鞠智城は、『くくちじょう』と読むべきではないか?
鞠智城は、建てられた当時は、『くくちのき』と読まれていた。
今朝の熊日に、投稿文が載っています。
『くくちのき』までは行かなくても、
数年前までのように 『くくちじょう』 と読んで欲しいものです。
鞠智城・・・なぜ『きくちじょう』と読ませるのか不思議です。
『くくちじょう』 では読みにくいから?
白村江の戦い、百済、新羅、高句麗、唐(中国)、は読めるのに!
鞠智城が 『くくちじょう』 と読みにくい! そんな馬鹿な~!!
新羅は、唐(中国)の力を借り、百済、高句麗を攻め滅ぼし、
唐(中国)を朝鮮半島から追い出し、朝鮮半島を支配しました。
大和朝廷は、新羅侵攻をおそれ、鞠智城を築いたそうです。
鞠智城『くくちじょう』と読んで欲しいものです。
『きくちじょう』 『くくちじょう』 どちらが古代城らしいですか?
また、懐良親王も、『かねながしんのう』と読んで欲しいものです。
最近は、『かねよししんのう』と読ませる本が多いのです。
菊池市出身なので、菊池に関すことが気になります。
古代城・・鞠智城(くくちじょう) 画像はサイトから無断借用。
古代城(鞠智城)と古代米(赤米) 画像はサイトから無断借用。
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