G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

大杉谷から大台ケ原(1695m) ~厳しい登山道、エメラルドグリーンの渓流、絶景のハーモニーが素晴らしい~

2016-10-31 | 山行

年月日:2016年10月24日(月)、晴れ/25日(火)、小雨~弱雨
参加者:G.G.他3名
アクセス:
24日新鵜沼6:35→(名鉄)→名古屋→(近鉄)→津→(JR)→多気→10:14三瀬谷
        道の駅奥伊勢おおだい10:30→(登山バス)→11:50大杉谷登山口
25日:大台ケ原ビジターセンター15:30→(登山バス)→17:23大和上市
        大和上市17:41→(近鉄)→柏原神宮前→大和八木→名古屋→(名鉄)→21:52新鵜沼
歩行距離/標高差:24日:約6km/200m、25日:約10km/1200m
所要時間:24日:4:15/25日:7:15(昼食、休憩を含む)
コースタイム:
24日:登山口12:00→13:40千尋滝→15:00シシ淵→15:15ニコニコ滝→15:25平等嵓→
        16:15桃の木山の家
25日:桃の木山の家6:45→7:30七ッ釜滝→8:00崩落地→8:20光滝→9:10堂倉滝→10:20堂倉避難小屋11:00→
        日出ヶ岳13:00→14:00大台ケ原ビジターセンター

GPSトラック:
千尋滝~光滝間はGPS電波受信状況が悪く、画像が乱れている。

                                                              (1目盛:約600m)

GPSルート標高図:
■24日のルート標高図(GPSトラックの標高でない)。アップダウンが激しいのが分かる。
 
(クリックで拡大)
■25日のルート標高図。崩落地の高度変化は反映されていない。堂倉滝から避難小屋(1,150m)までは
急登で身体に応える。
 
(クリックで拡大)  

山行リポート(1日目):
10:30にマイクロバスは「道の駅奥伊勢おおだい」を出発する。乗客は10人だけである。
途中、「大杉谷 自然の家」でトイレ休憩し、以後、バスは宮川沿いの細い道を延々と走る。
登山口から直ぐに崖プッチの道を鎖に縋りながら歩を進める。足下の宮川にはエメラルドグリーンの
清流が流れているが、滑落したら一巻の終わりで、おちおちと見物している余裕はない。
大杉渓谷最大の落差を誇り天空から落ちてくるような千尋滝に出会う。落差は180mもあるそうである。
 
■水が滴り落ちる小さなトンネルを抜けるとシシ淵の河原である。屹立する岸壁の奥にはニコニコ滝が望まれる。神秘的で、神さびた秘境の雰囲気が満ち満ちている。

■厳しい登山道が続く。鎖場の多くは並外れた太い鎖が上下ダブルになっている。身長差を考慮してのことであろうか。
又、各所に「転落多発地点で慎重に」との看板が立っていて、見る都度、身が引き締まる。
 
■先程のシシ淵の奥に見えていたニコニコ滝の正面に来る。落差は50mだそうであるが迫力がある。
面白い名前であるが、その謂れは不詳である。
 
■長大な吊橋で右岸に渡る時に、平等嵓と呼ばれる大絶壁が眼前にそそり立つ。余りに巨大で24mmの広角カメラでも画面に収まらない。

■よく揺れる吊橋を渡って再び左岸に渡ると、桃の木山の家に着く。昭和15年築、斜面にへばり付いた何回も増築されたような山小屋で定員は250名だそうだ。今晩の客は10人だけである。ここは風呂があるので有名である。早速に綺麗な熱い風呂に入り汗を流す。夕食は定番のカツカレーである。
 なお、久し振りの山小屋泊であり、TVも、ラジオも、電話も、インターネットも無く、明日の天気予報さえも分からない情報から隔絶した地であるのに、改めて軽いカルチャーショックを覚えた。

山行リポート(2日目):
出発の前日のGPV気象予報では、25日は小雨→弱雨であったが、その通りになった。
終日、雨で、記念写真を撮る場所もないので、小屋の前でシャッターを押して貰う。

小屋から登山道への取付きが分かりづらく、ちょっとまごつくが、直に、日本の滝百選にノミネートされている七ツ釜滝のビューポイントに来る。落差は120mもあるが見えているのは下の三釜だけだそうである。

■次の難所は2011年9月の台風で登山道を埋め尽くした新名所の大崩壊地である。数メートルもある巨岩が累々と折り重なって重機をもってしても除去は不可能であろう。登山道は岩の上や隙間に巧みに選ばれていて、早く通過するよう看板が立っていた。二人が通過中であるが、粟粒のようで、写真では判別できないことからも崩壊の大きさが分かろう。

■直ぐに、光滝に差し掛る。日が当たると虹が発生し輝くこともあることから命名されたそうである。

■愈々、大杉谷最後の滝、堂倉滝を正面に見ながら吊橋を渡る。落差は20mと小さいが水量は豊富。ここもエメラルドグリーンの滝壺が美しい。ここから道は谷筋を離れ尾根道に変わる。さらば大杉谷!手を振って大杉谷に別れを告げる。いきなりの急登で斜度26°の道が堂倉避難小屋まで続く。40分程、必死に登る。時間は早いが、小屋で「桃の木山の家」名物の「ちまき」の昼食を摂る。
 
■小屋から1:30、標高1,500m位になると、道は丈の低い笹原を進む。楽しみにしていた紅葉は終わっているようであった。
 
■道は擬木の階段になる。30分位で日出ヶ岳の頂上に達する。ガスっていて展望は全くない。
傍らに一等三角点があったので、挨拶のタッチをする。
展望台の下で暫し休憩した後は、一路、遊歩道を大台ケ原ビジターセンターを目指して下る。

■14:00時に大台ケ原ビジターセンターに到着する。二日間の山行の無事のフィナーレに感謝し、安堵する。
汗で濡れた下着を着替えてから、物産センターへ移動し、温かいものを食べ、他のハイカーと歓談したりした後、15:30発の下山バスで帰途に着いた。

所 感:
本コースの素晴らしさは「厳しい登山道」、「エメラルドグリーンの清流」、「スケールの大きな滝々」、「秘境的な絶景」、「凄まじい崩壊地」などのハーモニーであり、アクセスの悪さを補って余りがある。
 因みに、大杉谷は吉野熊野国立公園の一部で、国の天然記念物に指定されている。又、2016年3月にはユネスコ エコパークにも登録されたことからも、その価値が分かろう。
登山道の維持管理が十分で、高齢者でも鎖に縋って、慎重に歩きさえすれば、致命的な事故は防止できる。但し、景色を楽しむのは安全な場所で、歩行停止時に限るのが肝要である。
渓谷沿いの一本道であるが、所々、間違い易い個所があるのでルートファインディング力も必要。
又、2日目は登り7時間余の長丁場であるので、中・上級者向けのコースと言えよう。
個人的には、10年間の通行禁止後の2014年4月開通まで、約12年間待ちに待った憧れの山行であり、然も,その素晴らしさは期待以上であったので、喜びも一入である。


山岳講習会に参加して

2016-10-20 | 登山関連情報

岐阜県山岳連盟主催の山岳講習会に参加したので概要を報告する。 

日時:2016年10月16日(日)、9:00~15:00
場所:各務原市の少年自然の家、伊木山の岸壁
参会者:山岳連盟の会員及び一般、60名位
テーマ:「救急処置法(応急手当)」及び「岩場を安全に通過するために」 

1.救急処置法の概要
    講師は山岳医の服部順子先生による解説と実技で、印象に残った事項のみ記す。 

①    怪我:捻挫、骨折の場合はRICE(rest,icing,compression & elevation)が有用
   外傷の場合は圧力をかけた水での洗浄が重要
   骨折の場合の固定方法の実技
       捻挫、骨折時のテーピング実技
②    病気:熱中症、低体温症、高山病などの場合は何れも水分補給が必要
③  その他:爪下血腫の血抜き、蜂刺症にはエピペンを用意、ダニは感染症伝染の恐があるので咬まれた時
      は医療機関で処置を受ける、こむら返りには芍薬甘草湯68番が良い(腹痛にも効く)
④    心肺蘇生法:人形を使っての胸骨圧迫の練習。120回/分、5cm押し下げる。 

2.岩場を安全に通過するために
    初級、中級、上級に分かれて山岳連盟の指導員から説明と実技の指導を受ける。
    私が受講した初級の講座内容概要を記す。

①    ピレイしてもらい岸壁を三点確保で登る、ロープを使っての懸垂下降、ロープを使ってのトラバースなどを    練習した。
②    背負い搬送:テープスリング1本での背負い、ザック・雨具・ストックを使っての背負いで怪我人を搬送す     る実技指導 

3.教訓

①    安全な山行のために:
   本来、色々な知識、技能が要求されているのが良く理解できた。
     サークルのリーダーだけでなくメンバー全員の学習が望ましい。
②    救急処置法について:
      登山には潜在的なリスクが沢山あること、今まで救急処置を要する事故に遭遇しなかったのは、たまたま
      幸運であったと痛感した。
      又、自分が如何に無知であったか思い知らされた。今日の講習内容を忘れないよう時折、復習が
      必要であろう。
③    岩場を安全に通過するために:
      ロープで確保している限り、考えていたよりも岩登りは危険でないことを実感した。
      高齢者の私が、ロープを使うような岩稜にアッタクする積りはないが、懸垂降下、トラバース、転落時の
      救助などロープワークが必要な場面に遭遇する可能性は皆無でないので、学習しておくのが望ましい。

                                                   [岩登りのオリエンテーション風景]

                                                     [三点保持による岩登りの実技風景]

 

 

 


白草山(1641m)と箱岩山(1669m) ~噴煙上がる御嶽山の大展望~

2016-10-18 | 山行

 白草山(1641m)と箱岩山(1669m)~噴煙上がる御嶽山の大展望~
10月15日(土)、快晴、爽やか
参加者:G.G.他9名
アクセス:各務原6:30→(国道R41)→(県道R62)→(国道R257)→8:20黒谷林道入口
累積標高差:1259 m
所要時間:5:40(昼食、休憩を含む)
コース:黒谷林道入口8:30→10:40箱岩山分岐点10:50→10:57白草山11:46→12:00箱岩山12:12→14:10黒谷林道入口

GPSトラック:

GPSトラック標高図:
登山口からの全体的な斜度は低い(12°位)ので、体力的に楽である。

(クリックで拡大) 

山行リポート:
下呂市乗政温泉を過ぎて昼尚暗い細い林道を詰めて、鎖で通行止めになった黒川林道入口付近の路肩に駐車する。ここから約2km程、登山口まで林道歩きである。
 
■林道の右に木造の橋があり、ここが登山口である。

 ■展望がない山道をのんびりと登ってゆく。標高1300mで、右側の視界が開け、加子母集落もハッキリと俯瞰できる。

■標高1500m位登ると、白草山手前の広々した笹原が視界に入る。陽光に煌めき美しい。
 
■箱岩山への分岐点を過ぎると、突然視界が開け、噴煙を上げている御嶽山の巨大なマッスが眼に飛び込んで来て、その雄姿、絶景に思わず歓声を上げる。
 
■ここから白草山山頂は指呼の間である。山頂からの展望は将に360°の大展望である。
北に眼を転ずれば乗鞍岳、笠ヶ岳、北西に白山、南西には遥か彼方に伊吹山系、南東には眼前に阿寺山系の小秀山を中心した山並が屏風のように屹立している。
 
■普段は単独の記念写真を撮さない小生も仲間に釣られて思わず撮影してもらう。

御嶽山の噴煙も真っ直ぐに立ち登っている静穏・無風な小春日和の下、昼食を摂り、最高の景色を眺めながら50分間もゆったり過ごす。その後、白草山より30m位高い隣の箱岩山へ移動する。北方のみ展望が開け眺望はなく訪れる人も少ないようである。微かに白山が望める。
但し、白草山には三角点はなく、こちらに三等三角点あるのが自慢であろう。
 
■箱岩山で10分位、留まり記念撮影などをした後はひたすら往路を戻り無事に駐車地点に戻る

雑 感:
■乗政温泉から黒川林道入口までの林道は舗装はしっかりしているが杉木立が鬱蒼とし薄暗く、道幅も狭いので運転は慎重を要す。
■白草山からの御嶽山眺望は将に超一級の絶景である。
■今日は終日、雲一つない快晴に恵まれた僥倖に大感謝である。8月、9月は悪天候続きで山行がままならかっただけに喜びは一入である。
因みに、このような快晴は稀有であると、後から登ってきた常連さんも語っていた。

 


最後の清里旅行:諏訪大社下社、富岡製糸所、清里の今昔、紅葉の白駒の池

2016-10-17 | 旅行・紀行

10月1日~4日、三泊四日の最後の清里旅行に行ってきたので簡単な紀行文をしたため思い出の縁としたい。
 最後の意味は長年、毎年のように訪れていた清里、正確に言えば八ヶ岳、東山麓の大泉高原にある会員制ホテルの利用を今回で中止することとしたからである。

10月1日(土):薄曇り
何回も通った所で、今更、観光したい所も思いつかなったが、諏訪大社下社(秋宮と春宮の2社あり)が未訪問であるのを思い出し見学することにした。ついでに最近、人気がある「万治の石仏」も見学することにした。諏訪大社下社は想像していたよりも荘厳、重厚な社であった。
  秋宮の神楽殿が堂々としているのが特に印象的であった。銅製の巨大な狛犬は日本一、しめ縄は出雲大社のそれよりも長いそうである。
 
本殿も立派な彫刻が施された重厚な社であった。
 
 次に、車で移動し、春宮を訪れた。周囲を森に囲まれ一層荘厳な雰囲気が漂っていた。
本殿の左右に御柱祭で有名な柱(左側が1番、右側が4番、3番、4番は本殿の後ろで見えない)が見えている。こちらの本殿の彫刻も立派である。

 春宮の向かって、左側の階段を降りると急流の砥川が流れている。赤い橋を渡り右岸を5分位遡ると「万治の石仏」が鎮座している広場に着く。観光客と比べるとその巨大さが分かろう。

 参拝の仕方が変わっている。「よろずおさまりますよに」念じ、石仏を時計回りに3周するのである。変わった「おまじない」である。

10月2日(日):晴れ
 少し足を延ばして、2014年6月に世界文化遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の見学に出かける。なお、遺産群には製糸場以外に3ヶ所の施設が含まれているが、訪れたのは富岡製糸場だけである。
 佐久甲州街道を北上し、佐久ICで上信越自動車道に入り途中、横川SAで昼食を摂る。
横川SAでは妙義山が真正面に見え大迫力である。鋭い岩峰が屹立しハイカーを寄せつけない異様な山容である。日本三大奇景の一つであるのも頷ける。

ここで、もう一つ忘れてならないのが昼食に食した荻野屋の「峠の釜めし」である。因みに、日本一人気のある駅弁だそうである。
 富岡ICで降りる。町中の駐車場が分からず富岡駅前の公共施設の駐車場に止める。
10分位で富岡製糸場に着く。日曜日とあって、観光客で賑わっていた。
入場料は1000円である。

200円を払い、ガイドに付いて工場内を案内してもらう。付いたガイドが良く、説明は巧みで、良い勉強をさせてもらった。
 フランスはリヨンからの技術者などの指導の下、当工場は明治5年(1972年)に操業を始め、以後115年間も操業し続けたそうである。
 建屋は当時のままだそうであるが近代的で、現代の工場と較べても遜色ないのに驚く。
一個の繭は何と1300m~1500mもの驚異的な長さの糸を吐き出すそうである。それを何本か撚り合わせながら機械が巻き取って絹糸を作ったそうである。
 当時の工女の労働条件は7.5時間労働/日で休みは1回/週だったそうで、現代の労働条件以上の厚遇に驚く。
 下の写真はレンガ作りの置繭所(三階建ての繭貯蔵庫、国宝)で、デザインも今様で斬新である。

下の写真は繰糸所(長さ140mと長大な建屋で繭から糸を紡ぐ。国宝)の外観で採光のため、大きなガラス窓が採用されている。昔のガラスは手作りで表面が平面でないく、手作りの暖かさ伝わってくる。
 
下の写真は繰糸所の内部で、自動繰糸機(繭から糸を巻き取る機械)がズラッと並んでいて壮観である。因みに、機械は往時のものではないが、ビニールシートで大切に保護され今でも使えそうである。

 帰路は高速でなく、佐久市まで国道R254を走ってみた。沿線に大きな町もなくゆっくりとドライブできた。途中、道の駅「しもにた」に立ち寄る。ネギとコンニャクの産地で有名であるが、生憎、ネギの生産は冬だけだそうで入手できなかった。 

10月3日(月):小雨
山梨県の広域が雨のため、遠出はせず、近傍を観光する。
 最初に元俳優の柳生博さんが経営を始めた八ヶ岳倶楽部を訪れる。洗練された商品が並んでいて見るだけでも楽しい。雑木林の中に洗練されたギャラリーがあり、何時も気鋭の作家の作品が展示されていて、一見の価値がある。
 小雨に濡れた林の中のギャラリーの佇まいがロマンティックな雰囲気を醸し出したのが印象的であった。

 次に清里名所の清泉寮を訪れた。天気良ければ秩父山塊、南ア、八ヶ岳などの山々が展望できる所であるが生憎の雨で展望はゼロであった。
ここの売店のソフトクリームが有名である。一度食したら、その濃厚な味の虜になるようである。
又、売店の土産物も洗練されていて楽しいショッピングが楽しめる。セレクトショップでは珍しいアメリカ製の小物が多数置かれていて、女性客に人気があるようである。
 ここのレストランのアットホームな雰囲気が大好きである。往時は夜も営業していて、賑やかであったがが、今は清里の退潮に伴い、客足が減少し、ランチだけの営業である。往時の面影そのままに、広々した木造の食堂で、ウエイターがサービスしてくれるのが嬉しい。

 次に小海線の清里駅付近の商店街を訪れてみた。1980年代には若いギャルが溢れていたファンシーな商店街が今や、殆どの店がシャッターを下ろしゴーストタウン化していた。
この景色は何処の駅前通りも同様であるが、往時の清里の賑わい、喧騒を思うと、その変化が極端で、一体全体「あれは何だったんだ」、「夢・幻だったのではないか」と言う感慨が大である。
 因みに、何回か訪れた北沢ガラス美術館も2012年に閉館となり、廃墟化は商店街だけでないのが寂寥感に拍車をかける。 

10月4日(火):晴れ
 朝起きて部屋のカーテンを明けると、久し振りに南アの雄姿が眼前に展開していた。
左から鳳凰三山、中央に北岳、右に甲斐駒ヶ岳の峰々が別れを惜しんでいるようである。
 
 帰宅の日であるが、帰るだけでは能がないので、途中、松原湖を見物し、その後、白駒の池の紅葉見物することにする。
 数年前に松原湖を訪れた時は銀杏が真っ黄色に黄葉し、銀杏を沢山拾ったのを思い出し、訪れてみたが、湖畔に人影はなく、白鳥の乗り物が虚しく係留されているだけであった。

 湖畔を過ぎ、R480の九十九折の道を上がって行き、メルヘン街道と呼ばれるR299との合流点にある売店に立ち寄る。ここは浅間山のビューポイントで人気の場所である。
下の方は雲がかかっていたが浅間山の雄姿が望め、別れを惜しむ。

 麦草峠近くの、駐車場は平日であるのに白駒の池観光客のバス、マイカーで満杯であった。丁度、紅葉が見頃とあって、休日ならば長時間の待機を強いられたことであろう。
駐車場から遊歩道は直ぐに原生林に入る。天気が良いせいか昼なお暗い原生林の雰囲気がないのが物足りない。

それでも、局所的には苔むした樹木、倒木などがあり、他所では見られない苔の森の風景が展開し、日本三大原生林の雰囲気を十分に味わえよう。
 

 遊歩道を20分位歩くと、白駒の池に着く。丁度、昼食時間であり白駒荘の周辺はハイカー、観光客で大賑わいであった。
湖面に紅葉の赤が反射し美しい景色が目を楽しませてくれる。過去、3回この池を訪れているが、始めて紅葉の見頃に遭遇した幸運を喜ぶ。

 二人だけの記念写真を撮ってもらう積りであったが人が一杯で、他の観光客も写り込んでしまったが、却って観光地の雰囲気がある良い記念写真になったようである。

 昼食は山小屋、白駒荘で野菜カレーを食す。大きな葉っぱが入っていた珍しいカレーだが、中々美味であった。座敷は中二階位の高さがあり湖面の眺めもよくゆったりと、楽しい一時を過ごせた。

 白駒の池を後にし、駐車場に戻り、売店を覗き、絵はがきなどを求めて予定の観光は無事終了である。
蓼科別荘地を通り抜け、茅野市街地でガソリンを補給し、諏訪ICで中央高速に乗り一路帰路に着き、5時半頃、無事に帰宅する。

旅の総括:
今回の清里旅行が最後になるであろうとの先入観があり、愛惜の念を持って、各所の風景、風物に接したためかとても印象的な旅となった。私の年齢を考えると再びこの地を訪れることはなかろうと思うと名残惜しい清里である。

諏訪大社は濃色蒼然とした荘厳で、神々しい佇まいで、日本の原風景を見る思いがした。
■世界文化遺産の富岡製糸場は、明治初期に於ける先人の工業化への情熱を今に伝えている遺構で必見の価値がある。
■80年代に起きた異常な清里ブームで、清里駅周辺は若者をターゲットにしたメルヘンチックで、ファンシーな店が軒を連ねていたが、今や殆どの店がシャッターを降ろし廃墟になろうとしている。あの喧騒は「何だったんだろう」との感慨が強い。
■標高2115mの高所にある紅葉の白駒の池の美しさ、池に至るまでの原生林、苔の森の神秘的な風景は筆舌に尽くしがたい素晴らしさである。観光客が多数押し寄せているので、自然破壊が懸念される。