ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

ガラスの器(6)ウンチク前編

2008-03-22 | ガラスの器/ スイート・ホーム・シカゴ
猫も近寄らなくなるほど、実際にガラスに臭い匂いが移るかどうかは、さておき、
今回は、ガラスの器と匂いがテーマです。

ガラス職人が作ったガラスの器、それ自体は、まったく変わらないのですが、最初は花瓶として使われ、次に水槽になり、ついには猫の便器にされてしまいました。引き取られる価格は、落ちていき、ゴミ回収の人も処理を嫌がるほどになってしまいます。

その原因は、匂いでした。その匂いは、どのようにしてついたかというと、その器が、何のために使われたか、それによって、後からついたものです。

ガラスの器そのものは同じでも、何のために使われたか、中に何が入れられたかで、ガラスの器自体の価値が下がったわけです。


このことは、私たちにも、当てはまります。物質的に分析すれば、私たちは、水分何%、たんぱく質何%、カルシウム何%・・、という存在です。けれども、私たちの人としての価値は、化学物質的な物としての価値ではなく、その内側に入っているものによって、価値が付くわけです。

で、問題は、私たちの内側に、どんなものが入っているかです。「腐った」ものが入っていれば、それだけの価値です。あるいは、その人の人生が何のために使われているか、によります。「腐った」ものを入れていれば、それだけの価値ということになります。


私たち、人は、ガラスの器ほど、単純ではありません。中に入っているものが、透けて見えるわけではありません。理性とか、しつけとかで、中にあるものを上手に隠します。

どんなに上手に隠しても、中に入っているものが、なくなったわけではありません。通常はうまく振舞えるのですが、とんでもないことが突然起こると、本当に中にあるものが、顔を出します。「地が出る」というヤツです。それこそが、あなたの中に入っているもので、それがあなたの価値を決めます。

「口から出るものは、心から出てきます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。」(マタイの福音書 15章18,19節)と、聖書にある、まさにそのとおりです。

(次回は、解決の糸口をウンチクります。)