忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

日テレ2人いずれも水死=沢で流される? ―ヘリ墜落取材遭難・埼玉県警

2010年08月03日 | 過去記事
日テレ2人いずれも水死=沢で流される? ―ヘリ墜落取材遭難・埼玉県警

埼玉県秩父市の山中で、防災ヘリコプター墜落現場の取材に向かった日本テレビの記者北優路さん(30)とカメラマン川上順さん(43)が遭難し死亡した事故で、県警は2日、司法解剖の結果、2人の死因はいずれも水死と判明したと発表した。
 同署によると、2人は1日午前、秩父市大滝の山中にある沢で、胸から下が水に漬かった状態で見つかった。2人が倒れていた沢の上のがけに滑落したような跡はなかった一方、北さんの頭や胸やひじには擦過傷や打撲の跡が、川上さんの頭には打撲の跡があった。このため、同署は2人は沢の上流から流されたとみている。 









勤め人で成功している人はみな「勤め人」を捨てている人だ。それをしなくとも誰も責めぬ大変な仕事や、そんなことは誰もせぬ危険な仕事をどんどん行ってしまう。「使命感」などという難しいこと、あるいは真っ当な「職業意識」などが優先され、己の健康や生命のことを考慮せずに邁進してしまう。

また、そうでなくては勤め人としての成功が「ほどほどのもの」となる。ときには己の命を顧みず、無茶をして成果を挙げることが「武勇伝」となり、後進たちはその成功者を英雄化して「あとに続く者」としての気概を持ち、その仕事における行動規範を創り上げる。

勘違いされがちだが、サラリーマンの仕事とは、往々にして「毎日同じようなこと」だと思われている。この勘違いの正体は、目の色を変えた先輩社員が言う「毎日、同じような仕事に見えるだろうが、同じ日は二度とないんだ。毎日、相当の変化があるのに気付かないだけなのだ」というものではなく、それは自営業でもプロスポーツ選手でも、テレビタレントでも映画俳優でも、およそ「仕事」と名のつくモノにおいては、所詮が「毎日同じようなモノ」でなくてはならない、ということである。

プロ野球選手が、毎日毎日野球をしても飽きないのと同じく、テレビタレントも毎日、テレビのスタジオで馬鹿なことを言わなくてはならない。映画俳優なども、今日は某国のスパイ、明日は壊滅した街にひとり残されたヒーロー、明後日は愛する息子のために復活を誓うボクサー、そして今は絵本の中から飛び出た優しいおじいちゃん、と様々な人生を楽しんでいるように見えるが、それも「映画に出る」という観点からすれば、あるいは「撮影する」というルーティンワークも考慮すれば、所詮は毎日、同じようなことをしているに過ぎない。

違うところはただ一つ。

それは「好きでやっているかどうか」くらいの差異でしかない。それでも、華やかにデビューしたアイドルや全盛期を迎えた俳優が自殺するのと同じく、どの世界にも一般的に言うところの「ストレス」というものはあるし、もっとわかりやすいのは「金は血液」と言われる資本主義国の中で「金持ち」と称される人が楽しくもない人生を送っていたりもすることだ。

つまり、仕事とは「死んでもやるのだ」という情熱と「誰かがやるだろう」という呑気の使い分けができねば、真の意味での「成功」は難しいということだ。「やってみせましょう」という無謀と「それはやりません」という保身との矛盾が溶けて混ざったバランス感覚を要するのである。

この日本テレビの取材記者とカメラマンは、まさにその「死の淵」まで後悔などしていなかったのではなかろうか。例えばこの3日後、安否情報もなく、捜索活動もままならぬまま、誰もが心配して不安な中、家族もテレビで絶望を訴えている中、奇跡的に発見、生存確認、そしてカメラの中には「生命を賭したレポート」があるとなれば、日本テレビはどうしただろう。この2名は社内の中、あるいは「報道」というジャンルにおける仲間内ではどういう評価を受けただろう。

日本テレビの社長は新入社員が居並ぶ入社説明会などでこの話をしないだろうか。諸君らの先輩となる記者、カメラマンには「英雄がいる」としないだろうか。まさか「諸君らは、こんなに危険でバカげたことをせぬよう」と注意はするまい。また、これを言えるかどうか、は「社長としての資質」にもよるが、いずれにせよ「英雄」は称えられねばならないから、出世欲のような打算的な動機だけではなく、人が人に評価してもらいたいという本能的願望、自分の仕事というものに対する使命感などから、やはり、人は往々にして無茶をすることになる。

日本テレビは責任逃れなんかどうでもいいから、先ずはこの2名を誇るべきだ。「有能な社員を失って辛い」という素人臭いことをやらないで、この2名は我が社の誇り、ジャーナリズムの鏡、報道に携わる者としての責任と覚悟を示したのだと、日本テレビの社長は涙ながらに訴えるべきである。

私は以前、パチンコの仕事をしているとき、居並ぶ幹部連中の前で「ゴト氏が来店して悪さを始めても捕まえようとしてはいけない、と指導すべき」とやって、会議の話の流れを叩き折ったことがある。その場は「ゴト氏には壁役がいて~」などという不正行為のレクチャーをしている場であり、店員の威圧や確認作業による抑制効果の説明の場でもあった。近づいて目視しろというのである。

年収300か400の従業員に、何のためらいもなく「顔面を斬りつけてくる」支那人不正グループに近づけ、と私は言えないとやった。少々腕っ節があり、頭や心で評価されない木偶の坊は「英雄になりたい」と思い、必ず、取り押さえようとするだろうと危惧してみせた。支那朝鮮人の不正グループは不正基板も持っているが、必ず、武器も持っている。メリケンサックやバタフライナイフのような玩具ではない。彼らは一撃で致命傷を与えうる武器を所持して、致命的な部分に攻撃することを躊躇わない。何かあってからでは確実に遅きに失するのである。

だから私は自社の社員には強く、そのままどうぞ逃げてくださいと「逃走経路を作れ」と教え込んだ。こちらは「玄関のカギを補強する」くらいしか手立てがないのだと説明した。ただ、そのカギは高性能で簡単には破れないモノを作ろうとした。実質的な暴力装置による防衛手段は「警察しかない」のだと念を押した。ただ、それでも「結果的に英雄になってしまう」者は出る。頭では危険だと既知でありながらも、人はそれでも「やってしまう」ことがある。

繰り返しになるが、日本テレビはこの2名を誇り、称えるべきだ。そしてそのあと「でも絶対にするな」と後進に強く擦り込んでおくことだ。それはマスコミ対応よりも優先されるべきであり、社内における責任問題など論じるにも値しない。






ま、しかし、所詮はマスコミなのだろうか。

すなわち、こういう愚かなことをする。












バンキシャ「生エッセイ」(魚拓)

引用→<ビール猛暑のおかげでビールの消費量が増えているとか。

確かに、連日これだけ暑いと、一日の終わりに自分自身への
ご褒美として、キンキンに冷えたビールを飲みたくなります。
サッカーW杯時には、(特に日本戦の日には)お客さんが減っていた居酒屋も
そのマイナス分を補って余りある売り上げに!

かつて、夏の高校生クイズの司会を担当していたころ、
地方大会収録が終盤を迎える時間帯(夕方)になると
私を含め、多くのスタッフが自ら"取水制限"を始めるのです。

そう、収録終わりでのビールの為に!

各県の代表校が決まり、
簡単な表彰式が終わって、
さぁ、乾杯です!
もちろん、屋外で。

おつまみは決まって、乾きモノか、魚肉ソーセージ。
でも、それがいいんです。

朝からのロケで随分日焼けした、スタッフ達と
缶ビールを飲み交わす夕暮れ時。
ヒグラシが遠くで鳴いていたりして、もう最高でした!

汗をいっぱいかいて、
冷えたビールをぐびぐび飲む。
そんなシンプルな日々が実はとても貴重なものであるということを
この歳になって気づいたりもするのです。

日々是好日。
いい汗かきましょう!
また、来週。

2010年8月 1日 20:17 福澤朗>←引用終わり


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