忘憂之物

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【民主党代表選】起訴議決なら「堂々と受け、潔白を主張する」と小沢氏

2010年09月06日 | 過去記事
【民主党代表選】起訴議決なら「堂々と受け、潔白を主張する」と小沢氏

<民主党の小沢一郎前幹事長は3日午前、テレビ朝日の番組に出演し、自身の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件で、検察審査会が起訴すべきだと議決した場合の対応について「堂々と受けて自分の潔白を主張したい」と述べた>







新渡戸稲造の「武士道」に、

『道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬する目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり。人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』

という言葉が紹介されている。「西郷南洲遺訓」だ。この言葉を漢字4文字で表すと「敬天愛人」となる。新渡戸稲造は東北南部藩出身で官軍と戦っているが、その後に「武士道」を書くとき、新渡戸稲造が理想とした武士象は徳川幕府の武士ではなく、西郷隆盛がイメージされていたのだろう。ちなみに「武士道」には「薩摩琵琶」も紹介されている。「君が代」は元気がないから、もっと元気の出る歌にした方がいい、と稚拙なことを言う何処かの国の恥ずかしい総理は、この部分だけでいいから100回読んだ方がいい。

西郷隆盛は敵方にも畏敬の念を持たれることが多かった。徳川幕府の人間からも尊敬されていた。この「西郷南洲遺訓」も西郷が書いたのでもなければ、鹿児島の西郷ファンが書き残したモノでもない。これを書いたのは山形の庄内藩の人々である。戊辰戦争で薩摩軍と戦った「敵の主力」であり、実に最後まで薩摩軍を苦しめた。庄内藩は、西郷が「対幕府撹乱戦」で使用していた江戸薩摩屋敷をも焼き打ちしている。そして鶴岡城が落城した際には報復と厳罰を覚悟した。うわぁ西郷どん、怒ってるよ、とビビっていたのだ。

しかし、西郷隆盛は「幕府のために立派に戦った」と評して、官軍代表の薩摩藩、黒田清隆が庄内藩主の酒井忠篤に面会する際、16歳の酒井を上座に据えて帯刀を許している。まさに西郷隆盛は「敬天愛人」を口だけでなく、実際の行いの中で遣り抜いたから、多くの支持者が現在にもいる。現在の日本における民主党代表選にて「これは西南戦争だ!小沢を倒す!」という馬鹿まで出現しているが、相手の官軍ならぬ「管軍」も、恥ずかしげもなく「奇兵隊内閣」とか抜かしながら、高杉晋作が祀られている靖国神社には行かないんだと胸を張る。小沢派に「小沢さんは西郷隆盛だ!」と言う人がいれば、南洲神社くらい行っておくことをお勧めする。上野公園ではダメだ(笑)。

また、民主党の代表争いに幕末の志士を出すなら、この「敬天愛人」の意味も変わってくる。「天」とは支那の概念でもあるから、つまり、民主党の敬天愛人とは「天(支那共産党)を敬い、愛人を作れ」程度の意味と堕す。西郷ファンは怒るべき。昨今の明治維新ブームまで民主党に利用されたらたまらない。いい加減にすべき、である。

西南戦争を戦うことになってしまった西郷隆盛は、「逆賊」「国賊」として長らく断罪されていた。後に国民的英雄とされ免罪されているが、民主党のなんちゃって西郷どんは「天皇陛下の政治利用をした」という国賊の汚名は晴らせていない。

他にも天皇陛下と習金平副主席の「特例」の「御引見」(※御会見とは外国の国家元首、王族と会われることを言う。習氏は副主席であるから御引見となる)を「(支那共産党の)将来リーダーになられる可能性の高い方だ。もっとお喜びの中で御迎えすべきだ」と言ったのは当時の総理大臣のあの子である。己が平野官房長官(当時)を通して宮内庁に指示しておいて、羽毛田宮内庁長官が難色を示すと、総理大臣として不快感を表明したのであった。小沢に至っては「辞任しろ」とまで言い放った。たかが一政党の一幹事長ごときが、である。

支那共産党の勢力争いに日本の総理大臣が協力する、もっといえば胡錦濤の権力維持に日本の政権与党が「天皇陛下を利用して」協力したのである。まさに前代未聞、日本には頭のおかしい人間がトップにいるのだと世界中に宣伝した瞬間だった。新華社通信は「鳩山首相は中国のために天皇の慣例を破った」と勝ち誇って大いに喧伝した。当然である。

小沢にくっついて支那詣でをして、胡錦濤国家主席様と握手会&撮影会して喜んでいるチルドレンどもは、己らのその軽率な行為が「陛下との(会見)とバーター」にされていたとなれば、いったい、どのようにして責任を取るのか。それとも民主党の議員らしく「法的には決まってない」とか「そうともいえない」などとして日本国民を欺き続けるのか。まったく、このボンクラどもは恥を知れ、恥を。

また、その当時の内閣にいた連中も同じレベルであった。

長妻は「政治利用ではなく、適切な判断だ」と不適切な発言をしたし、前原も「(自民党の)元総裁から要請が官邸にあったとも聞いた」と、なんとも、ここに政局を持ち込んだ。もちろん、仙谷などは「政治利用とうんぬんすることが政治利用だ。マスコミにもしてほしくない」と「ど左翼」らしく理屈をこねくり回しておかしくした。国民新党の亀井も「次の主席にお会いするのは当たり前」だとまで言った。今更ながら、阿呆ばかりである。

会見を終えられた陛下は「両国の理解と友好関係が一層増進されることを希望します」とのお言葉を出され、四川大地震の被災者を気遣われた。阿呆の臣下どもの理不尽な要求にお応えになられ、しっかりと務めを果たされた陛下には改めて頭が下がる。

また、小沢は宮内庁から不快感が表されると「天皇の国事行為は内閣の助言と承認で行われる」と強弁し、記者会見では「法律読んだことあるのか?」と記者に詰め寄った。残念ながら「阿呆か、お前こそ、法律読んだことあるのか?」と言い返す記者はおらず、国事行為と公的行為の区別もつかぬ元幹事長は威張ったままとなった。さらには「国民が選んだ政府、内閣が責任を負うということであるから、内閣が判断したことについて天皇がその意を受けて行動することは当然」と言い切り、最後には「天皇陛下にお伺いすれば、喜んでやってくださるもの、と思っている」と付け加えて正当化した。

そら、天皇陛下に対してもこうなんだから、検察審査委員会など屁みたいなものだ。だから、不起訴だった、無実が証明された、素人が判断するのはおかしい、とやるわけだ。公開討論での揮毫にて管直人は「初心を貫く」の「初」という漢字を間違えたらしいが、漢字の間違いなど叩いても仕方がない。そもそも「初志貫徹と書けばいいのに」というのもどうでもいいが、小沢はこれを「真っ白」だとして白紙で出した。自分は「潔白だ」とでも言いたかったのかもしれないが、常識的な解釈では「不起訴」というのは無実ではなく「嫌疑不十分」なだけだと民主党議員以外の人は知っている。

検察の判断がそれほど有罪無罪を決定できるならば、裁判所はいらない。検察が「不起訴」にしたから無罪というなら、JR西日本も許してやらねばならない。アレも素人の集まりである検察審査会が下した判断ではないか。明石の歩道橋事故も警備に関する不手際など存在し得ない。アレも「素人判断」で再度、起訴されたからだ。平成15年には自民党にいた坂井隆憲元衆議院議員も政治資金規正法違反で逮捕され、東京地裁で2年を超える実刑判決を出されている。ここにも書いたと思うが、政治資金規正法という法律は、単なる形式犯では決してない。小沢はよくもまあ、「事務所費も公開している。何ら不正なことはない」と言えるものだ。国民を馬鹿にしている。有権者を無知だと断じているのである。

規正法違反がもう不正なのである。量刑も軽くない。平成6年、政党助成法制定に伴い、政治家が収支報告書に虚偽記載した場合は「5年以下の懲役、または100万円以下の罰金」とされている。不正の温床になる可能性があるから厳しくされたのである。形式犯で5年も喰らうわけない。民主党がこの政治資金規正法違反というものを、日本国民に「忘れていただけ」「間違えただけ」「うっかりミス」だというイメージを植え付けたいところ申し訳ないが、ならばいま、マスコミのメシの種になっている「押尾事件」も「放っていただけ」だと擁護してみろ。保護責任者遺棄罪の量刑は「懲役3年以上5年以下」である。

小沢の秘書、現役の国会議員も含めた秘書3名は「小沢の政治資金管理」において逮捕、起訴された。これは普通、代表選から総理大臣どころか、政治家としてどうか問われねばならない「資格」の問題である。検察は西松の違法献金で小沢の第一秘書を起訴した際、政治資金規正法の主旨を「議会制民主主義の根幹をなす部分」だと説明した。まさにその通り、その通りだから量刑も軽くない。管直人はその「資質」が疑われているが、小沢は「資格」が問われているのだ。

どうせ、小沢が負けるんだろうが、管直人は相当に馬鹿で、東京の街頭演説にて「12月の予算を見てくれ」と言ってしまった。マスコミは全力でスルーしているようだが、これを勝手に「(自分にやらせてくれるなら)12月の予算編成を評価してくれ」と受け止めるにはプロレスが過ぎる。管直人支持の蓮舫も「政治とカネの話はもうやめたほうが・・・」と心配した。つまり「勝つんだから言い過ぎるな」ということだ。まさにプロレス、若手レスラーが先輩レスラーに勝つという「ブック」でよく言われることだ。「勝つんだから、やり過ぎるな、恰好つけ過ぎるな」という警句である。まったくバカバカしい限りだ。

小沢優勢はネットだけだ。その理由は「面白いから」である。小沢首相などあり得ないからである。下野した西郷隆盛が鹿児島で悠々自適の隠退生活を楽しんでいたように、小沢も早く八丈島で釣りでもして暮らしたいのかもしれない。これを無理矢理、西郷どんに重ねると、これまた「偽物」の桐野利秋や村田新八が浮かんでくる。私学校派が海軍の火薬庫を爆破したとき、西郷隆盛は「しまった!」と悔やんだというが、これで西郷どんは動かざるを得なくなった。士族最後のカリスマは、渋々、嫌々ながら立ったのである。管直人の支持議員は「西南戦争だ!」と人前で大きい声出しているが、恥ずかしくないのだろうか。どこかに「マンガでわかる明治維新」とかないのだろうか。イイ大人なんだから、人前で発言する際は、ちゃんと調べるなり勉強するなりしてからしゃべった方がいい。

ともあれ、この西南戦争に勝った明治政府は権力の基盤を強固にした。その後「政府主導」で中央集権型の近代日本をつくった。この時も財政が問題となり、租税制度を改革したから農民から反対運動も起こった。しかし、そもそもが西南戦争とは特権を奪われた士族(武士)が原因となった戦争である。明治政府は武士の身分的特権を奪い(四民平等)、戦える特権を奪った(国民皆徴兵)。その武士の魂である「刀」も取り上げたが(廃刀令)、強烈だったのは「秩禄処分」だ。これは武士の経済的基盤を揺るがせた。それまで武士には「家禄」と「賞典禄」という秩禄が支払われていた。この秩禄が政府歳出の三分の一を占めており、国家財政を圧迫していたわけだ。

明治政府は先ず、これを撤廃させた。この「なんちゃって西南戦争・民主党内バージョン」の「小沢を倒して管政権の基盤を強固にする」という民主党のプロレスは、ここも大きく違うのである。当時の農民は武士が喰えぬほどの歳費削減ながらも決起した。「徳川幕府よりもきついじゃないか!」と怒ったわけだ。これも喰えなかったからだが、この平成の「なんちゃって西南戦争」はもっと悪質で、まず、士族も華族もは特権を奪われていない。四民平等ではなく、一般の国民からだけ増税してやり過ごそうとしている。公務員の給与削減はどうしたのか。先ず、政治家が身を削って血を流し、返す刀で公務員も斬って返り血を浴びると言っていたのではなかったか。

党内の派閥争いに負けて消えていくお前らのことなど知るか。日本国民には全く関係がない。貴様らごときの薄汚い権力争いに、日本の国民的英雄や近代日本を創り上げた戦争の名を出してくれるな。汚らわしい。もっと他にあるだろ、西遊記とか。三国志とか。お前らのレベルを考えろ、レベルを。

西南戦争とか畏れ多いことを言わず、お前らはもう、小沢を三蔵法師にして西遊記をやれ。観世音菩薩は鳩山幸でいいだろう。キンカク・ギンカクは安倍さんと麻生さんにやってもらえ。孫悟空は鳩山、沙悟浄は管直人、猪八戒は・・森永卓郎(笑)だ。小沢にはめられた「金箍児(悟空の頭の輪っか)」は、小沢が唱える金箍教によって絞まり、悶絶する痛みを鳩山悟空に与えるわけだ。そして、みんなで胡錦濤の待つ天竺に行って帰ってくるな。

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