G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

「中東複合危機から第三次世界大戦へ」(山内昌之 著)を読んで

2016-03-20 | 書評

1.はじめに:
「第二次冷戦」、「ISによる世界的なテロ」、「第三次世界大戦勃発の危機」の視点から現状分析をしている。その理解を助けるため、危機の背景となる中東の地政学的な重要性、覇権を競う大国の政治情勢、イスラーム思想の概要、諸イスラーム帝国・王朝の歴史などにも触れていて、現在のシリアを中心に繰り広げられているカオスの実態が深く理解できるようになる。以下に主なる項目の概要を示す。

2.第二次冷戦:
シリアを舞台に各国の利権を巡り、ロシア、イラン(全体主義、権威主義的国家)vs欧米(民主主義国家)の冷戦の構図が発生している。
アメリカ弱体化の間隙をぬって3大大国(ロシア、イラン、トルコ)が覇権を争い権謀術数を尽くしている。
特にロシアとイランの動向に注意。
(1)  ロシア:ソ連邦時の領土回復を狙う/既にシリア内に2ヶ所の海軍基地(タルトゥス、ラタキア)を有する。
(2) イラン:シーア派イスラーム世界の拡大を目論む/歴史を誇る大国/石油・ガスの巨大な埋蔵量/国民国家を長年維持してきた団結力/核保有を目指している/キャスティングボートを握る強国

3. ポストモダン戦争:
ISとの戦いは国家間の戦いでなく世界的なテロとの戦いの様相を呈している。
欧米、ロシア、中国などの資本主義的価値観を否定し、過去に例の無い超領域の大量無差別殺人を常套手段にしている超過激なイスラム原理主義者との闘争である。
3.1 ISその他の超過激派の発生土壌:
(1)イスラームの内部分裂:過激派の派生を止める自浄能力が欠如している。
(2)多くの国が弱体化、破綻国家化:過激派発生の温床になっている。
(3)民主化・自由化が不適:「アラブの春」で起きた民主化・自由化の試みが失敗に終わり、多くの国が崩壊した。
3.2 中東の地理的重要性:
以下の重要性のために諸大国の覇権争いの場になり易い。
・中東は地政学的に重要地点であり  ・石油、ガスの埋蔵量が膨大である。
・地政学的にマッキンダー理論でいうハートランド(中核地帯)である。
3.3 イスラームの教え:
(1)「大文字のイスラーム」:狭義のイスラームで、排他的、攻撃的
   「小文字のイスラーム」:内面的な日常の信仰
(2)ムハンマドの教えは神の目の前の平等性、と弱者の救済
(3)小文字のイスラームの「六信五行」を行うのは大変な忍耐と持続性が要求される厳しいものである。
3.4 イスラームの歴史:
(1)  シーア派とスンヌ派の分裂:1300年前の亀裂が今も続き、中東危機の大きな要因のひとつになっていて事例は枚挙に事欠かない。
(2)アラブ帝国:アッバス朝が最盛期の大帝国(1200年に滅亡)だった。
(3)オスマン帝国:イスラーム長老を行政官僚とした。後、第一次大戦後、脱イスラームで政教分離、女性解放などの近代化革命に成功した。
(4)イラン帝国:シーア派を信奉するイラン人による国民国家としてのイスラーム大帝国を設立→パフラヴィー朝の時にイラン革命に成功→イラン・イスラーム共和国を樹立し今日に至る。近未来の核保有を目指している。
3.5 ISはカリフ国家か:
ISは脱領域性、超民族性を過剰に強調し、英米法体系より遥か昔に登場したイスラームの規範を厳格に適用しようとしている。
理念はさておいても、勢力拡大や発展のプロセスでの暴力、無差別テロはムハンマドの教えに反する。

4.  ロシアとトルコ戦争の危機:
(1)ロシアはシリアの権益を守るためアサド政権(シーア派)を支持、トルコ(スンヌ派)は反アサドで、共通の敵はIS(スンヌ派)。
(2)ロシア機撃墜事件(2015.10.31)の背景は・ロシアのプレゼンス脅威への対抗と・同族である反アサドのトルクメン武装組織をロシアが空爆したため。アメリカとNATOもトルコ支持。
冷戦が熱戦化すれば第三次世界大戦の導火線になる可能性ある。

総括:
(1)良書である
現在の中東、特に、シリア於けるカオスの過去、現在、将来展望などが豊富なデータに基づき良く分析・考察され説得力のある労作である。
昨今の複雑な危機的状況の本質及び背景がこの一冊で理解できるようになる点では可成りの良書と言えよう。
(2)読み難い:
以下、列挙するように読み難く、理解するのに相当のエネルギーを要するが、我慢して一読するに値する。
(1)まえがき、序章とあるが本書で何を言わんとしているのか明確になっていない。
(2)章・節のタイトルと中身が不整合:タイトルを見ただけでは何を述べようとしているのか分からない。
(3)一つの章の中で、複数のテーマを取り上げていて、焦点が分かりにくい。
(4)文章がこなれていない。全体的に推敲が不十分に思える。
(5)カタカナ語の頻出。
 


烏帽子岳(865m)~狗留孫岳(772m) ~細野集落から烏帽子岳~狗留孫岳ピストン~

2016-03-07 | 山行

3月5日(土)、暖か(15℃位)、無風で穏やか
参加者:G.G.ほか8人
歩行距離:約9 km、所要時間:約5:00(昼食、休憩を含む)
GPSのトラック:
登山口P→(展望岩コース)→烏帽子岳→狗留孫岳→烏帽子岳→(大岩コース)→登山口P

GPS標高図:
 
(クリックで拡大)

山行リポート:
時集落に入ってから、牧田川の橋を渡り、駐車場までの道路標識が完備し、細野集落の中の細い道を
難なく安全に通り抜けられた。
駐車場は広々して良く整備されている。トイレは洋式、和式があり、水洗で清潔そのものである。
既に15台の車が来ており、25人のパーティが出発の支度をしていた。
■一般には、駐車場の後ろを右折して登山口へ向かう筈であるが、先着のパーティは駐車場の後ろを
左折し行くので尋ねた所、私の知らない別の登山口から登るそうである。
我々は駐車場の後ろの土手を右折して進み十劔神社の前に出る。今日の山行の安全を祈願して柏手を打ち、
頭を垂れる。

 
■神社の脇にはエメラルドグリーンの水を湛えた神秘的な池が横たわっているのが印象的であった。何か謂れがありそうである。池に沿って進むと獣よけのフェンスに突き当たる。


■フェンスの錠を外し登山路に入る。道は雑木林の中を登っていく。第一、第二見晴台に立ち寄るも、
何れも養老方面が望めるだけで大した展望でない。第三見晴台になると、高度が上がり展望も開け養老山塊と
眼下には銀嶺湖などがボンヤリであるが望まれた。

■第三見晴台から道は次第に急傾斜になってくる。やがて展望台コースと大岩コースの分岐点にくる。標識に
従って展望台コースに進む。断崖絶壁の展望岩から北方の展望が開けているが、残念ながら生憎の曇天で、
猿登、ソノド、かすかに霊仙が識別できる程度であった。

 
■以前、同じ時期に登った時はこの辺りは30cm位の積雪があったと記憶しているが、今年は殆ど積雪がなく、途中一箇所だけ、僅かな面積の残雪が見られただけである。

■頂上に着くと、今朝方、我々と反対方向に進んでいったパーティが昼食の真っ最中であった。
昼、少し前であったが我々も昼食とする。山頂の南側は小春日和の暖かさであった。
先着したパーティは「山想山歩の集い?」という名古屋のサークルであったが、そのリーダーに
登ってきたルートの教えを請うた所、快く、丁寧に教えてくれた。
そのルートは烏帽子岳の東尾根を辿るものでマンサクが沢山あるので、「マンサク尾根」と命名している
そうである。25人もの高齢者が登れる位で、難しくはないそうである。
未知のルートにチャレンジする楽しみが増えたのは大きな収穫である。
■昼食を済ませ、狗留孫岳に向かう。気持ちの良い25分の尾根歩きで、大きなアンテナが立つ広々として、
気持ちの良い狗留孫岳に着く。生憎、もやっていて、周囲の景色はボンヤリとし、写真には写りそうもない。
参考に、若し天気が良ければ見えるはずの展望をカシミール3Dで再現してみた。
西方には双耳峰の三国岳、烏帽子岳から三国岳へ続く尾根などが展開していよう。

南方には御池岳の巨体が眼前に、左側には藤原岳が続いていよう。


■狗留孫岳で記念撮影をしている時、烏帽子岳で昼食を摂っていたパーティがやってきた。パーティにはワン
ちゃんが同行していて、それが、記念撮影時に丁度、我々の前を横切り一緒になったワンショットがこの写真である。

■広場の雰囲気が良く、気持ちも良いのでゆったり休憩した後、往路を引き返し、30分程で、烏帽子岳に戻る。
往路では大勢が昼食時であり、記念撮影は後回しにしたので、静かになった山頂で休憩し、記念撮影を済ます。

■下山は大岩コース経由である。特別な奇岩、巨岩でもあるかと思いきや、やや大きめ目の何ということもない岩があるだけであった。

■三時近くなり、山道もそろそろ夕暮れの気配が漂い初め、フィナーレも近い。

■獣避けフェンスを出て、十劔神社に今日の安全と快適な山旅のお礼をして、無事、駐車場に帰着した。 

雑 感:
時集落に入っから登山口駐車場までの道標が完備していて大助かりである。地元の気配りに感謝である。
花の季節に再訪しよう。
■烏帽子岳登山路として東尾根のルートがあることを教えて貰った。早い時期に、下見に行きたいものである。
■狗留孫岳山頂は広々して、眼前に霊仙、三国岳、御池岳などの巨大な山体が横たわる、大変に気持ちのいい
ポジションであり、天気の良い時に是非とも再訪したい。
■下山してから、女性陣から疲れたとの感想が聞かれ反省する。ペースに注意していた積りであったが
オーバーペースだったようである。更なる気配りが必要なようである。