平成24年4月8日 日曜日
「啓発ということ…自ら考え、学ぶ」
『憤(フン)せざれば啓(ケイ)せず、(ヒ)せざれば発せず、…』
これは論語にある言葉です。
「啓発」の言葉はここから生まれたものです。
人を啓発する、人に啓発される…
「問題意識を持つこと…、
何故?という問いかけを繰り返して、
物事の本質を究めることです。
究めたところに真実があるはずです。
究めるということは、それ以上問いかけることができない真理を知ることだと思います。」
論語のこの啓発の対句に続いて、次の言葉があります。
『一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、則(スナワ)ち復びせず』
…四角なものの一角を教えられたら、あとの三つの角は自分で考えてわかろうとする者でなかれば、教える必要はない。
また次の教えも同じ意味です。
『人は二つの教育を持っている。
その一つは他人から受ける教育。
ほかのひとつは、自らが自らに与える教育である。』
自分に向かって問いかけることが大事です。
『教えられていないから出来ないのか?
自ら考えようとしているか?
自ら学ぼうとする意欲はあるか?
学んだことから、さらに何を学ぶのか?
学んだことから、考えることができるだろう。
そこを究めていくのは自分自身の問題ではないのか!?』
まさにそれこそが、自分で自分を啓発することではないでしょうか。