風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

小動神社の天王祭

2010-07-11 14:02:48 | 湘南鎌倉
小雨の中、腰越に小動神社の天王祭を見に行きました
腰越の路面電車道は既に車の進入禁止です

上の写真は、お囃子を載せた神戸町の山車ですが、
上部が回転するようになってます
回し方が半端じゃないです、本気で回してます、すごいです

中原町山車には須佐之男命
土橋町山車には源頼朝と御所五郎丸
雨なので、他は出されてなかったです


そうこうするうちに、江ノ島の八坂神社の神輿がやって来ます
紫が小動神社で女役、赤が八坂神社で男役です
「やっと来たのね、待ってたわ」ていう出会いの場面


赤い神輿を先に通し、紫は一回転して後からついて行きます
「あんた先にお行きよ、ついて行くから」って、同行する二基


江ノ電を通しながら、小動神社の方向へ練って行きます
「ドッコイ・ドッコイ」の掛け声、「カッタ・カッタ」と鐶を打つ音、
やっぱり燃えますね、盛り上がります


まだまだ、お祭りは続きますが、今年はここまで

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大町まつり

2010-07-10 14:36:52 | 湘南鎌倉
鎌倉祇園・八雲神社例祭、大町まつりを見に行きました
詳しくはオフィシャルページ、写真もありよくできてます

町内のお祭りの雰囲気なのですが、お神輿が立派、4台もあります
担ぎ手は白丁烏帽子姿でかっこよし


藤沢の神輿はどうも担ぎ手の装束に抵抗あります
鐶を打つ「カッタ・カッタ」の音もなく
掛け声も「ドッコイ・ドッコイ」でなく、
京都のお祭りの雰囲気でいい感じです


どう見ても天狗のような猿田彦


お囃子は鎌倉囃子、
ここぞという所では伊勢音頭をベースとした大町天王唄が唄われます


子供みこしもいくつかあるようで、楽しそう


八雲神社では夜祭りの準備ができてました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮前の十二天王祭

2010-07-10 10:05:36 | 湘南鎌倉
通りすがりですが、宮前の十二天王祭です
子供たちが賑やかですが、お父さん方の姿が少なく見えました
十二天公園から線路の向こうの宮前に渡るところです

宮前の御霊神社の副社として祀られる十二天王社のお祭りのようです
十二天とは、天地創造の神話に登場する天神(国之常立神から7代)、
地神(天照大神から5代)の合わせて12天です

昔お神輿が暴れ、山頂に埋めたので、子供神輿だけになったとか
御霊・厄神を楽しまて鎮魂させる、祇園祭系の天王祭がありますが、
この十二天王祭は由来、意味が違うのかなぁ

ところで、元々の十二天王社があった場所は、今では分からなくなってます
十二天公園という地名がありますが、たぶん違う
御霊神社の裏参道にある鎌倉古道に沿った場所にあったのか?
武田薬品方向にあったという十二天山にあったのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブドウの摘粒と袋掛け

2010-07-04 13:20:01 | 風雅庵
紅伊豆です
まばらなので、ほぼそのまま袋掛けしました


スチューベンです
びっしり果粒がついてます
紅伊豆と比べても難易度はかなり低い感じです
小さな果粒、汚れた果粒、混み合った果粒を
摘粒してから袋掛けしました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遊行寺あたり

2010-07-04 10:05:04 | 湘南鎌倉
骨董市を覗くついでに、遊行寺の付近に行きました
上の写真は長生院の奥にある小栗判官と十勇士の墓です

小栗満重は、常陸・小栗城14代城主、
上杉禅秀の乱の際、鎌倉公方の足利持氏に攻め落とされました
家来10人と三河へ落ち延びる途中、藤沢・俣野の
横山大膳の宿に泊まり、飯盛女?の照手姫を見初めます
横山は旅人をねらう盗賊で、酒に毒を盛り小栗らを毒殺しました
小栗は一度地獄に行きますが、閻魔大王の裁きに基づいて
遊行寺の太空(たいくう)上人に助けられます

熊野の湯ノ峯温泉の薬効によりついに全快
死からの蘇生を天皇から称えられ、
常陸の領地を与えられ、判官の地位を授けられます
遊行寺で家臣たちを弔い、照手姫を見つけてようやく夫婦となりました
小栗の死後、照手姫は遊行寺内に草庵を結び、余生を過ごしたとさ

照手姫の墓


照手姫建立の厄除け地蔵


暴れ馬「鬼鹿毛(おにかげ)」の墓
馬乗りの名人の満重はみごとに乗りこなしてしまう


上杉禅秀の乱の敵御方供養塔

上杉氏憲(禅秀)は関東管領、鎌倉公方を補佐していた
ところが鎌倉公方・足利持氏は、禅秀の犬懸上杉家の所領を没収
不満がつのり、上杉禅秀の乱(1416年)を起こし、一時は鎌倉制圧、
しかし室町幕府・足利義持は持氏を支持、
戦乱で多くの人馬が命を落とした
遊行14代・太空上人は、敵味方の区別なく平等に供養しました

なんだか、同じような登場人物です
太空上人はたぶんアンチ鎌倉公方だったんでしょうね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする