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来韓中のスー・チー氏 日本の歴史認識に苦言

2013年02月03日 | 過去記事


来韓中のスー・チー氏 日本の歴史認識に苦言

<【ソウル聯合ニュース】ミャンマーの民主化運動指導者で最大野党を率いるアウン・サン・スー・チーさんが、日本の歴史認識に関連して「誰でも過ちを犯すことはあるが、過ちを認めることをためらうことこそ本当の過ち」と述べた。
 1日、ソウル市内の金大中図書館で仁川市の宋永吉(ソン・ヨンギル)市長と会談した席で発言した。宋市長が「ドイツとは違い、日本は慰安婦問題などを認めていない。関心を持ってほしい」と述べたのに対し、「過ちを正そうとする姿勢が重要」などと強調した。
 またスー・チーさんは「日本の帝国主義に立ち向かった父は『日本人個人を恨んではいけない。誰にでも長所・短所があるため短所ばかりをみて恨んではいけない』と言っていた」と話した。
 朝鮮半島が分断されている現実に言及した宋市長の言葉に、「違いを認めながら同時に(統合は)可能だという自信を持つべき。相互理解と尊重の中に違いを認め、他人の観点から問題を見つめると多様な人と集団を統合できる」と説明した。
 自身の人生については「自分が選んだ道であって犠牲だとは思わない」と述べた。
 スー・チーさんは宋市長と20分間にわたり会談した後、韓国に住むミャンマー人との懇談会に臨んだ。故金大中(キム・デジュン)元大統領の李姫鎬(イ・ヒホ)夫人とも会談する予定>





ウ・ソーが幽閉先のウガンダから帰国したとき、ビルマからは英国が撤退するところだった。英米に振り回され、騙されまくったウ・ソーだったが、現実に英軍はビルマから立ち去って行く。戸惑うウ・ソーに英軍は「もう一度首相にならないか」まで言った。

チャーチルはニューデリーの総督府にガンジーが行くと「女王陛下の建物が汚された」と発言するほどの差別主義者の白人至上主義者。フランクリン・ルーズベルトの「如何なる国民も自分の政府を持ち、奪われた主権は回復すべき」という「大西洋憲章」にウ・ソーは期待して会いに行くと、会ってもらえないだけではなく「それはドイツに侵略された東欧の白人国家のことだけど」と突き放される。つまり、ナニ勘違いしてるの?有色人種なんかに主権なんかあるわけない、と一蹴された。

どうせこんな連中だ。自分は当然ながら吊るされると思っていたら、なんともまあ、帰国したら重用される。英国も出ていくという。喜ぶ前に訝しむウ・ソーだったが、そこで暗殺未遂が起る。弾丸は頭をかすめて失敗に終わるが、そこで「やったのはアウン・サン」と聞こえてくる。ウ・ソーの重用を妬んでやった、英国が去ったあとのビルマを牛耳りたいのだ、という話をウ・ソーは信じた、とされる。同時に英国は掌を返し、独立後のビルマはアウン・サンに任せると言い出す。

そして1947年7月19日、閣僚会議場に4人のビルマ人青年が乱入。短機関銃を乱射してアウン・サンら9人を射殺した。短機関銃は英国製。御丁寧に「はい、私がウ・ソーに渡しました」と証言する英国軍大佐も現れた。ウ・ソーは死人に口なし、今度は本当に吊るされる。こうして英国は植民地支配に抵抗する二人の「ビルマ人リーダー」を消し去った。片方は暗殺者、片方はその犠牲者。この出来過ぎの話を信じる人はビルマにいない。

そもそも英国がビルマをあきらめたのは、既に日本軍が英国の統治機構を破壊し、ビルマ軍が山岳部族からビルマ人10万人規模の国軍に代わっていたからだった。やったのは日本軍とアウン・サンだった。アウン・サンは日本の敗戦が見え始める1943年、日本を裏切って英国につく。翌年のインパール作戦には協力を拒否、ついには日本軍と干戈を交えた。これを責める日本人はいるかもしれないが、実のところ「仕方ない」という評価もある。ビルマが独立して生きていくにはこうする他ない。弱小国の「生きる知恵」だ。

それでも英国はアウン・サンを許すつもりは毛頭なかった。「面田紋次」という日本名まで名乗って連合軍に刃向かった有色人種を見逃すわけにはいかない。どこかで消し去るつもりだった。生き残った娘もややこしい。真相がバレたら白人様に逆らうかもしれない。でも、これまた殺してしまうのは白々しい。ではどうするか、英国の諜報員と結婚させて洗脳してしまえばいい。

高校生の娘はニューデリーにいた英外交官に引き取らせ、そのあとはオックスフォード大学にまで進学させる。大した足長おじさんだが、大学を出るとマイケル・エアリスと出会って結婚。この男前はチベット研究者ということだが、ブータンのテルトン・ペマ・リンパをペテン師扱いしてブータンの人々を驚かせた。テルトン・ペマ・リンパはインドのタントラ仏教をチベットに伝えた、とされる象徴「パドマサンババ」の生まれ変わりとされて尊敬されている。オノレの研究対象の象徴すら知らない不思議なチベット研究者だった。

どっぷりと洗脳された娘が帰国してみると車の通行も左側、外国語は英語ではなく日本語を教えている。娘は祖国が親日なことに驚き、それから嘆いた。だっていまでも頭の中は<日本の帝国主義に立ち向かった父は>という状態だ。真珠湾攻撃の日、ウ・ソーがホノルルにいたことも英国では教えない。代わりに「アウン・サンを暗殺した主犯」と教え込まれている。

不惑まで英国で生きた娘は見た目以外、煮ても焼いても英国人になった。福島瑞穂とか辻元清美が40歳まで支那朝鮮で生きていたようなモノだが、影響力がある分、より質が悪い。だから祖国のビルマに戻って「人道主義」とか怪しげをやった。独立して「ミャンマー」になって立ち直ろうとする祖国の足を引っ張る。自分の同胞であるビルマ人をさんざん苦しめた英国人の手先、山岳部族や華僑と手を組んだ「民主化運動」とやらで、祖国を混乱させている。

同じ反日根性を嗅ぎつけた日本のテレビは好意的だ。だから一般人の「島田紳助さん」みたいに「スーチーさん」とやる。腐っても外国の最大野党党首、さん付は奇妙なはずだが、これにはどうぞ、安心して親しみを持ってください、という売国メディアのメッセージが込められる。また「スーチーさんは軟禁生活を強いられた」とか哀れんで報じるが、軟禁場所とされる自宅はアメリカ大使館の隣だ。イギリスに洗脳された政治工作員が米国の管理下にある。これ以上、安全な場所があるか。


スーチーは<誰でも過ちを犯すことはあるが、過ちを認めることをためらうことこそ本当の過ち>と言って日本の帝国主義を丸ごと信じて非難する。しかし、この娘の父親は大日本帝国陸軍大佐、鈴木敬司の「南機関」で軍事訓練を受け、戦後、鈴木大佐がbc級戦犯として裁判にかけられると、アウン・サンは猛反対して釈放させている。いまさら遅いかもしれないが、スーチー女史には<過ちを認めることをためらう>ことを止めていただきたい。本当の意味で<自身の人生については「自分が選んだ道であって犠牲だとは思わない」と述べた>となるためにも。




2 コメント

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あの最もアレな (オヤジ年齢不詳)
2013-02-08 21:32:14
池上某が「ミヤンマーは親日国」としながらも、「だが、英国が撤退した後、大日本帝国に占領され、反発したアウンサンがウンチャラナンチャラ」とか続けたのには
もはやなんと言うか、売国メディアの狡猾さが目立ちました。
「スーチーって本当はこうなのよ」とは、口が裂けても言えないでしょうなぁ。
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Unknown (久代千代太郎)
2013-02-10 10:22:30
>オヤジ年齢不詳さま

いらっしゃいませ。

スーチーですが、いま、政治家としての「現実路線」を言いだして、人権屋からは不安がられてますね。「平和と人権のヒロイン」として役立ってたのに、と悔しがっております。

本気で言ってるなら救えませんなww
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