風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

住吉城

2011-09-10 16:12:06 | 湘南鎌倉
小坪の町の山際、海前寺から神明宮への途中にある
山道を登って行くと、望洋邸というマンションの横に出ます

警戒厳重ですので、通り過ぎて「ぼんばた橋」を渡って、
振り返ると、「ぼんばたけ」の向こうに望洋邸がそびえてます。

車道に出るので小坪トンネルの方へ歩きます

134号線の飯島トンネルです。これからあのトンネルの上を回り込みます。
トンネルの上の扇山を主峰とする丘には住吉城があったそうです


住吉城址実測図です(「逗子市住吉城址」より)。先ほどの「ぼんばたけ」に家臣の邸、
「げんじヶ谷」に住吉城(城主の館?)があったと言われてます。


住吉隧道、このトンネルをくぐると正覚寺、
記主良忠上人が鎌倉に来て住み着いた悟真寺です


正覚寺の裏山には住吉社があり、住吉城址の板が置いてありました。

 戦国時代の初め、三浦道寸と弟の道香がこの山城にこもって、
北条早雲の軍勢と戦いました。道寸と道香兄弟の奮戦もむなしく
戦いに敗れ、道寸は三浦の新井城へ逃れ、道香は逗子の延命寺境内で、
家来たちと自害したと伝えられています。
 住吉城は山城ですから、近世の城のように天守閣も石垣もありません。
自然の地形をうまく利用して、攻め寄せる敵を防いだものと思われます。


祠の横にトンネルがあります。が、出口は封鎖のようです。

鎌倉攬勝考などに出てくる「くらがりやぐら」は
このあたりから「げんじヶ谷」へのトンネルのことと思われます。
「げんじヶ谷」に邸宅が建ったときに閉じられたとのこと、志村源太郎(大正12)、
幣原喜重郎(大正15)、五島慶太、秀吉魁(昭和31)らの邸宅になったそうです。


小坪海岸トンネルの上に現在の「げんじヶ谷」に立つ豪邸が見えます。
SMAPの香取慎吾さんの別荘というです


六角の井戸を通って光明寺に戻りました

蓮乗院、千手院

2011-09-10 14:51:49 | 鎌倉33観音
第19番 天照山・蓮乗院(浄土宗)【十一面観音】

蓮乗院は以前よりこの地にあり、光明寺が材木座に移って来た時、
開山の良忠上人はこの寺で落成を督励したと言いますが、
光明寺の草創については、話がこんがらがってるようです。

光明寺開山の然阿(然阿弥陀仏)良忠上人(記主禅師)は
千葉県での活動の後に鎌倉に移住しました。

飯島の正覚寺の前身、住吉ヶ谷の悟真寺に居住していると、
1240年(仁治元)に北条経時が佐助ヶ谷に蓮華寺を建立、
1243年(寛元元)に材木座に移され「光明寺」と改められたとか、

大仏聖の浄光の坊に仮り住いの後、大仏流北条朝直の帰依を受けて
佐助ヶ谷に創建した悟真寺が、後に蓮華寺と改名され、
中興の祐崇上人の時に光明寺として現在の地に移転したとか、ありますが、
後者は辻褄合わず、風土記稿も前者だし、たぶん前者一択です。


本尊の阿弥陀如来は千葉常胤の守り本尊だったとか、
お寺の紋が千葉家の家紋の月星なのも関係がありそうです。
中央の厨子に札所本尊の十一面観音さまが見えてます


文殊菩薩坐像(下段)や弘法大師像(中段)
昔は真言宗だったそうですから


内陣の格天井絵は大町の松岡家の行業で1978年に荘厳されました。
月岡栄貴画伯を主宰とする16人により描かれたそうです。


第20番 天照山・千手院(浄土宗)【千手観音】

もとは光明寺の寺僧寮、江戸時代は寺子屋だったそうです。
昔は専修院と称しましたが、千手観音が知られて改名したようです。
清水寺式の千手観音が見たかったのですが、
公開してませんと断られてしまいました。住職変わったのかな?残念


本日いただいた御朱印です

光明寺

2011-09-10 14:50:55 | 鎌倉33観音
第18番 天照山・蓮華院・光明寺(浄土宗)【如意輪観音】
浄土宗の大本山、大迫力の山門です。
鎌倉のお寺は谷戸の奥にあることが多いですが、ここは材木座の海岸近く、開放的です。

1243年(寛元元)、第4代執権北条経時が良忠上人を迎えて創建。
皇室との関係も深く、山門の扁額「天照山」は、後花園天皇の直筆と伝わります。
後土御門天皇からは、関東総本山の称号を受け、
関東での念仏修行根本道場として、国と国民の平安を祈る勅願所となりました。
さらに「お十夜法要」の勅許を得て、以来毎年10月12~15日に盛大な念仏法要が営まれます。
また江戸時代初期、徳川家康は関東十八檀林の筆頭と定めました。


本堂では、仏像をじっくり拝むことができました。


ご本尊の阿弥陀如来は整ったお姿、上品下生の印相です。
脇侍の観音/勢至菩薩が並んでます。
中尊は鎌倉前期・中央仏師の作風、脇侍は鎌倉後期・宋風とのこと。


欄間を見ると天女の彫り物が綺麗です


弁財天と善導大師です。
この弁財天は、口を開けて笑っているようです。八臂で彩色も綺麗です、
江ノ島の弁財天が暴風のたびに流れてきたとか、
夜な夜な善導大師像の説法を聞きに来たとの逸話があるとか。
善導大師は中国浄土教の大成者で、著作が法然に影響を与えました。


札所本尊の如意輪観音と法然上人です。
如意輪観音は浄土宗では祀らない密教的な尊像であり、客仏らしいです。
鎌倉後期の作、間近で拝することができて嬉しいです。


平安後期風の阿弥陀如来立像


小堀遠州風の記主庭園、記主とは開山の良忠上人のことです。
蓮は遺跡で発見された古代ハスだそうです。
池の向こうは大聖閣、2009年に再建されたました。


三尊五祖の石庭
中央と両脇が阿弥陀三尊、左手前が法然、右が善導大師を表してます。

見どころが多いお寺です。頂いた御朱印は次回に。