G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

垂井町の菩提山(402m)と山麓散策 ~秀吉の軍師、竹中半兵衛公ゆかりの菩提山城跡と麓の集落の歴史探訪~

2015-02-10 | 山行

2015年2月7日(土)晴れ曇り、無風・穏やか、8℃
参加者:G.G.,他2名(計3名)
コースタイム陣屋跡()9:55→10:10白山神社登山口→11:00明神山分岐→11:30石の鳥居11:40
→12:00明神山分岐→12:02菩提山、昼食12:55→13:20山の神登山口→13:25明神湖13:40
→14:20
行動時間:4:25(休憩、昼食を含む)
歩行距離:約9.5 km
コース:陣屋跡(P)から時計回りに歩いたGPSトラックです。途中、菩提山の手前から南西方向に「石の鳥居」まで往復した。
赤線は登り、青線は下りを示す。緯線、経線は10秒間隔(約250 m)である。


標高図:コースの標高図を下に示す。

山行記事:
■登路は3本あるが、一番西の菩提入口から登り、一番東の山の神入口へと周回した。途中、
時間があった ので、最近歩かれるようになった菩提山手前から南西方向に向かう道を「石の鳥居」まで往復した。 下山後は明神湖→岩崎神社→禅幢寺→陣屋跡→菁莪記念館などを順次、見物してきた。

 
■菩提登山口の石段を上がると直ぐに静謐な白山神社の境内である。左隅に芭蕉の句碑があり、
「此の山の 悲しさ告げよ ところほり」と刻まれていた。



 
■展望がない山道を50分ほど登ると、三の曲輪に着く。新しく掲げられた「明神山・石の鳥居」方向の
標識があったので寄り道し、石の鳥居まで行ってみることにした。30分ほど小さなアップダウンを
繰り返した後、立派な鳥居がある小ピークに達した。
 祠がなく鳥居(大正9年建立と刻まれていた。)だけがあり奇妙な光景である。対面にある明神山がご神体かも知れない。明神山へはここから北西方向に尾根を進めば良く、次回に訪れて、どんな景色が見えるか確かめたい。

■分岐点に戻ると山頂は直ぐである。天気は薄曇りとなり、遠望はきかないが南方眼下には濃尾平野が広がり雄大な眺めである。中山道を挟んで対面には南宮山が横たわっていて、此処、菩提山城は軍略的な要衝であったことが分かる。

 
■山頂には昨年の大河ドラマ「軍師 黒田官兵衛」の名残りか、「竹中半兵衛重治公菩提山城跡」と
染め抜かれた大きな幟がはためいていた。西方の山間からは、予期していなかった白銀に輝く
伊吹山の雄姿が突然、目に飛び込んできて驚いた。

■濃尾平野を見下ろしながら昼食にする。我々の他には、地元垂井町の若い男性が一人、昼食を摂っていたので、記念写真のシャッターを押してもらった。

 
■帰路は長い階段を下り、立派な祠のある「山の神」登山口に降り立つ。ここから数分で明神湖畔である。
堰堤は可成りの規模のロックフィルダムで、垂井町の水源のひとつだそうで綺麗な水を湛えていた。
湖を周回できる歩道が整備されていて一組の方が歩いていた。桜もあり春先には散策が楽しめよう。

■集落に入ると、大名屋敷のような屋敷が目に入る。鄙には珍しい大豪邸でタイムスリップしたような錯覚を覚えよう。
 
岩崎神社という由緒がありそうな古社があったので立ち寄ってみる。創建は奈良時代で竹中氏の崇拝を受けていたそうである。当神社には諸年代の棟札が多数、保存されており垂井町の文化財に指定されているそうである。

路傍には水車小屋がありノスタルジックな風情を醸し出していた。但し、自然の水路でなく、ポンプで水を組み上げ、それを水車に流し、回しているのは可笑しいが、村人のサービス精神に感謝をしよう。

 
竹中家の菩提寺の禅幢寺に立ち寄り、竹中一族の墓に詣でる。鄙にはまれな曹洞宗の立派な寺院である。竹中半兵衛は兵庫県三木市で病死したので、そちらにも墓が現存しているそうである。後年、息子の重門が当寺に移設した墓石は祠に納められていて見ることはできないが、祠は秀吉の重臣にしては、余りにも小さく粗末であり、世の儚さを感じざるを得ない。


次は、竹中半兵衛亡き後に、重門が菩提山の砦を廃し、集落の中に陣屋を築いた陣屋跡に立ち寄った。
小規模な城郭で、石垣、堀、楼門などが良く保存されていて往時が偲ばれる。

 
最後は、直ぐ側にある「菁莪記念館」を覗いてみた。建物自体は由緒ありげである。嘗ては、竹中家の道場、藩校などに使用されたそうであるが、今は竹中家の系図や、菩提山城の縮尺遺構などが展示されていた。なお、部屋に上がれば竹中家の遺品なども展示されているのを帰宅後にWeb.で知ったので、又の機会に見学したいものである。
■大垣、垂井町界隈は松尾芭蕉の足迹が色濃く残っているのは周知のことであるが、菁莪記念館の庭にも
2基の句碑が建っていた。ひとつは当地の俳人、大野是什坊の句碑で「初雪や それさえたらぬ 貯ひ酒」、もう一つは芭蕉の句碑で、「風吹くや 児玉の音ノ 菩提か那」と刻まれていた。

 

 所感:
菩提山城跡には曲輪跡、空堀跡などがあるだけであるが規模の大きさが偲ばれる。南方の展望は良い。
■登山としては菩提山だけではもの足りない人には、明神山ピストンを追加すると面白かろう。
■菩提山々麓東側の谷、岩手などの集落には竹中氏ゆかりの史跡・旧跡などが多くあり、また、江戸時代に
タイムスリップしたようなノスタルジックな風景も残っているので、散策に訪れることをお勧めする。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿