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万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

龍馬伝-第30回「龍馬の秘策」

2010年07月25日 23時28分40秒 | 龍馬伝

冒頭,元治元(1864)年12月の長州藩反乱から始まりました。
反乱,というとさぞや大規模な合戦が幕府を相手に・・・と思われますが,勿論前年の八月十八日の政変や同年の池田屋事件,そして蛤御門の変によって踏んだり蹴ったりの長州藩には幕府とやり合う力など残っていません。
何せ第一次長州征伐が始まったことで,藩論は佐幕一色となり,上記政変の責任をとって周布政之助や福原越後といった家老クラスが切腹。
完全に幕府に恭順・・・といったのが実情だったはずです。
・・・で,そこでその俗論党政権を倒そうと立ち上がったのが高杉だったという訳です。ですから反乱などという威勢の良いものではなく,一種のクーデターのようなものであり,それも際どく成功したと言えるでしょう・・・(大田・絵堂の戦い)。
このあたりの高杉の動きは実に面白く,俗論党政権下では身の危険を察していち早く筑前へ逃亡,やがて下関に潜伏して奇兵隊(山県)や力士隊(伊藤)を率いて決起。
さらには僅か18人で三田尻港を急襲し,藩の軍艦3隻を奪取。
下関へ回航させ,やがて年が明けての大田・絵堂の戦いとなる訳です。
ですから,当然高杉が長崎に伊藤や井上と居たというのは考えられません。
さらには呆れたことに桂がいつの間にか長州に戻ってきており,一手の大将として采配を振るっておりました。
をいをい,桂が長州へ戻るのは勤王派による政権奪取が成された後の慶応元(1865)年の4月末だろうに・・・。
慎重な桂が危険なクーデターに参加する筈もなく,当時は但馬出石に潜伏していた筈です。・・・で,勤王政権成立でひょっこり現れる(村田蔵六=大村益次郎が書簡で呼んだらしい)・・・というのが史実でしょう。
桂とはそういう男です(誤解を招きそうですが,決して揶揄しているのではなく,機を見るに敏なこういう男こそ立派に生き残るということです)。
さらに,「長州藩力士隊」なんて幟挙げて戦争するんか・・・。


・・・ということでのっけから突っ込みどころ満載でした。
・・・で,肝心の龍馬くんですが(弥太郎くん談では性格変わったらしいですが,どこが・・・??),福山くんってあっさり顔というか草食系なんですかね・・・。
周囲のイケメンたちも皆草食系あっさり顔なので,今回は何かすっかり埋没してしまっていました・・・。
突然池内藏太出てくるし(白峰駿馬は居ないのか),せいぜい判別できるのは饅頭屋と陸奥と沢村ぐらいです・・・。
多分若手俳優を集めて青春群像劇にしたいという意図が有るのでしょうが,とにかくキャラが立ちません。
それに対して,女優のお二人は際立っていましたね(豪商小曾根役の本田博太郎さんも)。
余貴美子さん(お慶は当時38歳でした・・)も,中野友加里もとい蒼井優嬢も存在感はどの男優よりも有ったと思います。
尤もお元のキャラがいまいち分からないし,切支丹???。
オランダは新教(プロテスタント)だから切支丹とは呼ばないか・・・。
・・・で,長崎奉行所の息がかかったおねいさんが隠れ伴天連???
よう分からんぞ・・・カウンタースパイか・・・(どっちの?)
さらにはカステラ作りですか???
龍馬は交易を目指していたのであり,カステラを作っていたというのは何か史料の裏付けがあるのでしょうか・・・。
単に長崎だから・・・ということでしたら全く無意味で,むしろお慶が行っていた日本茶の貿易にでも加わらせた方が現実味があったように思われます・・・。
ついでに,土佐の男たちは皆大酒飲みですから,カステラを喜んで食すとも思われないのですけど・・・(私は甘いものも辛いものも好きですが,日本酒とカステラという組み合わせはとんでもないです・・・)


題名は,薩長同盟のことでしたね。
幕府を恐れる言い方を西郷どんがしておりましたが,薩摩の上層部は幕府を嘗めきっていましたから,幕府を敵にするのを今更恐れるとも思えないのですが・・・。
勿論幕府の背後には小栗忠順の政策でフランスが控えており,公使のロッシュは幕府に武器の供給を約してました。
ただ薩摩も英国が背後に居り,既に交易中でした。
当然首を振らない西郷どん。
次回はどうやら西郷を下関に連れて行こうとする話のようです。
ということは,慶応元年5月・・・。
武市が切腹した時期ですね・・・。
さて,勿論史実では西郷は下関をパスしてしまうのですが,どうなるのでしょう・・・。
さらに亀山社中の設立は・・・。
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