G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

金華山(329m)周回~「瞑想の小径」と「馬の背」を周回する欲張りコース

2015-12-24 | 山行

12月20日(日)、晴れ、暖かい(10℃位)
参加者:G.G.他8名、歩行距離:約8.2 km、所要時間:約5:35
歩行コース:GPSの軌跡:
達目洞→妙見峠→金華山→瞑想の小径コース→馬の背コース→金華山→鼻高コース→達目洞P

標高図:GPSの軌跡
下図の3番目のピークへの登りが所謂「馬の背コース」で、本コース最大の難所である。斜度は20°~30°?、標高差250mの露岩の直登である。

(クリックすると拡大)

山行リポート:
 いきなりの急登で始まるが直に平坦になる。直ぐ、登りにかかり、標高150m位の所で大展望が開ける。初冬の空気は澄んでいて、遥か彼方まで見渡せる。
 伊吹山は及び北尾根の山々が冠雪しているのが分かる。写真では分からないが、霊仙山も冠雪していた。関ヶ原の彼方は霞んでいたが微かに白い山々が見えていた。心眼!によると、琵琶湖西岸の武奈ヶ岳、比良山、蓬莱山あたりか?

                      (伊吹山と霊仙山方面)

   妙見峠を過ぎ、岩尾根の途中で、メンバーのHさんが岐阜城の下の岸壁の緑の中に白い鳥を発見した。この辺りは隼の撮影ポイントだそうで傍らのカメラマンに確かめると、とやはり隼とのことであった。Hさん達は粘って、遂に隼が飛び立つのを見たそうである。
                                      (隼の営巣地点~岸壁中腹の緑の中の白い点)

  やがてロープウエイからの道に合流し観光地の金華山となる。日曜日とあって大勢の老若男女の観光客が往来している。
大展望台に立ち寄りる。先ほどは南方と西方の展望を楽しんだが、ここでは新たに北方の、長良川と岐阜市街地を前景にした能郷白山を中心にした山々の景色を堪能した。左には冠雪した小津権現山、花房山、雷倉などもはっきりと同定できた。小津権現~花房山間の長い稜線が魅力的に見え、縦走意欲をそそる。来年の登る山の候補のひとつとしよう。

                                              (能郷白山、小津権現山、花房山、雷倉など)

   暫し、大展望を楽しんだ後は岐阜城前の広場へ移動する。何時もながら大勢のハイカー、老若男女の観光客が屯し大賑わいである。武将隊?も出張り記念撮影に応じていた。

                                                         (岐阜城の武将隊)

   昼食を終え、金華山登山の常連さんらしいオジサンに記念撮影のシャッターを押して貰い記念撮影を済ませる。被写体は何時もながら真面目なお顔をし、お行儀の良いのは微笑ましいことである。

                                                             (お行儀よく記念撮影)

   いよいよ今日のハイライトである、「瞑想の小径」を下り、「馬の背」を登り返す岐阜城周回にアッタック開始である。どちらも所要時間は40分程である。下りは問題ないが、登りは、斜度は20°~30°?、標高差250mの露岩の直登でキツイ。
初級者用のコースではありませんが、時間を掛けて慎重に登れば大丈夫かな?

                                                           (馬の背コース)

    因みに、どんな山でもそうですが、下山時は危険度が増大します。ここでも上り詰めた所に大きな看板が建っていました。

                                                        (下山注意の看板)

 この登りがハードであったので、10分程休憩し、下山にかかる。途中、道が長良川に迫り、今にも長良川に飛び込みそうになる場所があり面白い。数カ所、僅かなアップダウンがあるが、雑木林の優しい道をひたすら降りる。冬至間近であり、3時前なのに既に山道は暮れなずんで、メルヘンチックな雰囲気を醸し出していた。

                                                                (黄昏の小径)

   達目ハイキングコースの「大釜登山口」の看板が立った所に降り立つ。左折して少し行くと、高さが3m位ある大きな石碑の前に差し掛かる。

 
                                                              (妙見大菩薩の石碑)

   帰宅後にNetで調べたら、石碑の右奥の方に由緒ある妙見堂と言う祠があるそうである。登山時でなく別の機会に訪れてみたいものである。
 行きに「妙見峠」を通過時、何か由緒ありげな名称だなと思ったが、その名の謂れは、当石碑の前を西に直進すると妙見峠を超えて岩戸に抜ける道が続いているからであろう。 

雑感:
■金華山のハイキングコースは沢山あり、その幾つかは歩いたことがありましたが、「馬の背」コースは今回が始めての体験でした。当コースは標高差250m、斜度20°~30°、岩道の直登で、初心者向けと言えないこんな厳しいコースがあることを知り、金華山に対する認識不足を痛感した次第です。
■当コースは変化に富み、手応えがあり、一日十分楽しめました。但し、初心者には厳しいと思います。

    


虎御前山(224m)、小谷山(495m)の周回 ~曇天が似合う悲運の小谷山城跡巡り~

2015-12-16 | 山行

2月13日(日)、曇、暖かい(15℃位か)
参加者:G.G.他11名、歩行距離:約13km、所要時間:約5:35
歩行コース:GPSの軌跡:
矢合神社P→虎御前山→虎御前山下山口→小谷山登山口→大嶽山→小谷山下山口→矢合神社P

 標高図:GPSの軌跡
下図から小谷山(大嶽山)の最後の登りがキツイがそれ以外は、各砦の解説を読みながらのまったりした里山歩きである。 


 (クリックで拡大)

山行リポート:
虎御前山と小谷山 に分けてリポートする。
1.虎御前山:
虎御前山南端の矢合神社前のトイレ完備の駐車場に車を止める。直ぐに地元のボランティアの方が「虎御前山砦」の手作りプリント(5P)を全員に配布してくれる。虎御前山に布陣した信長、秀吉、など各大将の砦の配置、構造なども記されている。虎御前山を売り込もとする熱意が涙ぐましい。この場を借りてお礼を申し上げます。
 
鳥居を潜ると矢合神社のこじんまりした社殿があり、手を合わせて、今日の安全を祈る。
 
虎御前山は南北に連なる丘でその尾根はハイキングコースに指定され、林間に古墳や小谷山攻略時の織田方の砦が配置されている。
 
南端の蜂屋頼隆の砦から始まり信長、秀吉、北端の柴田勝家の砦などがコース沿いに一列に並んでいる。各砦の跡地には立派な石碑が建立されている。

 
信長砦跡に虎御前山、標高229mと記されたプレートが掛かっていたので、記念撮影をする。今回の山行はタンネ山行では珍しく女性メンバーが多く写真も華やいでいる。

この地点よりも先にある秀吉の砦の地点の方が高く見えたが、標高224mと記されていたので229m標高が間違っていることになろうか。
最後の砦を下山口に向かう途中で、これから行く全山要害の小谷山が指呼の間に望めた。
奥の凹凸のあるのが東尾根で浅井の砦群、手前のなだらかな尾根が西尾根で朝倉の砦群が構築されている。

 
虎御前山を降り、北陸自動車道の下を潜り抜け、R8号線に沿って、小谷山の登山口方向へ向かう。

2.小谷山:
小谷山登山口で一息入れ、登山口脇の大手道から東尾根を登り始める。東尾根の砦は出丸~山王丸が浅井軍の砦で、西尾根の大嶽~山崎丸が浅井の援軍の朝倉軍の砦である。

 
幾つもの堀切、竪堀、土塁、石垣などで防御された砦を見学しながら高度を上げてゆく。
赤尾屋敷跡には浅井長政自刃の地と記された石碑と看板がある。この地で可愛い妻子を残し27才の若さで、自刃に追いやられた長政の心中は如何ばかりであったろうか。
  桜馬場跡には大きな記念碑と小谷城攻防時の戦死者を供養する「浅井氏及家臣供養塔」が建立されていたので、思わず手を合わせる死者の冥福を祈る。

 
供養塔を少し行った道端に紅葉した一本のもみじがありその真紅が目に染みた。戦死者への手向けのように思えたのは感傷であろうか。

 
山王丸から一旦30m位下り、清水谷への鞍部を過ぎると急登の階段道が標高差で130m位続く。今日一番の胸突き八丁である。
山頂はこの山塊の最高峰(495m)で、嘗て援軍の朝倉軍の城郭があった大嶽(オオヅク)城址である。
   日曜日で、陽だまりハイクにはぴったりのコースと思ったがハイカーがひとりもいないのは意外であった。因みに、御茶屋砦で昼食中に下山してきた羽島の88会の20人余が出会った唯一のハイカーであった。眼下に琵琶湖を眺めたりし、一息入れ記念写真を撮り山頂を後にする。

途中で北方が開けた地点であり、午前中に歩いてきた虎御前山が展望できた。
北方から眺めたので小さく丸く見える実際は南北に3km位ある細長い丘と言った方が相応しい。

落ち葉の積もった、足に優しい道を40分程ひたすら下る。途中、朝倉軍の砦があった福寿丸跡、山崎丸跡を暫し眺め、神社脇の下山口に降り立つ。
後は虎御前山の東側の麓の田園の中を、適当な道を、ゆっくりと世間話をしながら歩き、無事に矢合神社の駐車場に帰着した。
追記:
朝、各務原の駐車場に集合した時、メンバーのひとりが自宅の畑で採れた長さが50cm位の珍しいかぼちゃ(宿儺かぼちゃ?)をメンバーにプレゼントしてくれた。スープ、バーベキュウなどにすると旨いそうです。有り難うございました。

雑感:
(1) 小谷山には曇天が似合う:
約440年前に、浅井長政がこの地で信長に敗れ、お市の方と3人の姫を残し、27才の若さで自刃し、浅井三代が滅亡した悲運を思うと、今日のような曇天の日の雰囲気が小谷山散策には相応しいように思うのは筆者の感傷か。
(2) 小谷山ハイクは虎御前山ハイクとのペアリングが良い:
織田方が陣を敷いた虎御前山と浅井軍が堅固な要塞を構築して信長軍を苦しめた小谷山の両方を歩いてみると小谷山攻防の様子がより身近に感じられる。両山を同時に周回されるのをお勧めする。
(3)よく保存された城塞の様子:
小谷山の各砦は保存状況がとても良く、往時の城郭の構造などがよく理解でき、歴史好きには大変に魅力的な山行である。
(4)見どころ一杯:
今回は駆け足で一通り諸砦を見学してきたが、再訪して、じっくり眺めれば、新たな発見があろう。季節を変えて、特に桜の咲く頃に再訪したいものである。

 

    


各務原アルプスまったり縦走

2015-12-03 | 山行

各務原アルプスまったり縦走

      ~桐谷坂→向山見晴台→大岩見晴台→明王山見晴台(384m)→城山(猿啄城跡)→坂祝駅~
11月29日(日)、曇、単独行、距離:約12km、所要時間間込(食事、休憩時間込)約7:30

歩行コース:GPSの軌跡


 (コースの前半)

                                  (コースの後半) 
標高図:GPSの軌跡
下図から大きくは3個のピークで、前半は多数(15個位)の鋸歯状の小ピークで構成されているのが分かる。
                                      (クリックで拡大)

登山の目的:
右膝半月板損傷の回復具合の第3回目確認山行。
       第2回目の確認山行は11月16日に継鹿尾山→鳩吹山縦走をしている。
山行リポート:
桐谷坂の祠脇の登山口へ行った所、進入禁止になっていて、代替登山口は関市方面へ200m程行った所であった。そこで、二人連れのおばさんと一緒になる。聞けば「みのハイキング クラブ」のメンバーで、須衛山まで同行することになった。
 直ぐに急登で直に尾根道に上がる。後は大小のピークを20余、乗り越えて、ひたすら東方向へ尾根道を辿ることになる。向山見晴台で一休みする。南方が開け、名古屋の高層ビル群が霞んで見えている。北方には奥美濃方面の山並みが見える。因みに、これから先、望める風景も似たり寄ったりである。 須衛山のベンチ前には山ツツジが群生し時ならぬ満開状態であった。


岩坂峠手前の送電線鉄塔近くには葉が紫色の可愛い花が群生していた。名前は知らないので、知っている方がいたらご教授ください。


ここから岩坂峠の向こう側の山並みを望む。低山ではあるが、重厚な山容である。

 
岩坂峠に降り立つと、明和7年(1770年、245年前)の刻印があるお地蔵さんが野天で侘びしく、鎮座ましましていた。250年余、風雪に曝され目鼻立ちも定かで無い。

 
岩坂峠と過ぎるとロープの置かれた急勾配のザレ道を慎重に登る。 

 ピークを一つ越え、無粋な大きな電波反射板の立つ金山(348m、明王山384mに次ぐ高度)に着き、昼食にする。
 
間もなく、大岩見晴台に着く。この付近になると時々ハイカーと出会うようになった。
因みに、岩坂峠までは誰とも出会うことはなかった。
北方には奥美濃の山々が望まれる。

 
東北には真っ白に雪化粧した御嶽山を中心とした雄大な風景が望まれる。但し、望遠レンズでないのではっきりしない。

見晴台近くではドウダンツツジが真っ赤に紅葉し、黄葉と調和し晩秋の趣を醸していた。

 
ここから、ピークを3つ超えて多賀坂峠に向かう。峠手前からこれから向かう迫間山、明王山方向の山並みを望む。里山であるが、結構、山深く見えるのが面白い。

迫間城跡で一息いれ、若い3人組のハイカーと立ち話をする。城跡と言っても何の遺構も説明板もない。因みに、会話をしたのは須衛山で二人のおばさんと別れて以来である。
   明王山に向かう途中に大きな(高さ3m位)不動明王の石像が祀られていたので、暫し、額づく。因みに、八方不動明王と書かれた幟が立っていた。

 
ここから明王山への取付きまでは稍々フラットな舗装道路となる。いよいよ明王山への100m位の急登であるが、ここまでの疲労が蓄積しているので仲々しんどい。
今回の山行の最高点(384m)の明王山見晴台であるが、普段なら賑やかな日曜とは言え、今日は3時近くであるせいか、3人の親子とハイカーがひとりいるだけの静かな山頂であった。
  暫し周囲の大展望を楽しみ、ハイカーに記念写真のシャッターを押してもらい、山頂を後にする。

 
3個目のピークが城山で猿啄城跡がある。この間も静寂で、ハイカーが一人だけ追い越していっただけである。
  城跡と言っても、猿啄城跡と刻まれた石柱と櫓もどきの展望台があるだけで、何の遺構も説明板もない。因み、説明板は下山口付近に建っていた。

  

 
展望台からは、眼下にゆったりとした木曽川の流れが眺められる。
上流は美濃太田方面で対岸はお馴染みの鳩吹山山塊である。

下流は鵜沼方面で、遠くには尾張三山もぼんやりと姿を見せていた。

 
城跡からは200m位の急降下であるが、道は送電線巡視路であり、プラスチック製の階段部分が多く、疲れた足には着地の衝撃が応えた。
 漸く、下山口に降り立つ。そこには社務所風の建屋があり、水飲み場があり喉が潤せ、周囲は紅葉に彩られ、意外と風情があり、山行の緊張感を解き放ってくれた。

 
感想:
(1) 膝半月板損傷の回復程度:
7:30歩いても特段、右膝に痛みを感ずるようなことはなく、損傷は回復したと結論できる。以前のように月数回の登山が可能であろう。
然し、再発したら恐ろしいので泊まりがけの山行などは時期尚早である。
  後日談:12月2日に久し振りに整形外科へ行き、山行結果を報告し、これで今回の治療に終止符を打つことにした。余談ながら又、マラソン練習を始めても良いかと尋ねたら、無理をしなければOKとの許しも得、大いに安心した次第である。
(2) 所要時間について:
6ヶ月のブランク後、11月3回目の山行をしたが、未だスタミナ不足の感があり、後半では、足の疲労感が大で歩行速度も低下した。そのため予想の所要時間よりも30分位オーバーしたと思う。
(3)コースの難易度:
前半(桐谷坂→岩坂峠→大岩見晴台)は小ピークではあるが15回ものアップダウンがあり体力的に厳しい。又、特に須衛山からの下り、岩坂峠からの登りは厳しく、安全ロープも置かれていて、本格的な登山コースに近く、初心者向けでない。
 後半(大岩見晴台→明王山→猿啄城跡→下山口)では、前半ほどの厳しさはないが、迫間山への登り、明王山のアップダウン、猿啄城跡からの下りは急傾斜で楽ではない。慎重に歩けば、初心者でも大丈夫であろう。
(4) コースの満足度:
山歩き自体の面白さ、展望の良さ、史跡(迫間城跡、猿啄城跡はかなりローカル)、紅葉・黄葉、その他、峠の地蔵、不動明王像など変化に富み、アルバイトに値する満足度が得られよう。4年前にはグループで歩いた時には特段の印象は残っていなかったが、今回、一人でじっくりと歩いてみると、仲々に味のある、お勧めのコースであるとの印象を強くした。