風通庵-直言

ヨモヤマ話

一家団欒

2010-05-04 14:12:53 | Weblog
 一身上のこと。

 連休を生家でと、息子夫婦が孫娘と孫息子を伴って訪れた。そこで食卓をかこっての食事。いわば団欒のひと時である。食事の前に、孫娘と孫息子は、両手を合わせて「イタダキマス」と言った。ほー、かんしん、かんしん、と。ところが、学校で給食を食べる時はいつもこうすると、平然としている。ほー、そうか、そうか、と二度かんしん。
 どうやら、孫たちの通っている学校には、日教組のアノ族の先生たちがいないようである。安心。学校でちゃんとシツケが出来ている。
 家族そろってのおいしく食事しての「一家団欒」。
 

 われわれ子供のころは、弁当を食べる前に両手を合わせて、詳細は忘れたが、「------一粒のお米も残さずに、イタダキマス」と言って食べた。だからその唱和する声が各教室から聞こえてきた。何しろ戦中のこと、欲しがりません勝つまでは、と、家でコメを食べても、弁当にはわざわざ麦を混ぜて持って行った。贅沢は敵とばかりに。そして弁当は残さずに食べる。これは子どものシツケの一つであった。ついでに言うなら、買い食いしない。学校から帰りは道草しない等々。
 

こんな場合、誰に罰が当たるのか

2010-05-04 10:13:33 | Weblog
 吾輩は貧農の子倅である。幼少の砌に、畑仕事をする親たちについて行って、道端で泥餅をつくって遊んだものだ。
 そんな記憶の狭間に、老境のいま、思い出す。

 ----泥餅を作っては遊んだ畑の傍に、鬱蒼と茂った竹藪があった。その竹藪の周辺は草むらで,丁度今の季節、細長いタケノコが生えていて、取っては持って帰った。筍と言っても、藪から生えた筍で食べられるものではなかった。そんなタケノコが生える草むらの中に、小さな石の台に縦長の石が乗っかった墓が幾つかあった。既に、当時と言うと吾輩が少々の砌、無縁墓になっていたのかも知れない。
 つい最近のこと、田舎の立派な、と言っても昔を知る吾輩にとっては何んとなく不釣り合いな感じの高速道路を車で走りながら思い出した。そうだ、そうだ、既にあの竹藪はない。竹藪がなければ、あの墓もなくなっている筈。同乗の跡取り息子に「この下あたりに墓があったと思うけど、あれ、どないなったかなあ」と言うと、「さあ、知らん」とのこと。
 それも当然で、そこに住んでいる者にとっては高速道路が出来て便利になった、アー、よかった、よかった。それだけのこと。
 竹藪も畑もない、墓もない、何もかもなぎ倒しての高速道路の建設である。そんなこと知ったことか。それはそれでいいけれど、ブルトーザーで掘り起こされた墓こそ迷惑。そんなとき、この罰は誰に当たるのか。
 政治家に政治資金を裏から出して工事を請け負った建設会社の社長さんに当たるのか。もっと上の、高速道路の建設を計画した大臣に当たるのか。墓の子孫に当たるのか。墓の下で眠っていた仏様も相手の物色に難儀したことだろう。