koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

Falklands War,1982

2007年04月02日 22時06分05秒 | 歴史

あれから四半世紀もたったかと思うと何とも言えぬ感慨がある。
1982(昭和57)年4月2日。
WWII以降戦火とは無縁の筈だった英国とアルゼンチンの間に起こったのが,世にいうフォークランド紛争である。


フォークランド諸島(アルゼンチン名マルビナス諸島)は南大西洋上,アルゼンチンから約500kmに位置する島嶼の総称である。
19世紀以降領有を巡って上記二国が対立。
WWII以降は,アルゼンチンが英国に返還を求めていたという経緯がある。
当時のアルゼンチンは,長引く軍事政権に対する国民の不満を反らすため,英国は就任間もない首相マーガレット・サッチャーが対アルゼンチン政策に関して妥協を許されない状況にあったため,武力衝突に発展したと考えられる。
資源があるわけでもなく,ペンギンが棲む絶海の孤島のようなこの島が軍事上さして重要な訳でもないのに,近代兵器同士の武力衝突が起きてしまった理由は,両国政府のエゴとでもいうべきなのかもしれない。
お莫迦な政府や政治家によって負債を払うのは,常に国民なわけである・・・。


歴史上,さして意味のないと思われるこの紛争だが,幾つかのエピソードがある。


まず,英国が渡洋爆撃の記録を作ったこと。
ナポレオンの流刑地として知られる大西洋上のセント・ヘレナ諸島の一つであるアセンション島の英空軍基地から(こんなところに基地があるなんて知らなかったが・・・)飛び立った退役間近の老朽機アブロ・バルカン爆撃機が,途中ハンドレページ・ビクター爆撃機に空中給油を受けつつ,フォークランド諸島内のポート・スタンリーとグースグリーンの飛行場を爆撃。
6,000kmを越える渡洋爆撃の記録を作り,全機帰還した。


次に,英国の圧勝と誰もが思っていたにもかかわらず,アルゼンチン軍が善戦したことが挙げられる。
何と言っても,フランス製のダッソー・ブレゲー・シュペル・エタンダール攻撃機が搭載するフランス製対艦ミサイル「エグゾゼ」によって英国艦艇を数隻沈めたことが記憶に新しい。
アルゼンチン空海軍の主力は,当時既に二世代前のものとなっていたA4スカイホーク攻撃機だったが,最新とも言うべき英海軍のシーハリアー戦闘機を相手に善戦した(尤も,当時シーハリアーには対艦ミサイルが装備できず,そのために艦船攻撃が後手に回ったのもあったらしい・・・)。
あとは,確か英海軍の原潜が初の実戦を経験したこともあったと思う・・・。


いずれにしても,60~70年代のヴェトナムにしても印パ紛争や中東戦争,それに80年のイライラ戦争にしても,アジアの政情不安な国の戦争ということだったのが,アルゼンチンという南米では最も生活水準が高いと思われた国と,英国というWWII以降戦争とは無縁だった(多数の植民地を失い,落日の帝国となっていたが)国の紛争,ということでショッキングな出来事だった。


因みに,私はフォークランド紛争によって引退したと言われるアルゼンチンのF1ドライバー,カルロス・ロイテマンを思い出す。
当時,ブラバム~フェラーリ~ウィリアムズと名門チームに所属し,チャンピオンを獲ったニキ・ラウダ(墺)やアラン・ジョーンズ(豪)と組み12勝を挙げたドライバーだが,英国のウィリアムズチームに居ることができなくなり引退を余儀なくされた,と当時言われていた。
尤も,一説ではその年(82年)チャンピオンを獲った相棒ケケ・ロズベルクの速さを見せつけられて引退を決意したとも言われている。
その後,サンタフェ州の知事になり,つい最近は大統領候補にまでなったというから,凄い話ではあるのだが・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿