肉屋さんの売り上げを凌駕するほどだ。

駐車場でゴルフの素ぶりをする鶏肉屋の大将を見ない日はクリスマス。鳥のもも肉の照り焼き、からあげ、オードブルセットと一家総出で戦争状態。この頃はまだ、イオンもない。地域の客が地元の商店に群がっていた。思えば良い時代だった。

こういう日を「紋日」という。元々は遊郭で使われた言葉で「物日」から転じている。江戸時代の遊女は五節句など、この日は絶対に客を取れ、とされる日があったわけだ。客もこの日はケチなことをせず、ちゃんと義理を立てて遊びに行き、揚げ代もはずんだ。

いまでも私の携帯電話が鳴り、来ないと思うけど万が一、もしかして気が向いたら来てね、とスナックのねーちゃんらから言われるのはクリスマス、それから(そのねーちゃんらの)誕生日などのイベントになる。また、私にまで電話してくるのは最後まで「客が拾えなかったとき」を意味する。だから可能な限りなんとか行ってあげたいのだが、いまはちょっと無理な生活のアレだったりもする。遠いし。

ま、ともかく、この「紋日」である。朝日新聞にもそれはあって、例えば毎年8月に入ると朝日新聞社は忙しくなり、6日9日とイベントが続き15日にピークとなる。これは結構に大変らしく、嘘ばっかりの特集記事も組まねばならないし、支那朝鮮の怒声を日本の読者にお届けしなければならない。気を許せば政権与党の政治家、それも総理大臣や閣僚が靖国神社に参拝するかもしれない。また、残った紙面をとにかく「日本は悪かった」「日本は悪の帝国だった」で埋める作業も伴う。それで特別、販売部数が伸びるわけでもないが、これをせねば朝日新聞は存在意義を失う。

そんな今年の大仕事のひとつが社説だ。タイトルは<戦後68年と近隣外交―内向き思考を抜け出そう>。冒頭、サザンの新曲を引き合いに<今の私たちに最も近いはずなのに見えにくい。そんな現代史を考えるために、1945年8月15日の「お隣」で何が起きていたかを振り返ろう>とか語り出す。そして<その日までの日本は、アジアで広大な領域とさまざまな民族を支配する帝国だった>とあっさりと断じてから、当時上海にいた堀田善衛をもってくる。そして終戦の詔勅、いわゆる玉音放送の感想として<怒りとも悲しみともなんともつかぬものに身がふるえた>と続けて朝日新聞も怒る。

<彼の周りには、日本と親しい中国の文化人が多くいた。ところが詔勅は、もっぱら日本本土向けで、アジアに対しては「諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」と片づけていた>

それだけかい、と言いたい。戦争を始めた当事者でもないアジアの人々、それも<さまざまな民族を支配する帝国>の親玉がそれしか言わんのかい、ということだ。そして<堀田はそんな宣言を「薄情」「エゴイズム」と感じた。(ちくま学芸文庫「上海にて」)>ということだが、その当時、何故に堀田が上海にいたのかというと、それは「国際文化振興会」の上海事務所に勤めていたからだった。つまり、好きで勝手にいた。そして敗戦後、堀田は国民党に徴用されている。引き揚げは1947年だ。その<日本と親しい中国の文化人>とやらは助けてくれなかった。それを「薄情」でも「エゴイズム」でもないと感じるなら、よほどの厚遇を受けていたのかと邪推することもできる。

それから日本の植民地支配ばっかり調べている御用学者を登場させる。

<日本の敗戦の過程に詳しい国文学研究資料館助教の加藤聖文さんは「当時の政府は国体(天皇制)護持という内向きの議論ばかりしていた。詔勅はその素(す)の気持ちが表れた」とみる>

これまたえげつない。その「素の気持ち」とは誰の気持ちのことなのか、問うてみるのが恐ろしいほどだ。要するに日本は敗戦直後から謝罪と賠償せよ、という意味だ。国体護持なんぞ知ったことかと。自業自得だろうが、という朝日新聞の「素の気持ち」である。その「素の気持ち」は抑え切れなくなり、次の文章に露呈される。

<その結果、当時は日本人だったはずの朝鮮人や台湾人の保護責任もあっさり放棄した。アジアを率いる指導者面しておいて突然、知らん顔をする。それが68年前の実相だった>

<指導者面しておいて>である。支那共産党の報道官みたいな言い回しだ。というか、日本は負けたのである。それも遠い戦地における結果にて敗戦を決意したのではなく、日本国内の各都市を焦土化され、数多の無辜の民を惨殺されて負けたのである。国際法も無視、あるいは都合良く捻じ曲げて無茶苦茶をする相手をして、これ以上やれば日本がなくなってしまう、相手は本気で日本民族を根絶やしにするつもりだ、と確信して負けたのである。

賠償金もごっそりやられた。日本を相手に戦っていない国までがたかってきた。それに「保護責任」を言うなら戦勝国に対してだろう。戦勝国からなる連合軍はその5年後、朝鮮半島で戦争までした。朝日新聞が最近よく使う定型文<安倍政権の歴史認識については、同盟相手の米政府も懸念している。侵略の史実を否定すれば、日本の歴史認識に対する国際世論の風当たりは強まる>も結構だが、なんでもかんでも「日本の責任」にするのも無理がある。また、その「責任」とやらにしても、日本は多額の賠償金、未来永劫続くかの如き謝罪外交、あまつさえ戦後、1000名以上の戦犯の処刑まで差し出している。つまり、朝日新聞は日本が滅びて支那共産党の属国になるまで許すつもりはない、ということだ。

しかしながら社説の最後、そこには朝日新聞の苛立ち、焦りがあった。

<昨年夏の朝日新聞の世論調査によると、「日中戦争は日本による侵略戦争だったと思いますか」との問いに日本では「そう思う」との答えが52%、「そう思わない」が31%。中国では99%が「そう思う」と答えた>
 
<この認識の溝は、あまりに深い。だが、そこが出発点だ。アジア抜きに日本の未来は語れない今の時代こそ、じっくり考えよう。「お隣」は今なおなぜ、怒り続けているのか、と>

「今の」日本人の99%が「侵略戦争してすいませんでした」と跪くことが目標なのだろうが、現実はそうはいかない。むしろ、この数字は「悪化」してくるはずだ。世間はとっくに<「お隣」は今なおなぜ、怒り続けているのか>に答えを出している。すなわち「阿呆じゃないの?ほっとけば」になっている。


ところで、この日の朝日新聞は他にも面白いのがある(買えばよかった)。特集記事の<「強盗、殺人…軍命でも私は実行犯」 罪語り、誓う不戦 兵の体験、次代に>だ。昨年2月に92歳で亡くなった矢野正美さんの話を載せている。矢野さんは7年前、神直子に自ら連絡を取り、自分はルソン島で酷いことをやった、と告白したという。

この神直子というのは朝日が<首都圏を中心に戦争体験者の証言記録に取り組んできた>と書く通り、NGOのブリッジ・フォー・ピース代表だ。世界平和のために日本を腐す、という団体である。最近もカンボジアのプノンペンで開催された「歴史的和解のための東アジア青年フォーラム」という怪しげな催しで<日本政府が真実を教えないならば、戦後世代の私たちが過去の世代の過ちを知らせなければなりません。過去の真実が皆の常識となるよう努力するつもりです>と左に巻いた優等生的発言をしておられる。もちろん、ソウルの日本大使館前の慰安婦デモにも参加している。神代表はフォーラムで言う。

<日本はさまざまな罪を犯しており、それに対して日本人があまりにも無知だということが根本的な原因。過去を直視し、事実を認めようとする真摯な日本人も少なくないという事実を伝えたい>

つまり、自分は無知ではなく賢い。そして<過去を直視し、事実を認めようとする真摯な日本人>なのだと言っている。これは「良心的」と呼ばれるアレな反日日本人ぜんぶ、同じことを言う。自分は認めて反省し、それを償う方途を模索している。だから「違う」と。

こういう舞い上がったど阿呆が「日本人代表」みたいな顔して外国で話す。日本政府に認めさせて謝らせ償い金を取ります、と約束してくる。相当な迷惑だが、こういうアレな人間の原動力ともなるのが、矢野さんのような「告白」でもある。

朝日新聞の特集記事に戻る。

<ルソン島のある村で、ゲリラ潜伏を調べていた時。教会から出て来た老女が怪しいと、上官が銃剣で突くよう命じた。「しょうがない。グスッと胸を突いたら血がばーっと出てね。空(くう)をつかんで、その人は倒れました」。別の村では、残っていた子連れの女性を襲った。>

まるで映画のワンシーンだが、当時のフィリピンには反日武装ゲリラの集団がふたつあった。ひとつは在比米軍、マッカーサーの下部組織ユサッフェ(USAFFE)で、もうひとつはフクバラハップだ。こちらはPKP、つまりフィリピン共産党のゲリラになる。どちらも日本軍に対して友好的であるはずがないとわかる。それらは小さなゲリラ部隊でもなく、最大27万人を誇る一大戦力だった。もちろん、食糧や武器も米軍が支給する。補給を断たれた日本軍は大苦戦になる、というか、撤退する。

比して親日武装勢力であるマカビリは5000名弱。最終的には日本軍と同じく、敵中に突進する他なかった。また、朝日は<米軍との激戦で日本軍約60万人中50万人が死に、矢野さんの部隊の生き残りはわずか1割。フィリピン人は100万人以上が犠牲になった>とさらりと書くが、日本軍の戦死、戦病死はルソン島、レイテ島、フィリピン南部、中央部のぜんぶ足して336352名だ。その3倍以上のフィリピン人が<犠牲になった>ならば、相当な数のユサッフェ、フクバラハップが殺されたことになる。まさか100万人全部が非武装の民間人で女子供、老人ばかりだった、というわけでもあるまいし、また、女子供、老人でもゲリラはやれると日本軍は支那で思い知っている。

そして矢野さんは言う。

<強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火。軍命であっても、私は実行犯。罪の意識はある。かといって(戦友の)慰霊には何回も行ったが、謝罪のすべを知りません>

他はともかく「強姦の軍命」である。日本軍の上層部が「地元民婦女子を強姦せしめよ」という命令を下したというのである。<私は実行犯。罪の意識はある>もよろしいが、それはもしかすると、ただの「犯人」ではなかろうか。それに日本軍が非武装のフィリピン民間人をして、殺人や強盗、放火や強姦して回るのにマカビリのフィリピン人は日本軍に協力し、最後は「玉砕」まで付き合ったというのか。親日だった、というだけでそこまで馬鹿にしてよいものか。

それに矢野さんは「戦場体験資料館」のインタビュー記事でも強姦にふれているが、このときは<日本軍が敗走に傾き、完全に山奥に入ってしまうまでのこの時期強姦が横行した。自分もやった。どうせ死ぬんだから何をやってもよいという様な気持ち、最後にもう一度良い思いをしたいという様な気持ちだった>(1945年1月9日 米軍上陸)と述べている。軍命など出て来ない。つまり、勝手にやった。


もちろん、強姦はあった。スパイというか、ゲリラの疑いで殺された現地人もいただろう。そしてカニバリズムもあったかもしれない。極限の飢餓状態、生存本能が理性を消してしまうこともあっただろう。それをすべて「戦争が悪い」とするなら賛同もできる。戦争がなければそういうことはなかった、は事実でもある。しかし、絶対的に「日本が悪かった」にはならない。せめて「自分が悪かった」にしかならない。

戦争がなければ矢野さんは強姦しなかった。日本兵の太ももを喰わなかった。たしかにそれは「戦争」が原因ではある。戦争がなければルソン島にも行かなかった。しかし、だ。忘れてはならないことは「そうじゃなかった日本兵」もたくさんいた、という事実だ。

つまり、現代の犯罪者の「動機」にもなる「思うようにならない人生に嫌気がさした」みたいなモノだ。これを左巻きは「社会が生んだ犯罪」とかやる。つまるところ「日本の政治が悪い」とか。違う。犯罪行為はどこまでいっても「個人的な問題」である。どんな境遇であれ、状況であれ、やらない人はやらないからだ。

それを戦争の所為、ましてや「軍命だった」と自らを免罪するような真似をしてはならないし、させてはならない。<罪の意識はある>も当然のことだし、一生背負っていくべき「個人の問題」である。その罪の重さに耐えられず、なんとか逃れたい、自分は悪くない、仕方なかったのだという悲鳴を、例えば神直子のような左巻きは見逃さない。

都合良く言質を取られ、その代わりに「あなたに責任はない」と勝手に許したまう。その瞬間だけは女神に見えるかもしれないが、靖国神社で眠っておられる戦友らは、その真っ赤な正体を見抜いておられるはずだ。矢野よ、貴様、それでいいのか、と嘆いているかもしれない。亡くなってもまだ、朝日新聞のネタにされることにも。




3 コメント

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Unknown (昨日のオヤジ)
2013-08-19 00:27:58
日本人特有の宿痾なのか、とさえ思ってしまう。「私たちが、自分の国の過去の過ちをただす」だのなんだの、何様かと言いたい。自分の家族の場合ならまだ理解も出来る。「身内が、大変酷い事を…」と被害者に詫びるなら解らんでも無い。しかし、かつて国の為に、ひいては日本人の為に戦ったであろう英霊をして「戦争犯罪」だの貶める品性が理解できない。そのうえ「自分が代わりに賠償します」、とはならない。「日本政府に賠償させましょう」と、要らん入れ知恵をして、事態をややこしくする。ここまでくると、立派な国辱罪ではないか?日本は、なんだかんだいっても優しい国であると思う。時にはそれが障害を生んでしまうが。
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Unknown (あきぼん)
2013-08-21 09:08:32
前から思っていました
「それでも日本が悪かった」という言葉を聞くたび
「お前の先祖は悪かったんちゃうの?」と・・・

「あなたのくだらん先祖と私の祖父の弟さんを一緒にしないで欲しい」と・・

私の祖父の弟さんは私達子孫の為に学徒出陣しました。
8月15日若江忠霊塔に合いに行って平和と感謝を伝えてきました。
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Unknown (久代千代太郎)
2013-08-22 11:28:53
>昨日のオヤジ さま

そうなんですね、連中、そんなに謝りたければまず、自分からやればいいんですが、ぜったいにそれはやらないんですね。

どころか、それで儲ける連中なんです。そこに「自分だけは良い人」みたいなアレが集まる、という構図ですな。よくできてるというか、なんというか・・・




>あきぼん どの

若江忠霊塔、我が実家の近く(徒歩1分)ですな。私も実家に寄った際には手を合わせてます。


さて、ぼちぼち京橋が呼んでますな。9月、なんとか行きたいですな。予定が決まれば連絡します。

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