少数派シリーズ/政治情勢
泉房穂・前明石市長②各地で選挙応援・明石の子育て支援が「日本標準政策」に
右は明石市立天文科学館
■まず投稿者の文章|泉氏のような方が心が通った政治家、政界復帰に期待
前明石市長・泉房穂氏のインタビュー記事の2回目。前回は障害のある弟さんへの冷たい社会の眼に、奮起するところまでをお伝えした。今回は貧乏な環境下で努力して東大に入り、政治家になった経緯が綴られている。明石市はご存じの通り、「日本標準時」と言われる子午線が走っており、そこから泉市長(当時)が始めた子育て支援を『日本標準政策』と呼ぶ。言葉の綾に留まらず、本文の通り国の“少子化対策”の見本になっている。出鱈目な自民党・日本維新の会とは異なり、泉氏のような方を“心が通った政治家”と言うのだ。たまたま投稿者の娘が嫁いだ先は、明石市にごく近い市に住んでいる。その娘が旦那に、前号のように最近は泉氏が東京のTVに出ずっぱりの話をしたら、「今までは関西圏ばかりの出演だったが、全国に通じる人間だから頑張って欲しい」旨の話だったそうだ。コメンテーターも大事な仕事だが、もう1度、政治家に復帰してもらいたいものだ。
■子育て政策・明石でできたことは全国どこでもできる、国が率先して取り組むべき
毎日新聞を活用しました(前号から続く)/社会を変えると決意した泉少年は懸命に勉強する。しかし、親は貧しい漁師。参考書や問題集を買ってほしいとは言い出せなかった。「それで僕がどうしたか分かりますか?」。声が震え始めた。下を向いたまま、ようやく絞り出した。「万引きするしかないと思い詰めたんです」。初めて聞く話だった。市内の書店で思い悩んでいたある日、挙動がおかしいと気付いた店主に「こっちに来なさい」と呼び止められた。「おやじさんが店の隅に机と椅子を用意してくれて、ここで立ち読みして勉強しなさいと言ってくれたんです」。塾に行くお金もなかった泉少年は、この書店の片隅で「座り読み」させてもらうことによって、大学受験した。必死に勉強して東京大に現役合格した時、書店主は「わしが泉君を東大に通してやった」と鼻高々だったという。当時のことを話す泉さん、抑えていたものをこらえられなくなった。「おやじさんがいてくれなかったら、今の僕はなかった。あの恩は一生忘れられません」。大粒の涙がこぼれ落ちた。
市長として泉さんの評価を高めたのは子育て支援。明石市では、(1)高校3年までの医療費 (2)0歳児のおむつ (3)第2子以降の保育料 (4)中学校の給食費 (5)天文科学館などの公共施設入場料~の「五つの無料化」を実現した。市独自で児童手当も拡充し、18歳まで1人当たり月額5000円を支給。いずれも所得制限は設けていない。「最初は、公共事業を削って建設業界の首を絞めるのか、商店街振興をあきらめるのか、と各方面に猛反発されました。『後回しにしますが必ずやります』と説得して、子育て予算を倍増させたら、隣の神戸市からの移住者が激増して税収が増え続けています」。子育て支援の先進都市として、明石市には全国の自治体から視察が相次ぐ。泉さんは国会の公聴会や政党の勉強会で経験を伝え、「明石でできたことは全国どこでもできる。国が率先して取り組むべきです」と訴える。明石市は、日本標準時子午線の東経135度が通ることでも知られる。ここでの取り組みを「日本標準政策」にしたいようだ。
「自己責任という言葉が大嫌い」という泉さんの言葉に熱がこもる。「頑張ったって走れへん人がいる。その人のせいにするのは違う。環境とか能力に恵まれた人が、そうでない人に目配り気配りするのが政治やないですか」。そのために、選挙で社会が変わることを証明していくつもりだという。23年4月の明石市長選・市議選や兵庫県議選では泉さんが応援した無所属候補が全員当選した。7月には明石に近い三田市長選でも無名に近かった新人候補を支援し、自民・公明・立憲・国民民主が推薦する現職ら3人を破って大勝させた。「選挙は最大勢力に支持された人が勝つんです。自民やないですよ、市民です。潮目は一瞬で変わります」と自信を見せる。23年8月19日に60歳になった。「還暦で人生1周したとすると、貧乏人のせがれが全力で走って自分なりに冷たい社会に復讐できた。やり切った気持ちです」。2周目はどうするつもりかと聞くと、「最近、いろいろな人に『もっとやれ』と声をかけてもらえて、2周目もいけるかもという気になってきました。みんなで冷たい国をなんとかできたら面白いですよね」。石井氏を当選させようと一生懸命だった20代の頃と同じ目をしていた。
■人物略歴 泉房穂(いずみ・ふさほ)[前出]
1963(S38)年、兵庫県明石市生まれ。東大教育学部卒業後、NHKとテレビ朝日
でディレクター。2003年、民主党から衆院初当選。05年落選。11年から3期12
年、明石市長を務めた。弁護士、社会福祉士の資格を持つ。著書に「社会の変え方」、共
著に「政治はケンカだ!」など。
次号/泉房穂・前明石市長③田原総一朗Q「頑張れる環境の整備を、子供に投資・公的予算を3倍に」
前号/泉房穂・前明石市長①「熱血」の源は50年以上前の弟の不遇、優しい社会へ変えたい
泉房穂・前明石市長②各地で選挙応援・明石の子育て支援が「日本標準政策」に
右は明石市立天文科学館
■まず投稿者の文章|泉氏のような方が心が通った政治家、政界復帰に期待
前明石市長・泉房穂氏のインタビュー記事の2回目。前回は障害のある弟さんへの冷たい社会の眼に、奮起するところまでをお伝えした。今回は貧乏な環境下で努力して東大に入り、政治家になった経緯が綴られている。明石市はご存じの通り、「日本標準時」と言われる子午線が走っており、そこから泉市長(当時)が始めた子育て支援を『日本標準政策』と呼ぶ。言葉の綾に留まらず、本文の通り国の“少子化対策”の見本になっている。出鱈目な自民党・日本維新の会とは異なり、泉氏のような方を“心が通った政治家”と言うのだ。たまたま投稿者の娘が嫁いだ先は、明石市にごく近い市に住んでいる。その娘が旦那に、前号のように最近は泉氏が東京のTVに出ずっぱりの話をしたら、「今までは関西圏ばかりの出演だったが、全国に通じる人間だから頑張って欲しい」旨の話だったそうだ。コメンテーターも大事な仕事だが、もう1度、政治家に復帰してもらいたいものだ。
■子育て政策・明石でできたことは全国どこでもできる、国が率先して取り組むべき
毎日新聞を活用しました(前号から続く)/社会を変えると決意した泉少年は懸命に勉強する。しかし、親は貧しい漁師。参考書や問題集を買ってほしいとは言い出せなかった。「それで僕がどうしたか分かりますか?」。声が震え始めた。下を向いたまま、ようやく絞り出した。「万引きするしかないと思い詰めたんです」。初めて聞く話だった。市内の書店で思い悩んでいたある日、挙動がおかしいと気付いた店主に「こっちに来なさい」と呼び止められた。「おやじさんが店の隅に机と椅子を用意してくれて、ここで立ち読みして勉強しなさいと言ってくれたんです」。塾に行くお金もなかった泉少年は、この書店の片隅で「座り読み」させてもらうことによって、大学受験した。必死に勉強して東京大に現役合格した時、書店主は「わしが泉君を東大に通してやった」と鼻高々だったという。当時のことを話す泉さん、抑えていたものをこらえられなくなった。「おやじさんがいてくれなかったら、今の僕はなかった。あの恩は一生忘れられません」。大粒の涙がこぼれ落ちた。
市長として泉さんの評価を高めたのは子育て支援。明石市では、(1)高校3年までの医療費 (2)0歳児のおむつ (3)第2子以降の保育料 (4)中学校の給食費 (5)天文科学館などの公共施設入場料~の「五つの無料化」を実現した。市独自で児童手当も拡充し、18歳まで1人当たり月額5000円を支給。いずれも所得制限は設けていない。「最初は、公共事業を削って建設業界の首を絞めるのか、商店街振興をあきらめるのか、と各方面に猛反発されました。『後回しにしますが必ずやります』と説得して、子育て予算を倍増させたら、隣の神戸市からの移住者が激増して税収が増え続けています」。子育て支援の先進都市として、明石市には全国の自治体から視察が相次ぐ。泉さんは国会の公聴会や政党の勉強会で経験を伝え、「明石でできたことは全国どこでもできる。国が率先して取り組むべきです」と訴える。明石市は、日本標準時子午線の東経135度が通ることでも知られる。ここでの取り組みを「日本標準政策」にしたいようだ。
「自己責任という言葉が大嫌い」という泉さんの言葉に熱がこもる。「頑張ったって走れへん人がいる。その人のせいにするのは違う。環境とか能力に恵まれた人が、そうでない人に目配り気配りするのが政治やないですか」。そのために、選挙で社会が変わることを証明していくつもりだという。23年4月の明石市長選・市議選や兵庫県議選では泉さんが応援した無所属候補が全員当選した。7月には明石に近い三田市長選でも無名に近かった新人候補を支援し、自民・公明・立憲・国民民主が推薦する現職ら3人を破って大勝させた。「選挙は最大勢力に支持された人が勝つんです。自民やないですよ、市民です。潮目は一瞬で変わります」と自信を見せる。23年8月19日に60歳になった。「還暦で人生1周したとすると、貧乏人のせがれが全力で走って自分なりに冷たい社会に復讐できた。やり切った気持ちです」。2周目はどうするつもりかと聞くと、「最近、いろいろな人に『もっとやれ』と声をかけてもらえて、2周目もいけるかもという気になってきました。みんなで冷たい国をなんとかできたら面白いですよね」。石井氏を当選させようと一生懸命だった20代の頃と同じ目をしていた。
■人物略歴 泉房穂(いずみ・ふさほ)[前出]
1963(S38)年、兵庫県明石市生まれ。東大教育学部卒業後、NHKとテレビ朝日
でディレクター。2003年、民主党から衆院初当選。05年落選。11年から3期12
年、明石市長を務めた。弁護士、社会福祉士の資格を持つ。著書に「社会の変え方」、共
著に「政治はケンカだ!」など。
次号/泉房穂・前明石市長③田原総一朗Q「頑張れる環境の整備を、子供に投資・公的予算を3倍に」
前号/泉房穂・前明石市長①「熱血」の源は50年以上前の弟の不遇、優しい社会へ変えたい