『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

銀座も高級クラブ閉店ラッシュで7丁目、8丁目は地価下落か

2022-01-14 08:12:39 | 日記
銀座には1000店舗以上のクラブがあるとされるが、クラブのオーナーやママたちはLINEで連絡を取り合い半数に及ぶクラブが
コロナ禍で都の時短要請を拒否して 店とホステスさんを守るために通常営業していました。実際、“花金”の8日午後8時過ぎ、銀座の
クラブ街では、ほとんどの看板に明かりがついていた。とはいえ、街を歩く人はあまりいなかった。時短要請を拒否し、銀座のクラブは
断腸の思いで店を維持するために通常営業しているようだ。勿論、銀座は夜ばかりではない。シャネル、ルイ・ヴィトン、C・ディオール
、カルティエ。名立たるブランド店がずらり立ち並ぶ、銀座並木通り。ショーウィンドウの明かりが消え、シャッターの降りる午後八時に
なると、ネオンが灯り、銀座はにわかにもう一つの夜の顔を呈し始める。道なりに次々横付けされるベンツの数々。ビルの正面口で表通り
と腕時計とを身比べる、黒いスーツの男。タクシーから出迎えられる、夜会巻きのホステス。着物姿のマダムが楚々として急ぐ道の向い側
で、色とりどりのスーツ姿で携帯電話片手に呼び込みをかけつつ道行く女たち。座っただけで五、六万。酒に美女と語らえば、数十万は
下らない、銀座は花の高級クラブ街。その一方で、この街は今、新たな時代の局面を迎えつつある。街角の随所に目立つ、ビラを配って客
寄せするキャバクラ嬢。腿の付け根まで切れ上がったスリットを強調させて歩く、フィリピーノの立ちんぼ。ニ、三十代のサラリーマンが
重役と言われる五、六十代と数を半分にして歩く通りで、「一時間六千円。いい娘揃ってますよ」と狙い定めて声をかける、長髪にスーツ
の男たち。並木通りに面したカフェにふらりと立ち寄れば、先行き不安な状況に思案顔のクラブ経営者たち。「銀座もかわりましたなぁ」
がため息とともに聞こえる日常会話である。立ちんぼが現れたのはここ四、五年のこと。並木通り以前にメインストリートと言われた外堀
通りに目を向ければ、今やカラオケボックスができ、吉野屋、和民など表通りは飲食店が山と占める。「クラブになど簡単に土地を貸すよ
うな街ではなかった。そこを我々は堂々と借りて商売している、という誇りをもってやってきた」とはクラブ「ロイヤルサルート」の会長。
銀座中央通りはザ・ギンザ資生堂ビルの地下に場所を移して二十年。今年で三十四年目の老舗である。世界有数の高地価地だけに、体裁を
重んじる街並みは規制も厳しく、かつてはかのマクドナルドをもってしても表通りに軒を並べることは叶わなかった。「それが今やなんに
でも貸す」との生っ粋の銀座紳士殿の嘆きも否めない。バブル期に隆盛を極めた当時のクラブ地価は、ピーク時で坪一億。売買契約で店を
始めるとなると、土地代のみならず内装費、什器・備品代から保険料となにからなにまで丸抱えせねばならず、これに女の子の支度金から
男性スタッフの雇用金が上乗せという、目を剥くような資金が必要であった。そこに「お酒さえ持ち込めば、明日からでもできる」をキャ
ッチフレーズに、リースシステムで頭角を表わしたのが丸源ビルディングであった。十五、六年前から平均十二〜十五坪単位でワンフロア
ーを細切れに区切り、上から下まで三十〜七十もの内装完備した店鋪を、坪百万単価という破格の値で貸し出したのである。時は好景気。
銀座で店を持ちたいと願うものは日々増加の一途を辿るのに対し、店鋪数の比率が圧倒的に追い付かなかった時代である。我も我もとみな
殺到した。時は流れ、バブル崩壊後の今日。雑居ビルのネオンは約半分以上がその姿を消した。内装完備分を倍額の家賃で採算都合してい
た丸源ビルも、今や坪単価三十五万という地価三分の一に引き下げざるを得ない状況に、バブル崩壊前後の住居者にかかってくる家賃差が
歴然となった。「今は家賃が安くなった分、顧客は入りやすいのに、クラブ側の集客がなく、お店自体の維持が難しいというのが現状のよ
うです」。とは銀座abe店舗センター。ここ五年の契約率もキャバクラの方が高いという。バブル崩壊から続く不況が街に刻んだ影は色濃い。

以下抜粋コピー

東京・中央区銀座7丁目の喫茶店「銀座ウエスト」にて、この原稿を書いています。かつて勤め人だった頃、この店の隣にある旧リクルート
G7ビルで働いていました。当時からこの辺りのカフェでは夕暮れ時、夜の女性たちが客を待つ光景に出くわします。
今日も、右斜め前の席には、1960年代の「星由里子」風の洋服を着た若い女性が座っています。あえて60年代風に自分を仕立てたのでしょ
う。髪形も含め顧客の青春時代に合わせているのだと思います。ほどなく80歳代と思われる紳士が到着しました。ところで、今や時価総額
11兆円を超える企業となったリクルートは、1990年代初頭の不動産バブル崩壊時には、グループ全体で2兆円を超える負債に苦しみ倒産寸
前でした。不良資産処理のための部隊が編成され、私もそこに所属しておりました。当時、この店の前の外堀通り沿いの地価は1坪約1億5000
万円程度であったように記憶している。今はおそらく、5000万~6000万円程度でしょう。現在、地価は、そこに建てたビルなり、マンショ
ンから得られる賃料からの逆算で評価することが主流となりました。つまり土地の漠然とした人気や希少性ではなく、そこから得られる収益
によって土地の価値が決まります。銀座の地価が日本で一番であるのは、そこから得られる賃料が日本一であるが故なのです。
結果、銀座にはこれまで世界的な有名企業や富裕層が資産を保有してきました。一流ブランド企業だけでなく、時計のセイコーの服部家など
も複数のビルを保有しています。
■銀座のみならずあらゆる業種で生死の分かれ目が
しかし、この2年にわたるコロナ禍によって、この銀座も大きなダメージを受けています。特にここ7丁目、8丁目辺りの夜の銀座の被害は甚
大です。もともと高級クラブと呼ばれる店は顧客の高齢化によって以前のような隆盛は徐々に失いつつありました。それに加えての今回のコ
ロナ禍の長期化です。看板は掛かっているものの実態は歯抜けの状態のビルは少なくありません。賃料の低下や空室が増えれば、当然ビルの
価値、すなわち地価の下落につながります。昨年、ここ銀座においても国交省や東京都が発表した公示地価、基準地価が共に下落致しました。
大阪の繁華街ミナミのように20%、30%というほどではありませんでしたが、8%、10%前後の下落が見られました。
銀座もこれからが正念場です。2021年の年末、忘年会を見送った方も多かったと思われます。一番の稼ぎ時である年末に売り上げが上がらな
かった銀座の店の中には閉店を決めたオーナーもいるかもしれません。今年は銀座だけでなくあらゆる業種で生死の分かれ目がやってくると思
います。とにかくやれることは全部やるしかありません。
(長谷川高氏/不動産アナリスト) 

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