ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

ぶどうの木とリンゴの木(6)ウンチク前編

2007-09-22 | 人魚王子/ ぶどうの木とリンゴの木
日本の秋は、美味しいものでいっぱい!ですね。(うらやまし~)いろいろな秋の味覚がありますが、果物は、旬が一番、そして、どんなに輸送技術が発達したとはいえ、産地でしか本物を味わえない、これが果物のおいしいところです。

今回のストーリーには、日本を代表するような美味しい果物に登場してもらいました。

さて、今回のポイントは、果物たちのした思い違いです。それを、私たちのする思い違いに当てはめながら、一つ一つ見ていきましょう。


桃:こんなに立派な実をたくさんつけている

自分の観点(価値観、人生観など)に沿って、立派だ、評価に値する、価値のある、意味がある、そういう生き方をしているのだから、自分の人生は大丈夫、そう思っている人があるのではないでしょうか。でも、人の人生を最終的に判断する基準は、あなたの観点ではありません。いくら自分では大丈夫と思っていても、それは最終的なものではありません。


ぶどう:ひとつも実をつけたことがない

ここは逆説的に考えていただきたいのです。自分は、悪いと評価されるようなものは、外側に現れ出ないように、押さえ込んでやっている。何もうしろめたいようなことをしたことはない。だから、大丈夫。そう思っている人があるのではないでしょうか。でも、問題は、外側ではないのです。あなたの内側にどんな思いがあるか、なのです。たとえ、人を殺したり、殴ったりしたことがなくても、悪口、陰口すら言ったことがなくても、もし心の中で他の人をにくい、じゃまだ、うっとおしいと思ったことが一度でもあるなら、それは、殺人者と「同質」の心を持っていることになります。


梨:ここにぶどうの実をたくさんぶら下げれば

じゃあ、自分に最終評価を下すその基準に合わせて、よい評価を受けるものを身に付ければ、OKでしょう。これも、大間違いです。いくら、良いもの(善行、品性、高学歴、高収入、地位、名声などなど)を身にぶら下げても、それは、外側が良く見えるだけのことであって、あなたの「本質」は、ちっとも変わっていないからです。また、お払い、おまじない、厄除け、難行苦行・・・、どんなことによっても、あなたの心から「悪」を取り除くことはできません。さらに、何をしても、過去にした「悪」を精算することはできません。


思い違いの結果、ストーリーの中の果物の木たちは、あっさりと切り倒されてしまいました。私たちも人事と笑ってはいられません。


(次回は、解決の糸口をウンチクります。)