バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

筋…2014

2014-04-29 18:16:26 | やっぱりミニバス!
平成26年5月1日 木曜日
 
「風薫る…2014」


今日から皐月(さつき)…風薫る五月です。

新緑の香りが薫風となり、顔を凪いでいきます。

そんなひと時を感じながら出勤しています。

といいつつ今日の天気は雨模様。

気分も相変わらず今一つですが…

いつまで続けられるかというところですが、

辞める思い切りもつかない自分です。

過去を振り返って悔やんでもしかたないですが、

あのときもっと頑張っていれば…と思う今日この頃です。

それでも淡々といくしかない、他の視線を気にしていても仕方ないこと。

じっと耐えて、時間をやり過ごして行こうと思います。

筋…2014

2014-04-29 06:37:40 | やっぱりミニバス!
平成26年4月29日 火曜日
 
「筋…2014」


「無理をとおせば、道理が引っ込む」と言います。

これは、「道理に外れたことが世の中に行われれば、正しいことがなされなくなる。」ということです。

「無理」とは、「①道理のないこと。理由の立たないこと。②強いて行うこと。行うのが困難なこと。」を言います。

「道理」とは、「①物事のそうあるべき筋道。ことわり。②人の行うべき正しい道。道義。」を言います。

いいたいのは、「筋」や「筋道」のとおらない事や、話しは第三者を説得できないということです。


自然界においてみた場合、樹木には、毎年、創られていく「年輪」という「筋」があります。

石や岩にも、気の遠くなるような年月を経て、形成された「筋」があります。

この「筋」にそって、打撃を加えれば、苔むす岩も、その「筋」のとおりに裂けるのです。

「筋」を読まなければ、「筋」を見つけられません。

「筋」以外のところを打撃しても、さっくりと見事に割れないでしょう。

多分、石や樹木は無惨な形でバラバラになるだけでしょう。

それは、「無理」という「圧力」を強引にかけたがゆえの結果です。

ある物事、たとえば、バスケットの練習について考えてみたとき、

その練習を行う「筋」が明確でなければ、選手達はその練習の意味が理解できなくて、練習させられても、身につくことは無理ですから、その練習は意味がないのです。

コーチ自身が、第三者の立場で、その「筋」を明確に理解できていなければ、選手に対してその練習をやらせることはできないのです。

コーチ自身が、単なる受け売りで、強引に選手に圧力をかけても、選手は、やる気を無くすだけです。

さらに言います。

コーチが子供達を叱るときは、コーチ自身と子供達が理解できる「筋」がなくてはならないのです。

もっと言えば、「普段、子供達を指導していない、関係のないコーチが、子供達を直接、叱ることは筋が違うだろう。」

子供達も、「いつものコーチは叱らないのに、なんで、別のコーチから僕達は叱られるの?」と納得できないでしょう。

その時の「筋」は、叱った子供達を、普段から指導しているコーチに、まず話すべきなのです。

「あの応援は、こういう理由でよろしくないと思うけれど、いかに?」と聞くことで、「筋」はとおるのです。

「筋」をとおさない、人を「傲慢この上ない」と私は言っています。

もしくは、「天上天下唯我独尊」(この世の中に自分より尊い者は存在しない。)

つまり、自分が、すべての「筋」であるとおもっている人を言います。

…と言いつつ、自分も、そうならないように戒めなければと思う今日この頃です。