風通庵-直言

ヨモヤマ話

北林谷栄氏の死で思い出す「山びこ学校」

2010-05-07 10:27:59 | Weblog
 北林谷栄さん死去 舞台や映画 日本のおばあさん------。
 北林谷栄さん死去 劇団民芸 日本のおばあさん-------。
 
 と、新聞記事は大見出しで北林谷栄さんの死亡を告げる。
 いまはもう懐かしいの一語に尽きる戦後の大阪での新劇の公演は、劇団民芸と文学座は大手前の毎日会館で、一方、俳優座は中之島の朝日会館であった。いずれも当時の日本の代表的な新劇団であった。それが大衆迎合のテレビ時代を迎えて、本来あるべき演劇の芸術性が受け入れられなくなって、単なる芸能、芸人の横行する時代になってしまた。だから、恐らく、北林谷栄さんが舞台や映画で、日本のお婆さんとしてその名前が知れるのも、大衆迎合時代の所産であると言えないか。俳優座の菅井きんさんも同様である。

 劇団民芸を見たのは初めてか、あるいは二度目か、何しろ今も印象に残っているのは、三好十郎作「炎の人」(ゴッホの生涯を描いた作品)と無着成恭作「山びこ学校」である。そして年代から判断すると第二次の再建された劇団民芸のようだ。新聞の紹介を見る限り、どちらも代表作ではないようだ。
 だが、あの「山びこ学校」(筋書きも、役柄忘れたが)の北林谷栄さん、当時はまだ30代、40歳前であったようだが、本当のおばあさんと見ていた。おばあさん役にも拘らず、背を曲げる訳でもなく、老人の声に擬制するわけでもなく、地のままでおばあさんを演じていた。内面的な演技で魅せていたのかも。どうやら、それが生涯の役柄、98歳に至るまでの役柄になっていたようだから、さすがに息の長い役者である。
 このことをどうしても言いたかった。