バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

人生という時間・・・2012

2012-04-21 03:20:04 | やっぱりミニバス!
平成24年4月21日 土曜日
 
「人生という時間・・・2012」


以前に『象の時間、ネズミの時間』という記事を書きました。

私は、この「時間」という観念に興味を持っています。

自分が子供の頃は、一年が過ぎるのが、すごく長く感じました。

やっとその年の暮れになってクリスマスや正月が、来るのがワクワクドキドキして、待ち遠しい感じであったのを覚えています。

いつの頃からか、一年の経つのが早いこと、速いんですね。

先日も、以前に書いた記事を思い出しながらいつ頃書いたか、探していたんですが…

自分では、昨年、書いたつもりだったのが、先一昨年に書いていたのです。

これには、正直驚きました。

その記事は、つい最近書いたような気がするのです。

しかし、その記事を書いて、3年が経っていました。

この時間の早さ、遅さの感覚は、まったく、主観的なものです。

客観的にいえば、刻まれる時は、すべての人の寿命にとっては同じです。

50歳過ぎで亡くなろうが…

100歳で大往生と言われようが、その人が刻んだ時のリズムは同じです。

ただ、現実に生きた時間のリズムの回数の長短に差はあります。

その時間のリズムの中で、寿命を使い切ったと思えるかどうか…

それは、本人しか分からないことでしょう。

とにかく、早い時間、遅い時間というのは、思い込みという観念のものです。

しかし、それは子供達には理解出来ないでしょう。

大人になるにつれて感じるようになるのです。

主観として感じるものですから、やはり、人々にとって、時間には早い、遅いということがあるのです。


嬉しい時間は早く過ぎ、辛い時間は抜け出ることのない闇のような、長く遅い時間なのでしょう。

その時間の積み重ねを様々に感じつつ生きていること

生きられていることが、「人生」という現実です。

それでも、時は刻み続けられていくのです。

早い遅いはあろうとも、止まることはないのです。


寿命をまっとうする限り、時間は刻み続けられる。

「人生」における時間は…人それぞれが、それぞれに感じるものです。

しかし、今の人達は、客観的な時間を人生だと取り違えていると思うのです。

そうして、何日までに何をする、何年後までに何をする。

時刻を先取ることで、人生を生きている。

この人達にとって、人生とは予定なのです。

そうなるかどうか、わからない…予定なのです。

この予定に振り回されて、時間が無いと嘆くのです。

しかし時間は無くなることはないのです。

それは「人生」という時の流れに対する考え方です。

予定を立てることが、無駄だとは言っていません。

予定は、その人にとっての人生の夢に成り得るものだから…

夢の実現に向けて生きることは、有意義な人生に違いありません。

しかし人生は、「今」という時の積み重ねであり、

その「今」のありようは、人様々です。

予定どおりに行かないことを嘆くよりも、それが人生なのだと思い知ること、

技術の進歩で、距離を移動する時間がかからなくなった。

要は時間が短くなり、その短い時間に合わせた予定を立てるようになり、

また時間が無くなったと焦り、あくせくと生きるようになる。

そうやって、忙しい忙しいと生きていたら、寿命が尽きる時が来ていた。

人生の時間は有限です。

無限にあるものと思い、予定を立てて生きていく。

寿命が尽きることを知りながら、

それは、ずっと先のように思っている。

寿命が尽きる瞬間というのは、今、ここにあるのかもしれない。

だから、「今」という
人様々にある…その時を大切にすべきだと思うのです。