風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

ブドウの摘粒と袋掛け

2010-07-04 13:20:01 | 風雅庵
紅伊豆です
まばらなので、ほぼそのまま袋掛けしました


スチューベンです
びっしり果粒がついてます
紅伊豆と比べても難易度はかなり低い感じです
小さな果粒、汚れた果粒、混み合った果粒を
摘粒してから袋掛けしました

遊行寺あたり

2010-07-04 10:05:04 | 湘南鎌倉
骨董市を覗くついでに、遊行寺の付近に行きました
上の写真は長生院の奥にある小栗判官と十勇士の墓です

小栗満重は、常陸・小栗城14代城主、
上杉禅秀の乱の際、鎌倉公方の足利持氏に攻め落とされました
家来10人と三河へ落ち延びる途中、藤沢・俣野の
横山大膳の宿に泊まり、飯盛女?の照手姫を見初めます
横山は旅人をねらう盗賊で、酒に毒を盛り小栗らを毒殺しました
小栗は一度地獄に行きますが、閻魔大王の裁きに基づいて
遊行寺の太空(たいくう)上人に助けられます

熊野の湯ノ峯温泉の薬効によりついに全快
死からの蘇生を天皇から称えられ、
常陸の領地を与えられ、判官の地位を授けられます
遊行寺で家臣たちを弔い、照手姫を見つけてようやく夫婦となりました
小栗の死後、照手姫は遊行寺内に草庵を結び、余生を過ごしたとさ

照手姫の墓


照手姫建立の厄除け地蔵


暴れ馬「鬼鹿毛(おにかげ)」の墓
馬乗りの名人の満重はみごとに乗りこなしてしまう


上杉禅秀の乱の敵御方供養塔

上杉氏憲(禅秀)は関東管領、鎌倉公方を補佐していた
ところが鎌倉公方・足利持氏は、禅秀の犬懸上杉家の所領を没収
不満がつのり、上杉禅秀の乱(1416年)を起こし、一時は鎌倉制圧、
しかし室町幕府・足利義持は持氏を支持、
戦乱で多くの人馬が命を落とした
遊行14代・太空上人は、敵味方の区別なく平等に供養しました

なんだか、同じような登場人物です
太空上人はたぶんアンチ鎌倉公方だったんでしょうね