一身上のこと。
連休を生家でと、息子夫婦が孫娘と孫息子を伴って訪れた。そこで食卓をかこっての食事。いわば団欒のひと時である。食事の前に、孫娘と孫息子は、両手を合わせて「イタダキマス」と言った。ほー、かんしん、かんしん、と。ところが、学校で給食を食べる時はいつもこうすると、平然としている。ほー、そうか、そうか、と二度かんしん。
どうやら、孫たちの通っている学校には、日教組のアノ族の先生たちがいないようである。安心。学校でちゃんとシツケが出来ている。
家族そろってのおいしく食事しての「一家団欒」。
われわれ子供のころは、弁当を食べる前に両手を合わせて、詳細は忘れたが、「------一粒のお米も残さずに、イタダキマス」と言って食べた。だからその唱和する声が各教室から聞こえてきた。何しろ戦中のこと、欲しがりません勝つまでは、と、家でコメを食べても、弁当にはわざわざ麦を混ぜて持って行った。贅沢は敵とばかりに。そして弁当は残さずに食べる。これは子どものシツケの一つであった。ついでに言うなら、買い食いしない。学校から帰りは道草しない等々。
連休を生家でと、息子夫婦が孫娘と孫息子を伴って訪れた。そこで食卓をかこっての食事。いわば団欒のひと時である。食事の前に、孫娘と孫息子は、両手を合わせて「イタダキマス」と言った。ほー、かんしん、かんしん、と。ところが、学校で給食を食べる時はいつもこうすると、平然としている。ほー、そうか、そうか、と二度かんしん。
どうやら、孫たちの通っている学校には、日教組のアノ族の先生たちがいないようである。安心。学校でちゃんとシツケが出来ている。
家族そろってのおいしく食事しての「一家団欒」。
われわれ子供のころは、弁当を食べる前に両手を合わせて、詳細は忘れたが、「------一粒のお米も残さずに、イタダキマス」と言って食べた。だからその唱和する声が各教室から聞こえてきた。何しろ戦中のこと、欲しがりません勝つまでは、と、家でコメを食べても、弁当にはわざわざ麦を混ぜて持って行った。贅沢は敵とばかりに。そして弁当は残さずに食べる。これは子どものシツケの一つであった。ついでに言うなら、買い食いしない。学校から帰りは道草しない等々。