忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「ネットってさー」

2008年10月14日 | 過去記事
■2008/09/03 (水) ガチコメ的「ネットってさー」1

出勤途中、車の中でテレビを「聞く」。(信号待ちでちょっと見る)

もちろん「テレビ朝日」だ(笑)。福田辞任の特集をやっているようだった。想像していたよりもネガティブなナレーションが流れていた。安倍前総理の「負の遺産」とやらを背負わされて大変だったと擁護する声が、もぉっと聞こえてくるはずだが・・・VTRが終わったようだ。スタジオのキャスターが話し出す。私は小膝を叩いた。

「ただいまのVTRですが、福田総理を映さねばならない部分で、安倍前総理の映像が誤って流れてしまいました。訂正してお詫びいたします。」

(。・ˇдˇ・。) ・・・

なっるほどなぁ!!相変わらずやることが薄汚いなぁ!!

何をどう間違えたら「福田総理辞任VTR編集の中身」に安倍さんが混じるんだ?いやぁ、ほんとうに印象操作ごくろう。安倍さんの「病気だった」には目もくれず、ひたすらに「2回続けて放り出し!」でがっちりスクラムのマスメディア。いやぁ、本当にご苦労様。

それにしても、どんな映像だったのか。どの部分で「流された」のか。動画があれば確認したい。メールよろ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080903-00000002-maip-pol
<福田首相辞任 4月から「辞めたいなあ…」>

しかし、それにしても、だ。

「最近の新人は根性がないから仕事が続かん!」というブームの中、「若者はなぜ3年で辞めるのか」という面白くない本があったが、その前に「日本の総理大臣はなぜ1年持たないのか」ということを考えて欲しいもんだ。4月に「辞めたいなぁ」とは、会社に溶け込めない新入社員でもあるまいし、70過ぎた総理大臣が吐く弱音とは思えん。しかも、ホンマに辞めたしww

で、世間はどうだか知らんが、私の周囲では「なぜだか(笑)」喜んでいる人が多い。

その答えは、例えばこれだ。コレが大きいと思う。

http://www.asahi.com/special/08014/TKY200809020309.html
<「福田首相、中日関係発展に重要な貢献」 中国外務省>

「敵の味方は敵」というところか。過日も書いたと思うが、ともかく「嫌支那ブーム」である。いや、「ブーム」と呼ぶのは正しくない。つまり「周知されてきた」わけだ。

「2」へ

■2008/09/03 (水) ガチコメ的「ネットってさー」2

やはり「情報」の持つ威力は大きいと言わざるを得ない。売国反日マスメディアの偏向報道、歪曲報道、捏造報道も虚しく、新たな「情報源」として普及し始めた「ネット」という言論空間に対するマスメディアの無力は否定できまい。

もちろん、「ネット情報」の弊害も見受けられるが、それよりも劇的だったのは「調べて考える」という「情報処理」からなる「意見」が飛び交うことだった。ごろりと出された情報は、否が応でも吟味され、検証されることになる。本当かどうか。なぜそうなったのか。そこに隠された真意はどうか。それらが「交わされる」ことになったのだ。

「嘘を信じる人」は「それを見抜いた人」に出会うこともある。ネットでは「その場」がつくられ広がっていった。それは、マスメディアがいちばん恐れていることだった。「言論の自由・報道の自由」が保障されている日本のマスメディアですら、それだけの情報を得ている人を「情報弱者」と呼ぶことこそが、このネットの破壊力を示す呼称であろう。

家庭のリビングでテレビを見て、書斎で新聞を読むだけが「情報」との接触であった。そこで知った事件、出来事は、その「情報を得た人」の中で消え去るだけだと思われていた。しかし、蓄積されるデータ、巡る思考は少しずつ観念的な固定をみる。繰り返し繰り返し刷り込まれる価値観は、その人の思考経路にフィルターを張り巡らせてしまう。あとはもう、脊髄反射である。様々な意味はその「張られたフィルター」を通さない。

戦争=反対
平和=大切
生命=尊重

景気=最悪
政治=不信
社会=堕落

ここに「なぜ?」が入り込むことはない。「フィルター」がそれを許さない。答えは、そう、テレビが言っている。新聞に書いてある。つまり、簡単に騙される。

コミュニケーション(情報交換)

マスメディアの弱点はこれだ。多くの人が同じ情報について意見交換をする場所。

「3」へ

■2008/09/03 (水) ガチコメ的「ネットってさー」3

例えば、テレビで「日本軍は悪魔だった!!」と「知った」主婦は「それだけ」をインプットする。そして、隣の主婦と喫茶店で交換する意見は「同じもの」であった。より確信する。元々「真実」であると疑わないところに、隣の気心の知れた人、信頼できる人格である隣の主婦までもが「同調」している。もはや「疑え」というほうが無理である。

そして、その喫茶店の帰り道、街宣車を見る。やはり「日本軍は怖い。狂ってる。」と強く思いこむ。耳をふさぎながら隣の主婦と目を合わせ、次に街宣車の後ろ姿を睨みつけるだろう。そこには「天皇陛下万歳!」なんて書いてある。日章旗がはためいている。

買い物に寄ろうとしたら交差点でなにやら「人だかり」ができている。近寄って見ると「国旗国歌法に反対!」とかやっている。ああぁ、なんて「良心的」な人々なのかと安堵する。是非、協力したいと思う。優しそうな人がたくさんいる。善良な人々が集まっている。仲間だと認識できる。隣の主婦と共に署名する。「いいこと」したつもりで家に帰り、仕事で疲れ切った旦那はともかく、テレビを見てゲームをするだけの子供にも説明する。

家庭団欒の機会は減少しているらしい。父権も弱体化しているという。夕飯のとき、せめて父親が「そんな怪しい運動に参加するんぢゃない!」と一喝してくれればいいのだが、そんな強い父親は少なくなった。どころか、同じようにテレビと新聞に目を通すだけの「情報弱者」に成り果てている場合もある。その家庭のベランダに「信号機のような旗」が垂らされるまでもうすぐだ。北京五輪で感動し、家族旅行はソウルで焼き肉であろう。

「4」へ

■2008/09/03 (水) ガチコメ的「ネットってさー」4

ここにネット(情報交換できる場所)が登場する。

テレビで「日本軍は悪魔!」とやっている。ネットを見ると「逆の意見」があると知る。なに言ってるんだ?こいつは?と思いながらソースを見る。調べる。考えてみる。「知らなかったことがこんなにあった」と思い知る。名も顔も知らぬ人と意見交換する。酷く罵倒されることもあるが、そうではない人もいるようだ。テレビでは「そんなのばっかり」だとしていたが、実際は「ごく一部」であるようだった。紹介されていた書籍を買ってみる。辿って行ったサイトを毎日見るようになった。劇的な変化が訪れる。

テレビで「日本軍は悪魔!」とやっている。疲れるからテレビは消すようになる。

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だからマスメディアは「ネット言論」に否定的であり、単なる「誹謗中傷の場所」と見下し、あまつさえ「犯罪の温床」であるとネガティブキャンペーンを張る。

既存のマスメディアの影響力を棚にあげ、無記名の不特定多数の危険性を説き、「ネットオタク」や「ネット右翼」などの蔑称を生みだし、あたかも「一日中パソコンに向かってブツブツいうだけの引きこもり」のイメージを作り出そうともした。

あえて言うならば「便利過ぎる」ので悪用されることもある。「出会い系サイト」や「違法ドラッグを売買するサイト」などはその代表であろう。しかし、だ。その多くは「携帯電話」というツールで代用できるわけだ。事実、安価で使用範囲が広い「ケータイ」のほうが、その実用度(悪用度)は高い。操作も簡単である「ケータイ」はお年寄りから未成年、それも「子供」も対象としたコミュニケーションツールとして認知されている。にしても、「お子様ケータイ」という呼び名には笑わせてもらったが。

「5」へ

■2008/09/03 (水) ガチコメ的「ネットってさー」5

「ケータイ」を使った犯罪を防ぐことは簡単だ。機能を「通話のみ」にすればいい。カメラとラジオくらいはあってもいいだろう。つまり、悪用されないようにすることはできるということだ。それが「売れる」という資本原理主義の前には、倫理観など吹き飛んでしまうわけだ。「「悪質なサイトは規制する」などという「意図的なイタチごっこ」を繰り広げることで、その件については対応していると言い逃れる。アクセスできないようにすればいいだけだ。なぜ、マスメディアはそれを言わんのか。

言うまでもないが、ケータイ会社がスポンサーだからである。売れなければ困るからである。しかし、それだけでも、マスメディアなどというものは、所詮は「広告媒体」なのであって「情報源」とするには足りぬと気づくことになる。

テレビの情報を、頭から「信じて疑わない」などは幼児と同じであり、自分に危機が迫った時、助けに来てくれるのは警察やレスキュー隊ではなく、カラフルな衣装を着た5人組のヒーローだと言っているに等しい。

話を福田に戻すが――――

つまり、いくらマスメディアが「日中友好」をディスプレイしようとも、その「情報の売り手」の意図を読み取ってしまう国民が爆発的に増えているのだ。支那がニコニコとパンダをチラつかせても、ちゃんとメディアリテラシーを得た国民からすれば、酷く滑稽な映像として認識される。スタジオで難しそうなこと、もっともらしいことを述べているコメンテーターも、その「商売っ気」が垣間見えてしまうことになる。もう説得力はゼロだ。

そして、これと同じようなことが政治家にもあてはまるようになった。例えば、マスメディアは相変わらず「叩いて消し去りたい政治家」に集中砲火を浴びせ、これを殲滅することでその力を誇示してみせた。もちろん、福田のことではない(笑)。

「6」へ

■2008/09/03 (水) ガチコメ的「ネットってさー」6

次も同じだ。「扱いやすい総理」からまた(マスメディアにとって)「危ない総理」が誕生するかもしれない。だから、今から「弾込め」している。もう照準を合わせている。

しかし―――――だ。

通じないと言っておく。

もう日本国民は踊らされない。

「遅すぎる」と言いたい人もいるだろうが、「遅すぎた」からこそ、より深刻であり、より早急な対応が必須であると、もう、相当に「リアルなこと」として危惧している人が圧倒的に増えた。例えば、支那に対する国民感情は、パンダでどうにかなった1972年とはまったく違う。私は1歳だったから、あまり記憶にないが(笑)。

そういう意味では「北京五輪」や「毒餃子」などは強烈な話題性を振りまいてしまった。様々な観点から「支那の危険性」が浮き彫りになり、朝日新聞などの売国マスメディアですら、真正面から支那を擁護することは難しかった。報道捨てションでポロリと言った「支那擁護発言」なども、リアルタイムでネットにより叩かれてしまう。マスメディアが楽観視していた「ネット」であったはずだが、その影響力は認めざるを得ないというところか。

つまり、テレビで迂闊なことは言えなくなったのだ。それはたちまち「証拠動画」を貼付され、未知のウィルスのように拡散する。「有志」や「職人」と呼ばれる人々によってリメイクされ、面白おかしくされ、興味のなかった人にまで影響してしまうのであった。

マスメディアが、

「ネットの中で騒ぐだけ」
「ネット弁慶。リアル社会には出てこれない」

と馬鹿にしていたはずのネットユーザーのほとんどは、残念ながら「普通の社会人」であった。今までテレビを見ていた時間はパソコンに使われる。私なども家にいれば、ちゃんと家族揃って夕食を食べて、会話をして、犬とも遊んでからパソコンに向かう。寝る前の1、2時間。読書しながら寝てしまうまでの隙間の時間。少々「寝不足」にもなるときもあるが、それでも「深夜テレビ」を阿呆みたいに見ながら朝を迎えていたころとは断然違う。

「7」へ

■2008/09/03 (水) ガチコメ的「ネットってさー」7

ネットで集まり、ネットで計画して、リアル社会で「何か」されることになった。もう、通じない。これらの一連の流れは当然ながら、確実に「議会制民主主義の根幹」を揺るがせることになる。阿呆な政治家でもホームページを持ってはいるが、そこにはもう「ネタ」としかいいようがない夢想や、言動不一致の極みが記載されている。「日本のために!」と言いながら「国を売る」政治屋の隠れ蓑は透けてきた。

また、逆に(ある程度)政党を問わず、本当に国を憂い、本気で行動しようとする政治家の先生方も脚光を浴びる可能性が出てきた。いつでもアクセスして、いつでもメールを送ることができる。いろんな行動ができる。一緒に酒を飲むこともできた(笑)。

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みよ。この朝日新聞の浅薄さを。売国マスメディアの節操の無さを。

http://www.asahi.com/national/update/0903/OSK200809030012.html
<流行語大賞有力? 首相「あなたとは違う」発言>
http://www.asahi.com/special/08014/TKY200809020336.html
<柔道石井、首相辞任で「うすうす、こうなると」>

朝日よ。

そんなことより、もうすぐ9月29日だぞ。

日中国交正常化36周年記念の段取りはできているのか?また、トップを社説で発行してくれ。ネタ紙として頑張れば発行部数はマジで伸びるぞ?一面トップで毛沢東を載せろww

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