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koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

填ったゲーム

2012年06月07日 21時22分28秒 | TV&エンターティメント

分家の話題です。
ゲームは相当填りましたが,今考えると,各時代というかメディアごとにそれぞれ填ったソフトも違いますね。

ファミコン-ドラクエ3,4,スパルタンX,メタルマックス
スーファミ-桃太郎電鉄,「信長の野望」-武将風雲録,エキゾースト・ヒート,ドラクエ5,F1GP91,同93,ぷよぷよ
メガドライブ-スーパー大戦略
PS1-リッジレーサー,F1GP95,同97,同99,同2000,お嬢様特急,リフレインラブ
PS2-F1 2002,同2004,パワプロ12,同14,エースコンバット,機動戦士ガンダム-1年戦争,太平洋の嵐
PS3-パワプロ2011
PC-信長の野望:将星録,天翔記,烈風伝,蒼天録


多分,もっと有るのだろうけど,思いついたところではこんなところでしょうか・・・。
レース系と実機シューティング系,歴史シミュレーション系,野球系(パワプロだけだけど)が主なので,趣味性丸出しですが,若干ギャルゲー囓ったこともありました。
今は絶対しませんけどね・・・。
「信長の野望」シリーズは,完全にPC移行ですね。
「太閤立志伝」とか「維新の嵐」といった光栄のシミュレーションはやらずじまいでした・・・。
来月にパワプロ2012が出るらしいですが,安くなるまで買わないでしょう。
あと,携帯ゲーム機には全く興味有りません・・・。
日記@BlogRanking


大河視聴断念に際して・・・

2012年05月19日 22時28分34秒 | TV&エンターティメント

いつもお読みくださる方々にはお気づきと思いますが,「平清盛」の視聴を断念して,そして番組の感想を書かなくなって一ヶ月以上経ちます。
昨年の「江」を断念したのが夏場,4年前の「篤姫」も同時期・・・と記憶しているので,それよりも随分早く見切りを付けてしまいました。
近年の大河視聴は,「風林火山」,「天地人」,「龍馬伝」の三作は,作品のできばえはともかくとして,何とか最後まで見たのですが(後2つはかなりしんどかった),10月に止めて,数回分HDDで眠っている「功名が辻」は日の目を見ることは無いでしょう・・・。


さて,では何故今年の大河は面白くなかったのでしょう・・・(毎回楽しんでおられる方々には申し訳ないのですが・・・)。
昨年のどたばた喜劇のような「江」に比べると,時代背景はよく描かれていると思います。制作側は,平安朝末期の雅やかな感じを醸し出したいとの意図だったそうですが,キャストを云々しなければ,そのあたりはよく頑張っていると思います。
加えて,鳥羽院-後白河帝と崇徳院といった朝廷と忠通と頼長といった摂関家の確執も丁寧に描かれていると思います。
役者達も三上博史や山本耕史といった力のある俳優(ベンジャミン伊東の白河院も)の演技が光ります。
特に「陽炎の辻」では主役だった山本が,暗黒面に陥ったようにダーク極まりない悪左府を演じるのは絶妙で,思わずにやりとさせられます。
にもかかわらず面白くないのは,やはり主役が魅力的でないから・・・ということでしょう。
薄汚い清盛が武芸では義朝に敵わず,やがてそれを凌駕していく・・・という設定はともかく,海賊に身を投じるかと思えば義清(のりきよ)とつるんでいるし,武芸を磨くわけでもなし,さらには弟との確執もあっさり切り抜け,何とはなしに頭領となってしまう・・・。
「天地人」のかねたんや「龍馬伝」の龍馬のように,最初からやたらポテンシャルが高く,何で人望があるのか分からないのも問題ですが,薄汚いけどさして無頼でもなく変な矛を振り回すだけの主人公に魅力が感じられません・・・。


これは飽くまでも私の推測でしかないのですが,清盛という人物は言わば良家のぼんぼんで,父祖の活躍によって栄達は約束されたものであり,父と共に瀬戸内海の海賊討伐をして(手際が良すぎるのでやらせがあったかもしれません-決して揶揄しているのではなく,そういう才覚の働く男だったのでしょう),さらに決定的なものとなる・・・という感じではなかったのでしょうか。
我々が一般に描く暴君としての清盛像は,鎌倉期の「平家物語」や「吾妻鏡」といったもの(つまり源氏寄りに)によって,形成されていったのではないでしょうか・・・。
ですから,清盛は良い意味での名家のぼんぼんらしく,大人の風格のある穏やかな人物であったのではないでしょうか。
決して冷酷非道な人物ではなく,頼朝や希義,全成・義円・義経といった義朝の遺児達の命を奪わなかったのですから,むしろ慈悲深い性格だったと思われます。
義朝の愛妾だった常磐御前を奪ったではないか・・・という批判もあるでしょうが,絶世の美女をいただきたいのは男たる者,誰もがそうでしょう(私だけだったりして・・・)。司馬遼太郎の「義経」冒頭にもありましたが,ライバルたる義朝の愛妾をいただいてこそ初めて,
「俺は勝ったわ」
と思ったことでしょうし・・・。


ですから,いっそのこと清盛をワイルドではなく茫洋とした感じに描いて,持ち前の先見性と要領の良さで出世していく・・・というふうに描けば良かったのでは・・・とも思ったりします。
でも,それではドラマにならんのでしょう・・・。
貧困の中から独力でのし上がっていく・・・という清盛像は,国民文学の第一人者とも言うべき吉川英治の「新平家物語」に負うことが大きいと思いますが(これは美麗な文体で綴られた名作だと思いますが,72年の同原作の大河は,平岩弓枝の脚本が今二つだったからか,個人的には??でした・・・),延久の荘園整理令によって寄進地系荘園を経済的基盤とする摂関家とそれに臣従する源家の凋落と,院に近侍し源家討伐(対馬守義親を討ったという清盛祖父正盛-このあたりも要領が良すぎて極めて怪しい・・・),瀬戸内海賊討伐によって進境著しい平氏・・・という時代(12世紀前半)だったと思われますので,ドラマ仕立てには相応しくなかったのかも知れません・・・。


清盛の優れた資質を示すエピソードは,私の知っているだけでも幾つかあります。
音戸ノ瀬戸や大輪田泊の築港や平治の合戦での京都市中の戦災被害を最低限にとどめた確かな戦略眼,そして瀬戸内海の舟運を握っての日宋貿易の推進等がそれですが,特に大輪田築港の際に人柱を許可せず,経文を埋めたという(経ヶ島)エピソードなど,因習や先例にとらわれず,人の命を第一義とした(それが人心収攬の手であったにせよ)点で評価されるべきだと思いますし,神戸の人々にとってヒーローたり得るとも思います・・・。


・・・ということで,簡単に書くつもりが,軽くワープロ2ページ・・・。
病気ですね・・・(汗)


「平清盛」-第5回「海賊討伐」

2012年02月06日 21時04分17秒 | TV&エンターティメント

よくよく考えてみると,この時代(12世紀前半)は見事なエアポケットでして,知識的にかなり苦しいものがあります。
特に,延久の荘園整理令による摂関家の凋落と院政の開始,源家の内訌と平氏による瀬戸内海海賊討伐等,己の不勉強を恥じつつ今回の感想を書くことになります・・・。


寡聞にして存じませんが,待賢門院璋子と白河院は只ならぬ関係だったということでしょうか。
そうなると鳥羽院が美福門院を寵愛したのも,待賢門院が白河の没後に凋落したのも,待賢門院の子の崇徳帝が父鳥羽によつて譲位させられたのも合点がいくというものですが・・・。


平氏の瀬戸内海賊討伐は,前回述べたように長承4(1135)年ですが,果たして何か資料として伝わっているものがあるのでしょうか。
私は単に,忠盛は父正盛同様西海の海賊を討伐した功によって後の清盛による平氏の中央政界進出の足かがりを得たぐらいに書かれたものしか知りません。
武勇高き正盛でさえ,源義親をあっという間に平らげたというのが眉唾くさいのは先週も述べたとおりです。
では,平氏による海賊討伐とは何だったのか。
これは勿論私の推測に過ぎませんが,要は手馴れた懐柔ではなかったかと思います。
後に清盛は瀬戸内海の海上交通権を独占し,日宋貿易によって莫大な富を得ますが,これこそ瀬戸内海を横行していた海賊連中を手懐けていたからではないでしょうか・・・。
つまり,海賊たちに餌(富)をばらまいておいて,もっとおいしいところをがっぽりいただくという・・・。
で,海賊たちを黙らせておいて,討伐したことにして武名も富も一気に手に入れる。
・・・と書くと,如何にも清盛が狡猾で計算高い悪い男に見えそうですが,むしろ逆でこの時代には珍しく経済の分かる男だったのでは・・・と思ったりします。
武力とは膂力のみならず,知力と胆力あってのものであり,後の平治の戦いに於いて洛中の被害を最小限に留めるという戦略家として見事な才能を発揮した清盛ですので,きっと先の見える無駄のない戦いをしない男だっのではないでしょうか・・・。


で,千秋もとい義朝が東国に下ると父為義に言い放ちました。
上記長承4年とすると,義朝は数えで13歳。
玉木くんが演じて,清盛や義清という北面の武士と一緒に居るにはかなり無理のある設定でしょう。
只,義朝が東国で少年期を過ごしたのは事実で,父為義が安房国の丸御厨(まるのみくりや)を領していて,当地で育ち現地の丸(麻呂)氏,安西氏,そして房総最大の勢力と言える上総介(かずさのすけ-平姓)や千葉氏(同)に庇護されて育ち上総御曹司と呼ばれ,やがて関東に勢力を扶植して,「板東の源氏」の基礎を作ったことは疑いないでしょう。
例えば,かつて拙エントリで述べた義朝長男鎌倉悪源太義平の母は,三浦半島を根拠地とした三浦一族の長である三浦大介義明の女とも言われていますし,二男朝長の母は西相模の豪族である波多野氏の女であったとも言われます。
さらに相馬御厨(そうまのみくりや)や大庭御厨(おおばのみくりや)といった荘園を巡って在地武士団と対立してそれらを傘下に収めていき,千葉,熊谷,大庭,梶原,三浦,岡崎といった武士団(大部分が平姓)が,保元・平治の戦いを経て,やがて源氏の兵力の中核を担うようになっていきます。
言うなれば,義朝が東国に勢力を扶植したからこそ,頼朝の挙兵が成り立ったとも言って良いかもしれません。
東国での成功を足がかりに,義朝は父為義とはことなる方法で中央政界進出を企図したということでしょう。
しかし,やがてこのことは源氏のお家芸とも言うべき内訌に繋がっていきます。
保元の戦いにおける義朝の立場はまさにその結果と言えるでしょう。
このことに関しては,もっと述べたいところですが,完全に清盛から逸脱してしまうので,今回は自重しますが,いずれ為義・義朝父子が袂を分かつことになるまでに書いてみたいと思います・・・。


しかし,どーでもいいことですが,ハリセンもとい忠正出まくりですね。
伏線張っているのが見え見えのあざとい脚本ということでしょうが,どうしても忠正出すなら,清盛のライバルとして息子3人(長盛,俊綱,忠綱)出して,散々に対立させた方が分かりやすいような気がします。
さらに何故忠正の一党が保元の戦いで崇徳院-頼長方に付いたのか,現時点では見えてきません。
清盛に従うのを潔しとしなかっただけでは薄弱すぎるでしょう。
吉川英治のライフワークで40年前の大河ドラマである「新平家物語」では,冒頭で貧窮に喘ぐ忠盛の命で平太清盛が叔父忠正の屋敷に借金に行くことから始まり,その確執が保元の戦いで一気に噴出しますが,どうも今回の映像では単なる感情論のみを引きずったまま行きそうです・・・。


・・・ということで,今回も感想にならぬことを書いてしまいました。
次回は瀬戸内海賊相手に大立ち回りを演じるようです。
海賊が唐船に乗っているというのは,略奪したということでしょうか・・・。
我々伊勢平氏の云々・・・というくだりがありましたが,何で伊勢平氏なのか,郎党の伊藤五と六の兄弟は・・・,清盛はどこで生まれたのか・・・(この設定だと京か),といったことが全く分かりません・・・。
それより,下々に至るまで誰もが清盛が白河院の落とし胤だと知っているという設定は,どんなものなのでしょう・・・。
日記@BlogRanking


「平清盛」-第4回「殿上の闇討ち」

2012年01月29日 20時37分29秒 | TV&エンターティメント

いや~,今回ものっけから楽しませていただきました。
長承元(1132)年に清盛が北面の武士となったとありましたが,清盛はこの年14歳です。あり得ないことではないでしょうが,松ケンが演じるには無理があるというものでしょう。
・・・ということは,殴り合いの喧嘩をした義朝は9歳です。
千秋もとい玉木くんが演じるのも無理があるというものです。


で,殿上の闇討ちですが,「平家物語」にも載っている名場面です。
あくまでも長承元年に拘っていたようですが,忠盛が昇殿を許されたのは白河法王の時代ではなかったでしょうか・・・。
つまり法王崩御が大治3(1128)年だとすると,従四位下となったのがその前年ですから,もっと以前のこととなるでしょう。
保安元(1120)年のことだったとも考えられますので,清盛や義朝には全く関係ないことだ
ったとなります。
但し,内昇殿を許されたのが長承元年と言いますので,そう考えれば辻褄は合います。
勿論,公卿たちが白昼から酒をぶっかけるようなことは無かったでしょう。
関白の前であんな狼藉をしたら,それこそ大変です。
公卿の嫌がらせはもっと陰湿で,自分の手を汚さない筈です・・・。
しかし,為義がヒットマンとなってあっさり忠盛に取り押さえられたあたりでさらにぶっ飛びました・・・(為義弱すぎ)。
確かに,忠盛の父正盛は,為義の父である義親を討ったことになっています。
しかし,武勇高き八幡太郎義家の次男であり,悪対馬守と呼ばれた義親がさしたる武勇も聞かない正盛にあっという間に(追討軍が出た翌月)討たれるなどということが果たして有り得るのか甚だ疑問であり,その後義親を名乗るものが散々あたこたに現れたそうです。
で,為義が源氏を継ぐ経緯は,義親の後源家の正嫡となった河内守義忠(義家三男にして忠盛の烏帽子親。忠盛の忠は義忠から来ていたのか・・・)が突然暗殺され,犯人と目された賀茂次郎義綱(義家次弟)が佐渡に追放(子6人は全員死亡。後に義綱も佐渡にて為義に討たれます)。
その結果,長男でもない為義に源氏の頭領というお鉢が回ってくることになったということです(このあたりの源家内紛を述べると,それこそとんでもないことに・・・)。

ですから,為義が忠盛を父の仇の子として狙うことは無かったのでは・・・と思います。
それよりも,何故この時代,源氏と平氏に差がついていたのか・・・の方が重要でしょう・・・。
そのあたりがどうも本作でははっきりせず,すっきりしません。
単に為義が情けないから・・・で済ませているような気もします(今更,義親が正盛に討たれたなどと為義に言わせても遅いでしょう・・・)。


これを語ると長くなるので,ひと言で言ってしまえば,摂関家の家人として勢力を伸ばしてきた源氏が,摂関家の衰退と共に力を失い,院に付いて北面の武士として力を伸ばしてきた平氏が台頭したということです。
では摂関家衰退のきっかけは何か・・・というと,やはり後三条天皇による延久の荘園整理令かと思われます。
摂関家の経済的基盤は寄進地系の荘園ですから,それを禁じられたらアウトです。
また義親の反乱(というと如何にも悪そうですが,それはあくまでも中央政界にとってのことです)とその後の内紛によっても源氏が力を落としたこともあるでしょう(義忠暗殺・義綱失脚の黒幕は判明しています)。
また為義は当初白河院に近侍したようですが,家来および本人の狼藉によって院の信任を失っていき,摂関家に近づくようになったようです。


・・・で,さらなる突っ込みを。
忠実が自ら
「この藤原摂関家」
などと言うでしょうか・・・。
摂関家ということばは,戦国時代同様後の時代に呼ばれたものではないでしょうか・・・。
それを言ってしまうと,「武士」ということばも果たしてどの時代から言われたのでしょう・・・。
12世紀初頭はに「武士」ということばが果たして有ったのかどうか・・・。
宮廷を警護する武者(むさ)ということばは有ったでしょうが・・・。
そのあたりは,私も分かりませんので,いずれ調べてみたいものですが・・・。


あ,そうそう。
藤木直人くんが佐藤義清(若き日の西行)を演じていましたね。
鳥羽院に仕える北面の武士だったことは事実でしょうが,何と百人一首にもある有名な

ながからむ 心も知らず 黒髪の みだれてけさは ものをこそ思へ

の句を若き日の西行が注釈したという・・・(唖然・・・)
これって,堀河局が老いてから,当時を顧みて技巧として詠んだものだったのでは・・・。同時代の歌人として西行との接点は有ったでしょうが,北面の武士に後朝の別れ云々を問うなんてことはあり得ないでしょうし,第一御所の女房たちの近くにむくつけき武者たちが居る筈も無いでしょう・・・。


・・・ということで,皮肉ではなく大いに楽しませていただきました。
次回は海賊退治らしいですが,清盛までの平氏三代が果たしてどのように海賊を討伐したのか,寡聞にして知りません。
長承4(1135)年のことと言いますから,清盛は既に27歳。
1週間で13年も経ってしまうとは・・・。
日記@BlogRanking


好きなTV番組

2012年01月24日 20時57分49秒 | TV&エンターティメント

え~と,アイテム欲しさの分家のお題でございます。
好きなTV番組ということですが,実はTV見ないんですよね。
実は・・・。
例えば,大河ドラマは今のところ見てはいますが,果たしてこの後見続ける自信は無いです。
去年は9月くらいまで何とか我慢して,その後面倒くさくなって止めちゃいましたし・・・。


あとはドラマは幾つか録画していますが,HDDの中で眠っているのが多いです。
西島秀俊と韓流おねいさんが出ていた「僕とスターの99日」(CX)なんて,数話手つかずだし(フォルダごと消される運命か・・・),BS時代劇だった「テンペスト」はやっと見終わりました。
今やっているのだと,TBSの金ドラ「恋愛ニート」ですが,先週第1回を録画したままです。
何せ「家政婦のミタ」の最終回を年越してから見た人なので,貯まる一方です・・・。


スポーツ中継も,今は殆ど見ません。
野球もモータースポーツもフィギュアスケートもオフシーズンですし,サッカーも国際Aマッチしか見なくなりました。


あとはごく僅かの音楽番組等趣味の番組を幾つか録画したものが,貯まっています。
特に,時々NHKやっている新日本紀行のアーカイブが懐かしくて見ていますし,大河の裏の日曜美術館も年に数える程度・・・。


・・・と言うわけで,全く記事になりませんでした。
TVは専ら録画した番組とゲームのモニターにしかなっていないというのが実態です。
只,金曜夜など,私が帰宅する頃に子どもがドラえもんとしんちゃんを見ていたりします。
もしかすると,唯一オンエアで見ている番組がこれか・・・。
日記@BlogRanking


「平清盛」-第3回「源平の御曹司」

2012年01月22日 20時39分04秒 | TV&エンターティメント

今日も,「開拓者たち」の後で見ました。
ですから,どうしても辛い目で見てしまうところは出てしまうのですが・・・。


三上博史の上皇様,絶品でございます。
御父君の白河法王のベンジャミン伊東も見事にダークな存在感抜群でしたが,先週惜しくも御崩御なさいました・・・。
何で忠盛弟の忠正がいつも居るんだ・・・と思っていましたが(保元の乱の戦後処理の複線とバレバレ),どっかで見た俳優さん・・・と思いきや,「のだめ」のハリセンではないですか・・・。
そう言えば,今年度上半期に私が填った「新撰組血煙録」にも芹沢鴨の役で出ていました。
「のだめ」ついでに玉木宏も出ていましたが,思った以上に良かったです・・・。
こういう人たちが脇を固めるのですから,悪いはずが無いと思うのですが・・・。


う~ん・・・。
今の段階で判断するのはいささか早計に過ぎると思うのでこれ以上は書きませんが,来週が楽しみでならない,次回が待ち遠しい・・・という域には現時点では程遠いとだけ申しておきましょう・・・。


あとは,諱(いみな)で呼ぶのはやはりどうかと・・・。
確かに,
「平清盛だ」
と言った方が,
「中務大輔だ」
と言うより分かりやすいのは確かですが・・・。
当時諱は忌み名から来たもので滅多に名乗ることはなかったということだったそうですし・・・。


しかし,元服直後の清盛を松ケンが演じる無理(清盛は12歳で従五位下左兵衛佐に任官していますので,この時が元服と思われます)は勿論,若いエネルギーを持て余して無頼な
風体で瀬戸内沿岸で暴れ回った・・・という設定は,源為朝二番煎じのようでどうもしっくり来ません。
ファンにとっては野性味溢れる清盛は格好いいのやもしれませんが,兵庫県知事の批判も頷ける気がします。
やはり清盛は平氏のぼんぼんとして,「十訓抄」にあるように穏やかで慈悲深い人物として描いた方が良かったのではないかと思います。


後は,千秋もとい義朝が清盛に対して,
「平氏の御曹司」
という言葉を投げかけますが,これはあまりにも認識不足ではないでしょうか。
御曹司という言葉自体が源家の若君を指す言葉であるからです。
ですから頼朝や義経は勿論,その父の義朝や祖父の為義も若い頃というか幼少のみぎりは御曹司と呼ばれ,また源太と呼ばれていたはずです(おっと義朝は長子だから源太でしょうが,頼朝は三男,義経は九男なので源太ではないですね。為義は確か義親の四男か五男だったと記憶しているので源太ではなく四郎か五郎かと・・・)。
ですから清盛が義朝に,
「源氏の御曹司」
と言ったのも不当ということになります。
因みにこの2人はライバル関係ということですが,年は清盛が5つ年長。
戦闘能力は馬術も含めて義朝が圧倒的に上でしょう。
保元の乱時点での清盛の実戦経験というのは,多分瀬戸内海の海賊との小競り合いぐらいしか無かったのでは・・・と思います。
尤も,個人の戦闘能力と戦術・戦略の力とは別物でして,平治の戦いでの清盛は,洛中の被害を最小限に留めるという戦術家としての非凡な一面を見せる訳ですが・・・。


来週は何と「殿上の闇討ち」だそうで・・・。
これって父ちゃんの忠盛のエピソードでは・・・。
昇殿を許されたときのことだとすると,長承元(1132)年。
清盛が12歳で元服したとすると,ぎりぎりセーフか・・・。
でもこの時点で清盛は数えで15歳。
かなり無理があるのでは・・・。


・・・で,今日も「陽炎の辻」を続けてみてしまいました。
ベンジャミン伊東を見た後に小松政夫を見るという・・・(70年代根多・・・) 。
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「平清盛」-第1回「二人の父」,第2回「無頼の高平太」

2012年01月15日 20時01分51秒 | TV&エンターティメント

先週第1回を見たのですが,書くタイミングを逸したこととその前に何気なく見たNHKBSの「開拓者たち」に完全にやられてしまい,絵空事にしか見えなくなってしまったことで,ついつい第2回の放送までそのままにしてしまいました。
巷では,兵庫県知事の発言や朝廷と貴族を「王家」と言った作中の言葉によって物議を醸しているようです。


清盛が白河院の落とし胤という設定は良いとしても,母を祇園女御にしなかったのは,後で乙前と同一人物にするというよう分からん設定なので,敢えて・・・ということなのでしょうか・・・。
そんなに松田聖子引っ張ってどうするのでしょう・・・。
私の同年代にファンは多いのでしょうけど・・・。
しかし,清盛が忠盛の子でないというのは,庶民に到るまで周知の事実,というのもどんなものでしょう・・・。
こういうことってはっきりしないからこそ面白いのではないでしょうか・・・。


でもって,問題の「王家」について。
これは割と最近,黒田俊夫なる学者(かどうか私は知らん)が天皇家の総称としての王家という言葉の使用があったそうですが,それを受けてのものかどうか・・・。
単に脚本家が,分かりやすいと判断して使っただけと思うのですが・・・。
韓国では天皇を日王と呼ぶそうで,王の上には中国皇帝が居る-即ち,王という呼称は我が国古来の朝廷を貶めるもの・・・というのが批判の争点らしいですし,ネトウヨ(ネット右翼)が韓国に媚びを売るNHKに噛みついたということのようです。
だから,多分制作のNHKとしては(韓流偏重とかの)底意は無いと私なんかは思いますけどね・・・。
但し,やはり王家という呼称は中世以降に使われたものと思うので,ここでは「院」と言えば良かったのでは・・・と思いますね。
それでは分かりにくいと判断したなら,院政のなんたるやを,後三条帝による延久の荘園整理令による摂関家の衰退と共に解説すれば良かったのでは・・・(頼朝のナレーションじゃ駄目か・・・)。


VTR撮影が主流だった大河に,フィルム撮影のような技法を用いたのは多分「龍馬伝」と「坂の上の雲」(これは大河じゃないか)あたりからでは・・・と思います。
時代を感じさせる演出の1つなのでしょうが,鮮明な画像で見たいと思うのは私だけでしょうか・・・。
また,清盛の生い立ちが貧しいものであったという設定は,40年前の「新平家物語」(脚本のせいかさして面白いものとは思われませんでしたが)同様ですが,どんなものでしょう。
忠盛は,父正盛同様瀬戸内の海賊を平定して功が有ったといいますし,院に仕えて羽振りが良かったと思われます。
そこの嫡子だった清盛はさしずめいいところのぼんぼんだったのではないでしょうか・・・。
また,源氏は摂関家に仕え,為義父の義親が12世紀初頭に対馬で反乱を起こして正盛に征伐された経緯があるので,この時期は燻っていたことでしょう。
為義が冴えない役柄であるのは,清盛を引き立たせる為でもあるでしょうが,確かに源氏が冴えない時代であり,故にこそ保元・平治の乱で一気にスターダムに・・・と狙ったのでしょう・・・。


あと,叔父の忠正は保元の乱の際に重要な役割を演じることになるので,今から出ずっぱりなのでしょうが,何で忠盛の屋敷にしょっちゅう居るのか疑問です。
独立している筈でしょう。
また,清盛はしょっちゅう院に出入りしているようで,法王様にもお目見えしていますが,昇殿もしていないのにあり得ないと断じましょう・・・。
また,法王様の面前での殺傷もあり得ません。


・・・ということで,どうも突っ込みどころ満載のようで,今回も途中で頓挫しそうな雰囲気です・・・。
主役の松山ケインチは,野性味を出そうとしたのか兵庫県知事が指摘の通り薄汚さ満載ですが,果たして今後どのようになっていくのか,その時点で判断したいと思います。
ベンジャミン伊東の法王様-三上博史の上皇様父子はなかなかですね。
鳥羽上皇の情けなさは良かったのでは・・・と思います。
待賢門院璋子の壇れいと正盛役の中村敦夫も○,松田聖子は何をか況んや・・・でしたが,予想したよりは良かったかと・・・。
中井貴一と和久井映見は老けましたね・・・。
私が年を取る筈だ・・・。
・・・で,ご勘弁願いたいのは,頼朝夫妻。
何で,ナレーターで出てくるかな・・・と。
頼朝の命の恩人だし,その頼朝が一目置くほど清盛って偉いんだ・・・という魂胆見え見え・・・。
政子に到っては・・・(絶句)。
何で御家人どもの前に騎乗でやってきて,女帝宜しく一喝するかな・・・。
脚本・演出担当と演じたおねいさんは,一度「草燃える」の岩下志麻さんの演技を見てみるべき・・・と思いました。
とにかく,前に「開拓者たち」見て,終わってから「居眠り磐音江戸草子」見たら,余りの出来の悪さが引き立ってしまったような・・・・・。
日記@BlogRanking


「坂の上の雲」-最終回「日本海海戦」

2011年12月25日 20時34分33秒 | TV&エンターティメント

原作を一気呵成に読んだのは,もう18年も前になります。
最終刊は,日本海海戦の壮絶な描写に始まったと記憶しており,同じく大長編であった吉川英治の「私本太平記」最終巻と丁度被りました。
こちらは,湊川合戦における楠木正成の壮絶な戦闘シーンから始まっておりました・・・。勝ち負けの違いこそあれ,日本海海戦と湊川の戦いは,いずれも国の行く末を大きく左右させた大戦であったことは同じでしょう・・・。


しかし,あの壮絶きわまりない映像は,一体どのようにして撮影したのでしょう・・・。戦艦ボロジノ(ナポレオンとロシア軍の戦いの故地から命名)に砲弾が炸裂する場面,地獄絵図のような戦艦内が描かれた際,私は40数年前の英国映画「空軍大戦略」での独爆撃機He111の銃撃された機内の様子と被りました。
鉄と鉄のぶつかり合いの果てには,肉がちぎれ血が飛ぶという地獄絵図が繰り広げられるということ,戦争とは決して勇ましいばかりのものではないこと,といったごく当たり前のことを改めて認識しました・・・。


T字戦法(東郷ターン)に対して,バルチック艦隊司令のロジェストウェンスキーは
「東郷は狂ったか」
と言っていましたが,確かにターンする際に艦隊は砲を撃てずに無力化しますし,敵艦に脇腹を見せるために蜂の巣にされる危険性もあるということでしょう。
但し,地球を半周してきたバルチック艦隊の士気が低下していること,遠洋航海によって船底に多くの付着物ができフットワークを減殺されたこと,射撃の命中精度が日本軍に対して著しく落ちること,さらには
「本日天気晴朗なれど浪高し」
と言われた日は,波浪が安定しないので射撃訓練に熟達した日本軍が有利であること,喫水線の高いロシア艦隊は無防備な舷側を曝出すことになったこと,そして東郷ターンによって風下に立たされたこと等,すべての要因を真之が熟知しての勝利だったというのが凄いとしか言いようがありません。
また,上記のように舷側を晒すことは危険ではあるのですが,火力を一方向にすべて集中できるというメリットもあります。
舷側を晒しても,命中精度の低いバルチック艦隊では大丈夫では・・・という計算も有ったのでしょう・・・。
真之の立てた作戦は,かつての水軍の戦術を徹底的に研究した独自のものだったと言われます。
古来,瀬戸内海から四国にかけては,塩飽,因島,来島等の水軍が多く存在しました。
例えば,平安時代の天慶年間の藤原純友の乱などは,大いに関連しているでしょうし,戦国時代に瀬戸内地方に覇を唱えた村上水軍も居ました。
そうした事例を徹底的に研究し尽くしたのでしょうし,アメリカに駐在中に米西戦争を観戦する機会を得ていますので,そのあたりも影響していたのかもしれません・・・。


不満を言えば,敵前での東郷ターン・第一・第二艦隊に大打撃-追撃-逃走中のボロジノ以下を挟撃-水雷艇による夜間攻撃-ネヴォガトフの第三艦隊攻撃と旗艦とも言うべきインペラートル・ニコライ1世に白旗・・・という経過の描写が前半のみに終始していたということでしょうか。
尤も,白旗+機関停止が降伏の条件ということで,インペラートル・ニコライ1世が当初機関停止をしなかったことは詳しく語られておりました。
ロジェストウェンスキーは,捕虜となり佐世保の病院に入院した後,本国に送還されました。
その後軍法会議にかけられたものの無罪となり,終戦4年後に日本海海戦の傷がもとで亡くなったことや,東郷が見舞いに行き,終生東郷を尊敬していたこと,ロシア軍の捕虜は殆どか自艦の撃沈により波間に漂っているところを日本兵に救助され,国際法通りに厚遇されて帰国がかなえられたこと,などが述べられても良かったかな・・・と思います。


終戦後のことや,ラストシーンに関しては述べるまでないでしょう。
偉大な文筆家であった原作者が,短絡的に明治を賛美し従軍体験から昭和を貶めているという短絡的な思考の持ち主ではなかったことが,これで分かるのではないか・・・と思いました。
明治という時代を,後の大東亜戦争の敗戦に直結する帝国主義の萌芽の時代と単純に位置づけることこそ,史実を知った後世の人間だからこそできるのであり,開国後僅か50年で欧米列強と肩を並べるに到ったことこそ壮と思いますし,外圧に対して必死に戦った当時の人々の気概を現代人に求めるのは無理でしょう・・・。
開国して欧米列強に肩を並べる国力を持たなければどうなったか・・・。
それは,アジア近隣諸国が証明しているではありませんか・・・。


・・・ということで,3年越しの大作が終わりました。
やればできるじゃないかNHK・・・というのが本音ですが,願わくは今後の大河が,重厚で骨太な史劇路線になることを願ってやみません・・・。
少なくとも,ここ数年で辛うじて鑑賞に堪え得る内容だったのは,個人的には5年前の「風林火山」のみ・・・(にしても注文は付きますし,「篤姫」も評判良かったですが,ホームドラマ的すぎてどうも・・・) ,というのも困りものなので・・・。


・・・で,18年ぶりの原作再読をも目論んだのですが,文庫版全8巻中3巻で止まってしまいました・・・(お粗末)。
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「坂の上の雲」-第11回「敵艦見ゆ」

2011年12月18日 22時50分30秒 | TV&エンターティメント

明治37(1904)年暮れ,喜望峰からマダガスカルを経て,マラッカ海峡に向かうバルチック艦隊の偉容が示され,傷ついた連合艦隊は呉にて修復を行っていました。
考えてみたら,バルト海からドイツ(キールか??)で補給をしただけで,北海では英国漁船団を艦隊と誤認して発砲するというドッガーバンク事件を起こしたり,喜望峰回りとスエズ経由に分かれたり・・・と,日本海に到るまで多くの困難に見舞われています。
亜寒帯から温帯~熱帯という強行軍も士気を損ねたでしょうし,喜望峰迂回組と軽快なスエズ組(スエズは英国が押さえていたため,大規模艦隊の通行は叶わなかったということでしょう)は,マダガスカル島のノシベ泊地で合流する頃には,熱帯特有の伝染病によって相当数の乗組員が死亡していたと思われます・・・。


一方,満州では沙河会戦の後,戦線は膠着状態となり,翌年1月の黒溝台会戦に辛くも日本は勝利します。
伸びた兵站と補給は困難を極め,数に勝る露軍は撤退。
このあたりが,帝政ロシア末期の厭戦気分や暗澹たる予感と被ります・・・。
指揮系統が一貫せず,それが戦意をも挫くことにことになったことが,容易に伺えます。そして3月1日,運命の奉天会戦。
乃木の第三軍は,遊撃隊として敵の右翼を背後から突く作戦でしたが,言うなれば囮だったということでしょうか。
好古の騎兵は奉天を左翼から迂回。
クロパトキンは,第三軍と秋山支隊の数を過大に見積もり,退却して戦線を立て直すことこそ得策と考えたということでしょう。
それによって,日本軍は奉天入城を果たします。
ロシアは,どう考えても負けるはずのない戦いに負けたというか,戦術的に敗れたということでしょう・・・。
好古が率いる騎兵の華々しい戦闘シーンを期待したのですが,考えてみると奉天会戦自体が戦術・戦略的に圧勝とは程遠いものだっただけに,今回のような悔い足りなさが残るのも必然か・・・とも思い直しました。
この戦争から多く使用されるようになった重機関銃や28サンチ砲を使用し,臨場感抜群の戦闘シーンは見事のひと言に尽きます。
ここ数年の大河が駄目な筈です・・・(と妙に納得したりして・・・)。


後半は,バルチック艦隊迎撃に苦悩する真之と島村速雄が東郷に津軽海峡迎撃案を進言するくだりでした。
電探も偵察機も無いこの時代,索敵など不可能であり,果たして70隻を越える敵の大艦隊が対馬海峡に出現するか,太平洋から津軽海峡に出るか,或いはスエズと喜望峰のように分かれるのか,予想をするしかありません。
そうした意味でも,東郷の判断は神だった・・・ということでしょうか・・・。
上述の通り,レーダーも偵察機も無い時代ですから,哨戒艇の役割は極めて重大だったのでしょう(尤も,信濃丸が発見したのは,灯火管制をしていなかった病院船だったらしいですが)。
このあたりも息をつかせぬ緊張の連続で,ダルな瞬間が全く無く,画面に釘付けでした。実際,連合艦隊はあのように士気が高かったのでしょう。
戦争・戦闘というという行為自体は狂気以外の何者でもないでしょうが,時代の高揚感というものは現代の比ではなかったと思われますし,人々の志の高さについては,今更述べるまでないでしょう・・・。


いよいよ東郷ターン(T字戦法)によって,日本海海戦が開戦。
次回が待たれてなりませんが,これで終わりと思うと残念な限りです。
今回は,水師営と旅順要塞陥落が端折られて,少し急ぎすぎの感は否めませんでしたが,見事な出来でした。
来週は,沐浴斎戒・結跏趺坐して見なくては・・・(嘘です・・・)。
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「坂の上の雲」-第11回「二○三高地」

2011年12月11日 21時17分20秒 | TV&エンターティメント

6時からBSを録画し,7時過ぎからビデオを回しました。
録画しつつ最初から再生できるとは,便利な時代になったものです。


今回はすべて203高地でしたね。
乃木の第3軍による第3次攻撃の頓挫と児玉への指揮権委譲,そして僅か半日での203高地占領がたっぷりと語られました。
とにかく,要塞攻略戦の惨状が見事な映像で再現されていたのではないでしょうか。
前にも述べたように,上陸作戦と要塞攻略戦は,とにかく遮二無二前へ前へと進むしかないわけですから,人が盾な訳です。
壕を掘り身を隠すも,真上から砲弾が降ってくればおしまいであり,そうした中を全身有るのみということは,戦争自体が既に狂気であるということでしょう・・・。


一度占拠した203高地を再び奪い返され,児玉が旅順に着いたのが12月1日。
その報を知った児玉は,第8師団の歩兵第17連隊を援軍として南下させることを大山満州軍総司令官に要請しています。
3日を配置転換に当て,虎の子とも言うべき28サンチ砲を移動。
攻撃は12月4日から再開され,翌5日夜には完全に203高地を占領。
「そこから旅順港は見えるか~」
「見えます~」
も,おそらく事実でしょう。
間髪を入れず,旅順港のロシア艦隊を砲撃したのは,さすがと言うべきでしょう。
この時点で,旅順要塞はまだ落ちていないのですから・・・。


児玉が乃木と会見し,指揮権を委譲された・・・ということになっていましたが,これは原作者の創作,という説が強いらしいです。
児玉は督戦には来たものの,乃木の指揮権に介入はしていないというのが真相では・・・と言われています。
このあたりも,司馬遼太郎を批判する側にとっては格好の材料となるでしょう・・・。


長州出身であった乃木と児玉の過去が手短に語られていましたが,追補すると乃木の師で吉田松陰の叔父であった玉木文之進は,前原一誠を中心とする萩の乱後に責任を取る形で自害しています。
松下村塾は吉田松陰が開いたと思われがちですが,開いたのは叔父の文之進です。
また,児玉は幼くして父を失い,姉婿をもテロで失ったということでしたが,児玉が13歳というと元治元年ですから,長州藩が暴発して京都に攻め上った禁門の政変直後になります。
尊攘派であった義兄次郎彦は,保守である俗論党に殺されたということでしょう。


しかし,これを見た所謂反日を標榜するサヨクの方々は,どう思うのでしょう。
先の大戦の原因が,藩閥政治のなれの果てである軍部による暴走と見るならば,薩長土肥の維新回天に功のあった人物(西郷・大久保・高杉・大村・坂本・江藤)を描き,我が国の帝国主義に拍車を掛けることになった日露戦争の勝利を描く司馬遼太郎の作品は,許せないもの・・・という論法になります。
現に若い頃私の周囲にごまんと居た反体制を標榜する輩は,皆司馬遼太郎が嫌いでしたし(だから読んでいない),山岡荘八なんて論外でした。
しかし,世に言う「司馬史観」とは,明治-善・昭和-悪といった短絡にして単純なものではないことは,作品を一読すれば分かりますし,長州藩の暴走気質がやがて陸軍軍閥の体質となって戦争に突入していったという事実も客観的にとらえられています。
生前,原作者が映像化を嫌って,不可能と断じたことは前に述べました。
短絡的な戦争賛美となることを恐れたこと,そして世界規模のロケーションとなることが最大の原因と思われますが,単純な戦争・帝国主義賛美ではないことは,原作を読んで本作を見れば一目瞭然でしょう。
考えてみたら,サヨクは端からこのような番組見ないか・・・。


次回は,奉天会戦とバルチック艦隊発見まで行ってしまうのでしょうか・・・。
旅順要塞は落ちていませんから,コンドラチェンコ戦死と文部省唱歌にもなった水師営の会見は語って欲しいところですが,今から来週が待たれてなりません・・・。
「本日天気晴朗なれど浪高し」
まで行っちゃうようで,急がなければ良いのですが・・・。
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「パールハーバー」・・・

2011年12月08日 21時34分19秒 | TV&エンターティメント

今日は大のお薦め映画について書きます。
ちょっと毒入りかもしれませんけど・・・。


真っ赤な口紅を付けた,真珠湾近くの病院に勤める看護士のイヴリンと,米陸軍航空隊のパイロットのレイフは愛し合っていました。
ところがレイフは,ヨーロッパで悪い国が侵略戦争を始めたので,正義の国を助ける義勇兵として出征しました。
レイフが戦死したと思ったイヴリンは,レイフの友達で同じくパイロットのダニーとできちゃいました。
そこへ,死んだと思ったレイフが帰って来ました。
友情の危機か・・・と思われたその時-1941年12月8日,突如真珠湾にUFOならぬ灰色の戦闘機と緑色の爆撃機・攻撃機に乗った異星人が卑怯なことに不意打ちをかけてきました。
軍需施設しか攻撃していけないのに,異星人はイヴリンの勤める病院に対して20ミリ機関砲弾を撃ち込みます。
さらに,極悪非道なことに,異星人の戦闘機は逃げ惑う人々に対しても情け容赦なくコストの高い機関砲弾を撃ち込みます。
港では,正義の国米国の戦艦が次々と爆撃・雷撃を受けて沈められていきました・・・。
驚いたことに,異星人たちは,作戦会議を軍艦の司令室で行わず,野外の田圃の真ん中で行っていたのです。
周りには,寒いのに褌一丁のストリーカーもどきの中年や,凧揚げに興じるがきんちょがたくさん居ました・・・。


異星人の侵略に怒ったレイフとダニーは,格闘性能抜群の戦闘機カーチスP40に飛び乗ると,炎上するホイラー飛行場(ヒッカムか?)をたった2機で離陸。
異星人の駆る戦闘機ZEKE21を鎧袖一触叩き落とします。
この世の楽園と言われた真珠湾は阿鼻叫喚の地獄と化していました。
軍港の太平洋艦隊はほぼ壊滅。
民間人や病院も上記のように大きな被害を受け,犠牲者の数はうなぎ登り。
悪の異星人の所業に,正義の国の若者であるレイフとダニーの血は,復讐に滾るのでした・・・。


しかし,異星人の襲来は暗号電文解読により事前に漏れており,真珠湾から前もって機動部隊の中核である2隻の航空母艦,企業号と歴史豚号は異星人のそれを上回る膨大な数の高性能艦載機とともに無傷で残りました。
翌年,真珠湾の復讐とばかりに,企業号の兄弟艦である雀蜂号から双発爆撃機「ダイエー外野手95」号が発進。
一路異星人の国へと向かいます。
その中には,正義の怒りに燃えるレイフとダニーも戦闘機乗りにもかかわらず搭乗していました・・・。


「ダイエー外野手95」号は,見事に異星人の国の首都を爆撃。
勿論,軍事施設しか爆撃しません。
そして,太平洋上の空母には着艦できないので,勇敢にも異星人の国を飛び越えて,東海(異星人の国に一番近い国が呼ぶ海の正しい名前)を隔てた4000年もの歴史と文化を誇る国に不時着します。
しかし,そこは既に異星人に占領されていました。
そこでダニーは,極悪非道の異星人にとらえられ,なぶり殺しにされます・・・。


血生臭い真珠湾に平和が戻りました。
ダイヤモンドヘッドをいただくワイキキビーチは,今日も青春を謳歌する若者の歓声に溢れています・・・。
しかし,今なお真珠湾に着底して沈む戦艦蟻備には,異星人の攻撃で犠牲になった1,000人を越える人々の霊が眠っているのです・・・。
悪逆非道の侵略者を断じて許すまじ。
正義の国の若者は,今もその日を忘れまじという思いを込めて言うのです。
「Remenber,Pearl Harbor
と・・・・・。


いやー,せっかくのってきたから,もっと書こうかと思ったけど,これ以上エグくなるとやばいので(以前某サイトで毒吐きまくってたけど,それに比べれば・・・)止めますが,ぜひ視聴時間2時間数十分と,DVDレンタル料100円をドブに捨てるつもりで本作をご覧ください。
大笑いできること必至でございます・・・。
日記@BlogRanking


「坂の上の雲」-第10回「旅順総攻撃」

2011年12月04日 22時40分33秒 | TV&エンターティメント

何とも待ち遠しい1年でした。
その間の大河ドラマ三作が悉く駄作に終わっただけに(ファンの方済みません),本作に対する期待は極めて大きく,文庫本で8冊に及ぶ原作を,ようやく3巻(つまり旅順港封鎖作戦と広瀬の戦死まで)まで,18年ぶりに再読しました・・・。
足かけ3年に渡る大作も,いよいよ最終章となります。


日銀副総裁高橋是清が,戦費調達の為に戦時外債の公募で,英京ロンドンにて金策に奔走。
投資家には兵力差による日本敗北予想,日本政府の支払い能力の限界,同盟国英国が建前として局外中立の立場で公債引受での軍費提供が中立違反となる懸念があったために,それは頓挫しかけます。
産業革命(これより100年前ですが)以降の労働者階級の貧困さが,一瞬浮き彫りになりますが,戦争というのは経済力の戦いであることを改めて知らされます。
高橋是清というと,どうしても受験日本史的には,226事件の凶弾に倒れた蔵相というイメージしかないのですが,書生時代は勝海舟の下に居たことは意外に知られていません。卓越した海外知識を持つ勝の下で,国際感覚を磨いたということでしょうか・・・。


秋山真之が陸軍との共同作戦にて203高地の攻略を献策したかどうかは浅学にして存じませんが,陸軍第3軍による正面突破を狙った2度にわたる旅順港攻略戦が,如何に熾烈にして悲惨なものであったかが描かれます。
要塞攻略戦は,上陸作戦同様只ひたすら前に進むしかありません。
同胞の死体を楯に,それを乗り越えていくしか無いわけです。
2度の作戦失敗(尤も第2回総攻撃では露軍に相当の損害を与えています)と,それによる乃木の苦悩,そして陸軍内部での批判。
それを元老山県有朋に抗議する長岡外史(陸軍大学での好古の同期)と,その直後に乃木に届く勅書。
苦悩する当時の日本の状況がひしひしと伝わります・・・。


それにしても,旅順要塞攻略戦の戦闘シーンと連合艦隊の偉容は圧巻でした。
CGを駆使しての結果でしょうが,実に良くできていたと思います。
これだけのことがやれるのですから,大河ドラマをもっときちんと作ってくれよ・・・となる訳ですが・・・。


勿論,黄海海戦と蔚山沖海戦が語られて終わりだったりとか,クロパトキンの遼陽撤退が,一瞬要塞からのもの・・・と思われたり(考えてみたら,要塞の司令官はステッセルか),突っ込みどころはありましたが,期待通りの出来で近年の映像作品では希有の成功例と言ったら褒めすぎでしょうか・・・。
キャストは,松たか子(血筋は抜群なのに・・・)を除くと,皆達者で貫禄も押しも十分だと思います。
柄本明の乃木,高橋英樹の児玉,江守徹の山県,渡哲也の東郷,的場浩司の長岡,米倉斉加年の大山,村田雄浩の伊地知・・・と,見事でした。
勿論,主役の2人に関しては今更述べるまでないでしょう・・・。


次回は,いよいよ第3次攻撃-二百三高地攻略でしょう。
連合艦隊と,いよいよ出撃したバルチック艦隊が,どのように輻輳して描かれるか,楽しみです・・・。
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断念・・・

2011年10月01日 21時01分07秒 | TV&エンターティメント

前回の日曜夜,録画のセットを忘れた。
そして本日,再放送の録画セットを敢えて行わなかった。
以上により過去2作品(かねたんと龍馬伝)続いてきた大河ドラマ視聴コンプリートは潰えた。
2006年の「功名が辻」と翌々年の「篤姫」も,全く同じ時期に同様のこととなった。
「篤姫」は「江」と同じく田淵久美子,「功名が辻」は大石静といういずれも売れっ子の女性脚本家の手になるものだが,遂に視聴を放棄することとなった。


誤解なきように言っておくが,何も女性の脚本家が悪いと言っているのではない。
例えば,「国盗り物語」(73),「花神」(77)といった過去の傑作の名に値する(と私は思っている)司馬遼太郎作品の映像化に当たっては,大野靖子という名脚本家が複数の原作を見事にまとめ上げていた。
ドラマの善し悪しは勿論脚本家だけの責任ではなく,映像を介しての総合芸術であるから(この点,オペラと同様と思う),役者の演技や演出は勿論,美術や特殊効果,音楽等が有機的に融合したものが成功作となり得ると思う。
そうした意味でも,近年の大河ドラマの内容には首をかしげざるを得ない・・・。


いつからこのようなことになってしまったのか,過去の例を拾い上げてみても,ここ10年は心に残る作品が果たしてあったか・・・と思う。
その中では2007年の「風林火山」が,300ページ足らずの原作をうまく膨らませたのと,実力者揃いのキャスト(がっくんの長尾景虎-当時は上杉政虎か-というのは別として)が相俟って,見応えのあるものとなっていたが,それとてここ4年の作品と比較してのことである・・・。
さすがに,60年代以前の作品は子どもの頃訳分からんまま見た「竜馬がゆく」と「天と地と」ぐらいしか知らないが,少なくても前項の大野靖子脚本作品2つを含めると,70~90年代前半くらいまでが大河が矜恃を保っていたのでは・・・と思う。
少なくても,以下に挙げる作品は,優れた映像作品として後世に伝えるべき・・・と,私は思う・・・。

「国盗り物語」(73)原作:司馬遼太郎 本作の他「尻啖え孫市」,「功名が辻」他 
「花神」(77)原作:司馬遼太郎 本作の他「11番目の志士」,「峠」,「世に棲む日々」
「草燃える」(79)原作:永井路子「北条政子」,「炎環」,「相模のもののふたち」,「つはものの賦」
「峠の群像」(82)原作・脚本:堺屋太一
「徳川家康」(83)原作:山岡荘八
「翔ぶが如く」(90)原作:司馬遼太郎
「炎立つ」(93-94)原作:高橋克彦

確か,「家康」と「炎立つ」は全話DVD出ていたと思う・・・。
他に,91年の「太平記」も観応の擾乱まで描いて画期的だったが(吉川英治の遺作とも言うべき原作は,そこまでは描かれず),配役が???だったと思う・・・。


・・・ということで,半年とちょっとに渡って書いてきた「江」の感想(と突っ込み+蘊蓄垂れ流し)は頓挫ということに・・・。
来年の「清盛」も祇園女御の配役と乙前と同一人物という設定に,う~ん・・・という感じだし,今となっては12月の「坂の上の雲」がひたすら待ち遠しい・・・。
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しょーもない話題・・・

2011年09月21日 20時35分27秒 | TV&エンターティメント

以下は,おっさんの独り言,というか戯言かもしれません。
もしかすると,若い方には理解ができない内容かもしれませんが,しょーもねー・・・と思って看過していただけるとありがたいです・・・。

 

6月のある日のこと(火曜か水曜だった),例によってKスタでナイター見た後,駅までシャトルバスに乗った。
「総選挙どーなった」
と,若い男(といっても30 代以上だが)の声がした。
はて,平日に選挙とは・・・。
総選挙というからには国政選挙だろうから,果たしてそんなの平日にあったのか・・・。と思った。
「去年は意外だったよな」
という男の声も聞こえた。
はて,民社党が負けたことが意外だったのか・・・。


昨日のこと。
やほうじゃぽんのトップページに,じゃんけん大会始まるとか書いてあった。
じゃんけん大会??
何でそんなのがトップ記事になるんだ・・・??
と思って,そのまま忘れた・・・。


・・・という訳で,お分かりでしょうが,いずれもAKBのことでした。
はっきり言って私にとってどーでもいい話題なのですが,いい年扱いた大人が話題にすることか・・・と,自己矛盾に陥ったりしています・・・。
確かにうまくできているような気がします。
私があと20数年若かったら,あのプロモーションに填らなかった・・・という保証はありません。
かわいい(ファンにとっては)女の子が大勢歌って踊るのを見るのは,男の本懐でしょうし・・・(爆)。
しかし,武道館を借り切って客入れて,48人がじゃんけんするイベントをやるとは,皮肉抜きに商売うまいと思いますよ。
殆ど元手かからないし(1回ぐらい歌って踊ったのかな??),せいぜい衣装代と照明とかの効果代ぐらいでしょうか・・・。
・・・で,TV中継無かったので,大半の若者(というか大部分が小中学生??)は携帯webで結果知ったらしいです。
大半が,がっかりしたり怒ったりしていたとのことですが,じゃんけんだから仕方ないのでは・・・。


しかし,6年前から活動していたAKBがアキバの略だというのを昨年初めて知ったくらいの私ですから,こんなことで稿を起こすというのはモニュメンタルなことかもしれません・・・。
未だにAKB見ても誰が誰やらさっぱり分からず,皆同じに見えるし・・・。
因みに,SKEには2度ほど遭ったことあります。
たまたまKスタにゲストで来ていて,握手会だかサイン会やっているのに出くわしただけですけど・・・。
あの手の恰好(どの手の恰好だ?)をしていましたが,をじさんたる私は全く萌えませんでした・・・。
AKBがアキバと知ってからは,名古屋を活動の中心にしているというSKEがサカエの略というのには,すぐ気づきました。
これまたどーでもいい存在・・・と思いつつSDNを見たら・・・。
これはいいじゃあないですか・・・(をい)
ま,皆同じに見えるのは前述2つと同様ですが,これはオトナ向けだ・・・・・・


・・・ということで(口癖),一番苦手な芸能根多でワープロ1ページ以上軽く叩いてしまいました・・・。
しかし,じゃんけんで歌うやつ決めるってことは,誰が歌ったって同じということか・・・。
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「江~姫たちの戦国」-第29回「最悪の夫」

2011年07月31日 19時07分32秒 | TV&エンターティメント

何だかんだ言いつつオン・エアを見てしまいました。
今日の朝日新聞朝刊のTV番組欄にある「試写室」は,第一回以来の「江」でした。
第一回の時は,ラストシーンで感涙必至と書いてあった例のやつです。
大河関係で言えば,76年の「風と雲と虹と」では,加藤剛演ずる平将門に対して「優等生的過ぎる」と評した舌鋒鋭きコラムとして記憶してきました。
今回は,非情な家康に反発するあまり斜に構えた向井理秀忠が見物・・・とありました・・・。
随分「毒」が無くなったものと思います・・・。
ま,第一回目も絶賛されていましたので,もはや昔日の面影は無し・・・ということでしょう・・・。


ファンには悪いですが,斜に構えた秀忠役の向井くんの演技ってそんなに巧いでしょうか・・・。
まず,北大路欣也演じる家康が全く非情じゃありません。
構えも押し出しも大きく,むしろ江に対して慈父のように接しており,どう考えても立派な大大名です。
もし家康の非情さに裏付けをするなら,正室築山殿と長子信康を無表情で斬るぐらいの演出がないと納得いきません。
それに,秀忠は江に対して只の一度を除いて一穴主義を守ったほどの律儀な男では無かったのでしょうか・・・(その只一度によって誕生したのが会津藩です)。
尤も,それが江を畏れてのあまり・・・となればまた別の話ですが・・・。
ま,言ってしまえば,江が縁談を断る理由は無く,家康が江を説得することも有り得ないでしょう。
天下人の命は絶対であり,それに従うのが理というものでしょう。
以前も述べたように,女性に伴侶を選ぶ権利はなく,大名クラスの姫君が他家の大名と旧知・・・ということも有り得ないでしょう・・・。
あと,江が自ら娘を養育しているようですが,それも無いのでは・・・と,思います。
当時(というか中世以降)乳母の権力は絶大で,やがて登場してくる春日局など最たる例で(きっと悪役なんだろうな・・・。明智系だし・・・),大名の子は乳母等の守り役が一手に引き受ける筈ではないでしょうか・・・。


豊臣と徳川の楔-これが江に与えられた使命であったことは間違いないでしょう。
ただ,秀吉が(番組で言えば茶々が)目論み通りにならなかったことは言うまでもないですが・・・。
娘の完子(さだこ)は茶々の猶子となったのは事実です。
でも,完子という名が存在したのは,慶長9(1604)に五摂家の一つである九条忠栄(後の幸家)に嫁して,従三位に任ぜられ北政所の称号を得て以降のこと,と記憶していますので,ただ単に姫君と呼ばれていたのでは・・・と思います。
因みに,九条家に嫁いだ完子の子孫は大正天皇妃の貞明皇后です。
つまり昭和帝の母・・・ということは,現在の天皇は江の子孫になり,織田・浅井・豊臣の血が入っていることになります。
このあたりは,歴史の妙というか皮肉と言うべきか・・・・・。
さらに完子と幸家の間には女子が何人かいて皆浅野家に嫁いだので(浅野は関ヶ原で東軍に付いたとはいえ,数少ない豊臣譜代でしょうから,この縁組みには長命だった先代北政所-寧々の意向もあったかも知れません・・・),浅野家にも江の血が残ったことになります・・・。
江の家系は徳川は勿論,公家である九条家,大名の浅野家,そして天皇家にまで残ったのですから,ある意味凄いことです・・・・・。


さて,予想通りひねた秀忠と来週は慶長地震で仲良くなるという設定なんでしょうか・・・。
秀吉腹心が三成だけなのに対して,家康腹心も本多正信だけなんでしょうか・・・。
草刈正雄は格好良すぎて腹黒い感じがしませんね。
ま,家康主従を良い人として描いて,秀吉へのアンチテーゼとしたのでしょうから当たり前でしょうけど・・・。
慶長地震・・・「地震加藤」は出て・・・・・来ないだろうな・・・。
清正(もとい主計頭)も正則(同清洲侍従)も嘉明(同伊予侍従?)も存在すらないので・・・。
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