忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

対馬日記⑦

2010年01月25日 | 過去記事
十一




「絶対ね、こっちの方が美味いですよ。でも、絶対に言わないで下さいよ?w」



と教えてもらった寿司屋に行く。農協から歩いてすぐだった。店に入ると、奥の座敷には既にお客さんがいるようだった。旦那さんと奥さん、それと娘さんの3人で切り盛りしているらしかった。とても忙しそうである。私は「ひや酒」と頼んだあと、気の良さそうな大将に「上対馬タクシーの森田さんが、比田勝港近くの店よりも、こちらが美味しくて安いと教えてくれたので来ました」と元気よく伝えた。これで、大将は更に気を良くして、何かと「盛りが増えたり」とかするだろう。「評判を聞いてきた客」を失望させまいと、獲れ立てぴちぴちの刺身などを惜しみもなく出してくるに違いない。私も必死なのである。この店が外れだったら、もう、他に店はない。リアルにない。それに、森田さん、都会の人間を信用してはならないのである。ふふふ・・・・のふ。




美味い。さすが「漁師が魚を喰いに来る店」である。半端ない。気前よく「お任せ!」と言った「刺身盛り」は、ちょっと値段が心配なほどだった。量もすごいが味も良い。イカってこんなに甘かったのか。それに、このトロ・・・また、今は「寒ブリ」が最強であった。アワビってば、こんなに人を幸せにする味だったわけだし、この赤身がまた、これ、とりあえず、酒を2合追加するけれども、私は殿様かと思った。甘えん坊将軍かと思った。



無論、この後も予定している。この竜宮城のような寿司屋に入ったのが17時半頃だ。この対馬の「夜の店」は、漁師さん相手だから閉まるのが早い、ということは開くのも早いのである。1時間ほど、ここでタイやヒラメの舞い踊りをして、こんな浦島太郎が差し出した「可愛いウミガメ」を虐めてくれる乙姫様を探しに出かける時間は十分にある。下ネタすまん。




しかし、しかし、である。飲み過ぎたのである。


15分で5合は飲んだ。私は1時間半ほどいただろうか。途中からゆっくり飲んだとはいえ、一升は軽く超えている。今、思えば、あの天ぷらが悪かった。いや、美味かったのだ。美味すぎたのである。それにカウンターの漁師さんと話したのも悪かった。この「韓国人大嫌い三人衆」の話が面白すぎた。もちろん、大将も次々に勧めてくるし、娘さんがまた、これ、愛嬌があるのである。隣のおっさんの鍋もつつきながら、もしや、私が在日だとバレたら「イカの餌にされる」のではないかというスリリングな話題の展開も、一層、酒の味を濃くするのである。それに、寒いから日本酒は最強なのである。肴も美味いし。居心地は良いし。



思わず、夜食に・・と思い「巻物」までテイクアウトしたのであった。支払いは7千円で釣りがきた。激安。激安王である。納得のお値打ち価格である。ありがとう森田さん。







かなり酔った状態で店を出た。真っ黒の山からは寂しげな声がする。満天の星空からも風の音は止まず、巻き上げ漁船のぎぃぎぃという波に揺れる音も無気味に響く。町の中を流れる細い川には、少ない街灯の光で照らされて、ちらちら光る鱗が見える。

私は道端、歩道と呼んでもよい部分に座り込んでいた。座って煙草に火をつけると「ホットコーヒー」が欲しくなったが、周囲を見渡しても自動販売機が見当たらないからあきらめた。そのままジャンバーの前のファスナーを顎まで上げて山を観ていた。




対馬に来て「ツシマヤマネコ」はみていないが「ツシマノラネコ」はたくさんみた。道に迷ったマグナムが、どこかの入り江の集落で道を尋ねているとき、近くにいたおばさんと「猫、多いですね」とか言っていたら、そのツシマノラネコに「正月用のブリ」を喰われたから腹が立ったという話を思い出して笑った。平和で、長閑だと思った。

マグロの養殖場も思い出した。餌は冷凍のサバだ。木箱ひとつが千円で、養殖マグロは一日でそれを平らげる。対馬の養殖マグロが30キロ程度で出荷されるのは、あくまでもコストパフォーマンスの問題であった。大きくなればマグロはもっとサバを喰う。それではとても利益が出ないのだという。魚に魚を喰わせて売るという仕事も大変なんだと思った。




ところで、私が「対馬の復興」のキーとなると勝手に思っているのは「ツシマテン」と呼ばれる食肉目イタチ科に属する哺乳類だ。対馬の「テン」は冬になると、頭の先だけが白くなり、まるで雪の帽子をかぶったようになる。目はくりっとしていて、女子供からすれば、いわゆる「可愛い」という評価が得られるのではないかと推察している。

この「ツシマテン」は、対馬で「ワタボシカブリ」と呼ばれており、地元の人々からも愛されているのだが、つい最近まで天然記念物に認定されていた「ツシマジカ」は、増えすぎて困っているという。杉の皮を剥いだり、角を研ぐために苗木に傷をつけたりするから、林業を営む人々に迷惑がられている。保護すると増えて困るし、人間が無茶すると減って大切にされるわけだ。人間の都合で振り回されて、さぞかしシカも迷惑だろう。





また、対馬には「アキマドホタル」という蛍がいる。これも「対馬のメジャー化」に一役買ってくれそうな可能性を秘めている。繁殖する時期もゲンジボタルやヘイケボタルなどのメジャー級からずれており、ちょうどよいのではないかと思われる。しかも、このホタル、雌は飛べないのである。ここが「売り」だ。



暗闇に光って中空を舞うホタルではなく、地面に広がって下から夜を照らすホタルだ。しかも、対馬全域で見られる。秋の観光シーズンのキャッチは「アキマドホタルの川が流れる対馬」とかどうか。ダメか。そうか。







「済州島がアジアのハワイとかやってますが、対馬のほうが見るとこ多いですやん」


「韓国嫌い三人衆」が大きく賛同してくれた。こんな歴史的にも文化的にも面白い対馬を「泳いで釣りするだけの島」としているのは「対馬観光協会」の怠慢ではないのかと言ってみると、そうたい!その通りたい!と言いながら酒を注いでくれた。



対馬に日本人観光客を呼ぶことは不可能ではない。となれば、現在の死ぬほど不便な交通事情も改善されることだろう。飛行機で30分、フェリーで6時間半(比田勝→博多)とか、なんとかならんのか。ジェットフォイルでも博多から厳原まで2時間半、ここはやはり、空でなんとかしたい。韓国人観光客が多いのは「手軽に行ける海外旅行」だからである。もちろん、その中には「対馬は韓国領土」という不届き者が絵を描いている節もある。



国内旅行なのに金も時間もかかる対馬。とくに離島だから遠く感じる。マジで不便だし。ならば、どうせ、金も時間もかけるなら外国に・・・というのも理解できるが、もうちょっと、何か付加価値をつければどうにかなるのではないだろうか。

関空からソウルに行くのは安い。時間もかからない。しかし、ソウルよりも近い対馬に行こうと思えば、先ず、博多まで行かねばならない。私も対馬に金を落とす前に、中洲でたくさん落とした(これは勝手だが)。でも、釜山から比田勝港までは数時間もかからない。だから韓国人旅行者は年間、対馬の島民よりも多い人数が来る。そして、自然は破壊されるのである。所詮は外国であり、しかも、日本であるからルールなど守ってたまるかという意思すら感じられた。もちろん、対馬市の経済も、そんな「金を落とさない旅行者」が何人来ようとも潤わないのは自明である。


そしてやはり「国境の島」なのである。軍事的にも重要な拠点であることは歴史が証明している。このまま過疎化が進み、対馬の日本人住民が博多まで逃げてくれば、この島は韓国人の住む島となる。雄大な自然も、希少な野生動物も、貴重な文化遺産も失われれば、ますます日本人は近寄らない島となる。そうなれば、日本人が住まない島を自衛隊が護るというのも変な話となる。いや、本来、軍隊は国体を護るわけだから、そこに領土があれば護るのは当然なのだが、今のこのおかしい日本で、その理屈が通るのかと思うに、若干の不安は消せないのである。そして、晴れて「住民」となった韓国人は、不動産も地方参政権も得て堂々と「自衛隊は出ていけ」とやるだろう。そして、それを防ぐ手段が日本にないというのも、彼らは既知である。養殖マグロが30キロで出荷されるが如く、対馬の山が雑木で埋まっているが如く、漁業も林業も待ったなしの状態である。観光業は言うまでもなく、地味でキツイ仕事を引きつかず、対馬の若者はどんどん博多に来る。博多から日本全国に四散する。対馬の人口は減少し続ける。


せめて、外国人の不動産購入には制限を設け、入国に際するチェックも強化し、自衛隊だけに島を任さず、政府が主導して「対馬の活性化」を急ぐ必要があると思う。自治体や島民になんとかせよ、というのは正論だがナンセンスだ。もう、対馬はそのレベルにない。









フラフラと歩くと、ホテルが見えた。2階部分のレストランは電気がついている。近づくとガラス窓の向こうに姉妹のひとりがみえた。軽く会釈して入ると、おかえりなさいと言ってくれた。部屋に戻ってシャワーも浴びずに寝た。夜食のトロ鉄火巻きはそのままだ。










十二




聞き慣れない鳥の鳴き声に起こされたのは、朝の6時頃だった。



対馬の北部には「オジロワシ」や「アカハラダカ」などの大型猛禽類がみられるというが、この季節にいるのは「オオワシ」だったりする。気持ち良さそうに、けー!とか鳴いている。窓からみると、普通に確認できた。けー!!とか鳴いている。




対馬には野鳥が多い。バードウォッチングも盛んである。ちなみに、対馬のホトトギスは「ホ―ホケキョ」でも「テッペンタケタカ」でもなく「オトトキタカ」と鳴く。理由は、ある盲目の兄弟がいて、兄が弟に「おまえは、オレの目が見えないからといって、ひとりで美味いモノ喰ってるだろ!」とからみ、弟が「そんなこたぁない!」と言い返して、自分の腹を裂いてみせる。兄の眼は開き、弟の腹にも粗末なものしか入っていなかったと知る。兄は後悔し、悲しみのあまり鳥になって空を飛び「オトトキタカ」と鳴きながら、弟を探しているのだという。私はなんとなく、この話が気に入った。




起きがけに鉄火巻きを食べたが、それでも朝食を喰いに行く。今日は比田勝港からフェリーで博多に戻る予定だから、少なくとも6時間半はなにも喰わない予定だ。ちなみに、フェリーには売店すらない。



フェリーは「げんかい」が15:05に出る。比田勝港からはこの一便だけだ。逃せば今日は帰れない。10時にチェックアウトするも、出港まで5時間ある。フロントで荷物を預かってもらい比田勝の街を散策する。ついでに昼飯でも喰うとする。





※こんなポスターで、あいつらがきくわきゃないのだ。





※ヤマダデンキはある!




※民団もある!




※パチ屋もある!




※漫画置いたら窓だったのね!!




※でも、オムライスうまー!





んで、




出港までは2時間弱。比田勝港内のレストランでコーヒーを飲む。アイスコーヒーを頼むも、季節限定ですとか言われてビビった。冷たいコーヒーくらいは、いつでも出せるようにしてほしいところだが、文句を言っても他に店がないのであきらめてホットを飲む。そろそろ周囲に韓国語が聞こえ出すが、気にせず、本を読むことにする。重いし荷物になるのだが、十数冊持って行って、こちらで数冊は購入したから読む本はまだあるから助かる。


比田勝港内にある唯一の売店がようやく開いたので、スーツケースを椅子の前に置いたまま、バッグだけ持って土産物を物色していたら、韓国人数名のグループがスーツケースを取り囲んだので、そばにあったゴミ箱を蹴って音を出すと散った。カラスみたいな連中だ。私が読みかけの本を置いて、その上からタオルをかぶせていたので、何かあるように思ったのだろう。溜息が出た。


やっとフェリーが出る。乗客は私と二人組のサラリーマンと、先ほどの韓国人グループだ。おそらく、二人の年配者が日本人だった。あとは日本語を話していなかった。全員が土木作業員のような服装をしていたが、靴がスニーカーだった。手荷物もない。不思議な集団である。博多で降りたが、タクシー乗り場には来ず、フェリー乗り場で車を待っていたと思われる。時間は21時半を回ったところだった。普通に考えれば、今日はどこかに泊って明日の朝から仕事なのだろうが、通訳が必要な状態で現場仕事などできるのだろうか。



また、船内には張り紙があって「荷物から離れる場合は置き引きなどに十分注意してください」と書いてあった。しかし、あれほど、どこでもハングル表記なのに、この注意文には関しては日本語表記だけであった。私はガラガラの客室の窓際に陣取り、スーツケースを壁にして毛布をかぶり、バッグと現金の入ったジャンバーを枕にしてぐーすか寝たが、そういえば、客室には2か所の出入り口があって、片方はトイレや乗員がいる窓口がある通路から甲板に出ることができ、もうひとつは、強風でも閉まらないような「重いドア」の出入り口があるのだが、しかし、船内放送でも「航海中はトイレ側通路をご利用ください」と言っていたし、張り紙もしてある。こちらはちゃんとハングル表記もあった。



客室内は禁煙だから、煙草を吸うには甲板に出ねばならない。私も何度か甲板に出るのだが、もちろん、トイレ側の通路から回って出る。その「重いドア」は、閉まるのに時間がかかり寒風が入り込むし、閉まる際には結構な衝撃と音がするのである。航海時間は6時間を超えるから、私でなくとも仮眠をとって過ごす人も多かろうと思う。いわば、そういう人に配慮してくださいという、普通の日本人ならば、言われなくともそうするだろうというマナーの範疇、どこの国籍の人間であろうが、他人のことを考える常識人ならば、当たり前にそうするレベルの話でもある。



が、しかし、何度も何度も『彼ら』はする。「自分が甲板に出るのが近い」という理由だけで、他の人が寝ていようが寒かろうが関係ない。二名の日本人と思しきサラリーマンと私だけは、必ず、トイレ側通路に回り込んで甲板に出ているのだが、「彼ら」はそれに気付かないのか、もしくはわざとなのか、全員がその「重いドア」を開閉して出入りするわけだ。そのたびに、目は開けないが、頭の中だけで目覚めることになる。いずれ、あのドアは航海中に施錠されることになるかもしれない。




そして、これがまた、一度気になり始めると、なかなか気になるもので、テレビの音なども、耳が悪いのか阿呆ほどでかいと思った。また、ビールを飲んでちょっと騒ぐのも忌々しい。どうせならば甲板で盛り上がって、そのまま海に飛び込めば景気も良いのだが、彼らは他のお客さんもいる客室で騒ぐのである。「騒ぎたいから寒いのは我慢する」か「寒いのはイヤだから騒ぐのを我慢する」という選択はしないようだ。だから嫌われるのである。



でも、私は結構、彼らとは離れた場所にいて、少々うるさくとも気にせず眠れるのだが、2人のサラリーマンはジャンパーを着たまま、可哀そうに、ちょっと呆然としながら座っていた。また、騒いでいるのは3名ほどであるのだが、薄気味悪かったのは、私が通る際、必ずと言ってよいほど「目で確認される」ことであった。眠っている者も騒いでいる者も、私が通路を歩くと、必ず、眠りながら、あるいは騒ぎながらも、笑ってない目をちらりと運ぶ。



これは私の主観であるも、その視線は悪意ではなく、あくまでも警戒心からの確認なのであると納得した。はっきり書けば、例えば、私が入管の人間とかだった場合だ。外国人不正就労等、何らかの確認のために私がフェリーに同乗して、博多港に着けばぐるりと囲まれるかもしれないと警戒したのではないだろうか。自然に振舞っていても、何か違和感があったのはその所為ではなかろうか。また、何度も私がいる方向の「重いドア」から出入りしたのも、なにか私の様子を見たかったのではないかと思えば辻褄も合う。私が甲板で煙草を吸っていたときも、何気にガラス窓に視線をやると、起きていた3名の3名ともが、ガラス越しに私をみていたときはぞっとしたが、それもそう考えれば、なるほどである。





ともかく、フェリーは無事に着きそうだ。もう、遠くに博多の街の灯が見え始めている。




昭和20年10月14日、私と同じく対馬から福岡に向かって出港した客船「珠丸」は、壱岐島周辺沖で触雷して沈没した。乗っていたのは朝鮮半島から引き上げてきた日本人である。「珠丸」は、この「げんかい」のように、私を含めた十数名が乗っていたのではなく、大陸からの復員兵や引揚者などが千名以上乗り込んでいた。この方々は、本土を目前として冷たく深い、暗くて重い海の中に沈んだのである。私は眼前の真っ黒な海をみながら、無事に博多港の土が踏めそうなことに安堵しつつも、なぜに自分は生きているのか、なぜに私は今日、死ななかったのかと考えざるを得なかった。



人の生にも死にも意味などなく、ただの偶然に過ぎぬのならば、それこそが、あまりにも過酷な運命なのではないかと思う。意味のある生も、意味のない死も、豊かさや貧しさ、それこそ戦争と平和も『単なる偶然』と片付けてしまえる化け物の存在は、己の無力と矮小さを自認することもできた。しかし、その実、その化け物には何ら関係ない話でもあるのだ。人がどう生きようが、どう死のうが、化け物は何もしないし、何も感じない。




私は、スナック「アケミ」で会った御夫婦を思い出していた。とくに74歳ながら「テクノアドバイザー」などという、ハイカラな横書きの職業である老紳士の言葉を思い出していた。エネルギー効率の話だ。より効率的にエネルギーを蓄積して、それを効果的に爆発させる。そのためには「堂々と恥をかける準備」をせねばならない。そして、いくら大爆発をしても、先ほどの怪物には何ら関係もないと思えば、気も楽になる。どうせ何も感じないのだ。大きい小さいでもなく、種類でもなく、場所でもなく、そもそも関係ないのだ。



同時に「和多都美神社」での出来事も頭をよぎった。あの時、私が感じたのは「恥ずかしい」であった。それは頭ではなく、心で感じる羞恥であったと思う。嬉しくも悲しくもない私の目から涙が溢れたのは「それでも生きている恥」からだったのだろか。あの居並ぶ巨木と比して、広い意味では同じ生命体であるはずの私が、どれほど未熟で弱く、どれほどつまらなくて無意味な生命なのかと恥じたのだろうか。



たかだか生まれて40年も経たない生命体である私が、どうせ100年も生存しないだろう私ごときが、何かを知ろうとしたり、何かをやろうとすること自体がおこがましく、身の丈を知らぬ恥知らずであるかのような、そんな真理が聳え立ち、私の心は跪いたのだろうか。







ならば―――――





ならば、これほどの効率的なエネルギーの蓄積があろうか。



「生きていくこと自体が恥」ならば、私の中の不純物は消え去り、純度の高いエネルギーが溜まるスペースができたのである。あとは日々、ちゃんと生きていけばよいのだ。



与えられた命を、与えられた環境で燃焼させて朽ちればよいのである。そして、私は人のためにそれをすることこそが、最も効率のよいエネルギーの消費方法だと思う。もちろん、いちばんは妻だが(笑)、つまるところ「自分以外のこと」をより多く考えること。できれば、顔も名も知らぬ人のためであれば、その生産性は上がるということ。もっといえば、現世に存在しない人のために・・・例えば、先人と後進を繋ぐことができれば・・・



もしかすると、その化け物に一矢報いることが出来るかもしれない。










十三



対馬の語源は、日本から新羅へ渡る際に停泊地として立ち寄る島「津島」だとか、朝鮮半島の「馬韓」に相対する位置にあるから「対」馬だともいわれている。また、対馬と博多港の間にある「壱岐島」が平坦な地形で耕地に恵まれているにもかかわらず、対馬の90%は標高2~300メートルの山地ばかりである。「魏志倭人伝」でも「居る所絶島、方四百里ばかり。土地は山険しく、深林多く、道路は禽獣の径(みち)のごとし。千余戸あり。良田なく、海物を食して自活し、船に乗りて南北に市糴(してき)す(商売する)」とボロクソだ。



しかし、その悪口を書かれた3世紀からも、対馬はいろんなことがあったが、あまり変わっていない。琴の大イチョウのように、いろいろあったけれども、まだ、そこにあるモノも多い。相変わらず不便で、山ばっかりであるが、その代わり貴重な、まるで古文書のような島となった。











んで――――



「オトトキタカ」になった兄は、弟がなぜ腹を裂いたのかわかったのだろうか。なぜ、見えなかった目が見えるように「なってしまった」のか、わかったのだろうか。絶望的に悲しいまま、後悔しながら謝る相手を探し続ける苦悩ながら、生命が息吹く春に「オトトキタカ」と鳴かねばならない運命をどのように受け止めたのだろう。




私は、あれからずっと、このことを考えてもいる。










9 コメント

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Unknown ()
2010-01-25 06:06:56
良い方達に出会われて素敵な御旅行でしたね♪
ん~、ただ何だか解らないモヤッとしたものが心の中に...
目ぼしい産業も無く、過疎化も進んでいるのですね
で、お金を落とすのは韓国人の方が遥かに多いと...
あーやっぱり今のままでは駄目なんですよね。
一人一人が【国】の大切さとか【日本】に生まれ育った事がどんなに幸せで恵まれた事なのかを今一度再認識しなければいけないのですね。
しかし、古来から命懸けで大切に守ってきた国の要所なのに困った事ですね
何だか、とりとめ無い書き込みになってしまいましたが、私の中の雪空の様なモヤモヤはしばらく続きそうです。

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今まで (鷹侍)
2010-01-25 19:08:47
の日記の中で今回の綴りが一番好き。


プレイボーイや週刊ポストに著名人のエッセイや連載を見掛けるが、そこに千代さんの文面を見たい。


マジックで記したパンフレットを届けに来たマグナム氏やスナックでの老紳士の云わんとした事柄、


言い伝えのある数々の神社や観る者の心を奪う自然や機能を失いながらも現代の日本人に戒めを伝えるかの如く形成したツタの意志。

そこに「日本」が詰まっている気がしてならない。


そんな事を共感できる貴殿の様な「日本人」が増えることを定食屋の姉ちゃんの胸のふくらみを眺めながら強く願う。


Eカップか…?


いや、小生も見える「モノ」を鵜呑みにしてはならない事はあなたと同じ僅か四十年足らずの経験で学んでいる。


やはり「質」なのであろう。


その事を再確認する為にも釣られて真似して、ひとりで対馬に向かいたい衝動に駆られた。
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働き蜂のこと ()
2010-01-26 08:34:11
私も、著名人のエッセイを読んでいるかのように引き込まれてしまいました。

……
ニホンミツバチがスズメバチよりも熱に強いとは言え、
「耐えられる温度の差」は確かわずか2℃。
中には、熱に耐えきれずに死ぬ個体も数多くいます。

蜂球をつくる働き蜂と、その巣で生まれる新しい女王蜂は、姉妹の関係にあります。
父母の遺伝子の両方を共有している「姉妹」という関係は、
遺伝子を半分だけしか共有していない「親子」関係よりも、
実は血の繋がりが濃いのです。

「働き蜂は子を成さずに死ぬ運命にある」ということは、
一見彼女らを悲しい存在のように見せています。

しかし、親子よりも濃い血を分けた姉妹である、
「新しい女王蜂の命を守ること」が
彼女たちにとって子をなすよりも、
そして死をいとわないほどに重要であるということの、
あまりの合理性には本当に驚かされます。


働き蜂たちの使命、「働く」…つまり
「傍を楽にする」ということの意味を考えさせられました。

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蛇足・血の繋がりについて ()
2010-01-26 08:48:33
「親子よりも姉妹の方が血の繋がりが濃い」について、
説明を加えさせていただいてよかですか?

前提:遺伝子は常に2本で1セットです。

例えば、両親の遺伝子型(遺伝子の組み合わせ・タイプ)が

父 AA
母 BB

とすると、子は父と母から遺伝子をひとつずつもらうので

子の遺伝子型は、全員

AB

ということになります。


父と子を比較すると
父 AA 子 AB で、50%が同じ遺伝子型です。

母と子も同様に
母 BB 子 AB で、50%が同じ遺伝子型です。

それに対して、姉妹は
子 AB 子 AB となるため、100%同じ遺伝子型です。

ですから、「親子よりも姉妹の方が血の繋がりが濃い」と言えます。

※この話は、わかりやすくするために
かなりアバウトに説明しています。


……本論からそれたコメントを2本も投稿してゴメンナサイ。
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Unknown (久代千代太郎)
2010-01-26 18:01:20
>な さん


対馬の過疎化は想像以上ですね。確か2005年では4万人以上だったと思いますが、これ、2010年で3万人弱ではないでしょうか。5年で1万人は、もう、なんかあったとしか思えません。


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Unknown (久代千代太郎)
2010-01-26 18:03:22
>ひろっちゃん


上手いとかより「好き」がうれしいね。さすがです。

でも、私はEカップよりもワンカップが好き。
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Unknown (久代千代太郎)
2010-01-26 18:08:03
>し様


とりあえず、そのコメント、メモ帳に貼りましたww「いきもの」って面白い!と38になって気付いた今日この頃、なんとも・・・


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対馬の若い方達の気持ちも分かるだけに ()
2010-01-27 03:33:12
わずか5年間で人口の1/4が流出ですか!?
ちょっとコワイですね。
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Unknown (久代千代太郎)
2010-01-28 10:23:24
>な さん


ですねー


やっぱり、対馬に「あるもの」を活かして、なんとかするしかないんですよね。北海道の動物園のように、話題になるとかね。やっぱ、マスコミが喰いつくこともせねばならないでしょうね。でも、対馬には自然しかないわけですから、おのずと力の入れる方向は限られてくるかと。

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