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koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

実況!パワフルプロ野球(PS3版)

2013年05月20日 21時40分52秒 | TV&エンターティメント

今となっては,随分前の根多なのですが,昨年PS3を買ってから,何一つ触れていなかったので・・・。


とにかくその解像度に驚かされます。
PS2までは,モニターがブラウン管式が主流だったので,液晶やプラズマTVでの再生は,輪郭が完全に崩れていたのですが,今回はさすがに違います。
また,それまでの選手の顔は,全てパロプロくんだったのですが,今度はリアルに本物の選手の顔が再現されていたりします。
また,ジャストミートしてスタンドインする際は,ど派手なデモンストレーション画面が現れます。
本塁打を打つと,飛距離が示されるのは今まで通りですが,こうしたデモ画面は良いと思います。


・・・と書くと,如何にも良いことづくしのようですが,残念ながらパワプロシリーズの最高傑作と私が勝手に思っているパワプロ2007に比べると,完成度としては残念ながら最新なのに・・・の誹りを免れません。
まず,私のようなオールドファンを泣かせるような,往年のドリームチームを作ることが出来ません。

 張本⑨
 山本浩⑦
 クロマティDH
 王③(加藤英)
 落合④
 長嶋⑤(衣笠)
 野村⑥(高橋慶) 
 野村②(有田)
 簑田⑧(佐々木)        Pは金田,江夏,堀内,江川,村田,鈴木・・・

・・・といった最強チームを作ることが叶わなくなったし,プロ野球選手として成り上がっていくシミュレーションの「マイライフ」も,盗塁が出来なくなったという改悪。
これも2007の足下にも及びません・・・。


・・・と言いつつも,何だかんだで美麗な画面のせいで,ついついやってしまうのですけどね。
鷲でプレーするときは,専ら猫か虎か燕が相手です。
現実では敵わないチームばかりですし・・・。
・・・にしても,これ作った人は,虎か燕ファンですかね。
この2チームの野手の打撃が篦棒に良いのですけど・・・。
虎の,マートン-平野-鳥谷という上位打線は,何処に投げても打たれそうですし,城島には岩隈のスライダーを何度も甲子園の右翼席に運ばれました・・・。
燕の,青木-田中の1,2番も強力ですし,畠山にはフォークを掬い上げられました・・・。
宮本のミート力は抜群だし,福地には足で稼がれました・・・。
他チームだと,稲葉,中島といった3番には,何処に投げても打たれそうな気がします・・・。


で,鷲の2011年時点でのオーダーは以下の通り。
 
 松井⑥
 聖澤⑧
 鉄平⑨
 山③
 高須④
 岩村⑤
 ルイーズDH 
 嶋②
 草野⑦(内村だったり牧田だったり・・・)


今日も上記3チームを相手に,深夜に・・・。
日記@BlogRanking


「八重の桜」-第10回「池田屋事件」

2013年03月10日 22時04分10秒 | TV&エンターティメント

WBCの前に見てしまいました・・・。
傍らでTBS系点けながら,書いています・・・。


八重と尚之助が試していた新型銃は,ミニエー銃でしょうか。
開国後,多くの銃が入ってきたと思われますが,会津戦争で八重がスペンサー銃を撃ったのが記録にあるように真実だとすると,頑迷固陋な印象の強い会津藩は積極的に西洋の文物を取り入れる開明的な側面も持っていたということでしょう・・・。
尤も,藩からは採用が一蹴されたようで,尚之助が憤っていて八重との仲が進展したようですけど・・・。
・・・というエピソードでも挿入しないと,八重の動きを追えないということでしょう。尚之助と結婚するまで,どうにもならんのでしょうから・・・。


・・・で,八月十八日の政変後によって長州藩が失脚した後の京都政局は,まさに風雲急を告げていました。
この時期は,長州に呼応するように,土佐藩脱藩吉村寅太郎を首魁とする天誅組が五条代官所を襲い,平野国臣等の生野義挙があり,水戸藩の尊攘強硬派の天狗党が筑波山で幕軍と戦う・・・といった具合に,動乱が一気に広がり,それらが全て鎮圧されていきます・・・。
池田屋の変は,まさにそうした時期に起きました。


四条小橋上ル真町の炭薪を商う枡屋こと古高俊太郎が長州の間者と突き止めた新選組が,古高を捕縛して拷問。
その結果,御所にゲリラ的に放火し中川宮を幽閉,容保と慶喜を暗殺し,孝明帝を長州へ動座させる・・・という長州藩の計画を知ることになります。
で,尊攘浪士が集まるのは,三条木屋町の池田屋か四国屋と察知。
ですから池田屋に斬り込んだのは,近藤,沖田,藤堂,永倉の4人だけということになります(斎藤は居ないし,後は周囲を固めた)。
これもまた凄いことです。
2階には20人以上の浪士や長州藩士が居たわけですから・・・。
やがて,四国屋が空振りだった土方隊が到着して,形勢は一気に新選組に傾きます・・・。
襲撃に先立って,隊士の山崎蒸が手代だか番頭に化け,うっかり浪士だか長州藩士の佩刀にに触れる振りをして,
「大切な武士の魂に失礼があっては・・・」
と大刀を片付けてしまい,それによって戦闘能力を奪った・・・ということを聞きましたが,司馬遼太郎の小説だけの話でしょうか・・・。
駆けつけた会津・桑名藩兵に対して土方は一切現場に踏み込ませなかったと言います・・・。


しかし,多分来週か再来週に放映されるであろう禁門の政変といい,この池田屋事件といい,有為な若者たちが多く命を落としたというのは痛ましいことでもあります。
吉田稔麿と杉山松助は松陰門下の俊英だった言いますし,土佐脱藩組だと龍馬とも面識のあった望月亀弥太と北添佶摩,そして熊本藩士の宮部鼎蔵・・・といった人々が落命しました。          
それにしても,池田屋に集まった面々の目的は何だったのでしょう・・・。
前述御所襲撃の計画だったのか,古高奪還の計画だったのか,知るよしもありません・・・。
あと,桂が居なかったのは,対馬藩邸に行っていたからなのか,屋根伝いに速攻で対馬藩邸に逃げ込んだからなのか・・・。
まさに逃げの小五郎の真骨頂です。
勿論,皮肉ではなく,修羅場で生き残る人物とは,桂にしても北条義時にしても,危険を察知する能力に長けているということでしょう・・・。
尤も維新後は,岩倉使節団として渡欧した以外では,藩閥を守ることに汲々するに留まった感もありますが・・・。


池田屋があったのは三条木屋町。
三条小橋の近くでした。
4年前に通った時は,確かパチンコ屋だったか居酒屋だったか・・・。
石碑がありましたが・・・。
あの柳なす界隈は,祇園の石畳や八坂の塔~産寧坂にかけての道と共に,京情緒が溢れたところとして,私のお気に入りの1つです・・・。
尤も,だいたいは三条大橋近くの餃子の王将で食事をするのが訪れる理由ではあるのですが・・・(笑)


来週は,どうなんでしょうね・・・。
禁門の政変まで行ってしまうのかどうか・・・。
あまり進んでしまうと,動乱の時代が終わってしまい,明治以降のますます分からない
時代となると,今日当たりもちらっと見え隠れする恋愛ものとなるような危惧が・・・。それにしても(口癖),同時期にアメリカに密航した新島七五三太という青年は,胆が座っていたのでしょうね・・・。
同行者に,龍馬の従兄弟である山本琢磨が居たとは・・・。
渡航地点に私が行ったのは,3年前の夏でした・・・。
日記@BlogRanking


「八重の桜」-第9回「八月の動乱」

2013年03月04日 21時38分03秒 | TV&エンターティメント

幕末維新史は難しい・・・。
多くの方が持つ感想ではないでしょうか・・・。
実は,私もそうでした。

幕府・会津-佐幕・開国
薩摩・長州-尊皇・攘夷

と,単純に思ってきましたし,明治維新とは所謂薩長土肥の西国勤王諸藩が,朝廷を担いで,幕府を倒したもの・・・とも思ってきました。
勿論,それはそうではあるのでしょうが,それまでの経緯はそんな単純なものではありません。

例えば,今回など秋月悌次郎と山本覚馬が,薩摩の高崎佐太郎(正風)と会うくだりがありました。
え゛・・・,薩摩と会津が同盟・・・??佐幕と尊皇が・・・??
と,思われる方も多かったのではないでしょうか・・・。


当時京都政界に幅を利かせていたのは,三条実美や姉小路公知といった急進派の公卿たちです。
言うまでもなく長州藩が後押ししており,久坂玄瑞(義助)や久留米藩士真木和泉等がその急先鋒であったということでしょう。
それを何としても追い落としたいのは,言うまでもなく薩摩です。
ですから,薩会同盟というのは,当時としては必然であったに違い有りません。
朝廷を担いで京都政界を牛耳ようとしているのが長州であったのに対して,薩摩と会津は後の大政奉還に見られるような(これは土佐の献策でしょうが)公武合体がモットーだったのでしょう・・・。
つまり,いずれもが勤王です。
新選組の思潮も勤王。
このあたりが,東西白黒のカテゴライズができない幕末維新史の複雑なところなのでしょう・・・。
いずれにしても,薩会2藩を中心とする公武合体派が中川宮朝彦親王を戴き,尊攘急進派を追い落とすクーデターが成功し,長州藩は京都政界から追い出されました。


以上が,私が勝手に解釈して簡単に述べた八月十八日の政変の背景ですが,今回の映像は多少の注文が付くところはあるものの,良く練られていたと思います。
少なくても,近年の幕末ものでここまで丁寧に語られたことは無かったと思います(少なくても,3年前の「龍馬伝」の100倍は・・・)。
堺町御門警護を解かれた長藩の苦渋もよく描かれていたと言って良いでしょうし,故に翌年6月の池田屋事件や7月の禁門の政変(蛤御門の変)へ至る暴発も必然性を帯びるというものです・・・。
言ってしまえば,元治元(1864)年という年は,長州にとっては散々踏んだり蹴ったりの,忌むべき年だったということになり,それは前年の八月十八日の政変によって急進派の公卿7人とともに京都政界で失脚したことが直接的な引き金となったということでしょう・・・。
蛇足ながら,この時長州藩と共に京都政界から失脚した7人の公卿を列記しておきます。
三条実美・三条西季知・四条隆謌・東久世通禧・壬生基修・錦小路頼徳・澤宣嘉の7人なので,7卿落ちとも言われています・・・。
中でも錦小路頼徳は,翌年長州赤間ヶ関にて,30歳の若さで没しています・・・。
他の6人が明治維新以降も生き残ったのに対して,哀れと言うべきでしょう・・・。


・・・でもって,来週は池田屋事件まで行ってしまうようです。
象山先生も確か同年に斬られたのでは・・・。
そう言えば,同時に起きた天誅組の変については何も無かったですね(確かに直接関係ないか・・・)。
又しても八重のやの字もなく終わってしまいました・・・。
この時点で数えで19。
当時としてはハイミスでしょうね・・・。
尚之助との結婚は翌々年の慶応元(1865)年でしょうから,今からそのことが延々語られるとしたら勘弁して欲しいですが,どうもそんな雰囲気ではないような・・・。
日記@BlogRanking


「八重の桜」-第7回「将軍の首」,第8回「ままならぬ思い」

2013年02月24日 21時04分24秒 | TV&エンターティメント

先週の分と2回続けて見ました。


文久2(1862)年,会津守護職を拝命した松平容保は,藩軍を引きし上洛。
山本覚馬も同行します。
京は,攘夷を標榜する不逞浪士が跳梁跋扈し,天誅の名の下のテロが横行していました。
安政4(1858)年の日米修好通商条約締結以降,攘夷という言葉は今なら流行語大賞もんでしょう・・・。
この文久2年には,5月には第一次寺田屋事件,6月に第二次東禅寺事件(護衛の松本藩士が,英国水兵2人を殺傷した)が起きていますし,8月には生麦事件が起きています。
会津も薩摩も揺れに揺れていたということでしょう。
そして,翌文久3年になると,京都政局は一層混迷の度合いを深めていきます。
2月には足利三代木像梟首事件が起きます。
平田派の国学者たちの仕業ということになっておりますが,密偵だった会津藩士大庭恭平も関与していたということで,大庭は信州上田藩へ流罪となります(後に,新政府軍によって釈放)。
激怒した容保は,それまでの言路洞開なる宥和政策を止め,強硬姿勢で浪士達を取り締まる方向に転じます。
そうした中で出てきたのが,壬生浪(みぶろ)と呼ばれた新選組ということになります。


まず,北山等持院の足利三代木像梟首事件ですが,それまでの「天誅」が開国派や公武合体派に対するものであったのが,明らかに倒幕を意図したものに変容した点で,1つの転換点だったと思います。
等持院は足利尊氏の創建による名刹で,家康を筆頭とする徳川将軍の木造も安置されています。
夢想疎石作と伝わる(実際は江戸中期らしい)庭園が見事なので,ぜひ1度訪れてみたい寺です・・・。


そして新選組に関して。
あの状況だと,治安維持のため会津藩が浪士を公募したような印象でしたが,実際は複雑な事情が絡み合っています。
それを述べてしまうと,いつも以上に「八重の桜」ではなくなってしまうので(もう遅いか・・・),簡単に述べますと,寝業師ともいうべき勤王派の出羽浪士清河八郎が,幕府に金を出させて,尊攘浪士取り締まりと将軍家茂上洛の護衛と称して浪士隊を結成し上洛。上洛直後に,将軍護衛ではなく尊攘の尖兵となることを告げた結果,それに反対して清河と袂を分かったのが,近藤・土方を初めとする後の新撰組ということになります・・・。清河は当時既に幕府のお尋ね者でしたので,相当な寝技を打ったことになり(しかもその浪士組を放り出している),その幕府と尊攘の歪みの中で誕生したのが新選組と言って良いかも知れません。


・・・とまた例によって関係ないことを長々と書き連ねました。
実際戊辰戦争とその前の川崎尚之助との婚儀まで八重の前半生は,さしたるエピソードもなく,それこそ創作にゆだねられる部分だと思いますので,妙ちくりんな三角関係が出てきたりもするのでしょう・・・。
「龍馬伝」で私が骨抜きにされかけた貫地谷しほり醸をやたら出すのはサービスか・・・と思い,あの変な髪型の齋藤一は何なんだ・・・と思って,合点がいきました・・・。
齋藤を際立たせておかないと・・・ということなのでしょう・・・。
多分あの2人が結婚するのは会津戦争直前が維新後でしょうが,それまでどのように引っ張るのでしょう・・・。
神保修理役の齋藤工くんは,髷の似合うイケメンですね。
「陽だまりの樹」に出ていた市原隼人くんも髷が似合いますが,「オトコマエ」の信三郎役や「江」の京極高次役とともに填っていると思います・・・。
奥様役の芦名星嬢に関しては,先週述べました。
もっと出てこないかな・・・と,不逞なことを考えてしまいます・・・(をい)。
山川大蔵役の玉山鉄二さんも髷が似合いますね。
かねたんと出ていた景勝役も良かったですかが・・・。
八重を好きだったかどうかは,分かりませんけど・・・。


・・・ということで,次回は薩会同盟と八月十八日の政変でしょうか・・・。
三条実美(今回は悪役にしか見えない・・・)を筆頭とする七卿と長州藩の失脚をどのように描くのか見物です。
京を落ちる久坂は,詩を吟ずるのかどうか・・・。
日記@BlogRanking


「八重の桜」-第6回「会津の決意」

2013年02月10日 21時22分53秒 | TV&エンターティメント

冒頭,水戸藩討伐を叫ぶ幕閣に対して,容保が討伐中止を進言。
将軍継嗣争いに敗れて謹慎中の一橋慶喜(父は水戸斉昭)と松平春嶽(福井藩主。後に坂本龍馬を重宝した)が,容保の名を刻んだ・・・と,ありました。
まず,水戸藩征伐自体が叫ばれたのかどうか?です。
井伊掃部頭暗殺は確かに水戸と薩摩の浪士の仕業でしょうが,単なる感情論で水戸征伐の話が起きたとも思われません・・・。
でもって春嶽と慶喜の覚えが目出度く・・・とも思われぬのですが・・・。
会津守護職推挙への伏線ありあり・・・と思ってしまいました・・・。


会津藩では,容保の正室が逝去。
そして八重の廻りでは次々と縁談がまとまっていました。
家老の梶原兵馬役の池内博之さんを久々に見ましたが,結構落ち着いていて様になっていました。
何せ,「GTO」(勿論反町主演の方)での不良少年役しか知らないので・・・。
神保修理の妻の雪役の芦名星嬢は美人ですね。
芸名から分かるように,ご当地・・・というか郡山出身です・・・。


容保が京都守護職を再三固辞し,春嶽が藩祖保科正之の『会津家訓十五箇条』を持ち出したのは史実と思われます。
西郷頼母を初めとする家臣達の反対もまた史実でしょう。
薩摩・長州・土佐が京都政界を牛耳ろうと鎬を削る政争の渦中に,会津藩は放り込まれることになります・・・。
文久2(1862)年閏8月1日のことですから,翌年の八月十八日の政変,翌々年の禁門の政変,薩会同盟等,動乱はすぐそこまで迫っています・・・。
山本覚馬も京へ向かいますが,佐川官兵衛は残るのでしたっけ?
確か,別撰組を率いて市中警護に当たった・・・と記憶しているのですが・・・。
そのあたりは,いずれ明らかになるのでしょう・・・。


さて,会津若松のお城は鶴ヶ城と呼ばれています。
では,鶴ヶ城に対して亀ヶ城は有ったのでしょうか・・・。
鶴ヶ城=会津若松城・黒川城に対して,亀ヶ城=猪苗代城として,実在しておりました。戦国時代に会津一円を支配したのは,御存知のように芦名氏です。
芦名氏の祖先は,相州に根を張った平姓三浦一族になります。
早くから源氏に従い,三浦大介義明とその子の荒次郎義澄といった武士が保元・平治物語や平家物語・吾妻鏡等に名が見られますが,芦名氏の先祖は義明の末子である佐原十郎義連という武士です(佐原・芦名とも現在の横須賀市内に地名を残します)。
この義連は10代で治承寿永の内乱に参陣し,有名な鵯越の逆落としにも参加しています。三浦一族が,執権である北条氏との内訌によって滅ぼされた宝治合戦の際,この佐原一族は北条氏に付いて血を残しました。
その芦名氏の一族である猪苗代氏が拠ったのが,亀ヶ城です。
保科正之が入封の際に城代が置かれ,今尚石垣などの遺構が残ります。
私が訪れたのは10年以上前ですが,桜の名所でもあるようなので,春に訪れてみたいものです・・・。
で,その亀ヶ城の北にあるのが,番組最後に放送された藩祖保科正之を祀る土津神社となります。
残念ながら,ここは行っていないので,いずれ行ってみたいものです。


・・・と,毎度の事ながら,又しても感想にならず,余計なことを書き連ねて終わってしまいました・・・。
日記@BlogRanking


芸術の域・・・

2013年02月07日 21時48分23秒 | TV&エンターティメント

mixiとFacebookには1日先行して掲載したのだが,せっかくなので改めて紹介しておきたい。
昨今の大河に関しては,山のような突っ込みを入れてきたのだが,今回の「八重の桜」は久々の良作となりそうで,喜ばしい限りだ。
只,あのOPには甚だ注文が付くことは,つい先日述べたばかりだ。
どうも「篤姫」といい「江」といい,ヒロインを際立たせたいが為か,タイトルバックにご本人が登場するのだが,どうも見ていて非常に煩わしい感じがしてならない(私だけかも知れないが・・・)。
時代背景とか,当時の風物とか,或いは印象的な風景とかを挿入してくれた方が,こちらのイマジネーションを大いにかき立ててくれると思うのだが・・・。
その点,かつての大河で主人公が登場したのは,「独眼竜政宗」(87)ぐらいしか思い浮かばない(当時としては画期的なレーザー光線ビカビカだったが・・・)。
ここ数年の良作の1つであった「風林火山」のOPも良かった。
上空から俯瞰した南アルプスの風景と,「風林火山」の征旗がさっと立ち粛々と騎馬隊が行軍する様が実に格好良かったし,千住明のメインタイトルも抜群の出来だった。


でもって,これである。

79年の大河ドラマ「草燃える」。
冒頭の流鏑馬と続く富士の裾野(曽我の仇討ちは,重要なファクターとなる)を一騎駆けする大鎧姿の板東武者。
湯浅譲二の手になるメインタイトルは,主部に入ると5/8+6/8という変拍子ながら快活で平易なメロディが提示されるが(波打ち際の一騎駆けが格好良い),突如として木琴を中心とした前衛的なリズムに変わる。
挿入されるのは金剛力士像。
そのシンクロが見事に決まり,やがて樹海の中の一本道のスピード感溢れる映像に変わる。コーダは,主部のメロディがコラールとして回帰して高らかに歌われるが,最後は夏富士の雄姿で終わる・・・。


とにかく素晴らしい。
ストーリーは,平氏政権末期から源平の争乱を経て,北条氏が鎌倉政権を掌握するまでの血生臭い粛正劇の様相なのだが,このメインタイトルは,板東の草もうとも言うべき武士の政権が,やがて中央を圧して中世の開幕を導く様を端的に表していると言える。
究極の映像と音楽の融合と言うべきだろうか・・・。
もはや完全に芸術の域に達していると言っても過言ではあるまい・・・。


原作は,永井路子著の「炎環」(直木賞受賞作),「北条政子」,「つはものの賦」,「相模のもののふたち」(文春文庫刊)。
20代の前半に飽きることなく繰り返し読んだいずれも名著で,昭和40年代初頭に発表されるや,実朝暗殺の背景が一気に暴かれ,学者たちが瞠目したという代物である(このあたりに関しては,初期のブログで述べてきた)。
原作が良いと,多少の脚色があったとしてもドラマ自体が見応えのあるものとなる典型であろう・・・。


・・・ということで,今宵も再生。
当時TVの音声はモノラルであったが,うまくCD音源とシンクロさせてのステレオ音声となっている。
何度でも見たくなる傑作だ・・・。


アローエンブレム「グランプリの鷹」

2013年02月04日 22時11分49秒 | TV&エンターティメント

30数年ぶりに見てしまって,不覚にも填ってしまった・・・。
確か77年秋から約1年程やっていたと記憶していたが,改めて見ると変なところは多々有るものの,同時期に少年サンデーに連載していた「赤いペガサス」と共に,運転免許すら無い少年の心を捉えるに十分なものだった。
77年と言えば,前年ニュルブルクリングでのドイツGPで,全身大やけどを負って奇跡の生還ほ遂げたニキ・ラウダ(墺:フェラーリ)が,名車312T2を駆って2度目のチャンピオンに輝いた年であり,2度目の日本GPが富士スピードウェイで開催されて年でもあった。
それまで別世界のものであったF1が,俄に現実のものとしてその姿を大きく現した年でもあった。
折しもスーパーカーブームもあって,世は第一次F1ブームを迎えていたと言っても良いかも知れない。
マクラーレンM23,26,ロータス78といった名車のプラモデルが,田宮や東京マルイより次々に発売されたのもこの時期だったし,アンドレッティ,ハント,ペテルソン,レガツォーニ,ニルソン,デュパイユ・・・といった綺羅星の如きスタードライバーたちか共演した年でもあった・・・。


ついつい3話まで見てしまったが,最初は国内ラリーからF1に・・・という訳分からんストーリーで,やがてはF1の上のF0なる(・・・)カテゴリーまで登場して,モスクワ市街地コースでレース・・・というはちゅめちゃな内容になっていくはずだ・・・。
しかし,上記ドライバーが実名で登場したり,当時としては最大限にリアリティを追求した絵柄(主役の乗るマシンなどグランドエフェクトカーの先駆けのようだ)もあって,当時の私が填るには十分だった・・・。
おまけに,ランボルギーニ・カウンタックLP500とかフェラーリ512BBとかランチァ・ストラトスとかブームだったスーパーカーも登場するし,各車のスペックも詳細に語られる。


時代かがった感は否めないが,第一話のリンクを貼っておくので,ぜひご一見を・・・。主題歌歌っているのはアニキだし,音楽担当は「ヤマト」の3年後の故宮川泰だし,見る価値はあると思う。
http://www.youtube.com/watch?v=9UHgM5ws9vE
日記@BlogRanking


「八重の桜」-第5回「松陰の遺言」

2013年02月03日 21時34分43秒 | TV&エンターティメント

数年前,仕事で会津若松に行った時のことです(私の周囲では,会津若松のことを会津と短縮して呼びますが,これには度々違和感を覚えてきました。会津とは福島県西部全域のことなので,若松と呼ぶか-福岡の若松と被るのですが-短縮せず会津若松と呼ぶべきでしょう)。何か気の利いた土産を・・・と思って,鶴ヶ城の北西部にある繁華街の神明通に程近い蝋燭店に足を運びました。
蝋燭店の老主人がまた歴史好きというか,典型的な会津っぽのような方で,戊辰の役に於ける白川口の攻防戦や,白虎隊の悲劇を生んだ戸の口原の激戦について熱く語ってくれました。
その際,私がうっかり口を滑らせたのです。
「官軍の主力は何故に母成峠から会津に侵攻し,二本松城を落としていたにも関わらず,猪苗代口から攻め込まなかったのですか」
という質問にご主人は,
「母成峠は今でも冬に通行止めになる難所なので守りが手薄だったのでね・・・」
と答え,その後で
「会津では,官軍とは言わず西軍と言うのです」
と,穏やかながら厳とした口調で仰いました。
戊辰戦争後140年以上が経ち,往時を知るものが誰もいないというのに,何という執念というかナショナリズム。
私は,己の無学を恥じると同時に,会津人の独立の気風が今尚脈々と引き継がれていることを痛感しました。
絵蝋燭という郷土の伝統文化を守り伝承していく使命感を持っている方々だけに,そうした思いは人一倍強いのでしょうか・・・。
そうした意味では,奥羽越列藩同盟に与しておきながら,さっさと降伏してしまった我が藩など,許されるものではないのかも知れません・・・。
毎回番組を見て,会津の風物に触れる度に,そんなことが思い出されます。
会津若松を最後に訪ねてから,4年もの歳月が流れました・・・。


朝廷の勅許を得ないまま諸外国との条約に調印した井伊に対し,諸国では攘夷がしきりと叫ばれます。
攘夷という言葉は,おそらくこの安政年間の流行語大賞もんでしょう。
但し,覚馬が自宅にて攘夷派に襲撃されたという一件は,寡聞にも知りませんでした。
根拠が有ってのことなのでしょうか・・・。
だとしたら,襲撃した攘夷派の武士達も無事では済まない筈であり,その後覚馬が大砲頭取に抜擢される訳ですから,もし史実としたらその後のことも語られなくてはならないと思いました。
松陰(寅太郎と呼んでいたのは正解)の最後の日々が,日本を発つ直前の勝(海舟と呼んだのは×。麟太郎でしょう)によって覚馬に齎されますが,この三者はどれ程知己たり得たのか甚だ疑問です。
木挽町にあった佐久間象山の塾にて蘭学を学んだのは確かで,その際に顔見知りになった可能性はありますし,松陰は会津を訪れていますので,覚馬と会った可能性もありますが,あのように深く親密な仲だったとは到底思われません。


安政の大獄によって,松陰が刑死。
勝が咸臨丸(艦名は出ませんでした)で渡米している間に,桜田門外の変が起こり,井伊が慙死。
幕府(御三家のあと2つの尾張と紀州)が水戸を討つという話は初めて聞きましたが,果たしてそのような動きは有ったのでしょうか・・・。
激昂した彦根藩が,水戸を討つということは藩論として当然の如く起こりましたが,上層部が慰留したということです。
当然のことで,何せ大老を死なせた責任を負って,2年後の文久2(1862)年までに供奉して生き残った者すべてが処刑されており,藩としても減封された上に京都守護職を解かれるという憂き目にあっている訳ですから,いくさどころでは無かったことでしょう・・・。でもって,その京都守護職が会津藩に巡ってくる訳ですから,桜田門外の変が会津藩に与えた影響は極めて甚大であったということになるでしょう・・・。


次回は,容保があっさり守護職を引き受けるような雰囲気ですね。
予告では,
「徳川宗家と存亡を共にする」
みたいなことを言ってましたし・・・。
病弱であることを理由に再三固辞したのではなかったでしょうか・・・。
・・・と突っ込んでみましたが,今回も皮肉抜きで楽しめました。
やればできるじゃないか,NHK・・・。
終盤,祭の場面では,磐梯山の山容が美しく描かれ,摺上原付近と思しき風景が広がっておりました。
会津の大地を戦雲が覆うまで,あと僅か8年。
その間に,会津藩は京都守護職を拝命し,坂下門外の変が起き,薩会同盟,八月十八日の政変,禁門の政変(蛤御門の変),長州征伐,薩長同盟,大政奉還,そして戊辰戦争・・・と歴史は大きく動いていきます・・・。
その歴史の潮流の中に投げ込まれた会津藩は,否応なくうねりに飲み込まれていくことに・・・。
つまり戦争に善悪など無く,歴史の非情な流れに飲み込まれた・・・ということでしょう・・・。
戦争とは,多分そういうものです・・・。


・・・ということで,全く感想になっていませんね。
八重の八の字すら書きませんでしたし・・・。
またしても,やらかしてしまいましたが,ここ数年の大河と違って,見るのが楽しみです。その点が決定的に違うところでして・・・。
日記@BlogRanking


「八重の桜」-第3回「蹴散らして前へ」,第4回「妖霊星」

2013年01月28日 21時07分18秒 | TV&エンターティメント

第3回と第4回を続けて見ました。
何せ「アテルイ」の第2,第3回もたまっているし,5~6月にやっていた「陽だまりの樹」すら半分近くHDDの中です。
正月休みに見ようとしていたら,親族のごたでそれもかなわず,週末に1本見るのがせいぜいでした・・・。
ためると挫折するので(今までの大河視聴コンプリートは,「風林火山」,「天地人」,「龍馬伝」のみ),何とか付いていこうと思っています。


かつて古代の会津地方を治めた国造(くにのみやつこ)に関する雑文を書いたことがありましたが(こちら参照),会津の人々に独立の気風が強く,各時代ごとに独自の文化圏を持っていたことは,既に1,000年以上も前からだったということでしょう。
幕末~維新の動乱期に,会津藩が置かれた立場と演じた役割も納得できるというものです・・・。
ロケ地は,会津若松市の他,栃木の那須塩原市(現地の方には悪いけど,何で那須郡○○町で駄目なのか,平成の大合併には甚だ疑問)ということでしたが,磐梯山を望むのどかな風景や,山本覚馬の帰郷の場面で描かれた猪苗代湖畔の松並木(実際はどこで撮影されたのか分かりませんが)を見ると,とにかく松平容保が京都守護職に任命され,明治元(1868)年に板垣退助を大将とする西軍が白河を越えるまでは,会津藩領の人々が至って平和な日々を過ごしていたことを改めて感じました。
戦争に善悪など有る筈もなく,非情な歴史の潮流のうねりに飲み込まれていったという点では,先の世界大戦と何ら変わるものではないと思います・・・。


そうした中で,砲術指南役の家に生まれた八重は,自然に砲術に関する知識と技術を身に付けていったことでしょう。
勿論,兄である覚馬の存在は大きかったでしょうし,ほかの子女よりははるかに関心も高かったと思われます。
勿論推測の域を出るものではありませんが,今回の設定のように周囲の反対を乗り越えて・・・といったような劇的なものではなかったのでは・・・と私には思われてなりません。
まぁ,それはどうでも良いことでしょう。
嘉永~安政と年号が変わる頃,我が国は大揺れに揺れていました。
ペリーの2度にわたる来航とハリスの来航による条約調印。
それも大老井伊による勅許を待たずしてのものだっただけに,世情は井伊に対して逆風だったことが窺い知れます。
「攘夷」という言葉はこの時期にできたと思われますが,開国を断行した井伊は,やはり大局が見えていたと私には思われてなりません。
少なくても幕府は,先のアヘン戦争によって清国が英国にぼこぼこにやられたことをしっかりと押さえていました。
それによって,西洋の科学技術の導入による富国強兵が必要であることを,少なくても安部(この時点では物故していましたが)と井伊,そして勝は見抜いていたのでしょう・・・。薩長は薩英戦争や四国艦隊馬関攻撃を経て,過激な攘夷思想を開国へと切り替えたというのは,やはり幕末の奇跡の1つであり,我が国が短時間で列強に肩を並べる実力を持つに至った(そして後から出てきて総スカンを食った)のも,攘夷を捨てたことがすべてだったと考えられます(そうしなかったので近代化が遅れた国も有った訳で・・・)
そんなことが,会津に於ける八重と覚馬の日常と輻輳させた安政年間の政局の動きの描写から感じられました・・・。
その輻輳のさせ方が違和感が無く,うまくできていると思うのは私だけでしょうか・・・。


主役の綾瀬はるか嬢の演技については,もう少し様子を見守りたいと思いますが,周囲を固める役者さんは,皆巧いと思います。
西島秀俊を最初に見たのは多分20年近く前の「あすなろ白書」だったと記憶していますが,優等生的な演技から完全に脱却して,良い俳優になったと思います。
NHKの某ドラマでブレイクした長谷川くんは,又してもNHKから良い役を貰いましたね。
ミタさんの情けない父ちゃん役も板に付いていましたが・・・(何であんな可愛いおねいさんと不倫できるのか不思議でした・・・)。
松平容保役の兄ちゃんは誰だ・・・と思いきや,「開拓者たち」に出ていて撫順刑務所送りになった弟役の兄ちゃんでした・・・。
小栗旬もかつての三成役より違和感がないですし,吉川晃司の西郷も思ったより悪くない・・・(この2人「天地人」以来の共演?)。


最後にタイトルバックの映像について。
主人公の映像を使うようになったのは,多分「篤姫」が最初では・・・と思ったのですが,どうも既成イメージが固着し,視聴者の自由な想像を妨げるような気がするのは私だけでしょうか・・・。
ちょいと饒舌すぎるというか,もっともっと地味で良いのでは・・・と思ってしまいました。
CGというのは,必要最低限に抑えるべき・・・というか,ここぞという時にしか使ってはならないと思います。
例えばCGアニメーション満載だった「龍馬伝」など,私にはくどすぎました。
会津の風物とか,明治期の風俗とかを出してくれた方が,時代背景や風土の特徴も分かり,視聴者の自由な空想を広げることになるとも思うのですが・・・。


・・・ということで,中身には殆ど触れず,思ったことをずばずばと書いていくだけの内容に終始しているのは,執筆前の危惧が現実となってしまったことを端的に示しています。完全に独善で独りよがりな内容となっていることは否めません。
ま,それを言ってしまうと,私の書く文章は多かれ少なかれそれ以外の何者でもないのですけど・・・。


そうそう,「妖霊星」というタイトルですが,「鎌倉幕府が滅ぶときも出てきた」と言っていましたが,私はずばり平成3年放送の「太平記」を思い出しました・・・。
鶴太郎の演じた北条高時,あれはあれで良かったな・・・。
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「八重の桜」-第2回「やむにやまれぬ心」

2013年01月13日 21時51分47秒 | TV&エンターティメント

かつて大学受験に失敗し,予備校通いをしていた浪人の時代,担当は熊本出身という若い男でした。
彼が言うには,今の政府の元は明治維新によって西日本の諸藩によって築かれたもので,東北は敵対した旧守勢力であり,それが故か現代においても大学入試成績は,高校野球同様西高東低であり,自分としては眠っている東北を何としても目覚めさせたいと思っている。大河ドラマの数多くの原作を書いた司馬遼太郎は大阪外大の出身の関西人であり,だから明治維新の原動力となった人物について多く書いている・・・というでした(「峠」と「王城の護衛者」,「新撰組血風録」,「燃えよ剣」のことを知らなかったのだろう)。
それに対して,当時18歳だった私が反論したことは,確かに学力がすべての受験業界においては,それが現実かも知れないが,今の日本が西日本によって成り立っているなどということは,かつての藩閥政治にも比する愚行である。こういう業界だから仕方ないとしても受験成績の優劣のみで短絡的に東北人を評価されるのは,生粋の東北人として甚だ不愉快極まりない。自分の学業成績が悪いのは自業自得だが,今の日本は西日本が作ったというのは撤回されたし,ということでした。
ま,奮起を期待しての言葉だったのしょうが,短気で狭量の私ですから,東北人のナショナリズムに火を点けられたので,今以上に大人げない振る舞いをしたという若い日の失態でした・・・。
ま,それだけ日本史を理解してもの言えるのに何で英語の成績ふるわないんだ・・・と,痛いところは突かれましたが・・・。
その司馬遼太郎が「街道をゆく」において,会津藩を初めとする東北地方の人物や風物を絶賛していたことは,意外に知られていません。
この辺りは,いずれ機会を見て紹介していきたいと思っています・・・。


本日もBSをリアルで見ました。
終わった後に「阿弖流爲伝」の再放送がありましたが,昨日見ていたためスルー。


いや~,何なんでしょうね,この充実感。
今までの大河で覚えた隔靴掻痒のもどかしさを全く感じさせないのが,何とも嬉しいです。一体今までの「天地人」だの「龍馬伝」だの「江」に「清盛」は何だったのか,NHKに問いたいです・・・。
突っ込みどころは結構有ったりします。
山本家は藩の砲術師範であったことは史実ですが,それが故に八重は自ずと砲術に関する知識と技術を身に付けたような気がするのです。
女であるから・・・という家族の反対は果たして有ったかどうかは分からないのでは・・・と思います。
ま,ドラマである以上,今回のような設定である方が見応えがあるものになることも事実でしょうけど・・・。
また,兄である山本覚馬が,勝麟太郎や吉田寅太郎,川崎尚之助と共に佐久間象山の塾に居たのは史実でしょうが,今日の黒豚のエピソードは創作なのでしょう。
そこに西郷が居たというのは出来過ぎでしょうし(薩摩黒豚とは関係ないでしょう),さらには新島が居たというのもどう考えても作りすぎでしょう・・・。


個人的には,今回の白眉は第二期江戸遊学を終えた覚馬が,会津に戻る際に猪苗代湖畔を歩く場面でした。
磐梯山が大きく眼前に迫り(実際にはあそこまで大きくは見えない),藩校日新館の教授として迎えられるという順風満帆な道行きも有って,印象的な絵となっていたと思います。文武両道を標榜し,高い教育水準をも誇った会津藩ですが,倹しいながらも平和に暮らしていた人々の暮らしを踏み躪った会津戦争の非情さと,藩主容保が京都守護職を拝命したことに端を発する幕末会津藩の悲劇は,単に敗者であるから・・・では済まされぬものでしょう。
奥羽越列藩同盟では,隣藩の二本松少年隊の悲劇も有りましたし,敗者にも大いなる大義が有ったのです・・・。
そうした会津の人々に対して,新政府が行ったのは下北半島の斗南への移封という苛酷な仕打ちでした・・・。
ま,このあたりは30年以上前の大河「獅子の時代」でも採り上げられていましたので,本題とは無縁ということで割愛します。
いずれにしても,2回を見る限り近年の大河では白眉では・・・と,太鼓判を押したくなります。
ま,まだ始まったばかりではありますが,地味ではありますが,今後に期待をできる内容かと・・・。
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「八重の桜」-第1回「ならぬことはならぬ」

2013年01月06日 21時36分05秒 | TV&エンターティメント

会津藩は,二代将軍秀忠のちょっとした浮気から誕生した・・・。


といったことが,司馬遼太郎著「王城の護衛者」なる短編の冒頭に書かれていました。
秀忠は,非常に謹厳実直な男だったらしく(若しくは正室のお江に頭が上がらなかった?),只の一度を除けば,侍女にお手を付けたりしなかったといいます。
その只の一度の浮気(と言って良いのかどうか分かりませんが)によって誕生したのが,会津藩祖保科正之でした。
保科家は武田信玄に仕えた源氏の流れを汲む信州の名門で,信州伊那の高遠藩主 保科正光(「信長の野望」では若年ながら戦闘能力が高かった記憶が・・・)の養子となり,養父の一字を貰ったということでしょう。
徳川光圀(黄門様),池田光政と共に,江戸初期の三代名君といわれた正之は,戦国時代の家風を残していたと思われる保科家のそれを,会津にもたらしたのでしょう。
23万石と,隣接する仙台伊達藩に比べると大きくはない石高の会津藩ではありますが,以後武門の藩として,江戸期を通じてその名を伝えていく基礎は,正之によって形成されたに違い有りません。


若い頃から上記司馬遼太郎の作品に傾倒してきた私は,東北人であるにも関わらず,奥羽越列藩同盟を初めとする新政府軍に抵抗した諸藩を,旧守的にして負けるべくして負けた時代遅れの頑迷なもの・・・と決めつけておりました(誤解無きように言えば,司馬遼太郎は決して薩長土肥側の視点のみで作品を書いたわけではありません)。
しかし,戊辰戦争に善悪など有ろう筈もなく,敗れた奥羽越列藩同盟側にも大義はありました。
歴史とは,得てして勝者の側に立ったものであることが往々にして多いのは,先の大戦のことを見れば一目瞭然です・・・。
ですから,同じ東北出身の者として,幕末から明治という変革期に濃い生き方をしたであろう先進的な女性の生涯に対して,虚心に見ていきたい・・・などということを第1回の放送を見て思いました。


・・・などと言いつつも,毎度の事ながら私は新島襄に関しては,上州安中藩士で同志社の創始者,という知識しか有りませんし,夫人の八重に関しても,会津戦争の際に銃を持って戦った・・・ということしか知りません・・・(汗)。
その八重が但馬出石藩の川崎尚之介と会津戦争前に結婚していたということも,誠に迂闊千万なことに最近知ったくらいです・・・。
ですから,歴史的背景についてもどれくらい語れるか全く自信が無いですし(宮部鼎蔵と吉田寅太郎が嘉永5年-1852年-ペリーの浦賀来航の前年-に会津を訪れていたのは史実です。歴史の妙ですね),会津地方は幾度となく訪れているので風物や歴史に対する単なる思い入れの吐露に終始してしまうやも知れません。
只,ここ数年,どう考えても「坂の上の雲」にエキスを吸い取られたのでは・・・という感じの出来だった不作の連続だった(と,私は思います)大河に一石を投じるものに
なれば・・・と,感じています。


冒頭で先ずやられました。
会津戦争の凄絶な市街戦の描写が・・・と思っていたところ,何とその7年前の南北戦争に於けるゲティスバーグの戦いの描写から入った辺りから釘付けです。
ゲベール銃-ミニエー銃・エンフィールド銃-スナイドル銃・スペンサー銃といった鉄砲の変遷が戦争の形態を変えていったことや,南北戦争終了でだぶついた銃が我が国に齎され・・・などという余計なことを考えているうちに,壮絶な会津若松市街戦の映像に。
鶴ヶ城天守閣に四斤山砲の砲弾が命中(会津戦争終戦直後の写真が残っていますが,ぼろぼろです・・・),薩軍と思しき西軍(旧会津藩領では,今尚官軍と言わず西軍と言います)の来襲に対して,スペンサー銃を持った八重が応戦(あの出で立ちは果たしてどの程度信憑性が有るのか??ですが),そして有名なリンカーンのゲティスバーグの演説。
ドラマとは,やはり演出と脚本にかかっている・・・と,つくづく思いました。
藩校日新館での様子や軍事訓練である追鳥狩の描写,磐梯山と摺上原(かな・・・??伊達と芦名の古戦場)あたりの風景,黄金色に輝く豊穣な会津盆地・・・極めてリアリティに満ちた描写に感服です。
薄汚い映像も無く,それでいてリアリティを損なわない,まさに私が抱く会津藩のイメージ通りの印象的な絵が鏤められていたことで,次回への期待を見事に紡いでくれました・・・。
尤も,物は豊かではなかったかもしれませんが,倹しく平和に暮らしていた会津の人々にとって,それを根底から覆した会津戦争とは何だったのか・・・と,感慨を新たにすることにもなりましたが・・・。


俳優さんたちは皆達者でしたね。
ご当地俳優と言われる西田敏行さんですが,厳密には会津出身ではなく,東隣の郡山出身ですので,中通りの安積生まれ・・・ということになります。
仙台に一極集中型の宮城と違って,福島は広いだけに浜通り・中通り・会津と県が3つあるようなところですので,会津の人々は独立の気風が強いのでしょう。
それは,県立博物館や国立大学の誘致からも窺えます。
小栗旬は,石田三成役よりも遥かに良かったですし,西島秀俊があんな良い役をやるのを久方ぶりで見ました(一昨年末の韓流おねいさんと競演したやつは冴えない男を巧く演じていましたが・・・)。
ちらっとだけ出てきた長谷川博巳は,「家政婦のミタ」の情けない父親役を昨日ちらりと再放送で見た直後だけに,思わず笑いそうになりました・・・。
でも今回の主役は,何と言っても鈴木梨央ちゃんでしょう。
うちの下の子と同い年のようですが,巧いですね。
最近年を食ったせいか,ついつい父親目線で見てしまいます・・・。
来週で綾瀬はるか嬢に変わってしまうのがちょい残念。


まだまだ書けそうですが(迷惑!!),次回以降の根多が無くなる怖れがあるので,自粛しますが,今回のテンションを維持してくれることを切に願います・・・。
それにしても,会津藩校日新館の「什の掟」の「ならぬことはならぬものです」は,自戒を込めて(笑)今でも通用する耳の痛い言葉です・・・。
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大女優,逝く・・・

2012年11月14日 20時41分35秒 | TV&エンターティメント

女優の森光子さんが亡くなられた。
享年92。
80を過ぎても容色が衰えることもなく,生涯「日本のお母さん」を務めきった見事な生涯だったと思う。
個人的には,ロングランにしてライフワークとも言うべき「放浪記」の舞台は見たことないので何とも言えないが,やはり小学生の頃,親と何気なくTVを見ていたときに飛び込んできた「時間ですよ」の映像が最初だったろうか・・・。
勿論,「時間ですよ」をうちのくそ堅い親が見るはずもなく(泣),多分1~2回垣間見て終わってしまったのだが・・・。
さすがにその前のNHKの大河ドラマ「竜馬がゆく」のお登世役は知らないし,東京12チャンネルでやっていた「おさな妻」は,ネットワーク局が無い地方だったので見たことない(子どもが見るものではないか・・・)。
あとは,「渡る世間~」だろうか・・・。
藤岡さんも先日物故したし,昭和を代表する名優達が,櫛の歯の欠ける如く鬼籍に入るのは残念でならない・・・。
太く長い見事な人生に合掌・・・
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Ep7だってさ・・・

2012年10月31日 20時44分08秒 | TV&エンターティメント

いきなりショッキングなニュースが入ってきた。
何とルーカスフィルムをディズニーが買収。
しかも40億5,000万ドル(約3,200億円)と来たもんだ。
この殆ど天文学的な数字だけでも驚嘆に値するのに加え,何と「スターウォーズ」Ep7を2015年に製作。
その後,2~3年周期で,Ep8,9も製作するという・・・。
ちょっと待てよ・・・。
確かジョージ・ルーカスは,Ep7以降は製作しないと明言してきた筈だ。
・・・ということは,監修はするものの陣頭指揮はしないということだろうか・・・。


個人的に「スターウォーズ」シリーズは大好きだ。
但し,Ep4~6の旧三部作に限ってのことだけど・・・。
Ep1なんてDVD持っていないし,Ep3は7年前に買って封すら切っていない・・・。
逆に旧三部作は8年前にDVD発売と同時に買ったし,今はBDのボックスが欲しいくらいだ・・・。
Ep4のデススター侵入(「633爆撃隊」のオマージュであることは以前述べた),Ep5の氷の惑星ホスでの戦闘とアステロイドベルトの脱出,ラストのファルコン号の出航,Ep6の惑星エンドアでのスピーダーバイクチェイスと父子の一騎打ちシーン等々,わくわくしながら見たことがつい昨日のように鮮明に思い出される。


じゃ,銀河連邦軍に危機が訪れるらしいEp7以降は大いに楽しみでは・・・と思いたいのだが,そう単純に行かないのが私のたちの悪いところだ・・・。


先ず,Ep1~3の新三部作は,私のツボでは無かった。
ユアン・マクレガー演じる若き日のオビワン・ケノービが格好良かったことと(誰かが,F1ドライバーのニック・ハイドフェルドに似ていると言っていた・・・),パドメ・アミダラを演じたナタリー・ポートマンがむふふだった(をい)ことは良かったものの,アナキン役のヘイデン・クリステンの大根ぶり(暗黒面に落ちて当然か・・・)とバカップルぶり,そしてCG多様によって求心力を失った映像・・・といった感じで,旧三部作には及ばない・・・と判断したからである。
さらに昨今のディズニーの作品は???ばかりだ。
・・・と言っても,せいぜい見たのは「ファインディング・ニモ」と「パイレーツ・オブ・カリビアン」迄だが,世評に高いこれらの作品も私のツボでは無かった・・・。
少なくても,ウォルトが存命中に作られた「ダンボ」,「白雪姫」,実写だと「海底二万哩」には比ぶるべくもない作品・・・と思った。
志が高かった時代のディズニーならいざ知らず,今のディズニーにどれ程のものを作る力があるのか,疑問を禁じ得ない・・・。
で,マーク・ハミル(「最前線物語」しか知らん)とハリソン・フォード出すのか・・・。
失礼を承知で言うが,過ぎたるは・・・だろう・・・。


ルーカスの神通力は80年代までだったのだろうか・・・(「ウィロー」なんてミドルアースもののSFは抜群に楽しかった)。
友人のスピルバーグの作品も,せいぜい79年の「太陽の帝国」までだと思うし・・・(「シンドラーのリスト」と「プライベート・ライアン」は,私は駄目だった・・・)。
明日より美しい昨日が有るということは,何ら不思議ではないのである・・・。
・・・と言っても,実際封切られたら,すっかり嵌ったりして・・・。
前言撤回は私のトレードマークの1つだし・・・。
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秋の夜長に見たい映画・・・

2012年10月16日 20時52分29秒 | TV&エンターティメント

アイテム目当ての分家のお題です。
以前も述べましたが,映画に関してはちと拘りがありまして,近年のハリウッド映画に関しては懐疑的にならざるを得ないので,もしかすると毒を吐くやもしれません・・・。
その時は,またしょーもないこと言ってやがる・・・と寛大な心で看過していただけるとありがたいです・・・。


最近は映画を全く見なくなってしまいました。
まとまった時間がなかなか取れないというのもありますが,封切りは勿論DVDやBDによる視聴もしなくなってしまったので,時間を作り出そう・・・とは思います・・・。
只,どうも近年の映画に「これは・・・」というものが無くなったのは事実です。
否,単に私が見たくなくなった・・・ということで,つまらない映画ばかりになった訳ではないのでしょうが・・・。


例えば近年(いつまでを近年というのか分かりませんが,ここではここ10年としておきましょう・・・),ヒットしたハリウッドのシリーズ物に「ハリー・ポッター」と「パイレーツ・オブ・カリビアン」があります。
ファンが多いのを承知で言いますが,これは私的には全く駄目でした。
前者は「アズガバンの囚人」まで,後者は「デッドマンズ・チェスト」まで見ましたが,ふ~ん・・・という感じで,特に心に響くものではありませんでした(そういう観点で見るな・・・と言われれば確かにそうかもしれませんが・・・)。
ファンタジーであれば,ウォルフガング・ペーターゼン監督による「ネバー・エンディング・ストーリー」という素敵な作品がありますし,ど派手な海賊船ものだったら内容はともかく勇壮なテーマ曲が滅法格好良い「カットスロート・アイランド」の方が余程特殊効果が聴いています(但しジョニー・デップの崩れっぷりは見事と思いますけど・・・)。
ジェリー・ブラッカイマー監督では「タイタンズを忘れない」が個人的にベストですが,「パール・ハーバー」という迷作もあります・・・(主にマイケル・ベイか・・・)。
邦画に目を移すと,感涙にむせぶ人が続出・・・という噂の「海猿」を見たいとは悪いけど思いませんし,それ以外の作品に対する知識もありません・・・。
もしかすると,ちょっと気の利いた小品が眠っているかも知れませんが・・・。


では,秋の夜長に何を見たいか・・・。
個人的にはまとまった時間(3時間超)が取れるのであれば,昔の(つまり志が高かった時代の)ハリウッドの超大作(主に歴史スペクタクル)が久々に見たいですね。
例えば,セシル・B・デミル監督の「十戒」,ウィリアム・ワイラー監督の「ベン・ハー」,「大いなる西部」,スタンリー・キューブリック監督の「スパルタクス」,「2001年宇宙の旅」,デヴィッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」,「ドクトル・ジバゴ」,「ライアンの娘」,ニコラス・レイ監督の「キング・オブ・キングス」,アンソニー・マン監督による「エル・シド」等々,重ったるい作品ばかりですが,充実感は保証します・・・。


あとは,毎度毎度顰蹙ものですが,史実ものの戦争映画(特にWWIIの)が見たいです。
以前も述べた「空軍大戦略」(監督は007シリーズのガイ・ハミルトン),「遠すぎた橋」(「大脱走」でクレバーな英空軍将校を演じたリチャード・アッテンボローが監督),日米合作の「トラ・トラ・トラ」(日本側の監督は深作欣二),70年のオスカーを獲った(この頃は権威があった)「パットン大戦車軍団」(ジョージ・C・スコットの鬼将軍は本当に恐い)・・・といったかつて夜を徹して見た作品が思い浮かびます・・・。


追加するなら,007シリーズを第一作から順番に見て(1度やってみたいけど無理でしょう)歴代ボンドガールを堪能するとか(をい),「スターウォーズ」旧三部作(EP6の最終場面のすげ替えは勘弁してくれ・・・。EP1~3はどうでも良い),「レイダース」三部作(「最後の聖戦」もどうでも良いけど)を一気に見るとか・・・。
あとは,上記の通り権威のあった時代のオスカー受賞作を見るとか(「ウェストサイド物語」,「炎のランナー」等・・・),往年のディズニーの名作(ダンボ~白雪姫~海底2万哩・・・)を続けてみるとか,邦画だと角川の溝シリーズやジブリのお気に入り(ラピュタ,トトロ,宅急便,豚,耳をすませば)をぶっ通してみるとか・・・


・・・という訳で,この根多も幾らでも書けそうですが(迷惑),脈絡がないので止めます。
何かあまりに非現実的なので,少々虚しいかも・・・。
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再来年の大河・・・

2012年10月10日 20時14分51秒 | TV&エンターティメント

再来年の大河ドラマが決定した。
秀吉に仕えた軍師である黒田官兵衛孝高(くろだかんべえよしたか)-如水軒-が主役という。
これは面白い人物だと思う。
多分,一穴主義の善人として描かれそうな(3年前のかねたんのように・・・)おそれがぷんぷんではあるし,兵庫(というか姫路と御着)福岡,大分(もしかすると岡山も??)のローカルヒーロー的でもあるが,秀吉や家康も警戒した相当な食わせ者だったようだし,倹約と蓄財に努めるだけでなく使うときには思い切ってばーっとやってしまう思い切りの良さもあるし,勿論知謀鬼の如く頭も抜群に切れ,戦闘指揮官としても優秀,そして何よりも西の関ヶ原をやってのけた(しかも殆ど成功しかかっていた)野望の人でもある。
かつて,吉川英治著「黒田如水」(残念ながら,荒木村重造反と有岡城脱出のくだりで終わっているが)と司馬遼太郎著「播磨灘物語」(初読の際は,感動しまくった・・・)の2作を読んだが,いずれもこの人物の非凡さを活写して止まない・・・。


只,問題は主役に抜擢されたV6の岡田くんが果たして,至誠にして老獪な何ともつかみどころの無さそうなこの官兵衛を果たしてどのように演じるのか・・・という点に尽きると思う。
少なくともかねたんのような,何でこの人こんなに人望有るんだ,何もしてないのに・・・というようなキャラにはして欲しくないし,恋愛沙汰も極小で有って欲しいと思う(望み薄だけど・・・)。
少なくても,私が視聴を断念した近作2つのようなものにはなって欲しくないので,骨太で重厚なドラマを望みたいものだ・・・。
できれば,日曜夜のエントリが楽しみになるような・・・。


でもその前に「八重の桜」だよな・・・。
綾瀬はるか嬢は良いと思うけど(をい),何とも地味だから・・・。
せめて,初回で凄絶な会津戦争の市街戦の様子を活写して,戊辰戦争の東北諸藩が如何に大変な目に遭ったか活写してくれれば良いのだけど・・・・・。

 


・・・で,再来年を待たず一言だけかまして終わります。
福岡県関係者の方々へ。
「福岡」の地名を付けたのは,黒田官兵衛です(それまでは確か福崎)。
由来は・・・,かつて述べたかな・・・(記憶無し)。
もし未だでしたら,いずれ語ってみたいものです・・・。
因みに,高知は山内一豊(それまでは河内),仙台は伊達政宗(同千代)の命名ということになります・・・。
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