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koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

F1バブル・・・

2010年10月04日 20時43分58秒 | 車&モータースポーツ

F1日本GPが近付いている。
昨年までは「和製スクーデリア」の参戦もあり,感情移入することができたのだが(J・トゥルーリがピット作業でハミルトンを抜いて2位に上がったときは,えもいえぬ熱いものが込み上げてきた・・・),今年はそれもなく,割と冷静に10/10を迎えることになる。
チャンピオンシップが混沌としていて,どうなるか分からないというのが救いではあるのだが・・・。


私がF1を見始めて(というかCXが中継を始めて)数年たった90年代は,F1が華やかなりし時代だった。
多分鈴鹿がチャンピオンシップ決定の舞台となったからだと思う(92,93年を除く)。
そして我が国初のリアルタイムドライバーとなった中嶋悟と彼をスポンサードしたHONDAの影響は極めて大きいと思う。
特に中島が引退を表明し,Brownカラーの逆ガルウィングティレルHONDAで走った91年はそれがピークに達した(私はF1バブルと呼んでいる)。
だから,当時の日本GPの盛り上がりは凄かった。
前日だか前々日には「前夜祭」なるものが開催され,ドライバーは勿論豪華ゲスト陣が華を添えていた。


F1の音楽というと,真っ先に指折られるのは何と言ってもT-SQUAREだろう。
「Truth」をはじめとして,F1に関連する楽曲は多い。
例えば,93年はセナが勝つと「Face」,プロストが勝つと「明日への扉」といった具合にSQUAREの曲が流れた。
因みにシューマッハーは,Deadendの「Good morning Saterite」,ヒルは何だったか・・・。さらには番組のエンドクレジットである「A Latchkey」(これは今聴いても名曲だ)も前夜祭で演奏された。
作曲は佐藤準。
誰だ,それ・・・と思われるかも知れないが,80年代半ばに歌謡界を席巻したおにゃんこクラブの数々のヒット曲の作曲者である。
さらには,ロビン・ザンダーの「In This country」も使用された。
洋楽に全く疎い私も知っていたくらいだ・・・。


この「前夜祭」はいつ頃まで行われたのだろうか・・・。
セナが亡くなった翌94年は,セナの追悼コンサートとしてこれらのアーティストが演奏していた記憶があるが,翌95年はどうだっだろう・・・。
これらもまたF1バブルの所産だろうが,中嶋の引退でバブルが弾け,セナの死で完全にピークは過ぎたということだろうか・・・。


F1RegendなるDVDが販売されているようで,91~94年は入手できそうだ。
私のご贔屓だったデイモンがチャンピオンを獲った96年はどうなんだろう・・・(LDなら持っているのだが)。
こういう昔語りをするということは,今のF1にはどうも+αが足りないように思われてならないからでもある・・・。
それが何であるのか,自分でも分からないのだが・・・。
日記@BlogRanking


2010年F1GP-第15戦シンガポールGP

2010年09月27日 22時44分59秒 | 車&モータースポーツ

シンガポールの夜を彩るマリーナ・ベイサーキット。
一昨年,初の無いトレースとして開催されてから,すっかりF1サーカスにも馴染んだ感じです。
それにしても,市街地コースの特徴であるランオフエリアの狭いコンクリートウォールと高い縁石が何とも恐ろしいです。
1つラインを外すと可夢偉くんのようなことになってしまう訳で・・・。


しかし,悪運使い果たしたかハミルトン。
36周目,ターン7(だったか)で,周回遅れに引っかかったウェバーの虚を突く形でハミルトンが仕掛けるもドアを閉じられはじき飛ばされ万事休す。
こうした局面でしぶとく生き残ってきたハミルトンですが,2戦続けてのノーポイント。
アロンソとベッテルが1,2位。
ウェバーが3位に入ったことで,ベッテルとハミルトンの差が無くなり,ウェバーとアロンソも10ポイントしか差が無くなりました。


アロンソとベッテルの速さは異次元でしたね。
終盤4戦の主役がこの2人であることを高らかに宣言したようなレースでした。
それに対して,カナダGPでは独壇場だったマクラーレンは精彩に欠けました。
バトンなんか影薄かったですし・・・。
ダウンフォースのきついコースは,ストレート速度に勝るマクラーレンのマシンは相性が悪いのかと,勘繰りたくなります。
いよいよ2週間後は鈴鹿ですが,ここも西ストレートや130Rのような高速ターンとデグナーや最終シケイン(カシオトライアングルと呼んだのはいつだ・・・)のようなテクニカルな部分が融合したサーキットは赤べこ有利でしょうか・・・。
いずれにしても,タフで強いアロンソがこれで大本命返り咲きでしょうか・・・。
次はバトンとベッテルが1,2位だと面白くなるんですけど・・・。
日記@BlogRanking


2010年F1GP-第14戦イタリアGP

2010年09月13日 22時24分07秒 | 車&モータースポーツ

昨夜は9時以降うっかり結果を知ってしまわないように「メディア断ち」を敢行。
例年だとモナコとかモンツァは地上波で夜10時半からの放送だったのだが,年々扱いが悪くなり,昨日(というか今日)は24時30分放送開始という私がF1を見始めてから多分一番遅い時間帯での放送となりました。
少なくてもF1バブル華やかな91年では,考えられない事態です。
いずれCX地上波の番組表からF1中継が消える日も遠くない・・・,そんな嫌な予感がしきりとするのは私だけでしょうか・・・。


さて,モンツァです。
超高速オールドサーキットなので,近年のサーキット(イスタンブールとか上海)まようにランオフエリアが広くなく,コースアウトしたらガードレール直行・・・となりかねません。
4本のストレートをシケインで繋いだだけの至ってシンプルなレイアウトだけに,エンジンパワーとタイヤの摩耗,そして各シケインとコーナーの立ち上がり速度が問題となると思われます。
ダウンフォースを削ってスピードを確保するか,マクラーレンのようにストレートスピードが確保できる場合は,ウィングを立ててダウンフォースを得るのか,各チームの戦略の分水嶺となると思います・・・。


スタート直後,1コーナーの混乱が予想されましたが,赤べこの2台が出遅れただけか・・・と思いきや,ロッジアの手前4コーナーで,マッサのインを強引にこじ開けようとしたハミルトンが,マッサのリアタイヤに右フロントのサスアームを当てリタイヤ。
ここまで悪運強く生き残ってきた彼も今回はどうにもならず万事休す・・・。
どうしてあのようなことをしたのか理解できません。
Fダクトを外して予選でチームメイトに遅れをとった焦りでしょうか・・・。


スタート良く先頭に躍り出たバトンを赤馬2台が追う展開で,その3台が異次元の速度を見せ,4位以下は離されていきます。
53周で争われるレースも真ん中を過ぎた39周目,ピットアウトしたアロンソがピットレーンの出口合流点で,鼻1つの差でバトンの前に出たのです。
この時,サーキットを埋め尽くしたティフォッシたちから大きな歓声が上がりました。
時にはスリップに張り付いてプレッシャーをかけ,時には後方乱気流を逃れるために距離を置き・・・と,変幻自在のアロンソの走りは今回の白眉だったと思います・・・。
とにかく強い。
その強さは,今日のようなレースをマネージメントできる能力が有ってこそなのでしょうし,最後の最後でのFLも彼の強さの象徴でしょう・・・。


赤べこは,スタートで失敗して良いところ無かったですね。
ベッテルが,最終ラップ直前までピットインを遅らせて4位をもぎ取った戦略以外,際立ったことは有りませんでした。
次戦シンガポールは,モンツァよりは赤べこ向きと思われるので,速さが戻るとまたチャンピオンシップが面白くなるのですが・・・。


可夢偉は気の毒でした。
彼のせいではないので,次戦に期待です。
どう考えても全19戦で最もザウバー向きではないと思われるモンツァでの予選13位グリッドは立派ですので,シンガポールでは頑張って欲しいものです・・・。


アロンソ,バトンという前戦スパでノーポイントに終わったドライバーが1-2位に入ったことで,チャンピオンシップが面白くなりました・・・。
ウェバーとハミルトンが180点台,アロンソ,バトン,ベッテルが160点台と,次も今日のメンバーが上位に来ると鈴鹿が盛り上がるんでしょうけど・・・。
それより韓国GPは開催できるんか・・・。
日記@BlogRanking


予想的中・・・

2010年08月30日 22時11分48秒 | 車&モータースポーツ

くそっ,やっぱり予想通りだったか・・・。
ファンには申し訳ないが,私は20数年来マクラーレンというチームが嫌いである。
否,それ以前は嫌いではなかった。
エマーソン・フィッティパルディがチャンピオンを獲得した74年のM23とか,ジェイムス・ハントがドライブしてチャンピオンを獲った76年のM26とか,模型も作ったくらいで,鮮やかなマルボロカラーが実に映えたものだった・・・。
TAGポルシェとのタッグだった80年代中期はラウダ,ロズベルグ,プロストという魅力的なドライバーのラインナップだった・・・。
要は,セナとホンダの時代からである。
無敵と言われた88シーズンは退屈だったし(既にTV放送も始まっていた),セナ-善玉,プロスト-悪という単純な構図も嫌だった。
ドライバーに冷酷なロン・デニスも嫌いだし(フランク・ウィリアムズも同様だが),どうもシステマティックな体質が露骨に感じられて(勿論,それが勝つために必要だということは分かるが),どうにも好きになれなかった。
そこへ来てハミルトンである。
下積みもなくトップチームへ来て,あっさりとチャンピオンになってしまった。
アロンソだってデビューはミナルディだし,セナだってトールマン(後のベネトン)という一流からはほど遠いチームだった。
でもってバトンである。
強運の元に生まれた,とはまさにこの男のことだ。
デビューはウィリアムズ。
ベネトンを経てホンダのエースになり,佐藤琢磨が不運ばかり背負い込んだのに対し,彼は順風満帆なF1人生を歩んでいる(08年のホンダが駄目だったのを除く)。
こういうドライバーを応援する気にはならない。
やはり浪花節的な毀誉褒貶を経て栄光をつかむようなドライバーでなくては,感情移入はできない・・・。


・・・ということで始まったベルギーGPだが,やはり高速オールドコースであるスパはマクラーレンが速かった。
マクラーレンを止めるべき赤牛は,PPのウェバーがスタートで失速。
ルノーエンジンはトラクションのかかりが良いはずなのだが,前半はマクラーレンの1-2だった。
で,同僚にして確執が取り沙汰されるベッテルは,バスストップシケインでバトンのインを突くも,濡れた路面に足もとをとられて,バトンのマシンのサイドポンツーンへ体当たりをかます・・・。
あそこにはラジエター等があり,突っ込まれてはひとたまりもない。
ピットレーンのドライブスルーペナルティで順位を落とした後,中段でリウッツィのフォース・インディアと絡んでリヤタイヤをバーストさせて圏外へ去る。
まるで往年のモントーヤ思わせるとっちらかったレースぶりで,チャンピオンシップからの後退を見せて終わった・・・。
さらにそれらを追うべきアロンソも,予選で沈んだうえに天気と路面の判断を誤った挙げ句終盤に単独でスピン・・・。
フロントセクションを壊して万事休す。
終盤に強くなった雨はハミルトンをもコースアウトさせるが,さすがに悪運強いというか抜群のリカバリーで何事も無し。
追うウェバーは最後のレインタイヤへのチェンジの際に,先行するクビカがピットでミスしたのに乗じて2位に上がるが,ハミルトンを追う力はなく2位キープに甘んじた・・・。 

・・・ということで,ハミルトンがドライバーズランキングのトップに返り咲くという,個人的には面白くない展開だったのだが,唯一可夢偉の走りが救いだった。
予選で下位に沈んでもこのような荒れた展開になると,絶妙なピットインのタイミングで上位を窺う走りが出来るのは大きな強みである。
アップデートもままならないザウバーのマシンで今回はアロンソを押さえるし,2戦連続のポイント獲得で,又しても株を上げた。
93年のデビュー時と最近まではメルセデスやBMWのワークス的な存在だったザウバーだが,その後コスワースやフェラーリの心臓を搭載し,完全なプライベーターとして茨の道を歩んでいる訳で,来年度の資金繰りも厳しい状況である。
白いシャークフィンにスポンサーロゴが無く,ただザウバーの頭文字であるSのマークのみであることも悲しい(右京が乗っていた94年のティレルヤマハを思わせる)。
こうしたドメスティックなゲルマン圏のチームには何としても残って欲しいものである。バーニーやモズレーには目の敵にされそうだが・・・。


次戦は欧州ラウンドの最終戦であるモンツァ。
マクラーレンの圧倒的優位は変わらないと見るが,ハミルトンとウェバーは3点差。
そこから30点差でベッテルとバトン,40点差でアロンソ。
モンツァでアロンソがティフォッシの声援に応えて勝ち,ハミルトンが失速すると面白いことになりそうだが,どうだろう・・・。
それより,ようやく路面の舗装が完了したという韓国GPは開催できるのだろうか・・・。


inch up

2010年08月14日 13時49分29秒 | 車&モータースポーツ

まるまる4シーズン履いたタイヤの溝が減った。
納車時に履いたいたやつで,BSのTURANZA ER300とかいう新車納車時専用タイヤである。
どうやら各ディーラーでは何ヶ月周期かで,何社かのタイヤをサイクルさせているらしい。だから,新車購入時にタイヤのブランド指定を口にしたりすると,営業マン泣かせになる,と聞いたことがある。
そう言えば,前乗っていた車の納車時はTOYOだったし,相方の車はGYだった。
以前はタイヤに対する拘りがあり,BSのPotenza RE71とかそれより少々安価なVgridなどというタイヤを履いていた時期もあったが,今はそんなものは雲散霧消し,ただ走ればいいというだけ,極力安いものを探すことにした。


選択肢は以下の2つ。

○現在履いているアルミに,同等の205 55 R16のタイヤを求めて履かせる。
○タイヤを215 45 R17とインチアップさせ,アルミも新しく求める。今までの16吋のアルミには冬タイヤを履かせて使う。

である。


ここ2ヶ月で,カーショップとスタンドを10軒以上回って価格調査をした結果(時間が惜しいとか時間がないという意見も有ろうが,私は常にこういう買い方をする。それに時間とは作り出すものである),勿論一番安く上がるのは,16吋のタイヤのみの購入である。
しかし,いろいろと検討した結果,タイヤのみ+2万ちょいでアルミも付いてくることから,インチアップして17吋のアルミも買うことにした。
これでアルミを買うのは3回目だが,車種が大きくなっていくため今回が一番大きなアルミを買うことになった。
215 45 R17でアルミ付けて62,000で上がったので,随分安く済んだと思う(今履いている16吋の冬タイヤなど,4本で8万を越えた)。
さすがにホイールの脱着とバランス調整は自分では無理なので購入店に頼んだが,交渉次第ではサービスも可能である。


しかし,16吋を越えると途端にタイヤは高くなる。
前の車は,所謂カローラベースだったので,185 60 R14でアルミ買っても4万でおつりが来たくらいだ。
そう考えると,コンパクトカーが売れる理由がよく分かるような気がする。
拘りさえなかったら,やはり小さい車に乗るのが経済的,ということなのだろう・・・。

旧アルミ→冬タイヤ用に

新アルミ-あまり変わり映えしないか 
日記@BlogRanking


黒い森の記憶(Memory of Schwarzwald)

2010年07月26日 23時59分59秒 | 車&モータースポーツ

赤馬,よもやの完全復活でした。
いろいろと取り沙汰されているチームオーダーは当然でしょう。
速いマシンを先行させる戦略は必然なればこそ,マッサも忸怩たる思いがあったにせよピットの指示に従ったのでしょうから・・・。
可夢偉はあと一歩でしたが,レースをしていましたね。
直線が遅いザウバーのマシンではあれが精一杯でしょう・・・。
銀の矢は,高速ホッケンで存外にスピードが伸びませんでした。
Fダクト効果で独壇場かと思ったのですが意外でした。


ホッケンハイムでのレースには過去に幾つか印象に残るものがありました。
マン太郎に入れ込んでいた時期の91,92年はその前の母国英国GPとともに連覇(というか,その前の仏GPも入れてハットトリック)。
私の周囲のF1ファンは皆ホンダとセナのシンパだっただけに,大いに溜飲を下げたものです。
翌93年,絶妙なトラクションでスタートよく飛び出したヒルに地元の声援を受けたシューマッハーが続き,その直後ジム・クラークシケインでのセナとスタートをミスしたプロストの接触は,不世出のドライバー同士の意地のぶつかり合いで,どちらも限界を超えていました・・・。
プロストは,続くオストシケインでブランデルや鈴木亜久里と共にシケインを不通過。
その後ペースを上げ,シューマッハーをストレートでスリップに張り付いて,ヒルをシケインであっという間に抜き去ります。
スタートを失敗しても絶妙なリカバリーを見せて,あっという間に首位を奪い返す絶妙のレースマネージメントは圧巻でした。
しかし,そのプロストにとんでもない陥穽が待っていたのです。
何とシケイン不通過によって10秒のピットストップペナルティ。
6位に後退。
その後の怒濤の追い上げは,如何に最強のマシンウィリアムズ・ルノーFW15Cとはいえ,尋常ならざるプロストの怒りの象徴と言えました。
一方,前回の地元英国GPでコースレコードとなる最速ラップを叩いた直後にエンジンブローで涙を吞んだヒルは首位をひた走ります。
後続のシューマッハーも地元の声援を受けて懸命の走りを見せますが,フォードHBV8の非力さは,最速を誇ったルノーRS6V10の敵ではなく,みるみるうちにヒルに離されていきます・・・。
ペナルティで6位に落ちたプロストは,これ以上ないという怒りの追い上げを見せます。
おそらくマクラーレンやフェラーリの時代にも決して無かったであろう激しい走りで(さすがにルノーの時代は知らない),ブランデルやシューマッハーを刺し,2位に浮上。
そしてラスト2周。
ウィリアムズのピットから,黒い森の一本道を抜けトップを快走するヒルに「OK」のサインボードが出されます。
何がOKなのか?
問題ないからそのまま走れ,ということなのか,優勝してもOKということなのか,未だに不明です・・・。
そして,解説をしていた今宮純さんが,
「いよいよですね」
といった瞬間,悲劇は起きました。
ヒルのFW15Cの速度ががくんと落ちた,と思った瞬間後方から激しい火花が上がる。
フルボトムしたとき,アンダートレイが擦れた火花ではなく,リアタイヤがバーストすることでホイールが直接路面に当たって発したものだったのです・・・。
「あー,どうして勝てないんだ」
今宮さんの悲痛なつぶやきと共に,三輪走向でピットロードに入ったヒルのFW15Cは敢え無くスピンして断末魔・・・。
ペナルティを受けたプロストに,10戦中7勝目が転がり込んだ瞬間でした・・・。
2位には怒濤のような母国の歓声を受けたシューマッハーのベネトンフォードB193が,そして3位にはブランデルのリジェ・ルノーが再三のベルガーとのバトルで征して滑り込みました・・・。


この時期からでしょう。
マン太郎というご贔屓ドライバーを失って(その代わりインディを見てましたが),感情移入できずにいた私が,マン太郎とは全く異なるヒルというドライバーに肩入れするようになったのは・・・。
偉大なる父の七光りは全く無く,マン太郎同様独力でトップカテゴリーへ登りつめてきた苦労人の浪花節的人生が共感を呼んだからに他なりません(ついでに年も近かったし・・・)。
そして,2戦連続して不運に見舞われたヒルに対して,何としても勝たせたいという念が自然に湧き起こったのがこの時からでした・・・。


・・・ということで,またしてもやってしまいました。
若い方々には疎遠な,F1が最もスムーズな走りをしていたハイテク全盛の年の1シーン,そしてその続きはハンガリーGPへと続いていきますが,ホッケンハイムの記憶というと翌94年,3年後の96年,さらにその翌年の97年も印象に残るドライバーの活躍があったことを記して今日は終わりにします。
こうした話なら,いくらでも書けそうですけどね・・・(迷惑)。
日記@BlogRanking


韓国GPに寄せて・・・

2010年07月22日 23時26分51秒 | 車&モータースポーツ

今年の10月24日に予定されているF1韓国GPに暗雲が垂れ込めている。
先の哨戒艇沈没事件によって,南北朝鮮の緊張が高まったことを受けて,韓国GP中止という噂がまことしやかに流れたが,今回はその理由ではない。
全羅南道霊岩サーキットが完成していないのが,その最大の理由である。
何でも7月時点で,施設の82%が完成。
視察(おそらくFIA)が行われた際の評判は上々ということだったが,今後天候の悪化等の理由で工事が大幅に遅れると開催に影響が及ぶという。
既に韓国GPのチケットは発売されており,もし延期,最悪中止となったりしたら大混乱は必至である。
勿論,レースが行われるサーキットさえ出来れば良いというものではない。
宿泊施設等のインフラ整備も,平行して行われなければならないことは言うまでもないだろう・・・。
かつて岡山県のTIサーキット英田で,パシフィックGPの名でF1が開催されたことは記憶に新しい(94,95年)。
初開催の94年(イモラの悲劇の二週間前)など,イモラで悲劇に遭ったシムテックチームなど岡山の山間にある温泉場に泊まったという話だった。
さらに新しいところでは,04年に開催されたアテネオリンピックや今年のW杯南ア大会も,インフラ整備においては滑り込みセーフ・結果オーライだったと言えよう・・・。
混乱を避け,チャンピオンシップに影響を出さないためにも,何としても予定通り開催して欲しいものである。


ただ,ここで一つだけ敢えて提言したい。
F1は本来欧州から起こった。
それが新大陸での開催が有り,やがて極東や中東諸国でも開催の運びとなった。
喜ばしいことではある。
しかし,何故欧州以外の国々で開催されるのか,理由を考えた人はどれぐらい居ただろうか・・・。
勿論国際親善とか文化の伝搬というのはお題目である。
億兆単位の金が動くビッグビジネスであるから,要は外貨稼ぎである。
バーニー・エクレストンにしてもマックス・モズレーにしても,そうやってビジネスを行って巨万の富を築いてきた。
誤解なきように言っておくが,私は欧州以外のF1開催を揶揄したり認めなかったり FIAのやり方を非難している訳ではない。
ビジネスとは本来成功見込んで行うものであり(でなかったらただの道楽だ),それを成功させてきたのは大したことだと思う。
ただ,何故我が国や周辺諸国で行われるようになったのかその経緯と動機に目を向けると共に,76,77年の二度行われただけで10年開催されなかった我が国でのF1誘致に向けて努力をしてきた先人たちへの敬意を知って欲しかったからに他ならない。
勿論興業としての成功は大きい。
しかし,それ以上にモータースポーツを愛する者たちに夢を与えてきたことは特筆されるべきと思う。
F1は当然の如く鈴鹿で開催される訳ではないのである・・・。
日記@BlogRanking


英国GP雑感

2010年07月15日 23時42分32秒 | 車&モータースポーツ

英国GPが終わった。
F1GP発祥の地に相応しい見どころの多いラウンドだった。
勿論,昨年の最終戦であるアブダビGP後に著しく低下した私のモチベーションというかF1ナショナリズムは萎えたままではあるのだが,可夢偉の好走が久しく忘れていた感情移入できるF1を思い出させてくれたことも事実である。


基本的に,シルバーストーンで行われる英国GPの雰囲気は好きである。
WWII当時空軍(RAF)の飛行場であったというサーキットの特性も私のマニア心をくすぐるし(映画「空軍大戦略」を見たくなる),私が87年のTV中継開始以来のお気に入りだったマン太郎の母国GPというのも大きい。
自動車評論家の舘内瑞氏同様,私は今回のGPでスチュワードを務めたマン太郎の大ファンだった。
あのすっとこどっこいな性格,アドレナリンを放出しまくる激烈な走り,アングロサクソンなのに絶対ラテンの血が入っていると思われた。
で,マン太郎は大先輩の(厳密には違うか)「フライングスコット」と呼ばれたジム・クラーク同様とにかく母国GPに強かった(逆に全く勝てなかったのがチームメイトにして,クラークの事故死した年にチャンピオンになった元祖モナコマイスターであるグラハム・ヒルである)。
87年のHONDAエンジン1-2-3-4フィニッシュ,翌88年(驚異のルーキー,ショウ・アカバの初入賞のGPでもある)は非力なジャッドエンジンでの2位表彰台,そして 91,92年は言わずもがなのぶっちぎり・・・と,とにかく見せてくれた。
多分,私がマン太郎に入れ込んだのは,セナへのアンチテーゼでもあったのだが,シルバーストーンに似合うのはレッド5のマシン,と今でも思う。


周知の通り,ドライバーに冷酷なフランク・ウィリアムズとの確執により,我がマン太郎は92年シーズン終了を待たずして引退を表明。
翌年は渡米して(フロリダの自宅で暴漢を空手で撃退したり,蛇に噛まれたりと,何かと話題を提供してくれた)インディシリーズに参戦し,レース好きで知られた俳優ポール・ニューマンのチームで何とルーキーながらチャンピオンに輝いた。
そして,マン太郎が去ったあとの93年,ウィリアムズをドライブしたのが,セナの宿敵にしてマン太郎の仇敵であるプロストと上記グラハムの息子でテストドライバーから白羽の矢が立ったデイモン・ヒルである。
そして,マン太郎のファンであった私は,何故か全く性格の異なるこの二世ドライバーに感情移入するようになっていった・・・。

周知のように,父グラハムは75年秋,自分の名を冠したチームのスタッフとともに自家用機に乗り墜落し帰らぬ人となった。
チームが消滅しただけでなく,グラハムが自家用機に保険をかけていなかったこと,そして投機対象として絵画に手を出していたことで,一家は一気に窮乏に叩き込まれる。
そうした中から,ヒルは独力でトップカテゴリへの道筋を模索して,最強チームへ登りつめていった。
91年からマーク・ブランデルの後任としてウィリアムズ・チームのテストドライバーになったことが転機だったのだろう。
92年シーズンを席巻したFW14Bの成功は,開発ドライバーとしてのヒルの手腕が非凡であったことを如実に示している。

それは,当時のルノーエンジンでの最多勝がプロストではなくヒルであったこと(今はアロンソか?),エンジンブレーキの使い方が絶妙であったこと,タイヤに優しい走り(93年独GPは例外だろう)で抜群のルノー遣いであったことは疑いない。
その証拠に,ヒルが去った97年のウィリアムズはまだ前年のチャンピオンマシンであるFW18の開発マージンが残っていたが,98年のFW20は完全に二流のマシンになり果てていた。

マン太郎が横綱相撲で2年連続で席巻した英国GP。
当時ウィリアムズ・ルノーのテストドライバーであったヒルがドライブしていたのは,ジャッドエンジンを搭載していた断末魔の名門ブラバムであった。
YAMAHAエンジンを失い(ジョーダン-現フォースインディア-に持って行かれた),当時何かと話題になった久々の女性ドライバーであるジョバンナ・アマティ(伊)を起用したブラバムだが,肝心のアマティが実に遅く,ニキ・ラウダとの不倫をすっぱ抜かれた以外何も話題にならずクビとなった結果,ブラバムに乗ったのがヒルだった。
当時,スポンサー活動がままならぬブラバムにとって(三越がスポンサーに付いたりしていた),パーソナルスポンサーを持たないヒルは,ペイイングドライバーではなかっただろう。
この断末魔の名門を救おうと立ち上がったのが,デーモン小暮閣下率いる聖飢魔IIである。
その結果,デーモン小暮閣下がデーモン(デイモン)・ヒルをサポートするという駄洒落のようなことになってしまった・・・。


そのヒルの2度目の母国GPは,エースであるプロストとの激烈なポール争いに始まった。結果的にポールを獲ったのはプロストだったが,決勝は見事なスタートを偶数列から決めたヒルがレースをリードした。
そして41週目,コースレコードともなるファステストラップを叩き出した直後,信頼性の固まりのようなルノーRS6エンジンが悲鳴を上げる・・・。
スタンドを埋め尽くした母国のファンの歓声は悲鳴に変わった・・・。


翌94年,母ベティ・ヒル未亡人とジョージィ夫人,そして3人の子どもたちが見守る中,ヒル家の英国GP制覇は果たされた。
前年りCamelカラーとは異なる威風堂々たるRothmansカラーを纏ったウィリアムズ・ルノーFW16が折からの淡い初夏の日差しに映え,大きなユニオンジャックを棚引かせたヒルのウィニングランに,GP本場のファンは酔った・・・。
その地鳴りのようなヒルへの声援が戻ってくるのは97年まで待たねばならない。
95年は,同じく英国の苦労人ジョニー・ハーバートの初優勝。
このあたりは,いずれ語ってみたいものだが・・・
日記@BlogRanking


2010年F1GP-第9戦欧州GP

2010年06月28日 20時53分59秒 | 車&モータースポーツ

各コンストラクターが挙って下方排気システムを採用。
その結果,赤馬と赤牛が今回アップデートの無かったマクラーレンに拮抗するタイムを出し,前回のカナダGPよりは期待の持てる予選グリッドとなりました。
しかし,ハミルトンが予選の最終ラップでミスをしつつも3位に付けたことで,マクラーレン優位は揺るぎなしと踏みました。


スタートでトラクション宜しく飛び出したハミルトンがあっさりウェバーを躱し,トップのベッテルをも伺った時,やっぱりなと思ったものです。
何とかこらえたベッテルが(明らかにタイヤが接触していました)首位を堅持したのがせめてもでした。
ベッテルはブレーキというアキレス腱を抱えている上に,ハミルトンには勢いと運があります。
しかし,今回のベッテルは容易にハミルトンを寄せ付けない速さがありました。
対称的にウェバーはスタートで9位に沈み,早めのタイヤ交換も裏目に出て下位に沈
んだ結果,何とコバライネンのリアタイヤに乗り上げ,宙を飛ぶ大クラッシュ。
裏返しに路面に叩きつれられ,勢い余ってランオフエリアのタイヤバリアに突っ込みました。
92年エストリルのパトレーゼとベルガー,93年モンツァでのクリイティアン・フィッティパルディとバルバッツァの2つのクラッシュを思い出しました(後者は,見ていたフィッティパルディの母親が失神したという・・・)。


その結果導入されたセーフティーカーで割を食ったのが久々の上位進出のチャンスだった赤馬の2台でした。
マッサは入賞圏外に去り,アロンソは入賞圏ぎりぎりに・・・。
逆にそれを利したのは可夢偉でした。
ピットに入らず,何とラスト3周まで3位を走行。
後続のバトンには1度も譲らなかったのは,抜けないバレンシアだとしても上出来です。
圧巻だったのは,タイヤ交換後入賞圏内の9位で戻った後アロンソを刺して,さらにはチェッカー目前の最終コーナーで先行するブエミをも躱すという痺れるオーバーテイクショー見せてくれました。
今回の主役は,紛れもなく可夢偉でしょう・・・。


・・・ということで,上位はベッテル,ハミルトン,バトン,バリチェロ,クビカ,スーティル,可夢偉,ブエミ,アロンソ,ロズベルグ。
シューは全く良いことなく終わりました・・・。


次回の英国GPはマクラーレンの大幅アップデートが見込まれています。
得意のシルバーストーンだけに,このままマクラーレンが独走するようなことだけは避けて欲しいのですが・・・。
日記@BlogRanking


2010年F1GP-第8戦カナダGP

2010年06月14日 21時00分07秒 | 車&モータースポーツ

ま,見えていた結果とはいえ・・・。
私の悪い予想は悉く当たります・・・。
当たらなかったのは2006年トリノ五輪での荒川静香の金メダルと翌年の同じく女子フィギュアの世界選手権での安藤美姫の優勝ぐらいで,ことF1に関してはシーズン前から2008年のチャンピオンはハミルトンと予想していましたし,前回のトルコGPも彼の優勝を(極めて不本意ながら)信じて疑いませんでした。
今回も全く同様。
ま,今季のトレンドであるFダクトの効果も相俟ってストレートスピードが莫迦っ速いマクラーレンですから,2本のストレートをヘアピンとシケインでつないだモントリオールで有利なのは目に見えていましたが,タイヤチョイスと交換のタイミングの問題で赤牛は後退したと言えばよいのでしょうか・・・。
個人的に大嫌いだけど百戦錬磨のロン・デニスのしたたかな戦略にやられたというべきでしょうか・・・。
で,割って入ったアロンソですが,一度はハミルトンの鼻先を抑える等大活躍・・・と思いきや,虚を突かれて2位の座をバトンに譲る始末・・・。
結果的に赤牛に引導を渡すことになってしまいました・・・。


可夢偉のファーストラップ8台抜き(そしてその後は・・・)とか(最終シケインで縁石に乗り過ぎちゃ駄目だっちゅーの・・・見ろ,飛んだから・・・),予想通り速かった印度力に兄シューやられる,とか見どころの多いラウンドだったのでしょうが,個人的には悪い予想が悉く当たって(昨日の野球も含めて),怒り心頭でございます・・・。


やはりトルコGPでの赤牛同士討ちがシーズンの分水嶺になるって予想も当たりそうです・・・。
ファンの方には悪いけど,ここからマクラーレンの独走劇が始まりそうで,何か萎えかけています・・・。
次は二週間後のバレンシア市街地。
昨シーズン,ティモ・グロックが大活躍を演じたコースです。
一昨年は非力なルノーでアロンソが大金星。
今年も大番狂わせ無いでしょうか・・・、。


2010年F1GP-第7戦トルコGP

2010年05月31日 20時55分35秒 | 車&モータースポーツ

くっそ~,ピット作戦でベッテルがハミルトンの前に出たとき,やったと思ったのですが・・・。
何であそこで仕掛けるんだよ・・・。
仕掛ける相手が違うだろうが・・・。
前半にハミルトンを突っつき回すなら分かるけど,一番やってはならないことをやっちまって・・・。
これで間違いなく遺恨残るし,Fダクト効果でストレートが莫迦っ速いマクラーレンに完全に流れがいくじゃねーか・・・。
元々信頼性に難有りで,空力重視のコーナリングマシンであるレッドブルの勝機は先行逃げ切りにこそある訳で,仕掛けるんだったら終盤でしょうに・・・。


別にレッドブルを贔屓するつもりは無いけど,信頼性とパワーでハンデのあるマシンでGPシーンを盛り上げている訳だから,エンジニアリングに長け資金も潤沢なマクラーレンが勝っても個人的には嬉しくないので・・・(どうせ後半には熟成が進んで勝ち出すのは芽に見えている・・・)。
ま,せめてもの救いは,可夢偉が何とか1ポイント挙げたことか・・・。
それにしたってスーティルにあっさり抜かれ,アロンソとのバトルで脱落したペトロフに助けられてのことだし・・・(勿論,あのマシンでQ3進出は素晴らしいことだけど)。
赤馬は完全に熟成に失敗しているし,兄シューにはまだトップを追う力は無い(今後が楽しみだけど・・・)。
そうなると益々マクラーレンに有利になると予想します・・・。
おまけに次戦カナダのモントリオール市街地コースは,セントローレンス・シーウェイにオリンピック・ローリングストリップという2本のロングストレートが有るので,マクラーレン向きと踏みます。
何か今回のGPが,今年の分水嶺となりそうな気がします・・・。


あと,どうでも良いことですけど,マクラーレンのピットにいた美人はハミルトンかバトンの新しい彼女ですかね・・・。
バトンはモナコで道端ジェシカと仲睦まじい様子でしたが,直後に別れたそうで・・・。遠距離恋愛は難しいのう・・・(遠い目・・・)
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幻のF1・・・

2010年05月27日 21時13分12秒 | 車&モータースポーツ

今となっては虚しい話ではあるのだが・・・。


独ケルンにあるTMGのファクトリーで,幻のマシーンとなったTOYOTA TF110がベールを脱いだ。
私が見たのは,カーボンファイバー地そのままの黒いものと,実走したフェラーリよりも彩度が淡い赤いやつの二種類である。
昨年11月,W入賞したアブダビGP終了後僅か2日でF1撤退を発表し,私を悲嘆のどん底に突き落としたトヨタだが,撤退が苦渋の選択でありぎりぎりまで迷っての決断であった証拠に,2010型マシーンの開発は09年シーズンインを待たずして始められていた。
その際,言わば仮想敵としてブックマークされていたのが空力に優れたパッケージであるレッドブルのマシーンであり,その水準を十二分にクリアしていたという・・・。


今回の走行でステアリングを握ったのは中嶋一貴。
トヨタの撤退と共にシートを失っただけに,今回の走行に対する気持ちは特別なものがあった筈だ・・・。
今季参入の新チームにそのマシーンを譲渡し,ドライバーとして参戦するという噂もあったが,それも叶わなかった・・・。


昨年型のTF109とは大きく異なり,カモノハシのような上下に薄いハイノーズが特徴的で,某雑誌の取材によると速いマシーンのみが放つ独特なオーラが出まくりだったという(久しく買っていないが,この月刊誌を買わなくては・・・)。
本当に虚しい限りであるが,今季このマシーンが我々日本人の夢を乗せてサーキットを疾駆する姿がぜひ見たかった・・・。
いろいろあって興味深く面白い今季のF1であるが,私が今一つ感情移入できないでいる最大の要因が,この「和製スクーデリア」の不在にあるのは間違いないのだから・・・。
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2010年F1GP:第6戦モナコGP

2010年05月17日 22時13分41秒 | 車&モータースポーツ

モナコは特別。
誰もが抱く思いでしょう。
地中海の宝石と形容されるモンテカルロの街は,南に紺碧のコート・ダ・ジュールを控え,まさにF1という欧州産のスポーツの伝統と格調を如実に表しているとも言えるでしょう。
そして,モナコはカジノの街。
命というチップを賭け,現代のジークフリードたちが極彩色の甲冑を纏い,高速の戦闘を繰り広げます。
購うものは栄光。
その為に彼等は1/1000秒に命を賭けます・・・。


昨日のモナコは快晴。
5月は欧州が最も美しい季節と言っても良いでしょう・・・(5月に行ったこと有りませんけど)。
そうした中で,折からの地中海の陽光を受けて光り輝くカラフルなマシンが,瀟洒なホテルの間を駆け抜ける光景は,何と様になっていることでしょう・・・。
街路樹の間からマシンがピットアウトするサーキットなんて他に考えられません・・・。


スタート直後サン・デポーテに殺到するマシンを見て,久々に震えるような興奮を覚えました・・・。
前走車のリアウィングまで,そしてガードレールまで10cmぐらいまで寄っていたのではないでしょうか・・・。
元F1チャンピオンで,インディチャンピオンにもなったエマーソン・フィッティパルディは壁際数cmまで寄ることができる,と新谷かおるの漫画で読んだ記憶がありますが,まさにあれはウォールダンスです・・・。
F1ドライバーの側方感覚が どれぐらいなのか想像するしか有りませんが,とにかくとんでもないものであることは確かです・・・。
スタート直後,トンネル内でラインを外したヒュルケンベルグ(独:ウィリアムズコスワース)がクラッシュ。
セーフティカー導入によって順位を上げたのは,アロンソでした。
このあたりはさすがとしか言いようがありません。
スタートで順位を落としたバトンもガードレールの餌食に。
見た目の華やかさとは裏腹に,如何にこのコースが苛酷であるか,毎年感慨を新たにします・・・。
終盤のバリチェロのクラッシュ,トゥルーリとチャンドックのクラッシュもとんでもないものでした・・・。
市街地コースと言っても,数少ないオーバーテイクポイントであるトンネル出口のヌーベル・シケインの手前では時速300km近くに達するでしょうし,低速コーナーといえども100km超で侵入する訳ですから,少しでもバランスを崩したりレコードラインを外したりすれば,車は大破します。
最後のセフティカー導入のもととなった事故だって,インダクションボックスの無い80年代のレースだったら命が危なかったことでしょう・・・。
また,最後の2つのコーナー,ラスカスからアンソニーノーズにかけてのせめぎ合いも手に汗握るものがありますし,狭いどころではないロウズヘアピンからトンネル前のミラボー~ポルティエといった2つの右ターンも殆どブラインドで(TVゲームでも分かる),とんでもないコーナーです。
頼むから誰もクラッシュするな・・・と思うのも,ここモナコだけでしょう・・・。


しかし,アロンソの作戦はずばり的中して6位入賞。
上記2台のクラッシュによってセーフティカーが先導したままパレードラップによってチェッカーと思いきや,最終ラップ終了間際にセーフティカーがピットインし, アンソニーノーズを立ち上がっての数百メートルでバトルが・・・とU京さんか燐寸が言っていたので(ついでに,狙ってますよハミルトン,とも言っていた),そんなの有りか・・・と思いきや,やったやつが居たんですね・・・兄シュー・・・。
コーナーの立ち上がりでアロンソがふらついた隙を突いた・・・と思ったら,何とアロンソはそのまま終了ということで虚を突かれた形だったようです。
・・・で,兄シューはペナルティで降格・・・。
12位でノーポイントに・・・。
貪欲に前を狙うのはドライバーとして当然と思いますし,あのまま終了と判断したアロンソと赤馬チームも責められないと思います・・・。


・・・ということで,何と赤牛1-2。
速さの際立つベッテルではなくヴェテランのウェバーが連勝。
ひと皮むけた感じがするのは私だけでは無いでしょう。
思えばデビュー戦の02年地元の豪州GPで非力なミナルディコスワースを駆って入賞して以来苦労の連続で,ウィリアムズ時代は全くぱっとしなかっただけに,赤牛での復権は喜ばしい限りです。
赤牛の前身は大猫(ジャガー),さらにその前はスチュワート(ポディウムが映し出されたとき,ジャッキー・スチュワートが居たと思ったのですが錯覚か・・・)。
ですから長足の進歩,というか時代が変わったということでしょう・・・。
あ,3位のクビカは敢闘賞ものでしょう。
やはり只者ではないですね・・・。


二週間後は大西洋の果て,東西の接点イスタンブール。
あの如何わしい雰囲気が何とも魅力的な街ですので,これまた楽しみです・・・。
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2010年F1GP-第5戦スペインGP

2010年05月10日 21時12分23秒 | 車&モータースポーツ

ラスト2周,国際映像に映し出されたのは,数周前に最速ラップを叩き出し,解説のU京さんと燐寸をして,
「3位アロンソに対する無言の応酬」
と言わしめた2位のハミルトンがコースアウトして,タイヤバリアに右フロントから突っ込むシーンでした・・・。
マクラーレン,及びハミルトンのファンからの悲憤慷慨を目の当たりにしたような気分になったのは言うまでもありません・・・。
詳しい原因は分かりませんが,想像するに左フロントタイヤのバーストでしょうか。
パーツを踏んだ,という憶測もあるでしょうが,タイヤに優しくない走りが身上のハミルトンだけに,1ストップ作戦にタイヤがもたなかったのでしょうか・・・、。


今季初優勝のウェーバーは嬉しかったでしょうね。
ポール・トゥ・ウィンの横綱相撲でしたし,僚友のベッテルを上回りましたし・・・。
02年の地元豪州GP(TOYOTAのデビューレースで,初入賞のレースでもありました)でのデビューで,非力なミナルディ・コスワースを駆っての6位入賞を見て以来,安定感と一発の速さを持った非凡なドライバーと思ってきたヴェテランの優勝は,私にとっても見ていて清々しいものでした。


2位が転がり込んだ地元のアロンソも嬉しかったことでしょう・・・。
開幕戦こそ勝ったものの,どう見ても赤牛や銀の矢に比してスピードで遜色のある赤馬。
それを2位まで持っていったのは,アロンソのしぶとさでしょう。
各コーナーでの絶妙なマシンコントロールは,やはり現役最高のドライバーと湛えられるだけあります。
ま,ハミルトン以上にアロンソにはアンチが多いようですが,しぶとさこそアロンソの身上と言うべきでしょう・・・。


兄シューが遂に本領を発揮して4位入賞。
予選グリッドでで初めてロズベルグを上回りました。
同じメルセデスエンジンとはいえ,ストレートスピードで勝るマクラーレンのバトンを再三にわたって抑えたのはさすがと言うべきでしょう。
解説2人が言っていたように,得意のモナコで上位グリッドを獲得すれば,面白い存在になるやもしれません。
これからも,上位陣を掻き回して欲しいものです・・・。


可夢偉がようやく完走。
スタート直後にルノー(ペトロフか?)と接触して,サイドポンツーンを壊したようでしたが,影響は有ったのでしょうか・・・。
いずれにしても,ようやくレースができた感じで,モデファイされたマシン同様今後に機体です・・・。


しかし,これでバトンがランキングでトップ。
アロンソが3点差で2位点次いでベッテルという順位ですので,まだまだ目が離せません・・・。
レース以外では,赤馬に制裁金(ピットレーンでアロンソがロズベルグを抜いたから,とのことですが,前回の中国GPでのハミルトンはどうなんだ・・・)とか,その赤馬がクビカと7月15日に契約??とか,いろいろと言われているようです・・・。
来週は連戦で伝統のモナコ。
願わくは,コート・ダ・ジュールの紺碧の海をバックに,カラフルなマシンが市街地コースに映えるドライコンディションのレースを期待したいものです・・・。
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Adue,Aylton 2・・・

2010年05月01日 23時59分59秒 | 車&モータースポーツ

F1は極東ラウンドが終わり,三週間のインターバルを経て発祥の地である欧州へ帰る。
周知のように,前回の中国GPの最中にアイスランドで大規模な火山の噴火が起こり,欧州の空が大混乱して,次戦であるスペインGPの開催が危ぶまれたが,どうやらその危機は回避された模様だ・・・。
今日は敢えてF1根多を書こうと思う。
それは,私にとって80年代の終わりにF1という存在を知るに至ったきっかけと,F1の面白さと穢さを知らしめることになったのだから・・・。


アイルトン・セナ・ダ・シルバ(1960.3.21-1994.5.1)。
ブラジル出身の不世出と言われる天才ドライバーである。
セナがワールドチャンピオンを獲っているが,そのいずれもがマクラーレン・ホンダというパッケージングによってもたらされたものであり,我が国ではホンダの人気とF1人気,そしてセナの人気が相乗効果をもたらしたと言っても良いかもしれない・・・。
ただ,CXを始めとするマスコミがF1に注目する契機は,やはりホンダエンジンの活躍だろう。
60年代にコンストラクターとして自前のシャーシとエンジンでF1に殴り込みをかけ,メキシコGPでリッチー・ギンサーが優勝を飾ったホンダの第2期参戦は80年代にエンジンサプライヤーとしてであった。
86年と翌87年はウィリアムズに搭載され,2年連続でコンストラクターズタイトル(87年はドライバーズタイトルも)を獲得するに至った。
その最強を誇ったホンダエンジンとセナの出会いは87年に遡る。
チームメイトに中嶋悟を得て,ロータスホンダのエースとなったセナは,果敢なレースを展開。
アクティブサスペンションが搭載されたロータスホンダ99Tは,セナのドライブでアメリカ(デトロイト),モナコという2つのストリートコースで優勝する。


この年は,CXによるF1中継が始まるというモニュメンタルな1年となった。
手の届かない海外のものだったF1が,突如として日曜夜の身近な存在となったからだ。
それまでは,ひところやっていたTBS系の録画収録番組を見るか雑誌を立ち読みするのがせいぜいで,ほぼリアルタイムでF1を見るなどということは有り得なかったし,考えもしなかった。
そのCXにとってセナは恰好の広告塔であったに違いない。
端正なマスクと恐ろしく速いが神経質な走り,そして独身である・・・といった具合に,新たなファン獲得には多大な貢献をしたに違いない・・・。
・・・と書くと,如何にも揶揄しているように取れれかねないが(否明らかに揶揄している),こうしたマスコミの贔屓はある面スポーツの活性化に必要なものと思う(90年代中盤の一過性の熱病のようなサッカー人気など典型だろう・・・)。
ましてや,私のような者をF1に目を向けさせたという点で,やはりCXとセナの存在は極めて大きかったと言っても良いだろう・・・。


しかし,天の邪鬼を標榜する私の面目は,セナに対してアンチであったことだった。
とにかく,CXとホンダ(ユーザーの方には申し訳ないが,私はホンダ車を購入の対象としたことは無い。二輪は別だが),そして過剰なしゃべりを旨とする古舘伊知朗がやたらとよいしょするのが気に入る筈もなく,また周囲の女性が悉くファンであるのも気に入らず(これは毎度のことだが・・・),以降8年,深夜までF1中継を見てセナが勝つ気分が悪かったものである・・・。
特に,どう見ても勝ちを拾われた感がある92,93年のモナコGPは中継のメンバー(何故か伝統と格調のモナコに似つかわしくない古舘が担当だった)もあって,温くなった熱燗を飲み過ぎて宿酔いになったような気分になったものである。
昨日今日のように甲子園で阪神が巨人に勝った時のような気分に近いかもしれない・・・。
だいたいあの研ぎ澄まされたような神経質な走りがどうも好きになれなかった。
予選一発のタイムを終わりに出してそのままPPというパターンが多く,セナ=速いドライバーというイメージを増幅させることにもなったと思うが,その結果悪役の代名詞にされたプロストや本能剥き出しの走りをするマンセルといったドライバーにむしろ惹かれていった・・・。


この2人とセナとの確執については語るまでもあるまい。
87年のベルギーGPではセナとマンセルが絡み(どこのコーナーだったか忘れた・・・),殴り合いにまでなった(真相は??)ことや,89,90年の鈴鹿でのセナとプロストの後味の悪い一件はよく知られたことだ。
その結果,セナ-善玉でいじめられ役,プロスト・マンセル-悪役の図式で語られることが多かったと思うが,3人の名誉のために言っておくとプロストがシートを失って1年の浪人を強いられた92年は,セナと連絡を取り合って情報交換していたという話だし(93年の序盤は表彰台で無視しあっていたようだが),94年のイモラでの惨事の3日前(多分フリー走行中?)に,ゲスト解説のプロストに走行中のセナが,
「親愛なるアラン,君が居なくて寂しいよ・・・」
といったことを無線で話しかけてきたことはよく知られている。
そしてセナの死後,プロストはフランスのアイルトン・セナ協会の会長を自ら引き受けたという・・・。
マンセルに関しては,91年の英国GPの後の一幕を参照されたい。
ガス欠で止まったセナがマシンを降り,シルバーストーンサーキットでは無類の強さを発揮しぶっちぎりで優勝したマンセルがウィニング・ランに入った時に,何とマシンの横にセナを乗せてウィニング・ラップを行ったのである。
また,翌年のモナコGPでは,F1史に残るラスト8周の激烈極まりない(それでいてフェアな)テール・トゥ・ノーズの大バトルの後,ポディウムではお互いのファイティング・スピリットをたたえ合う2人の清々しい姿を見ることができた。
まぁ,同年の最終戦豪州GPのように,その時点でラストランのマンセルに対しセナが・・・ということも有ったようだが,お互いの力量を認め合い決して険悪な仲ではなかったということである・・・。


以前も述べたが,この不世出のドライバーと時代を共にできた幸運を思うべきなのかもしれない・・・。
前人未踏に思われたセナのPP記録も,シューマッハーというこれまた天才によって遂に塗り替えられた。
時代の移ろいとはそういうものなのだろう。
そして,そのシューマッハーにも昔日の速さ・強さは無い・・・。
王者にも黄昏は訪れる・・・。
そうした意味でも,セナは全盛期に逝ってしまった・・・。
先頭を走ったまま・・・。


チャンピオンたちが個性でならした時代・・・。
私の知るところだと,フィッティパルディ,ラウダ,ハント,父アンドレッティ,ジョーンズ,父ロズベルグを第一世代とするならば(さすがにクラークやヒル,リント,スチュワートといった面々に関しては直接は知らない),セナは父ピケ(同胞の彼こそセナと犬猿の仲だった-セナの元かのがピケと付き合っていたらしいが・・・),プロスト,マンセル,ヒル,シューマッハーが第二世代ということになるのだろうか・・・。
その後のチャンピオンたち-ハミルトンにしてもバトンにしてもやんちゃなだけで,個性というには小粒感は否めないと思うのだが・・・。