G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

膝痛治療の顛末

2015-09-08 | 日記

膝痛治療の顛末 

 2015年3月30日に突然、右股関節と腰に激痛が走り、やがて右膝の激痛へと変化し、以後5ヶ月余、治療をしてきた。9月8日現在では、殆ど痛みが消え、最終段階に辿り着こうとしている。
 膝痛の原因として考えられるのは、3月8日に各務原シティマラソン(10km完走)があり、2月に可成りの練習をしたこと、3月21日に滋賀県の繖山~安土城址ハイキング(歩行距離15km)をしたこと、3月24日からマイカーで1週間の東京方面旅行をしたことなどにより膝の疲労が累積し、半月板損傷に至り、激痛を発症したものと推測している。
 ここで、5ヶ月余りの膝痛治療経過を記して、同世代の高齢ハイカー及びランナーの参考に供することにしました。
 以下に発症後の日数により、症状が改善されて行った概要を時系列で、記述します。 

1日(3/30)~7日:
突然、右股関節と腰に激痛が発生。日中は鎮痛剤の服用(錠剤を朝昼夜の3回とリリカプセルを夜1回)とノイロトロピン注射(鎮痛、昼1回)で激痛が抑えられていたが、夜中の2~3時になると、薬効が薄れ、激痛となり眠られない。
                   
止むなく起きて、椅子に座り夜明けを待ち、痛み止め薬を服用し痛みを抑える日が続く。

8日~10日:
痛みが右股関節、腰から右膝に移動し激痛が続く。毎日の鎮痛剤の服用と注射に加えて、膝に週1回の間隔でヒアルロン酸注射を開始するも、相変わらず、夜中から眠られない日々が続き辛い。脊椎のMRI検査をするも異常なし。

11日~24日:
痛みが少し軽減するも、やはり夜中に薬効が切れ、眠られない日々が続く。
24日に右膝のMRI検査をしてその結果、膝痛の原因は半月板の損傷であると診断された。 

25日~33日:
次第に痛みが軽減し、夜中にも目覚めなくなり、やっと安眠でき、寝不足から開放される。31日には発注してあったサポーターが出来上がり歩行時に装着する。

                            
34日~61日:
動かなければ痛みは感じなくなる。杖を突きながら、家の中をゆっくりと動けるようになる。痛みの軽減に伴って、34日からは錠剤を朝夕の2回にし、更に、39日からはほぼ毎日打っていた注射を一週置きにする。 

62日~77日:
サポーターを着け30分位の散歩をする。後で少し鈍痛を感ずるまで回復する。 

78日~85日:
30分位のサポーターなしの散歩と15分位の水中歩行を開始する。後で少し鈍痛を感ずる。次第に痛みも軽減し、80日で鎮痛の注射も中止する。 

86日~131日:
サポーターなしでの1時間の散歩、15分の水中歩行後も痛みなし。水泳(クロール)は膝がグラグラして痛みが再発しそうでパスする。
113日で錠剤の服用を中止し、リリカプセルを150mgから75mgに減らす。 

132日~149日:
1時間の散歩、30分の水中歩行と水泳(初期はブイを使用し足を使わないようにした)するも痛まず。 

150日(8/28)~:
1時間の散歩、1時間の水中歩行・水泳するも痛まず。医者の最終診断が未済であり、未だにリリカプセルを服用中であるので、現時点では山歩きには挑戦できない。 

教訓:
 思い返してみると、3月21日に滋賀県の繖山~安土城址ハイキング(歩行距離15km)時に右膝に可成りの違和感を感じたのが、今回の激痛のサインだったのかもしれない。
 なまじ体力には自信があり、サインを無視しその後も活動を続けた事で決定的なダメージに至ったと思われる。何事も過信は禁物で、年齢には勝てないことを肝に銘じた次第である。
  なお、治療と言っても服用する薬剤は鎮痛剤であり、直接的に半月板損傷の回復を促進するものではない。有効な薬は所謂「日にち薬」であるので、安静にし焦らず回復を待つ忍耐が肝要であろう。

 


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