G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

象鼻山(142m)~南宮山(419m)~南宮大社周回・・・・里山は埋もれた歴史の宝庫

2014-01-22 | 山行

2014年1月18日(土)、薄曇り、無風で穏やか
参加者: G.G.,他1人
歩行距離:  約 15km(山道:10km,一般道:5km)
行動時間: 6:05(休憩、昼食を含む)
アクセス: 各務原9:00→10:00象鼻山駐車場
コースタイム:10:10駐車場→10:50九十九坊跡地→11:00連理の榊→11:50牧田~乙坂作業道出→コースアウト(No.1)→12:20林道歩き→コースアウト(No.2)→12:50「境」石碑出合→12:52毛利陣所跡、昼食13:20→13:45南宮山13:50→14:20毛利陣所跡14:25→15:05南宮大社15:15→(一般道)→16:15駐車場
コース:実際に歩いた周回コースのGPSトラック(登り:赤、下り:青、平地:紫)を下に示す。

山行記事:
■象鼻山古墳群の看板の少し先の路肩の5~6台のスペースがある駐車場に駐車する。道路を隔てた「ミヤビ石材」が良い目印になる。古墳入口には獣の進出防止用の鉄の塀があり扉を開けて先に進む。


■直ぐに古墳群がある丘に登り着く。木々は葉を落し明るい丘陵地で約60基もの古墳があるそうである。ここの古墳には近畿地方の前方後円墳と異なる前方後方墳もあるそうである。

 
■一番高い所にある一号古墳を通り過ぎ尾根伝いに北へ進む。九十九坊跡記念塔の石碑が建つ広場に着く。鎌倉時代には100余り堂塔があったと案内板に記されていた。話半分として実際には数十の堂塔などがあったと思われる。その証拠に付近の斜面に無数の墓石が集積・放置されていた。形状からして、多分、お寺の関係者の墓石であろう。 
 

 ■ここで支柱が折れ引っくり返った朽ち果てる寸前の看板に遭遇する。看板には「栗原山 竹中半兵衛重治公閑居地」と記されていた。竹中半兵衛は垂井の菩提山城の城主であるのに、何で、栗原山中に蟄居したのか不思議に思い帰宅してからWeb.で調べると、出典は「絵本太閤記」中の秀吉の「栗原山中七度通」と言う逸話に端を発しているようである。

 
■九十九坊跡地から右方向の脇道へ入り、5分位で「連理の榊」と呼ばれる樹齢400年の榊の巨木がある広場に着く。お参りすると縁結びのご利益があるそうである。

 
榊の後ろには高さ1m位で垂井町の天然記念物に指定されている石窟あり中には弘法大師の石仏が安置されているそうであるが暗くてよく見えない。

 
■元の尾根道に戻り、尾根伝いに進み栗原山を過ぎNo.197鉄塔に到着する。今までの道は樹林の中で景色は殆ど見えなかったがここで初めて西方の視界が開け養老山が間近に臨めたので、一息入れる。ここから少し進むと「不破郡宮代・栗原村界」と刻まれた歴史を感じさせる立派な石碑に出会う。

 
■更に進むと、「牧田~乙坂作業道」に出会う。尾根を外してはいけないので、直進すべき所を広い道に引っ張られて右折したが、間違いに直ぐに気付き元にもどり尾根を直進する(コースアウトNo.1)。やがて登山道は林道に出合うが地図には載っていない。林道は北方向に続いていて先は分からないので、適当な所で毛利陣跡方向(西方)への登山道を探すも明瞭な道は見付からないので強引に藪漕ぎをして上を目指す。その結果、何のことはない先ほどの林道との再会である。
■間もなく、南宮大社からの道と象鼻山への道の分岐点にある「境」と刻まれたこれまた歴史を感じさせる、無愛想な石碑に出会う。然し、この無機質さが却って人目を引きつける。

 
■毛利陣所跡は目と鼻の先であった。ここはご存じの通り関ヶ原の合戦時に毛利軍が進撃の時を待っていた陣跡である。ここからは今朝、登ってきた尾根がハッキリと望めた。眺めているうちに象鼻山の名前の謂れに気付いた。毛利陣所地を象の頭部とすると、歩いてきた尾根は象の鼻に見立てられるからであろう。

                              
■誰もいないベンチで二人だけの昼食を済ませてから南宮山を往復する。昨年、登った折には南宮山は30cm位の積雪があったが今年は皆無である。相変わらず展望がないので、記念撮影だけ済ませて引き返す。

■毛利陣所跡で一息入れてから南宮大社を目指して降りる。南宮大社は休日とあって賑やかである。
本年の安全を祈念してから、駐車場を目指し5kmの一般道を一時間で歩き、無事、駐車場に戻る。
途中、畑をしていた近所のオバサンと立ち話をしたが、これも歩き旅の面白さであろう。
所 感:
■色々な時代の遺跡・史跡がオンパレード。
象鼻山古墳群(奈良時代)、九十九坊跡の無数の墓石(鎌倉時代)、竹中半兵衛重治公の栗山山中に隠棲したという逸話(戦国時代)、連理の榊、弘法大師の石窟、ユニークな文字・形状の石碑類、等が見られる。
■象鼻山の名前の謂れの発見・・・毛利陣所が象の頭部で、象鼻山までの尾根は象の鼻に見立てられる。・・・・これは筆者の着想であるが一理あろう。
■登山道は標識が不備で枝道も多数あり、新しく作られた林道は地図に載っていず、然も、旧登山道を分断しているので初心者向けのコースではない。その分、ローカルな登山は面白いといえよう。
■南宮大社から南宮山の往復だけでは物足りない向き、歴史好きには本コースはお薦めである。但し、象鼻山~南宮大社は一般道で5km離れているので置き車する、或いはタクシーを利用すると良い。

                                                                       

 

 


始めての野鳥観察

2014-01-21 | 日記

1月17日(金)にブログ友達のさんから教えて貰った野鳥観察場所のひとつである蘇原自然公園に出かけた。主目標は長年見たいと思っていたカワセミであった。
幸い、公園の池の端で、餌付けしている方がいて、暫く待っているとカワセミが止まり木に飛来し、じっと餌を狙って静止していたので手持ちの250mm望遠レンズ(APS-Cサイズカメラのため、焦点距離は1.5倍の375mmになる。)でも結構、上手に撮影できた。生まれて初めての観察で歳甲斐もなく大いに興奮した。

 
おまけに近くの巣穴からクイナが出てきたので、ツウ ショットを撮影できたのは予想外の収穫であった。

 

 カワセミの観察を終り、伊吹の滝前の駐車場に戻る途中の広場にカメラマンが沢山、カメラの放列を敷いていたので聞いてみたところルリビタキの飛来を待っているとのことであった。小生も仲間に入れて貰って飛来を待ったが、止まり木に置かれた餌を一瞬の早業で持ち去るので撮影できない。然し餌付け用の止まり木から離れた林のなかで時々静止している所を狙って撮影できた。小型であるが、カワセミに劣らず美しい姿を撮影でき大満足であった。
 

 始めての野鳥観察で美しい野鳥を目の当たりに観察し、写真撮影もできたのは大変に僥倖であり天に感謝している。これに味をしめ、次は家内同伴で扶桑緑地を訪問する予定である。


10kmマラソンに挑戦(その1)

2014-01-15 | 日記

冒険家の三浦雄一郎、中日ドラゴンズの山本投手、サッカーJ2横浜FCの三浦和良、最近ではスキー ジャンプの葛西紀明のW杯優勝など、次々に最年長の記録が更新されているが、今日の高齢化の進行を考えれば当然の帰結であろう。年々寿命が延びているのだから、それに比例して現役選手の年齢が延びるのも当たり前田のクラッカーであろう。
プロスポーツ選手の事例はさて置き、この傾向は一般のスポーツ愛好者の場合にも当てはまり、現役年齢が延びている筈である。
後期高齢者(76才)の小生の場合はどうであろうか。登山に必要な体力の維持・強化のため、近所のスポーツジムへ通いだして3年が過ぎたが、この間に行った筋トレ、水泳を通じて達成した体力強化は自分でも驚く程である。
水泳は初め、25mで息絶え絶えであったが、今は1km続けて泳いでも疲労はまっ全く感じないどころか、大袈裟な表現をすれば「魚になったみたい」で誠に気持ち良く泳げ、体力増強だけでなくストレス発散にも大いに役立っている。
昨年、知合いの60代の女性がフルマラソンを完走して、感涙したこと事を聞き、それに刺激され、フルマラソンは無理としても10kmマラソンならば何とかなるであろうと思い立ち、昨年12月から来春のマラソン大会参加を目標に、ジムのトレッドミルでランニング練習を始めた。日々、進歩が実感できるので、昨今はすっかりランニングに嵌ってしまっている。
なお、水泳はランニングで熱くなった身体をクルールダウンする効果もあり誠に心地良い。
因みに、只今は30分で4kmが漸く走れるところまで走力が付いたが、このレベルでは本番のレースで、制限時間内の完走は覚束ない。次段階の目標は年齢を考えて、焦らずに練習を重ね、30分で4.5kmを目指している。それが達成したら次なる目標はその時の地力と相談して、決めようと考えている。


新春に思う

2014-01-03 | 日記

昨年末、各務原市主催の講演会に参加し、良い話を聞いた。その中から強く印象に残った言葉
を今年のモットーの一つに借用することとしたので紹介する。
その言葉は「一怒一老一笑一若」である。
「一回怒れば一才老い、一回笑えば、一才若返る」と言う意味である。「一笑一若」は「一笑一少」とも言われるが意味は同じである。
普通、歳をとると人は丸くなると言われるが、私の場合は反対に気が短くなり怒りっぽくなって、周囲の人を不快にしていたかも知れないので気を付けよう。
又、歳をとり、何事に対しても鈍感になったせいか余り笑わなくなったような気もする。笑顔は自分も周囲の人をも明るくし、元気を与える力があるようなので、何時も微笑むようにしたい。